ギコの受難⑧

「落ち着くんだフサ。考え直せ」


 今にも飛び出していきそうなフサの肩を捕まえて、俺は説得を試みる。


「止めるなギコ。俺を行かせてくれ」

「いいや止めるね。断固阻止するね」


 だってお前の顔にめっちゃ『膝枕希望』って書いてあるもの。下心がばっちり物質化してるもの。


「とにかく考え直せ。っていうか帰ってこい。目ぇ覚ませ。お前が考えてるような展開には十中八九ならねえから」


 畳み掛けるように言うと、フサは頭を抱えてうなだれ、弱々しく言葉を零した。


「ダメだ。ダメなんだギコ。響いてんだよ。俺の頭ん中にずっと。膝枕膝枕膝枕、ってな」

「フサ……」


 ごめん、悪いけどまったく同情できない。むしろ今ぶっ飛ばしてえと思っちまった。


 いやだって、いくらなんでもその言い草はやばいと思うし。頭の中で膝枕がリフレインて。ちょっとお前の頭が心配になってきたぞ俺は。


「お前なぁ……」


 と、悪友を正気に引き戻してやろうと口を開いたそのとき。


 膝枕膝枕膝枕。


「!?」


 呪詛のような、どこか無機質な声が俺の頭に響いた。


「な、なんだ……?」


 膝枕膝枕膝枕膝枕。


 聞こえる。小さく、だがはっきりと、聞こえる。


 膝枕膝枕膝枕膝枕膝枕。


 なんてこった。こんなものが聞こえるなんて。俺も知らないうちに桃色幻想に毒されてしまっていたのか!?


 膝枕膝枕膝枕膝枕膝枕膝枕。


「って待てよ? なんか、この声――」


 聞き覚えがあるような……?


 違和感を覚えた俺は、耳を澄まし、途切れることなく続く音の発生源を辿っていく。そうして辿り着いたその先には、驚くべき光景が待っていた。


「膝枕膝枕膝枕膝枕膝枕膝枕膝枕」


 なんと、声の源は、


「弟者かよっ!」

「むっ! ばれたか」

「ばれたか、じゃねえ!」


 弟者のやつ、存在感を意図的に消して刷り込み作業を行ってやがった。


「お前、自分は中立だって言ってなかったか?」


 おもっきしスパイ活動してんじゃん。


「すまん。面白くなりそうな気配がしたものだから、つい立場を忘れてしまった。まあ、別に許して欲しいとは思わないが」

「不遜だなおい。ちっとは反省しろよ」


 悪びれない態度が堂に入っているのがまた困りものである。この暖簾に腕押しな感覚が俺の脱力を誘う。怒ってもしょうがないと諦めの境地に至った俺は、弟者に一言釘を刺すに留めた。


「次に変なことやったら、お前を盾に使うからな?」

「うむ、分かっている。……しかし、いいのか?」


 頷いた弟者は、返答から少し間を空けて俺に尋ねる。主語のない問いかけに、俺は首を傾げた。


「何が?」

「誘惑に負けたフサが今にもバリケードを飛び出しそうな雰囲気なんだが」


 弟者の指差す先には、銃を握り締めて何事かを自分に言い聞かせているフサがいた。


「うん、逝ける逝ける。全然逝けるって」


 自爆する気満々である。


「お前はいい加減戻ってこい! おい! いやほんとマジで大丈夫かお前!?」


 ゆっさゆっさ身体を揺らしても、フサは(叶わぬ)夢の世界から帰ってこなかった。このままでは嬉々として兄者に特攻しかねない。こうなったら衝撃を加えて強制的に引き戻すしかなさそうだ。


「うおお! 名誉の負傷万歳っ!」

「って言ってるそばから!?」


 ぶっ叩こうとした一瞬の隙を突いて、フサはバリケードから飛び出した。


「バカ野郎! 早まるなっ!」


 反射的に俺もそれに続く。


 全身を無防備に晒すフサへ、兄者が照準を合わせるのが見えた。引き金にかけた指がゆっくりと絞られる。フサをバリケードへ引っ張り戻すには、もはや遅すぎた。


 重く、鈍い銃声が、部屋の空気を震わす。


「ぐあっ!」


 散弾の直撃を受けたフサが上体を仰け反らせ、背中から床にぶつかった。


「フサ!」


 出遅れた俺が、仰向けに倒れたフサへ駆け寄る。


「へっ……情けねえ。ドジっちまった……」


 さきほどまでの威勢はどこへやら、自嘲気味に力なくフサは呟いた。身体はボロボロで、起き上がる気力すらもう残っていないようだ。


「バカ野郎が……!」


 なんて無茶しやがる。


「こんなことしたって、お前の望むようにはならねえんだぞ!」

「分かってるさ」


 瞑目して俺の怒声を受け止めたフサは、はっきりと言いきった。


「俺だってそれぐらい分かる。だけどよ、やらないで後悔するより、やって後悔する方がなんぼかマシってもんだろ? 例えそれが、99パーセント無理なことだとしても、な」


 しゃがみ込んだ俺の顔を見上げ、フサは続ける。


「それに、俺は一度お前を見捨てようとした。……けじめはきっちり付けねえといけねえよなぁ」

「お前……」


 吐息とともに言葉を吐き出して、震える手で自分の銃を俺に差し出した。


「ギコ、使ってくれ。俺は、ここでリタイアだ」


 銃を受け取る。プラスチックの銃が、何故か重たく感じた。


「悪い。ちょっと休むわ」


 ふっと、フサの腕から力が抜け、ことんと床に落ちる。


「フサ?」


 呼びかけても返事はない。


「おいふざけんなよ……。起きろ。起きろって」


 揺すっても、頬を叩いても、何の反応も返ってこなかった。


「起きてくれよ……」


 自分の銃すら取り落とし、俺は呆然とフサを見下ろす。


「兄者よ、今が絶好のチャンスではないのか?」

「まだまだだな、弟者よ。こういうときは空気を読んで黙っているものなのだよ」

「なるほど。流石だな兄者」

「ふっ、なに、大したことではない。……復活したようだな」

 

 しばらくの間ぼうっとしていた俺は、物言わぬフサに別れを告げる。立ち上がった俺の手には、二挺の銃が握られていた。


「フサ、お前はとびっきりの大バカ野郎だったよ」


 一度フサに視線を落としてから、不敵な笑みを浮かべてこちらに銃を向ける兄者を睨みつける。二つの銃口を 突きつけ、俺は宣言した。


「仇はとっといてやる……一応な」

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