イマリの冒険⑦

「ひいぃぃぃぃ~!!」


 大岩のような塊から全速力で逃げ回る。塊の進む速度はあまり速くなかった。しかし、一向に止まる気配がなく、うっかりしていると追いつかれそうだ。


 おまけに、どんなボディバランスをしているのやら、角を連続で曲がっても難なく付いてくる。まさに終わりの見えない鬼ごっこだ。


「というか……」


 それ以前に、こんな異常事態に誰も気付かないんだろうか?


 自分たちの教室のすぐ横をでっかい塊が転がりまくっているのに、誰一人として教室から顔を出す人がいない。なんでなんだろう?


 僕が走りながら悩んでいると、ある教室からこんなやりとり聞こえてきた。


「せんせー、またマキノフが廊下転がってまーす」

「牧野が? あぁ、言われてみれば足元が揺れてるな」

「ま~た誰か追っかけられてんだろうな~(笑)」

「先生、俺ちょっと行って止めてきましょうか?」

「いや、いい。そのうち生徒会がなんとかするだろう。まあ、どうしてもトイレに行きたくなったら、轢かれないように気を付けて行ってこい。授業続けるぞ」


 当たり前のように受け入れてしかもスルー!?


 なるほどそうか。道理で誰も見に来ないはずだ。気付いていないんじゃなくて、とっくに気付いていて放置してるんだ。ということは、僕は自力でこのマキノフという怪物から逃げ切らなきゃいけないのか……。


 うぅ、現実って厳しい。


 僕は後ろを振り返る。相変わらず転がりながら追っかけてくるマキノフがいた。やっぱり、速度が落ちる様子がない。このまま持久走をしていても、こっちの息が上がる方が早そうだ。どうにかしてあいつを引き離さないと。


「よ~し!」


 僕は勇んで階段へ飛び込んだ。平らな廊下と違って、凹凸のある階段は転がるのにも支障が出るに違いない。そして、回転が止まってしまえば、あの巨体に階段の上り下りは難しい行為のはず。がくっとペースダウンしたところを一気に引き離せば、問題解決だ。


 一段飛ばしで階段の踊り場まで上った僕は、手すりに手を着いて一息ついた。息を整えつつ下を見れば、マキノフは転がるのを止め、黙って僕を見上げている。


 あれ? もしかして、このまま諦めてくれる?


「やっ……」


 喜びの声を上げた瞬間、マキノフが跳んだ。


「?」


 たんっ、と軽い跳躍音で天井ぎりぎりまで垂直に飛び、落下と同時に体を勢いよく捻る。強烈な回転を加えられたバスケットボールのように、マキノフは前方に向けてバウンドした。


「え」


 階段にぶつかって更に大きく跳ねた巨体が頭上から落ちてくる。


「ええええええええ!?」


 慌てて階段を駆け上がる僕を、マキノフはスーパーボールよろしく跳ねながら追跡してきた。なんて常識外れな器用さだろう。しかも微妙に角度調節までして、的確な方向転換まで行っている。


 追い立てられて三階まで上りきってしまったときには、僕はもう肩で息をしている状態だった。


 まずい。どこかで休まないと、息が切れて走れなくなってしまう。そう思った僕は、追い付かれないうちに、と手近な教室に転がり込んだ。


 飛び込んだ先は普通の教室と違うようで、濃い緑色の机の上には、なにやら用途の分からない器具が置いてあり、教卓の向かい側の壁には幅広の棚がずらり。棚の中にはこれまた使い道の全く分からない物体が乱雑に収められていた。


 カーテンは全て開け放たれていて、部屋の中はとても明るい。物音一つないので、冗談みたいな穏やかさに満たされている。


 そんな中、だん、と重い音が響いた。


 僕は体を一瞬だけ強張らせ、それから息を殺して廊下側の壁に張り付いた。あれはマキノフが着地した音に違いない。幸い、廊下側の小窓は高い位置にしか付いていないので、こうして張り付いていれば僕の姿は廊下から見えないはずだ。


 ゆっくりと足音が移動する。おそらく、小窓から教室の中を覗き込んでいるんだろう。


 き、教室に入ってきたらどうしよう? 隠れた方が……。でも、今動いたら見つかってしまう。


 ばくばく、ばくばく、と心臓が高らかに脈打っている。


 足音が扉の前で止まった。


 全身が石のように固まっている。冷や汗が止まらなかった。


 この沈黙がひどく恐ろしいもののように感じられる。


 早く。早く立ち去ってくれ、と目を瞑り、僕は必死に願った。


 そして――


 がらり。


 扉は無造作に開かれた。

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