ギコの受難⑨
部屋を支配するのは沈黙と緊迫の二文字。
兄者はもう盾を捨て、両手でショット豆丸を構えている。堂々たるその構えからは、正面からの撃ち合いならば先んじて当てることが出来る、という自信が滲み出ていた。
だが、いかに兄者が早撃ちに長じていたとしても、狭い室内、そのうえこの至近距離で二挺のマシン豆丸を突きつけられているとなれば迂闊には動けないだろう。
引き金を引けさえすれば、最悪でも相討ちには持ち込める。俺にだってその程度の自信ならあった。
ほんの一瞬。
一秒にも満たないかすかな隙が命取りになる。これはまさしくそういう状況なのだ。
運動による体温の上昇とはまた違う理由で、汗が頬を伝っていく。顎でちょっとだけ粘ったそれは、結局は重力に負けて床へと落ちていった。
新たに額に浮かんだ汗が目尻のすぐ横に降りてくる。瞬きしたら目に入ってきそうだ。現状では無理だと分かっているが、出来るなら手で拭ってしまいたかった。
ぴんと張り詰めた意識が緩み、そしてコンマ一秒のその隙を、兄者が見逃す訳もない。
それから連鎖的に起こった数々の事柄は、まさにあっという間の出来事であった。
兄者の指が動く気配を奇跡的に察した俺が、真横に大きく跳ぶ。
銃声とともにショット豆丸から飛び出した散弾のいくつかが俺の腕を掠る。
二対の銃口が兄者へ向く。
初弾を外したと悟った兄者が素早い動作で身を沈める。
二挺のマシン豆丸が火を噴く。
携帯ガスコンロを持ったイマリが居間に足を踏み入れる。
その後ろからしぃが下ごしらえの済んだ食材を大皿に乗せて運んでくる。
標的を逃した幾十の豆が壁を跳ね、その内のひとつがイマリの鼻先一センチを通り過ぎる。
驚愕というか恐怖で直立硬直したイマリの背にしぃがぶつかる。
しぃが手にした皿が傾き、鍋の具が床に盛大にばら撒かれる。
「「「「あ……」」」」
俺、兄者、弟者、しぃの声がぴたりと重なった。
居心地の悪い沈黙(約二名フリーズ)が部屋を染める。
落下の衝撃で崩れた豆腐や、広範囲に散乱する白菜エトセトラエトセトラが、無残としか言い様がない有様で床に広がっていた。
後ろで、完璧に起き上がるタイミングを逃したフサが身じろぎする気配がした。
あれ、なにこれ。めちゃくちゃ動き出し辛い……。声とか出せない雰囲気なんですけど。
「……」
皆が動きを止める中、真っ先に行動を再開したのはしぃだった。
無言でしゃがみ込み、見る影もない食材たちに両手を添える。彼女の手のひらから染み出した光に包まれた(元)鍋の具は、たちどころに調理前の状態へと姿を戻した。
それらを胸に抱えたしぃは、無言のまま、台所に入っていく。
そして、すぐに居間に帰ってきたのだった。
左右の手に一本ずつ果物ナイフを持って。
おぉっと? これは何かがおかしいぞ?
「……ギコよ。先ほどから妙な寒気に襲われているのだが、気のせいだろうか」
「安心しろ。それは俺も感じてる」
「その言葉、安心よりむしろ不安を感じるな……」
どうやら、兄者、俺、弟者の三人ともが同じ感想を抱いているようである。
それすなわち。
なんかこれやばくね?
「ねぇ知ってる? ギコくん」
俯き加減のしぃが暗~い声を出した。
「な、何をですかしぃさん……?」
思わず敬語になってしまった俺をヘタレと呼ぶなかれ。両手をだらんと下げた彼女の方から、殺気立った空気が嫌ってほど流れてきてるのだ。
たっぷりと溜めを作ったしぃは、顔を上げてこう言った。
「この距離ならね、銃よりナイフの方が速いんだよ……?」
前髪から覗く少女の片目が妖しく光る……!
「やっ……」
殺る気だーーー!! 完っ全に殺る気だーーー!!
「じょ、冗談だよなしぃ、さん? なぁ?」
頼むから冗談と言ってくれ。引き攣った顔を自覚しつつ、俺は同意を求めるが、
「安心して。ちょっとくらい深くやっちゃってもすぐに直してあげるから……」
「安心できねぇー! 実行可能なのが余計怖いんですけど!?」
不穏すぎる言葉を返されてしまった。
「くっ、ヤバいな。すっかり忘れてたぜ……」
しぃは基本的に慈悲の塊。滅多なことでは怒らない、海よりも広い心の持ち主だが、ひとつだけ逆鱗と呼べるものが存在する。
それは何か?
答えは『食べ物を粗末に扱うこと』だ。
改造銃で大豆をそこかしこにぶっ放し、せっかく調理した食材を台無しにされたとなれば、なるほどしぃの逆鱗に触れてもおかしくはない。
俺はこの状態のしぃを『もったいないモード』と名づけている。
こうなってしまったしぃは、おい本当に人類かよってくらいの超絶パワー&スピードを発揮するので本気で洒落にならない存在なのだ。
いつだったか、学校の食堂で喧嘩を始め、料理を机ごとひっくり返した男子二人(ちなみに柔道部と空手部のエース)を瞬く間に制圧したエピソードはあまりにも有名である。
まずい。非常にまずいぞこれは。
「9と3/4殺しコース直行の危機だっ……!」
「それは全殺しとほとんど変わらないのではないか?」
「いっそさくっと殺ってくれた方が楽そうだな……」
「……(カタカタカタカタカタカタ)」
俺、兄者、弟者、小刻みに振動するフサの四人は、迫りくる恐怖に戦慄する。
うふふふふ~、と不気味な声を上げながらにじり寄ってくるしぃは、そんじょそこらのホラーじゃ味わえない恐ろしさを醸し出していた。
「ギコよ。こうなったら取るべき道は一つではないだろうか」
何かを悟ったような口調で兄者が言う。
「そうだな……。勝負は一旦預けよう」
兄者の言わんとすることを正確に読み取った俺は、まだ口にも出していないその提案を即座に受け入れた。
「今は、力を合わせることが俺達に残った唯一の道か……」
弟者がかみ締めるように呟く。
そう、しぃの『もったいないモード』が発動してしまった以上、俺たちに争っている余裕など毛ほどもないのだ。
「よし、いくぞ! 二人とも!」
「「了解だ!」」
マシン豆丸、ショット豆丸、ハンド豆丸をそれぞれ握り締めた三人の男たちは、今まさに一体となり――
「「「申っし訳ありませんでしたーーーっ!!!」」」
実に見事なジェットストリームジャンピング土下座を決めたのであった。
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