血に濡れている3ページ目
その時の俺の心情を語るのは、難しいだろう。
今こうして、日記に記すという行い。それは、精神の安定化を図るという目的の上で行っていることなのに。気持ちの整理がつかない。例えるならば……浮気をしている彼女と結婚してしまったという感じだろうか? いや、よく分からないな。とにかく、書いてみようと思う。
その王様は、真っ暗闇の瞳で、こちらを見ていた。
まずい、と思った。”彼ら”に気付かれること、それ即ち死。この世界で、”彼ら”に狩られる人々を、臆病にも物陰から見てきた俺の一つの結論。この世界で生きる上でのルール。それは、童話の絵柄の王様とて、変わらない。
すぐさま身を引っ込めて、壁を背にしゃがみこんだ。
三階の廃ビル。階段の踊り場。しゃがめば、地上からは認識されない。自分に暗示するように、何度も何度もそう願う。
深呼吸をして。
落ち着いて。
一分間。静寂に怯える。
やがて、這いずるようにして階段を下りた。
そこからは、無心で家捜しをした。そこら中に隕石のようなものが落ちている崩壊世界とはいえ、無事な建物はまだ多く。その中には、缶詰なども眠っている。
そして、充分にリュックサックを満たし、警戒しつつも廃ビルを出た時だった。
急に、体が浮いた。
何が起きたか分からなかったが、理解はすぐそばに迫っていた。
背後に、王様がいた。
コンクリートが割れている。体が浮いたのは、梃子の原理だった。背後に王様が落下してきて、その衝撃で発生したのだ。
王様は、何も映さない真っ暗闇の瞳で、こちらを見つめていた。背が高い。自分の身長と比べてみると、彼は2m以上の高身長だった。”星々の来訪者”に共通する点として、常識を凌駕する何かを持っていることがある。彼の分かりやすいところは、この体の大きさだろうか。左手に握る巨大な斧も、彼の背丈と並ぶほどに大きい。
よく見てみると、彼は右手に人の頭を握っていた。いや、よく見ないでもすぐに分かることだが、その時はパニックになっていて、状況を認識するのに時間がかかったのだ。
地面に垂れる赤い液体。長い髪の毛は、その頭が女性のものであることを理解させる。
斧の刃先も、赤く染まっていた。白い毛皮のマントが赤く染まっている理由を、今理解した。
その時、悲鳴は出なかった。何もできなかったのだ。恐怖のあまり、頭が真っ白になった。本当の恐怖の前には、思考すらも止まるのだと理解した。
王様は、こう言った。
「この者は、わしの命令を聞かなかったのだ」
俺は、生返事をした。
「どんな命令だったんですか?」
王様は口だけを動かす。
「その場で自殺せよ、とな」
王様は、フンっとその頭を無造作に放り投げた。コツンコツンと、まるで石が転がったかのような音が鳴る。
物語の王様は、その者にはできない命令は下さなかった。他者の器量を見て、命ずる。仮にその者が命令を遂行できなかったとしても、不可能なことを命ずる自分が悪いという気のいい王様だった。ふと、そのことを思い出した。
「命令を下す」
威厳を感じさせる声で、彼は言う。
「語り部よ。わしの話を聞くのだ」
語り部。
「失礼ながら王様、語り部とは一体……?」
「口を開くことは許さぬ」
彼は、左手に握る斧を目の前によこして、横に倒した。凶器を誇示するように。そうなっては、俺は一言も喋れなかった。
ここから、彼は割れたコンクリートに座った。彼が座ったコンクリートは、すぐさま王座へと変わった。あの絵柄そのままだ。薄紫の革張りの王座。星々のマークが入っている、少し幼稚だけど、尊大な王座だ。
「そなたも座るのだ」
言われた通り、コンクリートに座る。
この時、脳内に様々な疑問が生まれていた。
語り部とは一体? なぜ俺は生かされている? 浮かんでは消える疑問の念は反芻して消えない。
「耳を傾けることを命ずる」
王様の命令に逆らうことはできない。先ほどの女性の頭が鮮明に浮かぶ。逆らったらどうなるか。一目で分かるではないか。
脳のリソースは全て、王様の話へと変わった。疑問の念はどこかに消えた。
王様の話は、次のページに記すとする。
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