第5話 女スパイ・村山たか女
☆ 激しくも生き、されど終焉は … 穏やかに
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
高見沢一郎は、殊勝にも念仏を唱えている。その上、手まで合わせて拝んでいる。
先祖の墓参りにも滅多に行かない高見沢が、珍しい事もあるものだ。
それにはきっと何か魂胆があるに違いない。
実はそうなのだ。
ここは京都一乗寺下り松を少し上がったところにある
高見沢は小さな墓の前で背を丸くしてしゃがみ込んでいる。
その小さな墓石に彫られている名は、‘ 村山たか女 ’。
そして法名は、‘
高見沢は、合わせた手を今度はあごのあたりに持って行き、少し考え込んだ風にぶつぶつと独り言を呟き出す。
「村山たか女さん、貴女を追っかけて遂にここまで来てしまいましたよ、貴女はこんな所で静かに眠っていたのですよね、ホント感激だ、だけど一度で良いから‘ たか女さん ’に会ってみたいなあ、貴女とお茶したいんだよなあ……、そして貴女の生涯について、一杯話しを聞きたいのです」
高見沢は大きくふーと一息吐いて続ける。
「まあ遠慮なく言ってみますとね、まずその一つは、
高見沢の独り言がまだ止まらない。
「調べたところによると、貴女が関系持った男の数は4人だったのと違うかな? 1人目は、金閣寺の坊さんに囲われたよね、なんで坊主なんかにと言いたいところだが、まあ芸者として生きて行くためには、仕方がなかったんだろうなあ」
高見沢は、今度はまるで墓石にもっと訴えたいかのようにスーと立ち上がった。
「だけど若くてめっちゃベッピンだった‘ たか女さん ’、最初に坊さんに抱かれてしまったと思うと……、俺は口惜しいよ」
高見沢は唇を噛み締めている。
「2人目は、結婚相手の多田一郎だったね、こいつは別れてからも終生貴女にスト-カ-したヤツだね、幕末スト-カ-男、たか女さん、なんでこんなヤツと夫婦になってしまったんだよ、これも口惜しいよ」
高見沢の恨み節が止まらない。
「3人目の男は、これぞメジャ-の井伊直弼か、大老まで出世して行く男、3人目にしてうまく捕まえたよね。だけどね、俺のひがみかなあ、これはもっと口惜しいよ」
高見沢は頬の辺りを無意識に撫でている。
「そして4人目が、直弼の参謀でもあり、友人でもある長野主膳か……、この最後の男が、よほど好きだったんだよなあ」
高見沢は今度は哀れっぽい顔付きとなり、独り言を呟き続けていく。
「それで長野のために身の危険を冒して、女スパイにまでになってしまって……。男と絡めた絆、だけどその揚げ句の果てに、三条河原で‘ 生き
高見沢は、‘ たか女 ’の生き様を思い浮かべ感銘している。
そしてさらに、
「たか女さん、アンタは、きりっとした幕末美人・女スパイだったよね、俺がもし幕末に生きていたら、無理は言わない、5人目の男で良いから、仲良くお付き合いさせて欲しかっただろうなあ」
高見沢は墓石を愛おしそうにさすりながら、こんな不埒な事をほざいている。
罰が当たりそうだ。
しかし、高見沢はそんな事を別段気にしている風でもない。
そして、いつになくまじめな顔付きで、村山たか女の苔むした墓に向かって、もう一度手を合わせるのだった。
季節は2月の早春。
圓光寺の境内には、気位が高い梅が咲いている。
冬の名残なのだろう、冷たい風が頬を切って行く。
されど時折り淡い梅の香を乗せ、充分に春を感じさせてくれる春風も吹いて来る。
そして、どこからかともなく春を告げる鳥が、冷えた空気に浸み入るような声で鳴いているのが聞こえて来る。
梅の古木の向こうには、
それとはなしに会釈を送ってきてくれているような気もする情景が、そこにはある。
高見沢一郎は関西勤めのサラリ-マン。
毎日毎日仕事に追われている。
しかしながら世間には、その忙しさとは関係なく、好きな芸能人のオッカケをしている人達がいる。
特に女性達、これが生き甲斐と仰って、人生をエンジョイされている。
そんな楽しい事ならば、しがない平成サラリ-マンにも、きっとオッカケ権利はあるはずだ。
高見沢はそう信じ、仕事の合間を縫って、その権利を行使してきた。
もちろんそのオッカケ対象は、‘ 村山たか女 ’。
ここ3ヶ月、まことに熱心だった。
今から180年前、三十路過ぎの村山たか女。
漆のような黒髪に、透き通る白い肌。
たか女は、月光の下に咲く白梅のようにしっとりと美しい。
高見沢一郎は、そんな180年前の女性・村山たか女を追っかけてきた。
「俺も自分ながら、ほんとバカだよなあ、100年以上前に死んでしまっている女性を追っかけてるのだから。だけど、‘ たか女 ’は一体どんな女性だったのだろうか? 一度でも良いから逢ってお話しをしてみたいよなあ」
高見沢はそう呟いて、たか女の墓にもう一度「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と念仏を唱えた。
そして中年の熱い気持ちを鎮め、圓光寺を後にしたのだった。
高見沢が次に向かった所、そこは――、たか女がその晩年、生涯を終えるまで暮らしていた言われている
村山たか女は、三条河原で‘ 生き晒しの刑 ’に合った後、金福寺で尼として14年間を暮らした。
そして、1876年(明治9年)に67歳で没した。
圓光寺から金福寺まで、徒歩で10分もかからない。
金福寺は実に小さなお寺だ。
高見沢は一通りの見学を終えて、「よっこらしょ」と南向きの縁側に腰掛けた。
「こんなところで、たか女さんは、生涯を終えたのか」と感慨深い。
そして高見沢は、たか女を追っかけて、事ここに至った経緯ついてぼやっと振り返り始めた。
あれは昨年のことだった。
秋も終わり、もう冬の寒さを感じさせる11月の半ばの久しぶりの休日。
たまには多忙な仕事から解放され、気晴らしにと彦根城へと出かけて行った。
彦根は琵琶湖の湖東に位置する井伊家の城下町。
三十五万石の城がそのまま残り、江戸時代の雰囲気が今でも漂う湖畔の町。
高見沢は城山を囲むお掘端をぶらぶらと散策した。
そして高見沢が何気なくふらっと立ち寄った所。
それは
1860年3月3日・桜田門外の変で、花と散った井伊直弼が、その若き時代を悶々と過ごした屋敷。
実に暗い。
父・直中の十四男である直弼が全く将来に希望が持てず、自分の人生を埋もれ木の如くと卑下して暮らしていた。
時はその頃。
京から彦根藩に舞い戻って来た一人の年上の女がいた。
その女性こそが村山たか女。
都の風と伴に、直弼の目の前に忽然と現れたのだ。
村山たか女には、男を
埋木舎での鬱々とした生活。
直弼は、たか女に刺激的な悪の甘美を見出したのだろう。
直弼はたか女に一目惚れ。
一生懸命となった。
そして、二人は恋に落ちてしまった。
多分、埋木舎の暗い部屋の中で、巳年生まれのたか女は、直弼に蛇のように絡まり、愛を育んだのだろう。
しかし、直弼には刺激を愛とする愛は似つかわなかった。
直弼の愛は、正妻をめとる頃から世間体もあり、打算の中で醒めて行く。
一時あれほどまでにも燃えていたのに。
それはたか女の愛の濃度が濃過ぎたのだろうか。
淫靡な愛の果てに、直弼はたか女を捨てた。
そして、村山たか女が次に選んだ男。
それは直弼の参謀でもある友人の長野主膳。
まるで長野の女になる事を狙っていたかのように。
さあれども、たか女はいかにも自然の成り行きかのように、今度は長野との恋にもっと深く溺れ、女スパイへと変身して行くのだった。
そんな三人の愛のドラマの結末。
それは、まず直弼が桜田門外の変で暗殺される。
そして、好きで好きで堪らなかった長野主善は
さらにたか女自身は、‘ 生き晒しの刑 ’となった。
高見沢はたか女と二人の男の関わりを知り、好奇心に火が点いてしまった。
「う-ん、180年前に、こんな激しい生き方をした女性がいたのか」
こんな‘ 村山たか女 ’に猛烈な興味が湧いてきた。
「本当のところは、一体どんな女性だったのだろうなあ……、一度で良いから会ってみたいなあ」と気持ちが膨らんで行った。
彦根城散策から帰った後、時間を見つけては高見沢なりにいろいろと調べてみたりもした。
そして年が明けた1月に、たか女に逢うために次の行動を起こしたのだ。
それは
天寧寺は井伊家ゆかりの寺。別名・萩寺とも呼ばれている。
彦根の城下町を一望出来る佐和山の高台にある曹洞宗の小さな寺。
第十一代彦根藩主は直弼の父の井伊直中だった。
その直中が権勢を振るっていた頃、
若竹は若くてなかなかの器量持ち。
そのせいか、ある日誰の子かわからぬ子を宿してしまった。
欅御殿奥勤め。
それは男子禁制の厳格な職場。
直中はその不義を咎め、若竹を罰してしまった。
しかしその後日、直中がよくよく調べてみると、若竹の不義の相手は自分の息子の直清であることがわかった。
直中は、自分の孫になるはずの幼い命を奪ったことを深く悔やんだ。
そして、その菩提を弔うために天寧寺を創建した。
そこには京都の名工・駒井朝運が刻んだ‘ 五百羅漢 ’がある。
「亡き親、子供、いにしえの人に会いたくば、五百羅漢に籠もれ、必ず自分の探し求めている人に会える」
そう言い伝えられている実数527体の羅漢。それらが見事に奉られている。
高見沢は、「いにしえの人に会える」という言葉に心を惹かれた。
きっと村山たか女に会える。そう信じ、訪ねてみた。
そして立方体のようなお堂の中へ入ってみて、びっくり仰天。
「えっ、これなんだよ、スッゴイなあ、羅漢さんがおるわおるわ、――、おるで、仲良くずらっと並んでらっしゃる、表情が豊かで、頭に手を上げてる羅漢さん、楽器を引いている者、おまけにビ-ル腹のヤツまでおる、……、奇妙奇天烈な輩ばっかりだ」
高見沢はまずその様々な姿に目を見張った。
「おっおー、あそこのお方はこの間亡くなった隣のオッサンに似てるよなあ、極め付けはあそこにいるヤツ、昔の上司にそっくりだよ、ホント、アイ・サプライズ( I supurise. )。これが五百羅漢というものか、まことにお見事」と驚愕。
そしてしばらく精神高揚の中で参拝をさせてもらった。
その後、徐々に熱も冷めて冷静さを取り戻し、もう一度、よくよく考えてみる。
何かしっくりとこない。
高見沢はやっとその理由が何なのかがわかったが、思わず声を上げてしまう。
「みんな――、男ばっかりじゃん!」
その通り、五百羅漢には女性はいない。
野郎ばっかりなのだ。
「俺が会いたいのは、いにしえの女性・村山たか女、なんてったって彦根藩一番のベッピンさんだぜ、そうだったのか、これはシマッタぞ、いにしえの人に会えるって、五百羅漢は男ばっかりだったとは気付かなかったよなあ」
五百羅漢ではどうにもならない。高見沢の期待に添うことは出来ない。
「あきらめるしか手がないか、残念無念!」
高見沢はぶつくさ言いながらお堂から外へと出る。それから彦根城を遠望出来る見晴らし台へとふらふらと歩いて行く。
そこには、長野主膳
桜田門外の変の血染めの土を埋めた井伊直弼の供養塔。
そして、圓光寺の村山たか女の墓から移されて来た土の上に建つ碑。
それらは彦根城を背に、三人仲良く並んでいる。
「へえ-、こんなところで三人は再会していたのか、無理矢理にひっつけられて、ちょっとこの三人異様だなあ」
高見沢は三つの碑の前に立ち、ぞっとする。
「こんな呪われたような場面では、ム-ドを変えるためにも、たか女さんに一つ質問させてもらおうかな」
高見沢はますます不埒な思考にはまり込んで行く。
「たか女さん、貴女を愛した男二人、彼らに今挟まれて幸せですか? その答えは、YESしかないよね、そうしたら今みんな生きていたとしたら、どっちの男を選びますか? これは難しい質問かな。……、それとも次の男を探しますか?」
高見沢は、たか女の碑の前で、アホな事を考えている。
その挙げ句に、「もっと村山たか女さんの事をもっと知りたいよなあ」と、その思いを募らせていく。
しかし埒は開かず、その日のオッカケを諦め、天寧寺を後にしたのだった。
そんな日から1ヶ月が経過した。
そして先程、京都一乗寺下り松を少し上がったところにある圓光寺で、村山たか女の墓参りをしてきた。
それから金福寺を訪ね、今縁側に座り込んでいる。
彦根城、天寧寺、圓光寺、金福寺と‘ たか女 ’を追い掛け、辿ってきた道程。
その間いろいろ調査もしてきた。
高見沢は鞄の中からおもむろに一冊のノ-トを取り出した。
そこには‘ 村山たか女の年表 ’と表題が記されている。
高見沢が毎日の仕事を終え、少しの余暇の中で、歴史書から‘ たか女 ’情報を収集してきた。
それを自分勝手な解釈で脚色し、年表風に書きまとめている。
高見沢は今一度、そのノ-トを読み直し始める。
そして、‘ たか女 ’の波瀾万丈の生涯に思いを馳せ、さらに妄想の世界へと埋没して行くのだった。
時は、1809年(文化7年)。
村山たか女は、近江国犬上郡多賀町に生まれる。
父は多賀社尊勝院主の尊賀少僧都。
母は多賀社般若院住職の妹の藤山くに。
たか女は、母・くにが上人のお世話に通っている内に生まれた。
世間体もあり、同社寺侍の村山氏に預けられ、村山
たか女は巳年生まれ。
色白で、どことなく白蛇のような怪しさを持つ美しい娘だった。
一方、長野主膳と井伊直弼は1815年(文化12年)の生まれ。
この二人は同い年。
そして、たか女からは六つ年下だった。
長野主膳の出生は詳しくは分からないが、伊勢国出身とも言われている。
この主膳の名は彦根藩士になってからの名。
それまでは
井伊
第十一代彦根藩主の直中(50歳)と母お富の方・彦根御前(31歳)の間に、十四男として
歳月は流れ、時は1826年(文政9年)。
巳年生まれのたか女は17歳となった。
活発で、怜悧な頭脳を持った娘に育っていた。
そしてその肌は抜けるように白く、切れ長な目は鋭い。
それはまるで白蛇のように、男までも凄ませてしまう怪しい美を持ち合わせ、美麗であった。
そんな娘盛りのたか女・17歳は、直弼の兄・直亮(1831年父直中死去の後の十二代藩主)の侍女となった。
当時、直弼はまだ11歳の少年。
御殿で垣間見る侍女・たか女は、目映いくらいに美しい。
直弼は、その子供心にも、たか女に心ときめかせていたのだ。
たか女が侍女として勤め始め、4年が経った。
その1830年(天保元年)、たか女は21歳。
その姿態全体から醸し出されてくる妖しい美はますます増し、艶麗な女性となった。
こうなれば世間が放っておかない。
母親の藤本くには京の都の花柳界に顔が利く。
その紹介で祇園の芸者となり、華やかにデビューを果たす。
1831年(天保2年)、たか女は22歳。
ますます妖艶な女に変身して行く。
そして都一の人気芸者となり、すぐに身請けの声が掛かってくる。
それは金閣寺の僧から。
是非にと。
たか女はそれに応じ、京の北野で囲われの身となる。
しかしたか女は、そんな籠の鳥のような生活に満足出来なかった。
もっと青い大空へと自由に羽ばたいてみたい。
こんな閉じ込められた世界から飛び出したい。
たか女はそんな事を強く思った。
そしてたか女は、溺れる者は藁をも掴む気持ちで、身近にいた寺侍・多田一郎を誘惑する。
たか女は、まずは女として平和で平凡な生活を夢見て、多田一郎の妻となる。
そして男の子・多田
されど、もっと自由に羽ばたきたいという一念だけで、とりあえず一緒になってしまった多田一郎。
そんな見せ掛けの幸せは、すぐに泡のように消えて行く。
多田一郎がもっと強い男であったならば、また違った人生がそこからあったのかも知れない。
だがたか女は決断し、離縁する。
そしてこれにより、たか女の新たな運命が開かれて行くこととなったのだ。
1834年(天保5年)、たか女・25歳。
多田一郎への失望と、そしてそれから解放されることへの期待。
そんな胸中で離縁をした。
そして一人息子・
女房に逃げられてしまった多田一郎。
よほどたか女が良い女だったのだろう。
その後幕末ストーカーとなり、その生涯、たか女を追い掛けつきまとう。
しかし、村山たか女は新たな世界を求めて踏み出してしまった。
二度と多田一郎には振り返りもしなかった。
直弼は、その頃一体どうしてたのだろうか。
たか女が金閣寺の僧に京都の北野で囲われていた頃、直弼は16歳になっていた。
十四男の直弼は、十二代藩主になることはない。
たった三百俵の捨扶持をもらって、
『世の中を よそに見つつ埋もれ木の 埋もれておらむ 心なき身は』
直弼は、己の事をこう詠んだ。
夢も希望もない。
鬱々とした日々が、なんの輝きもなく過ぎ去って行く。
そして20歳の時の書がある。
これ世を
はた世をむさぼるごときか。
弱き心しおかざれば、望み願う事もあらず。
ただ埋もれ木の籠もり居て、なすべき業をなさまし
今風に解釈すれば、世の中が嫌になったのとは違う。
また出世したくてたまらないのとも違う。
従って望み願う事は何にもない。
ただ土に埋もれた埋もれ木のように、自分のやるべき事をやるだけだ。
これは、まさに陽の当たる場所に出られない男の心の叫びか。
それとも、大いなる
なんと暗い思考なのだろうか。
落ち込んだ直弼の日々。
そのような頃に、忽然と村山たか女が直弼の目の前に現れた。
都の風に乗せられて、女が舞い戻って来た。
少年時代、直弼が御殿で垣間見て、その小さな胸を熱くしたたか女が。
あの頃確か直弼は11歳。
たか女は17歳だった。
当時のたか女にはまだ初々しい乙女の輝きがあった。
しかし、今は違う。
たか女には、男を
そんな妖しげな妖艶さがたまらない。
1839年(天保10年)、直弼・24四歳、そしてたか女・30歳。
この頃からたか女は直弼の恋人となる。
埋木舎の暗闇の一室。
きっとたか女は白蛇のように、直弼に巻き付いていったのだろう。
そして直弼は、その冷えた肌の感触から逃げられなくなったのかも知れない。
一方長野主膳は、その頃何をしてたのだろうか。
直弼と同い年の長野は、伊勢国飯高郡滝野村に姿を現した。
そしてその2年後の1841年(天保12年)。
長野・26歳は、滝野村の次郎左右衛門の娘、4つ年上の女・多岐(30歳)と夫婦となる。
直弼も長野も、二人とも年上の女が好みのようだ。
ここにも二人を結びつける運命的なものがある。
そして長野と多岐の夫婦は旅に出る。
1842年(天保13年)、長野主膳・27歳。
その旅路の果てに、近江国坂田郡志賀谷で国学塾‘ 高尚館 ’を開く。
その噂を聞き付けて、初夏のある日、たか女・33歳が勉学のためにふらりと高尚館を訪ねて来た。
村山たか女と長野主膳、ここに二人は運命の出逢いをする。
長野主膳は、27歳の時にたか女に出逢う。
その時の長野の感動が歌に残っている。
『思うその ゆかりと聞けば 青柳の 知らぬ蔭にも 立ちまとひつつ』
長野は濃艶に美しい村山たか女に、よほど衝撃を受けたのだろう。
そしてたか女も、長野の男の色気にビビッと来るものがあった。
だが用心深い。
たか女は長野と意気投合したものの、自分の心を打ち消したいところもある。
そのためか、直弼に長野を紹介する。
直弼はそんな女のずるさがわかるほど、未だ成長をしていない。
長野に埋木舎を訪ねて来るように手紙を出した。
長野主膳がそれに応え、直弼の住む埋木舎を訪ねて来る。
その夜、国学和歌で二人は盛り上がり、生涯の友となる。
直弼と長野は、共に27歳。
村山たか女が33歳の時のことだった。
人の出逢いとは、まことに不思議なものだ。
今まで全く異なった人生を歩んできた三人。
しかし、いろいろな出来事を経て、それぞれの三つ線がここに一点に交わり収斂した。
その運命の日は、1842年11月20日。
村山たか女、長野主膳、井伊直弼の三つ星が流れ、そしてこの宇宙の一点に集結した。
そしてここを起点として、その後のそれぞれの生き様は互いに連動しながら、より複雑な姿へと変化して行くのだった。
高見沢は、自分勝手な主観で作成した年表、それを見ながら妄想に耽っている。
「1842年か、今から約180年前に、村山たか女、長野主膳、井伊直弼のそれぞれが異なった道を歩いてきた、そして女一人33歳、男二人27歳が赤い糸を手繰り寄せるように巡り合った、ホント不思議な縁、何か運命的なものを感じるよなあ、人の出逢いって案外こういうものなのかもなあ」
高見沢は一人感慨深く呟いている。
そして飽きずに、さらに妄想に落ち込んで行く。
時は1843年(天保14年)、村山たか女は34歳。
めくるめく直弼との愛を育んで、もう4年が過ぎた。
たか女は一方長野に師事し、和歌を学んでいた。
そんなたか女、彦根の町ではセクシ-・ウオマンと噂になったりもし、一番輝いていた時期でもあった。
たか女は年下の直弼・28歳の寵愛を受け、幸せな日々を送っていた。
そしてこんな日々が永遠に続くことを望んでいた。
しかし、それはたか女の一種の幻だった。
直弼はすでに正妻を持つ身。
村山たか女の蛇のような女のしつこさが鼻についてきていた。
こんなたか女との愛の営み、それにそろそろ終止符を打つべきかと思い出している。
そしてこんな心中を友人の長野に漏らすこともあった。
しかし直弼は、複雑な心境の中で、長野主膳に業務命令を下す。
現代風に言えば、転勤。
長野はこれを受け、妻の多岐と共に上洛する。
多分直弼は、長野がたか女に恋をしていることを知っていたのだろう。
そうならばいっそ譲ってしまえば良いものを、それも男心に未練が残る。
複雑に揺れる思いの中で、己の立場として、この夫婦の事を思い、まずは長野をたか女から遠ざけることとした。
そんな歪んだ男の友情、それがそこにあったのかも知れない。
1844年(弘化元年)、たか女は35歳。
直弼からたか女への愛の絶頂は過ぎ、直弼の心が日に日に冷めて行くのが感じられる。
たか女は寂しい。
一方長野主善・29歳は、直弼からたか女の扱いについて相談を受けていた。
たか女の寂しい気持ちが愛しく感じられる。
またその悔しさもわかる。
毎年5月3日になれば、琵琶湖畔の筑馬神社で、筑馬祭(鍋かぶり祭)が催される。
長野はたか女の気晴らしにならないかと思い、誘って見に行った。
そしてその夜、男と女の成り行きなのか、たか女は長野に抱かれてしまう。
それはたか女にとって、長野主膳を直弼の愛の肩代りにしたいだけだったのかも知れない。
そして長野にとっても、たか女の気持ちを思い、単に直弼の代役を勤めるだけのことだったのかも知れない。
しかし、二人は燃え上がった。
5月のまだ肌寒い夜に、二人は無言のまま身体を重ねる。
たか女は、長野の若くて熱い体温にとろけ、その違った温もりをしつこく貪る。
そして長野は、たか女の冷えた肌に吸い付けられ、その心地よさに酔い、猛る身体を癒した。
二人は一夜を掛けて、身も心も絡み合わせ尽くした。
そして二人にとって、その夜は生涯忘れ得ぬ夜となってしまったのだ。
高見沢はここまで妄想し、「ふ-」と大きく溜息をついた。
きっと軽くはない三人の心模様。
それを考え、重く一人呟く。
「直弼は愛と打算の中で揺れ、結局男の打算を選んだ、それとは反対に、友人の長野は、友の愛人・たか女を寝取ってしまった、それは長野が官能の中だけで生きる国学者だったからなのか」
高見沢は縁側に座り、ぼーと庭の景色を見ながら考えている。
「そして村山たか女、直弼の代役長野に抱かれなければ、もう生きて行けなくなってしまっていた、多分、女の幸せの絶頂から落ちて行く寂しさを感じていたのかも知れないなあ」
遠くから春を告げる鳥の鳴き声が聞こえてくる。
それに囁き返すように、「う-ん、そういう時の村山たか女が、一番綺麗だったのだろうなあ……、やっぱり一度で良いから、たか女に会ってみたいよ」と。
それから高見沢は再び自分が作成した年表に見入って行く。
時は流れた。
1846年(弘化3年)、井伊直弼は31歳。
その2月2日の早春に、公務駐在で初めて江戸へと旅立った。
長野主膳と村山たか女が、その見送りで大垣まで付いて来た。
直弼は十四男とは言え、公務が増えてきている。
そのせいか、たか女をどうしたものかと、その扱いに困っている。
そして直弼は、大垣の宿で長野に相談を持ちかける。
「たか女は、絶対に別れないと言う、蛇のようなしつこさで困ったものだ、どうしたものかなあ」
長野は、たか女とのめくるめく一夜、その隠逸な出来事の事は隠し、さらっと答える。
「たか女のその大蛇のような執念、きっとどこかで役に立つ時が来ますよ。将来、我々に敵対する者達のために使ったら良いと思います、――、私にお任せ下さい」
これを聞いた直弼は、こんな友人の助言に感謝する。
そして直弼は、長野に一献を傾けながら申し付ける。
「わかった、長野、そちにたか女の事を全部任せた、頼むぞ」
翌朝直弼は宿を後にし、江戸へと出立した。
そしてその時に一句の歌を詠む。
『ついに又 逢わんみの路の 別れとて 駒も涙も すすみ行くなり』
そして直弼は見送りの人達の中に、たか女が涙を零し、見送ってくれているのを見る。
「たか女、……、これが、最後ぞ」
直弼は、そっと最後の目配せをする。
直弼が江戸へと出立する時、たか女は37歳になっていた。
その美貌に、少し陰りが見えてきている。
しかし、怪しさだけはより盛んとなり、男をクラクラと悩殺させる。
そんなたか女は、直弼がまだ好きだった。
しかし、最近とみに
もうかっての直弼はたか女の前にはいない。
しかしこんな寂しさを、あの長野との狂った一夜以降、いつも長野がそばに居て優しく包み込んでくれる。
これから直弼は遠く離れた江戸勤務。
たか女は、どんどんと長野主善へと心が傾いて行った。
1850年(嘉永3年)、直弼・35歳。
この時に事態が起こった。
十二代藩主の兄・直亮が急死した。
突然の事ではあったが、井伊直弼は十三代藩主となった。
さらに公務は増え、公人としてより多忙な日々が始まった。
当然、たか女にかまっている暇などはどこにもない。
そして1851年(嘉永4年)、それは直弼が36歳の時だった。
江戸より藩主として、彦根に戻る。
一方長野主膳の方は、妻の多岐(40歳)が彦根の自宅で病死した
多岐は、長野がたか女と男女の仲であり、夢中になっている事を知っていた。
その心の辛さと無念さを、長野にぶつけるように、その死の間際に詠った。
『迷ひ来し 浮世の闇を はなれてぞ 心の月の ひかりみがかん』
長野はこの時江戸にいた。
妻の死に目には会えなかった。
そして、妻との死別の歌を詠んだ。
『寝ては夢 さめてうつつに 見る影も ありしにかはる 床のうへかな』
そうは詠ってみたものの、その時すでに、長野の心はたか女の虜になっていた。
1852年(嘉永5年)、37歳の長野主膳は、彦根藩の藩校国学方として二十人の扶持に出世する。
そして、より直弼の参謀としての地位を固めて行く。
そんな忙しくなって来た翌年の5月3日。
長野はたか女を連れて、再び筑馬祭を見に行く。
その時、たか女は44歳。
そしてその夜、たか女は長野に抱かれる。
あの激しい一夜を共にしたのは、たか女が35歳の時のことだった。
あれからもうすでに9年の歳月が流れてしまっている。
しかし、祭りのざわめきの余韻の中で、二人は狂おしいほどの行為に溺れる。
たか女は、その美貌に陰りが生じてきていることを自分で知っている。
しかしその反面、女の性はますます貪欲なものになってきている。
幾度も突き上げて来る絶頂の中で、もう絶対に長野を手離せない。
そう確信した。
そして、長野の愛人として、これからずっと生きて行くことを決心する。
だが長野は六つ年下の男盛り。
いつかたか女を捨てる時が来るかも知れない。
心配だ。
そのためか、村山たか女は女の決意をする。
「この愛をつなぎ止めて行くためには、長野のためにどんな事でもしよう」と。
高見沢はここまで妄想を膨らませて来て、「ふ-」と重い溜息をついた。
「たか女の元彼の直弼、彼は江戸で全国区のメジャ-な男へとどんどん昇進を遂げて行く、
たか女はそれを見ながら、毎日何を思い、そしてどう暮らしていたのだろうか?」
高見沢はたか女の心の内を探ってみる。
「しかしたか女は、直弼との愛の限界を知り、もうそれは実らないと確信した、その時から直弼との事は、どうでも良くなったのではなかろうか、その代わりに長野との新しい恋を見付け、長野の女になって生きて行くことを決心した」
高見沢は一人勝手に納得する。
「四十半ばのたか女、そこには女の焦りもあっただろうなあ……、年下の長野、その愛をどうしても引き止めておきたい、そう思った時、もう何でもあり、どんな事でもして行こうと女の決意をしたのだろう。そしてその果てに、スパイになってでも、長野の愛を繋ぎ止めようとしたのだったのかも知れないなあ」
高見沢は「うーん、なるほど」と一人頷き、その女の一途さに震えながら唸り声を上げる。
「村山たか女の蛇のような生き様、――、これぞ凄まじい!」
しかし、これだけではまだ物足りない。
高見沢はもっと深く、たか女の激しい心模様を知りたいと思うのだった。
時は1858年(安政5年)、井伊直弼・43歳。
その4月23日、直弼は幕府権力者の大老に任じられた。
大老は従来飾りものであったが、直弼は毎日まじめに登城した。
そして、老中会議には必ず出席するはで少しやり過ぎとの批判も出てきていた。
当時、抱える重要問題は二つ。
一つは、将軍の後継問題。
直弼は紀州の慶福(後の家茂)にする事を推していた。
二つ目は、日米修好通商条約問題。
これを締結して開国する事。
しかし水戸藩が朝廷と組んで、幕府に徹底的な反逆を開始させた。
抵抗勢力は水戸藩主徳川
直弼は、これに対抗するために長野主膳を側近に抜擢する。
そして村山たか女・49歳。
長野主膳の女となっていたたか女は、長野の意向に従い、京都での反対勢力尊壌派の動向を、死にもの狂いでスパイをし始める。
そしてその集めた情報を、長野主膳に渡し、井伊直弼に送った。
女スパイ・たか女は、とにかく長野のために危険を冒し、精一杯活動した。
1859年(安政6年)。
大老・井伊直弼、その参謀・長野主膳、そして女スパイの村山たか女。
直弼は、この三人の連携で尊壌派弾圧の行使を徹底的に開始する。
これが世に言う安政の大獄。
これを推し進めたのだ。
9月7日、抵抗勢力の首謀者・越前小浜の梅田
そしてその他約二百人を検挙。
その中に、吉田松陰、橋本左内、頼三樹三郎等が含まれていた。
そして八名を死罪に処した。
その結果、井伊直弼は強引にも家茂を将軍に据える事が出来た。
また無勅許で、その通商条約の締結を成立させたのだ。
直弼の仕事は油が乗ってきた。
世の中ために身を挺して、大仕事を推し進めている。
まさに男冥利に尽きる。
それはあの暗い埋木舎で、『世の中を よそに見つつ 埋もれ木の 埋もれておらむ 心なき身は』と詠んだ日々。
その鬱々と暮らした青年期への男の反動だったのかも知れない。
高見沢は安政の大獄の事を思い、今度は「うっうー」と唸らざるを得なかった。
「安政の大獄か、不幸な出来事だったよなあ、しかし、直弼はそうせざるを得なかったのだろう、大きな幕末の渦の中で、男二人とたか女・女一人が揺れ動きながら突き進んだ」
高見沢は「うんうん」と一人頷き、さらに思う。
「男は動乱が好き、直弼と長野、この男二人は多分心地良いエキサイティングを感じていたのかも知れないなあ、そしてたか女は、好きな男・長野のために、スパイとして身を張った、だけどその反面、たか女はもう来るところまで来てしまった、将来もっと大変な事がきっと起こるだろうと、女の勘で感じていたのではなかろうか」
時は1860年(安政7年/万延元年)。
その3月3日の桃の節句。
村山たか女の女の勘が当たってしまったのだ。
井伊直弼・45歳は、桜田門外で水戸藩の十数人の刺客に襲われた。
そして暗殺されてしまった。
いわゆる桜田門外の変が起こった。
長野主膳はこの桜田門外の変を知り、覚悟を決めた。
それ以降、直弼の遺志を継いだが、尊壌派の天誅の名での佐幕派要人の暗殺が増えた。
そして危険を感じ、京都から彦根へと身を引いた。
しかし、その8月8日、家老・岡本半介により投獄されてしまう。
そして1861年(文久元年)、2月7日。
長野主膳・46歳。
主君を惑わせたと、彦根で斬刑に処せられた。
その辞世の句がある。
『飛鳥川 昨日の淵は 今日の瀬と 変わる習を 我身にぞ見る』
桜田門外の変が起こり、村山たか女・51歳は身を隠した。
そして、その変から2年の歳月が流れた。
もうこの世には直弼も長野もいない。
1862年(文久2年)、たか女・53歳。
息子・帯刀と洛西一貫町の隠れ家に潜み、暮らしていた。
それが長州・土佐激徒に見つかり、捕まえられてしまう。
そしてその時、たか女にとって最大の不幸が起こった。
息子・帯刀が、たか女の目の前で、一刀両断にばっさりと斬られてしまう。
その後、村山たか女は引っ張られ、三条河原で‘ 生き晒しの刑 ’。
三日三晩晒されてしまう。
しかし女の身。
刑が減ぜられて命拾いをする。
制令にはこう残っている。
―― この女、長野主膳妾にして、主膳奸計を助けたる者。女子の身なれば死罪一等を減ず ――
村山たか女は女スパイらしく毅然と‘ 生き晒しの刑 ’に耐えた。
そして3日目に助けられたのだ。
その後、
そしてここで14年の歳月を過ごした。
1876年(明治9年)、村山たか女・67歳。
その激しくも生きた波瀾万丈な生涯。
されど終焉は穏やかに、その女の一生を終えたのだった。
金福寺にて死亡。
墓は
法名は「清光素省禅尼」と言う。
高見沢は‘ 村山たか女の年表 ’を一通り読み終えて、その妄想の名残の中でじっと目を閉じている。
「ほんと、激しい恋であったよなあ、たか女が愛を絡めた二人の男、その直弼も長野ももうこの世にはいない、そして挙げ句の果てに、‘ 生き晒しの刑 ’か、……、たか女は死ぬ覚悟で受刑したのだろうなあ」
高見沢は目を見開き、さらに思考を巡らす。
「しかし幸運にも、たか女は助けられた、そしてこの金福寺で、妙寿と名乗って14年間の尼生活、世俗を離れての寺での生活、もう刺激も面白さもない」
高見沢は頬をぽんと叩いてみる。
「しかし、それでも再び生への執着を持って生き長らえて行く、たか女にそれが出来たのは、きっと二人の男との激しい日々の一杯の想い出があったからだろうなあ」
高見沢は自分勝手に納得し、一人頷いている。
「もう一つ、たか女には、心の奥底に深く傷付いている事があった、それは自分が愛する男と好き勝手に生きて行くために、息子帯刀がいることを世間に、そして直弼にも長野にも隠し通して生きてきた、そして桜田門外の変の後、息子・帯刀が母・たか女を
高見沢は自分の思考が核心に入ってきたような気がする。
「しかし残忍にも、たか女の目の前で殺されてしまった、こんな息子へ、過去母として何もしてやれなかった、――、そんな自分がしてきた行動を、悔いたことだろう」
高見沢の思考は止まらない。
「母としてもっと生きるべきだったのに、あまりにも女として自由奔放に生き過ぎてしまった、その結果、息子という一番大事な者を犠牲にしてしまった、もう悔やんでも悔やみ切れない、そう思ったのと違うかなあ」
高見沢は、たか女の苦悩に思いを馳せている。
「しかし、それでもまだ生きたい、二人の男との壮絶な愛の名残と息子への懺悔で、残り14年間67歳まで、一つ一つの絆を死守し、生涯を全うしてしまう」
高見沢は勝手な推察ではあるが、たか女のしぶとさに感心せざるを得ない。
「う-ん、あの幕末の時代にね、……、女スパイ‘ 村山たか女 ’か、やっぱり大蛇のような執念を持つ女性だったのかもなあ」
ここまで考えを巡らせてきた。
そして高見沢は、もう一度「ふ-」と深くて重い溜息を吐かざるを得なかった。
金福寺の庭にも、春はもうそこまで来ている。
高見沢は縁側に座って、2月の僅かな日溜まりの中でボ-としている。
多分村山たか女も、こんな春を待つ日に、この縁側に座って、直弼と長野との燃える日々の想い出に浸っていたのかも知れない。
金福寺に吹き来る風が梅の香を一杯運んで来る。
そして、村山たか女の心は……、穏やかに。
「さあて、これからどうするかなあ」
高見沢はやっと気持ちを一区切りさせ、腰を上げた。
「村山たか女を追っかけて、ここまでやって来てしまったか、俺もバカだなあ、だけど、もうちょっと追っかけてみるか」
こんな懲りない結論を出し、金福寺を後にした。
「ここまでオッカケしてきた愛すべき女スパイ・たか女、その生き様に、ビ-ルで乾杯でもするか」
高見沢は、妄想の余韻の中で、こんな事を呟きながらふらっと祇園へと出て行った。
八坂神社へ通じる四条通りは、休日なのか人で溢れている。
流行を追った若い女性達の賑わいがある。
高見沢はそんな中をぶらぶら歩いている。
そしてふと感じる。
「おっとちょっと変だなあ、これ一体どういう事なんだろうか? どの女性を見ても、全部村山たか女に見えてくる、たか女たか女とここ3ヶ月オッカケに没頭してきたからかなあ、俺の精神状態はちょっとヤバイ」
高見沢とすれ違って行く女性。
そして追い越して行く女性。
彼女たちはいろいろだ。
街角で誰かを待っている女性。
ケイタイを親指でチャカチャカとハンドルしながら歩いて行く女性。
カッコ良く気取って足早に歩いて行く女性。
いろんな女性がいる。
そしてよく眺めてみると、若い女性の他に、中年の女性も老いた女性も一杯いる。
しかし、奇妙な事に……。
どの女性を見ても、それぞれの年代の‘ 村山たか女 ’がそこにいるのだ。
高見沢は、不思議な感覚で、視界の中の女性一人一人を観察してみる。
そして高見沢は、それがどういう事なのか、じんわりとわかってくる。
「あそこで微笑んでいる若い女性は、直弼の少年心を揺さぶった頃の侍女‘ たか女 ’、あのキラキラと輝いて澄ましている女性は、鬱々とした直弼を射止めた頃の‘ たか女 ’かな、そして恋人にぶら下がるように歩いて行く女性は、長野主膳と狂おしく絶頂を貪った頃の‘ たか女 ’か、うーん、いかにも危険な色気がある!」
高見沢は辺りをさらに注意深く眺めてみる。
「それに疑い深そうに商品を見入っている中年の女性は、女スパイとして暗躍していた頃の‘ たか女 ’、そして道路向こうで、遠くの空を懐かしむように見つめている老いた女性は、妙寿‘ たか女 ’だ!」
高見沢は何か新しい発見をしたかのようにキョロキョロとしている。
「そうなのか、その時々の‘ たか女 ’――、みんな、そこにもあそこにもいる、世の中‘ たか女 ’ばっかり、これはどういう事なのだろうか? えっ、ということは……」
高見沢は今閃いた。
「こんな重大な事を、俺は今まで気が付かなかったのか」
高見沢はまるで大きな謎が解けたように、独り言を呟き続ける。
「そう、世の中の女性は、みんな‘ 村山たか女 ’だったのだ、いつも愛を絡ませ過ぎて、幸せになったり不幸になったり、中には‘ 生き晒しの刑 ’にあったりで大変だけど……、激しくも生きる女性達、‘ 村山たか女 ’は、初めから古今東西そこらじゅうに一杯いたのだ!」
高見沢の呟きが止まらない。
「それぞれの生き様を見てみると、お姉さんもお母さんもおばあちゃんも、みんな男に蛇のように激しい愛を絡ませ、命まで懸ける」
高見沢はもう自分の思考に酔ってしまっているのだろうか。
「そして実る愛もあれば、実らぬ愛もある、泣いたり笑ったり、確かに苦労だけど……、どっちにしろ男は、いつも直弼や長野のように、気付かぬ内に絞め殺されてしまう」
これは一般的に男のくせなのだろうか、高見沢は少し自虐的になってきている。
「それでも、それを男の生き甲斐と、男は可愛いことを言い続けさせられて、生涯を閉じて行く」
高見沢は、自分の思考に行き過ぎはないかと自問自答を一様してみるが、さらに自信たっぷりに独り言を続ける。
「一方、女‘ 村山たか女 ’は、愛だの恋だのと囁きながら、その実は蛇の如く、しっかりと生に執着し、最後の最後まで生き抜いて行く、それはまさに、――、激しくも生き、されど終焉は … 穏やかに!」
高見沢は、ここに至り大きく息を吸った。
そして、男の心の奥底から絞り出してきたかのような声で、吸い込んだ息とともに
勇気を持って言葉を吐き出す。
「男性諸氏へ告ぐ! 貴男は井伊直弼タイプ、それとも長野主膳タイプ?」
高見沢は少し間を取る。
「どちらのタイプでも、まことに残念ながら最後に殺されてしまいます、貴男のそばにも愛する女性がいるでしょ、そうなんですよ、その女性こそが、貴男と共に粒々辛苦を重ね波乱万丈に生きる、しかし最後に、貴男を絞め殺す大蛇、――、そう、‘ 村山たか女 ’だったのですよ」
高見沢の勝手な結論付けが終わらない。
「いやはや男性諸氏よ、女が求めるもの、それは……『激しくも生き、されど終焉は … 穏やかに』、そう、終わりは男女の絆、その愛の名残に抱擁されながら、穏やかに生涯を終えるということかな」
高見沢は目をカッと見開く。
そしてまるで覚悟を決めたかのように、最後に結論付けをするのだった。
「どれだけ激しかろうが、しかし、女の終焉を穏やかに! これを実現させるのが男の責任、そう、男は愛する
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