こむら川小説大賞を書き終えて

あきかん

あとがき、あるいは創作活動について

 こむら川小説大賞に応募しました。


「これは小説である。」


 というタイトルです。読んで頂く必要はありません。出落ち狙いの中身はない小説?です。

 あえて小説と言い張るならばポストモダンかな。


 自分が今まで一番評価された創作はおーいお茶の俳句大賞で、佳作だったのですが、良い思い出です。

 自己分析をすると、この時の俳句が佳作に選ばれたのは読み手を意識して書いたこと。そして、ある程度のオリジナリティにこだわったことだと思います。

 私が考える創作活動のつらさはこの相反する問題を如何にまとめるか、につきます。


 自身には傑出した才能などない。だからといってオリジナリティのない創作はつまらないものです。

 昔、美術の時間で仮面を描く課題が出された事があります。この時、クラス全員が書き直させられました。

 教師曰く、「ありきたりでつまらん。やり直せ。」との事。訳が分からずクラス全員が沈黙しました。

 良かった作品としてあげられたものもあります。それは横顔の仮面でした。

 常識にとらわれるな、もっと個性を出せ。ということだったのでしょう。

 本を選ぶ際に作家買いをよくするのですが、自分はその作家の色が好きだとしか言えません。私は他人の個性に魅了されています。


 しかし、個性を出したからといって独りよがりの作品もまたつまらないものです。

 世紀の天才が作る作品は例外なのかもしれません。ただ、読み手や受け手を意識しない作品を理解できるほど私は賢くありません。分かりやすく語っていただきたい。何が面白いのかわからないものはつまらないのです。

 作り手に回るとこれが自分に襲いかかってきます。


 創作は怖いものです。

 私は何度か創作物を作っては捨て、途中で投げ出したりしてしまうのですが、これは読み手を怖れているからです。

 ただの八方美人なのかもしれません。自分に向けた小説ですら怖いのです。

 書いている途中で、この言い回しは伝わるのかな、文章のつながりが悪い、自分が書きたいものが出せていない、等々。創作意欲を削りに削る自分の目に心がおられます。

 誰も見ない、それこそ心の中の風景だけならば美しいのです。しかし、それを一旦かたちを持たせると歪なものに感じずにはいられません。だから、人の目に晒されると思うと身がすくみます。


 逆に、私にとって創作の喜びとは人に自分の表現が伝わる事です。

 創作の喜びは人それぞれなのかもしれません。ただ、私にとって意図が伝わる以上の価値は見いだせません。理解してもらえた感想や意見などを頂いた時には画面の向こうでおっさんが踊っています。

 創作というのは、必ず誰かの為に行われます。だからこそ、誰か1人にでも好意的な反応や意図した反応をして頂けたのならば、自分の創作活動のつらさは報われるのです。


 さて、あの小説は意図した反応を引き出せたかな。

 あの小説では、自分が意図したテーマは誰にも伝わらないかとは思っています。

 ただ、不幸にもあれを読んだ方ならば、少なくとも私が期待した感想は抱いてもらえるはずです。

 書いている時には何度か投げ出そうかと思いましたが、今は講評が出るのを楽しみに待っています。


 人権を獲得した記念に、あとがきを書きました。


 おわり。







 あれ?あとがきの方が完成度が高い気がする。

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こむら川小説大賞を書き終えて あきかん @Gomibako

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