ギコの受難③

「イマリくん、ご両親は心配しないの?」

「はあ、二人ともお勤めで遠くにいますから。最近は僕一人で生活してます」

「そうなんだ? その年で一人暮らしだなんて大変じゃない?」

「いえ、そんなことは……。うわぁ、これ、すごく美味しいですね」

「あ、気に入ってくれた?」

「はい! このお菓子、なんていう名前なんですか?」

「これはねぇ~……」


 テーブルを囲んでお茶を啜りつつ、しぃとイマリは談笑している。俺はそんな二人を見ながらのんびりと湯飲みに手を伸ばした。


 ああ、平和だなぁ。


 しぃもイマリも、言ってみれば和み系。そんな二人がにこやかに会話している光景はとても微笑ましい。日々の学校生活を思えば、俺にとってここは天国と言っても過言ではない。


 俺はしぃの淹れてくれたお茶を口元まで運び、ぴたりと動きを止めた。


 っていうか。


 湯飲みを静かにテーブルに戻した俺は、額に手を当てて一人うな垂れる。


 なんで和んでんだ俺。


 早いとこイマリを追い出さないと、家なき子が俺の家に居着いてしまうではないか。それは断固阻止しなければ。主に俺の心の安息のために。


 俺はごっほん、とやや芝居がかった咳払いをして二人の気を引いた。


「おいイマリ、お前、その茶飲んだらさっさと出て行けよ?」

「ギコくん」


 しぃが責めるように強い口調で名前を呼ぶ。


「な、なんだよ」


 真剣な顔で見つめられて俺はちょっとたじろいだ。


「イマリくんはまだ小さいのよ。出て行けなんて言っちゃダメ」

「小さい!?」


 すっとんきょうな声を上げるイマリ。何気に低い身長を気にしているらしい。だがこの際それはどうでもいい。


「でもな、いくら小さくてもこいつは鬼……」

「イマリくんみたいなかわいい子を捕まえて鬼だなんて。ギコくん、世の中には言っていいことと悪いことがあるんだよ?」

「か、かわいい、ですか……」


 しぃの背後でイマリが肩を落とした。年頃の男の子としては、小さいとかかわいいとか言われるとプライドが傷付くんだろう。


 イマリを守らんとするしぃの意気込みは分かるんだけど、ちょっと気の毒なような気がしないでもない。っと、イマリに同情してる場合じゃなかった。


「いやだから、そういう意味の鬼じゃなくて。っていうか、そもそもこいつは不法侵入者なんだから、もてなすような相手でもないだろ」

「だからって、こんな寒空にか弱い子供を放り出そうっていうの?」

「……か弱い……子供……」


 あの、しぃさん? もうそれくらいにしとこう?

 さっきからさ、イマリが見てていたたまれないくらいに落ち込んでんだよ。ほら、しょぼーんてなってるから。それ以上少年の心を傷付けないであげて!


「はあ、分かったよ」


 くそう、仕方がない。一晩だけなら泊めてやるか。そう思い、了承の言葉を俺が口にしようとしたとき、


「ちぃーっす! お邪魔しゃーっす」


 という能天気な声とともに、乱暴に玄関のドアを開ける音が。


「お~、あったけぇ~! 外に比べりゃ天国だなここは」


 ぼさぼさ頭を茶髪に染めた少年、房津正義(ふさつまさよし)。フサのあだ名で呼ばれる俺の悪友は、勝手知ったる他人の家とばかりにずかずかと居間に入ってきた。


「ん?」


 彼は俺たちを視界に入れるとぴたりと動きを止める。


 少年を庇うように立ち塞がるしぃ。


 何故か打ちひしがれている少年。


 そしてそれに対峙するポジションの俺。


 状況を把握するための一拍の間。


「こっ……これはまさかっ……!」


 これでもかと目を見開き、劇画調の顔で大仰に仰け反ったフサは、恐れ戦き、震える声音でこう言った。


「修羅場ってる!?」

「ちげぇよ!」


 ってか修羅場ってるってどんな表現の仕方!?


 ツッコミを入れる俺にしゅばっと近付いてきたフサは、俺の肩に腕を回して囁く。


「ほんまか坊主? 昼ドラ的三角関係とちゃうんか? ごまかさんでもええねんで? 言うてみ? ほんまのことおっちゃんに言うてみ? ん?」

「そうなんだよ聞いてくれよおっちゃん、実はさぁ……ってアホかァ!! 誰だお前!? 変なキャラ作りやがって!」


 危うく乗せられてあることないこと白状するところだったじゃねぇか!


「言っとくけどな、お前さんが期待するような事実は何一つありませんですよ!」

「おいおい、動揺で語尾がおかしくなってるぜ……。んじゃあこれはどういう状況なんだよー」

「それは……」


 帰ってきたら見知らぬ少年が不法侵入しようとしてて、そいつを追い出す追い出さないでしぃと口論してました。ちなみにそこのちっこいのは正真正銘の鬼です。なんて言って信じてもらえるんだろうか?


 口ごもる俺をフサは胡散臭そうな目で見てくる。じとーっと疑いの色を強めるフサの瞳から、俺は目を逸らした。うん。100パー無理!


「い、色々とややこしいんだよ。放っといてくれ」


 とりあえず俺は適当な言葉でごまかすことにした。

 察してくれよ。説明しづらいんだよこの状況!そんな意図を込めてフサを睨み返す。


「……そうか、分かったぜギコ。皆まで言うな。まったく大変だなお前も」


 うお、通じた! まさか本当に察してくれるとは。悪友でも友は友ってことか。ちょっと見直したぜフサ。

 訳知り顔のフサは俺からすっと離れ、自然な動作で携帯電話を取り出した。


「おい……? お前はなぜそこで携帯電話を取り出す?」


 ふっと淡い笑みを浮かべたフサは、


「ギコが修羅場ってるって皆に言ってやろー♪」

「やめぃ!!」


 とっても楽しそうな声でほざきやがりましたよこの野郎は。


 くっそぅ! こいつを良いやつだなんて思った数秒前の自分が憎いぜ。とか考えてるうちにフサの指が送信ボタンに伸びてるし!

 ちくしょう、こうなったら!


「はぁっ!」

「ああっ! 俺のケータイがっ!」


 ギコは フサのけいたいでんわを うばった!


「にゃろう! 返しやがれ!」


 フサのこうげき!


「ふっ! 遅い!」


 ミス! ギコはひらりと身をかわした!


「ちぇりゃあ!」


 ギコのこうげき! ギコは けいたいでんわを 外にむかって投げた!


「ノォォォォォウ!!」


 けいたいでんわは ほしになった! フサの心に 563のダメージ! フサは せんいをそうしつした!


「ふぅ、これでよし!」


 どうやら当面の危機は去ったようだ。少々乱暴な方法だったが、まあ相手がフサだから大丈夫だろう。


「えっと、あの、お友達がムンクの叫び状態で固まってますけど。放っといていいんですか、あれ?」


 一部始終を目撃したイマリが、おずおずとツッコミを入れた。

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