イマリの冒険⑧
「見つ……け……たァ……」
ぬうっと頭だけを覗かせて、マキノフが笑った。吊り上り、半開きになった口から鋭い歯が見える。
「うぎゃあああああ!」
マキノフの狙いはあくまでお弁当なんだろうけど、まるで僕自身が彼の獲物であるかのような、そんな錯覚を起こす笑い方だった。なんだかよく分からない身の危険を感じた僕の思考はフリーズしてしまう。
がっ。がつっ。
はっと僕が我に帰ると、マキノフの体が扉につっかえていた。大きな体が災いして、教室に入ってこられないようだ。けど、二度三度と繰り返される行為に、木製の扉が悲鳴を上げている。
あの様子じゃ、扉を壊して入ってくるのは時間の問題だろう。僕は慌てて反対側の扉へ駆け寄り、取っ手を引いた。
「あれっ? な、なんで!?」
開かなかった。いくら引いてもがたがたと扉が揺れるだけだ。どうやら鍵がかかっているらしい。
も、もしかして、あっちの扉が開いたのは奇跡に近い出来事だったんじゃ……?
気付きたくなかった事実を知って、僕の顔がさっと青褪める。
ばかーん。
「ぎゃあああああ!」
衝撃に耐え切れなくなった扉を吹っ飛ばして、とうとうマキノフが室内に侵入してきた。しかも、近くにある椅子を数個まとめて引っ掴んで扉の前に積み上げ、おまけに教卓をその山の上に乗っけてしまった。
「たっ……」
退路塞がれたー!?
最悪の事態だった。唯一の突破口があっという間になくなってしまった。
うう、本能に忠実だと思ってたのに。しっかり頭も使ってくるなんて。
もはや逃げ道はない。前みたいにマキノフを掻い潜っても、積み上げられた椅子をどかしている間に捕まってしまうだろう。逃げ回るにも、室内じゃ限界がある。
マキノフが一歩進む。僕が一歩下がる。打つ手がない今、少しでもマキノフと距離を取るしか選択肢がなかった。しかし、下がるといったって、限られた空間での話だ。僕の背中はすぐに窓にぶつかった。
肩越しに窓の外を見る。かなり下に石畳と芝生が見下ろせた。中庭から伸びる木の天辺が、僕の目線と同じくらいの高さにある。ここは三階。窓から逃げることも出来ない。
マキノフが僕の前に立ち、ゆっくりと腕を伸ばす。
僕は今度こそ観念して、目を瞑った。
ここまでか……。
絶対絶命の状況で僕が思い出すのは、大家さんとの短く濃い日々のこと。
どう考えても無理だと思えることにも逃げ出さず、むしろ笑いながら向かっていった大家さん。僕が逆立ちしたって出来ないことを、楽しみながらこなしていくあの人のようになってみたいと何度思ったことか。
無理だって思わないんですかと尋ねたとき、大家さんはなんて言ってたっけ?
……ああ、そうだ。
『無理だと思ったらやる気なくなっちまうだろ』
当たり前って感じで、そう言ってたなぁ。
目を開く。
僕は身を翻し、窓の鍵に手をかけた。
窓の向こうに木がある。あれに飛び移れば、逃げられるんだ。
窓を一気に開放し、お弁当を口に加えた僕は、窓枠に足をかけた。
それなりに距離はあるけど、やってやれないことはない!
足の筋肉にありったけの力を込めて、僕は跳んだ。
風の音が耳を叩く。高揚感と恐怖がごっちゃになって、なんだか不思議な心境だった。
束の間重力に逆らった僕の体は、自然の法則に従って落ち始める。
手を伸ばす。
左手は空を掴み、右手はかろうじて枝を掴んだ。
「……っ!」
片手に全体重がかかり、僕は痛みに顔を顰める。だけど僕も鬼の端くれ。身体能力は並じゃないという自覚がある。
左手を上へ。両手で枝をしっかりと握った僕は、
「ふっ!」
鋭く息を吐き出し、両の腕に力を込めた。
徐々に持ち上がる僕の体。しかし、枝に足をかけようと膝を上げた瞬間。
ばきっ。
負荷に耐え切れなくなった枝が、嫌な音を立てて折れた。
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