第2話


 未知の世界は意外と身近に転がっているものだ。

 ぼくは常日頃からそう思っている。


 今も日本のどこかで日曜日の特撮番組のように正義のレンジャーと悪の怪人が争っているかもしれない。広い宇宙のどこかには人類の文明を遙かに凌ぐ高度な知的生命体がいて、UFOを通じて地球人にメッセージを送り続けているのかもしれない。

 どれほど荒唐無稽なことであったとしても、それをぼくが知らないだけかもしれない。だからオカルトは「不思議」ではなく「未知」だと考えている。

 ぼくは科学的根拠の薄いオカルトを頭から信じることはないが、同時に否定もしないタイプだ。

 百聞は一見に如かず、という言葉がある。自分で見たことがないものは見る前から知った気になってはいけない。だから肯定も否定もしないようにしている。

 何事も自分の目で見て真贋を判断することが大事なのだ。そして「未知」を克服してゆくことこそが、ぼくら若者の輝かしい未来に繋がるに違いない。


 では、自分の目で見ても判断ができない、理解ができない場合はどうすればいいのだろう。

 もうそれは自ら体験するしかないのではなかろうか。


 近頃はこの思考の迷路から抜け出すことができず、悩んでばかりいる。

 中庭に敷かれた芝生の上に寝転がり、夏の青空にぽっかりと浮かんだ入道雲を見上げる。そしてぼくは宇野さんに思いを馳せる。


 これは恋か? 否、とめどない好奇心だ。


 ぼくはたびたび彼女のワイシャツの隙間へ自ら手を入れ、中が一体どうなっているのか、その神秘と宇宙を肌で体感したい衝動に駆られることがある。しかしそれは外聞的に良くないので自重している。

 だが観察から得られる情報にも限界がある。虎穴に入らずんば虎児を得ずともいう。いよいよ覚悟を決めて行動に移すべきだろうか。何か良い手段はないものだろうか。

 瞳を閉じ、深い思考の迷路の中へと潜る。すると突然、僕の顔に陰が差した。


「須藤くん。こんなところに寝転がってどうしたの?」


 名前を呼ばれ、目を開く。

 宇野さんがぼくの顔をのぞきこんでいる。夏の太陽をさえぎり、下を向く彼女。肩口に切り揃えられた艶やかな黒髪が俯く首筋に絡むよう、風で靡いている。

 暗く陰になった顔の、それでも銀河のように光をたたえた二つの瞳。そのコントラストの美しさに思わず見とれてしまう。


「大丈夫? ひょっとして熱中症?」


 無言のぼくを気遣わしげにみる宇野さん。彼女の言葉で我に返る。


「……あぁ、ごめん。ちょっと考え事をね」

「なにか悩み事?」

「そうだね。少し悩んでるんだ」

「そっか……。私で良かったら相談に乗るけれど」


 そう言ってくれる宇野さんは、やっぱり優しい人だ。こういったところが彼女の美点であり、多くの人から好かれる理由の一つだと思う。

 ぼくは寝転がったままで腕を組み、少しだけ考え込む。

 ううむ、これはもう本人に相談するべきなのかもしれない。

 人類が積み重ねてきた英知は、それはトライアンドエラーの歴史と表裏一体だ。当たって砕けろの精神も、ときには重要だ。


「うん。宇野さんに頼みたいことがあるんだ」

「私に?」


 まさかこの場で頼み事をされるとは思っていなかったのだろう、宇野さんは少しだけ驚いた顔をした。けれど嫌そうな顔一つせず、ぼくの隣に座って話を聞く姿勢になった。

 体を起こして宇野さんに向き直る。そして真剣な表情で彼女と目を合わせた。自然、宇野さんも緊張した面持ちになる。


「それで、頼みたいことって? 私に出来ることなら良いんだけど」

「うん、それは大丈夫。むしろ宇野さんにしか頼めないことなんだ」

「私にしか?」


 そう。これは宇野さん本人にしか頼めないことだ。ぼくは出来るだけ誠実な態度で宇野さんに頭を下げる。



「どうか、きみのワイシャツの中に手を入れさせてもらえないだろうか」



「……えっ」


 宇野さんが珍しく惚けたように小さく口をあけている。頬が徐々に朱に染まっていく。

 ううむ、今の言い方はあまり良くなかったな。これではあらぬ誤解を招きかねない。


「いや、すまない宇野さん。今のは誤解を招くような言い方だったよ」

「えっと、うん。そ、そうだよね」

「きみのワイシャツの胸元に手をいれて、まさぐることで中の様子を確かめさせてほしいんだ」

「何も変わってないけど!?」


 宇野さんは自分の胸元を隠すようにシャツをかき抱いて、ぼくから素早く距離を取った。


「な、何を言ってるの須藤くん!?」

「これは宇野さん、きみにしか頼めないことなんだ」

「真剣な顔で何言ってるの!? ダメだけど!?」


 真摯に頭を下げるが、宇野さんは真っ赤な顔で拒否した。


「胸元がダメなら、脇とか、首筋からでも構わないのだが」

「そういう問題じゃないよ!?」


 妥協案を出すほど、宇野さんとぼくの間の距離はさらに広がった。


「女の子にそんなことを言うなんてサイテーだよ、須藤くん!」


 真っ赤な顔のまま叫び、宇野さんは逃げ出してしまう。


「……お腹から手を入れるのは」


 最後の提案は、逃げ出した宇野さんの耳に届くことはなかった。

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