第4話 太嫌兎村
世の中って、ホント不思議なことがあるものなのですね。
それも…、この日本で。
これから紹介する物語は、コメディー。
いいえ、ひょっとしたら大人向けの童話なのかも知れません。
皆さま御多忙のことと思いますが、少し時間のある方はここらでちょっと御一服。
このお気楽話しで、傷んだ心を癒やして頂ければ感謝感激
高見沢一郎は、とある町のオフィスに勤めるサラリーマン。
今、仕事を終えて、
夜の賑わいを待つダウンタウン。
高見沢は疲れ切っているのか、ふらふらと歩いている。そして、ほぼ無意識状態でビルの谷間の向こうに視線をやれば、都会風の白っぽい月がぽっかりと。
「なんだよ、あの月は――、現代文明で干からびて、マッチロケだよなあ、色気も何もない」
高見沢はそんなことをボソボソと口にした。
そしてその反動なのか唐突に、あの時の出来事を……、つまり、あの不思議な光景が瞼の裏にくっきりと浮かんでくるのだった。
「あれは一体、何だったんだろうなあ。だけど、あの赤い月夜の可愛いバニーたち、彼女たちにもう一度会ってみたいよ、勇気を出して行ってみようかなあ」
高見沢はぶつぶつと、こんな独り言を呟いた。
高見沢一郎、それはそれなりのサラリーマン。
お年はと言うと、あらまあ、いつの間にか幾年月の春秋を重ね、アラフォーを越えてしまってる。
そして御年に至るまでの生き様は順風満帆であったとも言えるし、波乱万丈でもあった。
その節々では随分乱れたこともあった。
しかし、その折々でいろんな経験をしてきた
だけれども、あれほどまでに摩訶不思議な出来事に出くわしたことはなかった。
一生
それは別段恐怖に満ちたものではない。また神秘的過ぎるものでもない。
ただ日常生活の喧騒さを越え、心をどーんと落ち着かせてくれるほのぼのとした出来事だった。
さらに、もし付け加えるならば、勇気を与えてくれたハプニングだったとも言えるのかも知れない。
それにしても日本のサラリーマンはなぜこんなに忙しいのだろうか。
働いても働いても、大きな邸宅にゆったりと住める保証はまずない。
忙しさと年収。それらは決してリニアな相関でリンクはしていない。
それが世間の労働と報酬の定理なのだ。
されどサラリーマンたちの悲しい性か、ただひたすらに会社のために働き続ける。
高見沢一郎もその例外ではない。
実に一所懸命。
時にはアグレッシブ(攻撃的)に、そして時にはコンサーバティブ(保守的)に生きてきた。
しかしだ、最近のビジネス世界は―― 八大地獄 ――。
その厳しさの中で、高見沢も時としてストレスで押し潰されそうになる。
こんな状況下にあって、高見沢は時たま気晴らしにと日本海へと愛車を走らせる。
物語はそんなところから始まった。
日本海は、いつも茫洋とした太平洋と一味違う。
四季折々に変化し、異なった表情を見せてくれる海。高見沢はそんな日本海に同化してしまうと心が安らぎ、大好きで、折にふれ逢いに行く。
高見沢が住んでいる町から日本海まで、大きな国道が貫いている。
町から離れ、そんな国道をしばらく走ると山々が迫ってくる。
そこを車でくねくねと登って行く。そして峠を越えれば高原となる。
高見沢は、そこをさらに西へとドライブする。
日本海側へと導いてくれる幹線道路。
そんなルートの半ばに、目立たない分かれ道がある。
それは国道を起点として、より山岳へと伸びる一本の道。
だがよほど気を付けていなければ、目にも留まらず、やり過ごしてしまうほどのマイナーな道なのだ。
車二台がやっとすれちがうことができる程度の道路幅で、あまり広くない。
だが場違いの舗装がきっちりとされている。
こんな野っ原の中で、なぜと思いたくなるほどのきれいな道が山の方へと伸びている。
しかし、おかしなことだ。
その一本道の行き先表示がされてない。
また、高見沢は何回かこの国道を走っているが、未だこの脇道へと曲がって行った車を見たことがない。
そんな奇妙な一本道が、そこにはあったのだ。
時は春うらら。久々の休日だ。
高見沢は連日の過重業務から解放されて、リフレッシュのためにと、今日本海へと車を走らせている。
しかし今日は、この一本道の分岐点辺りまでやって来て、いつもと違った思いが込み上げてくる。
無視したまま通り過ぎてしまうことができなくなったのだ。
「何だよ、あの道は……、いつまで経っても標識も掛からないし、それに車が入って行ったのを見たこともない。 その行き着く先は、一体どこなのだろうかなあ?」
なぜか急に好奇心が湧いてきた。
「ヨーシ大冒険だ、あの道へと入って行って、どこへ辿り着けるか確かめてみるぞ」と決心する。
こうして高見沢は、すでに一本道への入口を通り過ぎてしまっていたが、急遽Uターンし、その未知なる道へと侵入して行ったのだ。
今、元の国道から離れ、高見沢はどんどんとその一本道を走り進んでいる。
そして高原を突っ切り、山峡の地となった。
道路状況はさほど悪くない。むしろドライブし易い。
迫りくる山々の隙間を曲がりくねりながら、10分程度走っただろうか、突然三叉路にぶち当たった。
そこにはやはり標識がない。
高見沢は用心深く一旦車を停めた。
「さぁーてと、困ったぞ、右に行ったら良いのか、それとも左に行くべきなのか?」
どちらにしようかと迷ってしまって、なかなか結論が出せない。
「これだけ迷うということは、これはひょっとしたら俺の人生そのもの、その時々に出くわしてきた岐路と同じことだなあ」
まことに大袈裟なことを呟いてしまっている。そして、しばしの思案の後に、高見沢は遂に結論を出す。
「えいっ、右だ!」
人生での岐路に直面して、左右どちらに行くか、その方向を決める時とまったく同じ。
最後の決断、やっぱりね。
それは――、ハズミとイキオイ。
このように決着を付けた後、また機嫌良く走り出すのだ。
「この先に一体何があるのだろうか?」
高見沢は胸をワクワクさせながら愛車を駆ける。
そしてしばらく走った後に、また三叉路のある場所に行き当たってしまった。
高見沢は邪魔臭そうに呟く。
「またかよ、今度は会社選びと一緒のようものかな。しかし俺の場合、選べるほど選択肢がなかったよなあ、まっいっか、えーい今度は左に行くぞ!」
ホント、気楽なやっちゃ!
三叉路にぶち当たっては、まるで人生ゲームのようなものを想定して一人遊びを始めている。
しばらく進むと、またもや三叉路に。
「うーん、今度の分かれ道は何かなあ。そうか、これこそは結婚の岐路。一生の伴侶選びと言うやつだな。これぞ人生で最も大事な選択、後々の幸不幸を決めてしまう。それは愛を貫いて一緒になるか、それともちょっと打算を入れての選択にするかの瀬戸際、ここは慎重にならなければならない。えーい、やっぱり最終結論はハズミとイキオイで行くしかない。愛一筋の左だ!」
訳のわからない独り言を吐いている。
それでも思い付き通り左に進路を取り、しばらく車を走らせていると、またまたの三叉路。
「もういい加減にしてくれよ。しかし今さら引き返せないし、何かを求めて前進あるのみか。いざ企業戦士よ、世界一を目指せ、そんなカラ元気で行くしかない」
こんな独り善がりなことを呟きながら、高見沢はさらに奥地へどんどんと入って行く。
そして、こんな岐路選択が、あと二、三回は続いたであろうか、高見沢はどこへ辿り着くのかその最終結果を知りたくて、さらにアクセルを踏み込むのだった。
幾つかの選択の後に辿り着く先。
そこには、こんな人生ゲームのファイナル・デスティネーション(最終地)があるのかも知れない。
高見沢はこんな一人遊びをしながら、1時間はドライブしただろうか、いつの間にか一山越えてしまった。
そんな時に突然、フロントガラスの前方に急に大きく開けた風景が飛び込んできた。
四方から山が迫っていることには変わりはない。
しかし目の前には、美しい盆地が現れた。
高見沢は高台で車から下りて、その盆地全体を眺めてみる。
盆地には桃の花が咲き乱れているじゃないか。
「ひゃー、メッチャ綺麗な所だよなあ」
高見沢は唸った。
時節は
少し霞がかかった青空には小鳥がチッチチッチとさえずり、野はピンクの花色一色。
キラキラと水面を輝かせて、桃の花の間を縫って、小川が流れている。
桃の花一色だが、まるで宝石をまき散らしたような美しい地。
そんな大自然の中の盆地。それが四方の山々の緑にふんわりと包み込まれている。
「めっちゃむっちゃ、ビューちフル、どっせー!」
高見沢は思わずなぜか関西風、いや字余り的な京風の感嘆の声を上げた。
「これって、ひょっとしたら、世間で言う
ここに至るまでに、いくつかの岐路があった。
高見沢はハズミとイキオイだけで左右どちらかの道を選び、ここまで車を走らせてきた。そして遂に辿り着いた所、そこにはこの世のものとは思えないほど美しい山に囲まれた盆地の風景があった。
しかれども、高見沢はわからない。
「ここは一体何と言う所なんだろうなあ。さっき見た道路地図にも載っていないしなあ」
高見沢はそう呟きながら、じっくりとその眺望に目をやった。
そして少し遠目に焦点を合わせ、小川に沿ってなぞっていく。
すると桃の花に埋もれた小さな集落があるのがわかる。
その真ん中に、赤いトンガリ帽子の屋根の建物が一つあるのが見える。
「ヨッシャー、ちょっとあそこへ行って訊いてみるか」
高見沢はその建物を目指して、再びゆっくりと車を走らせる。
窓を開けると、桃の花の甘い香りが車内一杯に充満してくる。
「うーん、気持ちいい」と、幸福気分。
くねくねと曲がりくねった狭い道を、脱輪しないように注意し、集落へと下りて行った。そしてしばらくして気付くのだ。
何羽かの白ウサギたちが車を追い掛けてくる。
時折り車の先を越しては振り返り、高見沢をじっと見つめる。
その眼差しには警戒感はなく、微笑んでいるようにも見える。
「この地は何と言う所なんだろうか? ピンクの桃の花が咲き乱れ、雪解け水の小川はサラサラと流れ、そして可愛い白ウサギたちが自由に走り回っている、なんと平和な所なのか」
高見沢は錯覚に陥ってしまったのか。
日々騒乱な現代ビジネス社会から、夢にまで見た憧れのシャングリラ。まるでそこに迷い込んでしまった、かのようにだ。
高見沢は、赤いトンガリ帽子の建物の前までやって来て、車を止めて下りた。
建物の門柱には大きな看板が掛かってる。
そして、そこにはこう書かれてあったのだ。
―― 太嫌兎村役場 ――
高見沢はこれを見て、じっと考え込んだ。
しかし、どうも考えがまとまらない。
「こんな奇妙な字、初めてだよなあ。これって、ホントどう読むのかなあ? こんな地名、俺の記憶にはまったくないよなあ、太るのが嫌なウサギの村って、どういうことなんだろ? とにかく聞いてみるか」
高見沢はぶつぶつと呟きながら、ドアーを押して建物の中へ入って行く。
役場の中は古いがこざっぱりとした美しさと落ち着きがあった。
整理整頓が行き届き、清潔。その上に花がいっぱい飾られていて、艶やかでもある。
窓から差し込む陽光で、建物の部屋全体が明るい。
そして高見沢はもっとびっくりする。
役場の中で、四、五人の人たちが働いている。
その全員がビシッとダークブルーのユニホームを身に着け、引き締まっている。
そしてその人たちは――、皆さん女性なのだ。
実にスリムな体型をしている。
高見沢は感動に近い驚きで、もう叫ばざるを得ない。
「スっバらしい! 山の
高見沢の性格は実に惚れっぽいこと。
すぐに嬉しい気分となり、受付カウンターの女性の所へとワクワクしながら進み出る。
「あのう、こんにちは」
「何か御用でしょうか?」と、女性が返してきた。
高見沢は遠慮がちに尋ねてみる。
「私、高見沢って言う者なんですが、ここは一体何と言う所なんですか?」
すると女性は、暖かく微笑みながら答えてくれる。
「たいやとむら、という所ですよ」
高見沢はうまく聞き取れない。
「えっ、すいません、今何て仰いました?」と聞き返した。
「た・いや・と・むら、……、で~す」
高見沢は少し沈黙し考え込む。
「へえ、そうなんですか、―― た・いや・と・むら ――、太るのが嫌なウサギの村と書いて、たいやとむらと読むのですか、面白い地名なんですね」
高見沢はもう一つ合点の行かない中途半端な気分だ。
女性はそれを察したのか、説明を加えるように奇妙なことを言い出す。
「そうですよ、たいやと村、日本語ではそう読みます。でも、英語読みもあるのですよ。 それは――、ダイエット・ビレッジ(Diet Village)」
高見沢はこれを聞いて、「ふーん、ダイエット・ビレッジね」と、突然英語名が飛び出してきたので感心する。
そして少し間を置いて、「たいやとむら、たいやとむら、……、たいやとむら」と三回繰り返す。
その後、高見沢は大きく息を吸って、その受付嬢に神妙に申し述べるのだ。
「太るのが嫌なウサギの村が、たいやとむら、うーん、たいやと村ね。そこから、たいやっとむら、……、だいやっとむら、で、で……、ダイエット……むら! それって、単なる語呂合わせじゃん!」
この叫びに女性がなぜか無言で、Vサインを出してきた。高見沢はそれを見て、調子に乗って。
「太るのが嫌なウサギの村が、日本語でたいやとむらと読み、それを英語で言うとダイエット村ね。ううう。。。ちょっとお姉さん、それって……、%&#@¥…、オモロ過ぎない!」
「そうお? だけど、マジよ」
女性はあっさりと返し、ニッコリと笑う。
高見沢は少しアホらしくなってきたが、「太るのが嫌なウサギの村って、どういう所なんですか?」と今度は突っ込んで訊いてみた。
それに対し、女性は背筋をきりっと伸ばし言ってのけるのだ。
「この村は、一所懸命ダイエットをして、スリムなボディ作りをしている、太るのが嫌なウサギたち、つまりバニーたちが集う村なのですよ」
高見沢はこんな突拍子もない返答を聞いて、返す言葉を失う。そして独り言で、ぶつぶつと。
「それでわかったぞ、なぜここの役場の女性たちは、スリムでナイスバディばかりなのか、――、納得!」
高見沢はこんな発見にただただ感動を覚えている。
「ところで高見沢さん、どのようにして、ここへ来られたのですか?」
女性はボーとしている高見沢に聞いてきた。
「いえちょっとね、気晴らしにと思って日本海に向かってドライブしてたのですが、その途中にね、国道から横へ反れる一本道があるのですよ、その道の先に何があるのか、急に確かめたくなりましてね」
「御苦労様でした、だけどよくこれましたね」
「その通りなんですよ、途中三叉路が何回もあって、右に左にといろいろ選んで進んできましたよ。それで最終的に、やっとここへ辿り着けたのですよ」
高見沢がそう返事をすると、女性は嬉しそうに話してくる。
「そうですか、高見沢さん御自身がそれぞれ遭遇された岐路で、右に左にと選んでここまで来られたのですか、本当に良かったわ、おめでとうございます。ところで、太嫌兎村の隣村はどこか御存知ですか?」
女性がおかしな質問をしてきた。
「そんなん俺、知りませんよ、どんな所なんですか?」と聞き返した。
すると女性は澄まして、さらりと。
「隣村は……、地獄村です」
「えっ」
高見沢は目を白黒させる。女性はそんな驚きにかまわず、ちょっと砕けた感じで、京風に続ける。
「もし最後の岐路選択を、高見沢はんが間違ってはったら、地獄村に落ちてはったんエ、本当にラッキーさんやったわ。貴方はんのような幸運な方はそう滅多には、いやらしまへんし、たいがいの男はんは
高見沢はそんな物騒な話しをじっと聞いているだけだった。
国道から反れての一本道。そして何回かの三叉路に出くわして、右か左かを選択をしてここまでやってきた。
多分、阿弥陀くじみたいに、それぞれの選択の行き着く先にはいろんな村があるのだろう。
そして高見沢は声を震わせて叫んでしまう。
「ウッソー! 最後の一つを、もし左に進路を取ってたら、地獄村行きだったってか、ひぇー!」
女性は微笑むだけで、別段のリアクションもしてこない。そして今度は実に事務的に、「折角、太嫌兎村を訪問して頂きましたので、村長を紹介させてもらいます、少しお待ち下さい」と言い、サッと奥の方へと消えて行った。
高見沢は、「地獄村に落ちるか、桃源郷で舞い上がるか、メッチャ危なかったよなあ」と呻き、ゾーと背筋を寒くしている。
これから自分の身に何が起ころうとしているのか、それが想像し切れず、ただ呆然としているだけだった。
しばらくして、「中へどうぞ」と声が掛かり、高見沢は奥の一室へと案内される。そこには、一人の女性が柔らかい微笑みを浮かべて待っていたのだ。
年の頃は四十歳前。清楚な色香が漂ってくる。
そして透き通るような美しい声で挨拶があった。
「高見沢さん、ようこそ太嫌兎村へ、私が村長の
さすがダイエット村の村長さん、スラッとスリムな体型をしている。
高見沢はしばらく何も言葉を発することができず、ただポーとその姿に見取れるだけ。そしてやっと気を落ち着かせて、おもむろに口を開く。
「村長さん、失礼ですが、お年の方はそこそこのようにお見受けしますが、健康そうですね。ここへ来る時に見た白ウサギなんかよりずっと色白で、可愛くて……、腰の辺りが、クビッと絞れてますよね」
高見沢のなんと失礼、かつセクハラ的な挨拶だろうか。
一体何が言いたいのかさっぱりわからない。多分脳が混乱しているのだろう。
しかし、桃花ウサギ村長さんはうまく反応してくれる。
「まっ、お上手!」
こんな合いの手は、かなりの人生経験を踏まないと出てこない。
村長さんはさらに言ってのける。
「あの白ウサギたちね、この村の先住民たちなんですよ、もちろん私たちの方がずっとセクシーでしょ」
高見沢はなるほどとわかったような気にはなったが、さっぱり理解できず再度質問をする。
「ちょっとお伺いしたいのですが、この太嫌兎村って、本当は何をされてるのですか?」
村長さんはよりキリッとした美人顔となり、軽く答える。
「受付の夕月ウサちゃんが話していた通りよ、――、太るのが嫌な兎たちの村なの」
「ああ、ここはダイエットに励むバニーたちの村だったんだなあ」
高見沢はただただそう反復するだけだった。
「高見沢さん、一つ質問をするわね。世の中に難しいことが二つあるのって知ってますか?」
村長さんは突然変なことを聞いてきた。
高見沢は答えがわからず、「それって何ですか?」と聞き返した。
「ファイナル・アンサーは……、男の禁煙と女のダイエットなの、これわかる? つまりダイエットは女性にとって大変難しい課題、だけどもっと美しくなるために達成したい永遠のテーマなのよ」
桃花ウサギ村長はマリア様のような表情で、そんなことを仰る。
「なるほどね、ダイエットが女性にとっての永遠のテーマか、そらそうかもなあ」と身の回りの女性たちを思い出し、単純に納得をしている。
さらに村長さんは自信たっぷりに続ける。
「この美しい太嫌兎村で、私たちは究極のダイエット法を窮め、そしてそれを世の中に広め、貢献して行きたいと思って暮らしているのよ」
高見沢は深く思考も及ばず、ただ「スゴイ!」と叫んだ。そして独り言にも似た発言をする。
「究極のダイエットね、俺も最近太り過ぎで、ダイエットをしろって看護師さんからきつく注意されているんだよなあ、ホント、若い頃のスリムな身体に戻ってみたいよなあ」
桃花ウサギ村長さんはそれをしっかり聞いていた。そして目をキラキラと輝かせて、高見沢を説得し始める。
「高見沢さん、本当に痩せたいと思っていますか? もしそうだとしたら、太嫌兎村の半日村民になって、ダイエット体験してもらっても良いのですよ。費用はたったの1万円、インストラクターが付いての個人指導よ。そうね、先程応対した受付の夕月ウサちゃんに担当してもらうわ。いい子よ、好みでしょ。手取り足取りでの個人レッスン、きっと楽しくダイエットできるわ、――、どうしますか?」
桃花ウサギ村長は、こんなお誘いでどんどん押してくるのだ。
高見沢は、こんな誘惑的な話しの展開にもう唖然とするしかない。
察するに、ベッピン村長さんは太嫌兎村の村興しダイエット事業の親方。そして村役場に勤めるスリムでしなやかな女性たちは、そのインストラクター(指導員)だということらしい。
それで今回は、受付で優しく微笑んでくれていた夕月ウサちゃん。
彼女がどうも個人指導をしてくれるというのだ。
なにか
されども高見沢には興味が急に湧いてきた。もう気持ちが止められない。
「1万円払って、何キロ痩せられるの?」と早速高見沢は訊いてみる。
「今日は、コースの紹介が主ですから、まああまり期待してもらっては困るけど……、半日村民で1キロ減量は保証しますよ」
村長さんからきっぱりと答えが返ってきた。高見沢はとにかくこういう話しには応答が速い。
「マジッすか、半日で1キロも痩せられるんですか? それに夕月ウサちゃんが個人指導をしてくれはるんですね、いいじゃないの、――、村長さん、ぜひお願いします」
高見沢の顔面から隠し切れない笑みがこぼれる。それに応えて、桃花ウサギ村長がすかさず大きな声を張り上げた。
「夕月ウサさーん! 下界からお客様お一人よ、半日村民でお願いね」
そうなのだ。
下界からっておっしゃってるが、こんな呼び掛けって、下界のどっかで、そう、どっかの夜のお店で、よく聞くような呼び掛けパターンではないか。
高見沢は単純なもので、それに心をほっとさせるのだった。
下界、つまり俗世界育ちの高見沢にとっては、こんな呼び掛けパターンに少々馴染みがある。そのためか、緊張したこれまでの気持ちがほぐれ、一気に安心した。
そこへ現れ出てきたのが、先程の夕月ウサちゃん。高見沢は思わず、「おっおー」と言葉を詰まらせる。
衣装が全く違う。
ダーク・ブルーの役場ユニホームから激しく変身。
真っ赤なレオタード姿での御登場。
夕月ウサちゃんのスリムなボディラインがくっきりとあらわで、そのしなやかな柔らかい曲線が映える。
高見沢の右脳の中で、その官能曲線がもつれ出す。
髪をアップにまとめ、透き通るようなうなじがそこにある。
そしてそこから背筋へと、セクシーラインが伸びて行く。
バストの膨らみは思いっ切り天へと突き出し、その曲線が実に滑らかにウェストをくびらせヒップへと走る。
さらにその色気なボディーラインは、スラッとした長い足へと流れて行く。
まさに美形。
そしてメッチャ健康そう。
下界では、こういうタイプを健康美人と呼ぶのだろう。
そんな現代風夕月ウサちゃんが、さっそうとお出ましになられたのだ。
「夕月ウサでーす、よろしくね」
いきなりの挨拶がとっても明るい。
「じゃあ高見沢さん、説明しますから、こちらの個室へ来て下さ~い。ダイエット頑張りましょうね」と、声には張りがある。
高見沢は充分刺激されて、ニンマリ。
「やったぜベービー、ここは桃源郷、お隣さんは地獄村……、ヘブン( 天国)とヘル(地獄)はいつも隣り合わせ。いいじゃんいいじゃん、ヨーシ、ダイエット頑張るぞ」と急に張り切り出した。
そして年甲斐もなく、異常に心臓をドキドキさせながら、廊下の先の部屋へと入って行く。
その部屋には、でんと置かれた大きなダイニングテーブルが中央にあった。高見沢はそれを挟み、夕月ウサ指導員と向かい合って、まずは座った。
「高見沢さん、半日村民のダイエット体験ですよね」と早速ウサちゃんから確認があった。
しかし高見沢は、美人インストラクターを目の前にして、クラクラしっ放し。そしてなぜか焦っている。
「はい、夕月ウサさん、よろしくお願いしま~す。。。@%$¥*…、それでっと、どう、どうしたら良いの? あのう、服脱ごうか?」
夕月ウサちゃんが高見沢をぎゅっと睨み付ける。
「ちょっとお、高見沢さん、何勘違いしてるのよ」
口調が恐い。
「いや別に、……、今から何かが始まるんだろ?」
高見沢の期待はいつも不純。
「ハハハハ、高見沢さん、脳を正気に戻しなさいよ。いいですか、ダイエットよ、セクシャルなことなんか何も起こらないのよ」
インストラクターからキツイ注意があった。
いきなり高見沢は叱られて、不純な期待は見事に崩壊させられた。しかしそれでも未練が残る。
「ですよね、ゴメン、夕月ウサ先生があまりにもセクシーなレオタード姿なので、お仕事忙しそうだし、ちょっと肩でも揉んでさしあげようかなと――、アキマヘンか?」
高見沢はまだ充分に正常に戻り切れていない。
「さっ邪念を払って、本題に入りますよ、いいですか?」
夕月ウサちゃんはお構いなしに、どんどんと先へと進める。
「ダイエットには、三つのコースがあります、しっかり記憶しましょうね。初級/中級/上級、その上級こそがダイエットの究極コースなのよ。高見沢さんにはダイエットの全体像を掴んでもらうために、今日半日で一通りの体験をしてもらうことになってます」
さすがプロのインストラクター、こういった勘違い男の扱いには慣れている。高見沢を軽く誘導してしまう。
高見沢はそれに乗せられて、余韻はまだ残るが、「三つのコースって……、まっいっか、じゃ初級コースから始めて下さい」とウジウジと申し入れた。
夕月ウサちゃんは「それでは始めます」と前置きをして、それから突然奇妙なことを仰る。
「ダイエットの初級コースは、センショクです、まずこれを憶えましょう」
高見沢は何のことかさっぱり意味がわからない。
「センショクって、何か俺をしっぽりと桃色にでも染めてくれるんかい?」
やるべきことはダイエットだというのに、高見沢はまた無神経でセクハラ的な質問を懲りずにしてしまった。
今までの日々、一体高見沢は何を考えて今日まで生きてきたのだろうか。
しかし、夕月ウサ先生はこういうオッサンに止めを刺すのがうまい。
関西弁で一発逆襲、――、「アホッ!」
高見沢はこの逆襲で背筋が伸びた。そしてしばらく沈黙し、あとは「チャイまっか、スンマヘン」と謝った。
しかし、夕月ウサちゃんはさすがプロ。
今度は捕まえた客は逃がさないぞと、反対に柔らかい口調で訊いてくる。
「高見沢さん、毎日のどんな食事してんの?」
高見沢はまたこれに調子に乗って、「そりゃあ、食べ放題の飲み放題、居酒屋飽食サラリーマンなんだよなあ」と。
だけれどもこの場の雰囲気からして、これはちょっとまずいかと思い、「はい先生、強く反省しています」と付け加えた。
それを「ふんふん」と聞いていた夕月ウサ先生、この辺りでとおもむろに指導を始める。「ホントお馬鹿さんね、食事をちゃんと選びなさい。いいですか、ダイエットの初歩は、食事を選び抜いて楽しく食べるということですよ。つまり初級コースは、食を選ぶ【選食】よ、それをまず体験してみましょう」
高見沢はそれを聞いて、「センショクって、食選びの【選食】だったのか、しかしそんなの理解してるぜ、ダイエットの基本中の基本だよ」と息巻いた。
さらに先生を追い込むように尋ねた。
「だけど先生、問題は、どんな食事を選べば良いかですよ。それを教えてチョンマゲ」
夕月インストラクターは少しムッとし、「それじゃ、サンプル食を今から持ってきますから、まずはそれらを試食して下さい」と口調がきつい。
それからの動きはまことにテキパキと。
奥の部屋へと消え、すぐにニコニコしながら、両手に一杯の小皿を持って戻ってきたのだ。
高見沢はそれらを見て、――、た・ま・げ・る。
「なんだよ、これ、一口の精進料理ばっかりじゃん。ええっと、これってただのお浸しだろ、何のお浸しなんだよ?」
高見沢は不満のようだ。だが、夕月ウサ先生はシレッと澄まして答える。
「四つ葉のクローバーの、お浸しよ」
「あのう、夕月ウサ先生、四つ葉のクローバーって、これだけ集めるの結構大変じゃないの?」
高見沢はこんな反応するのが精一杯だった。
「そうよ、大変よ、ここまで集めてからお浸しにするの。そうね、最低三日はかかるかしら、その間は断食よ。それで苦労の後にフォーリーブズの幸運を食べるという執念プログラムなの、これって結構楽しそうでしょ。どうお? 高見沢さん、集めるところからトライしてみる?」
夕月先生の笑顔に、段々と虐めの表情が滲んできている。
高見沢は「こりゃ、ちょっとヤッベー」と本能で感じ、「美味しそうだけど、先生、ちょっと遠慮させて」と作り笑顔をまじえながら断った。そして高見沢は嫌悪感ありありで尋ねる。
「だけど、クローバーって……、ウサギの好物じゃないの?」
「そう正解よ。ここは太嫌兎村ですからね」
夕月ウサ先生は一方的に結論付けた。
「これが【選食】っていうことなのか、もう少し美味いものはないんかよ?」
高見沢は大変不服。
しかし、夕月ウサ先生は自信たっぷりの顔をして、まだ続ける。
「あとはキャロット葉シャリシャリサラダとか、いわゆるウサギ食がメインね」
高見沢はただただあきれ顔。それでもまだ興味はある。
「俺、実は人間なんですけど、人が普通に食べて、ダイエットになるものないの?」
これに夕月ウサちゃん、ニッコリと。
「それじゃちょっとグレードを上げましょ。特別メニューの、こんにゃくチャーハン、これどうお?」
こんにゃくチャーハンとは、御飯の代わりにこんにゃくを焼き飯風に炒めたもの。もちろん低カロリーで、ダイエットに最適。
高見沢も一度食べたことがある。
しかし、欠点がある。
とにかく、――、めっちゃ不味いのだ。
「こんにゃくチャーハンて、あんなの……、ちがう惑星の食べ物だよ。こんなの選食にならないよ。すいません、初級コースはもう充分理解しました、次の中級コースに行って下さい」
早速のギブアップだ。
「仕方ないわね、高見沢さんは今日が初回のお客様だから、まあ少し大目に見てあげるわ」
ウサ先生は今のところ割に優しい。
それから夕月ウサ先生は一拍おいて、なんの戸惑いもなく言った。
「ダイエットの中級コースは、――、ネンシよ」
「また奇妙なことを言うよなあ。ネンシって、誰かを念じて殺すのかよ?」
高見沢は訳がわからない。
「テーマはダイエットよ、もっと頭を働かせなさいよ。つまり脂肪を燃やすという意味の、【燃脂】よ」
夕月ウサ先生は、また訳のわかったようなわからないような言葉を使った。
しかし高見沢は、もうそんな会話にも慣れてきたのか、当然というような顔で応える。
「当たり前だよ、それ、選食の後は運動で脂肪を燃やさないとダメだよな、――、で、それってどんな燃やし方したら良いの?」
「高見沢さん、その第一歩は、そこの廊下で、まずウサギ飛びをやって下さい」
えらく命令口調。
「ウサギ飛びか……」
高見沢は懐かしく思い出した。学生時代に鬼コーチの監視の下、夕暮れのグラウンドで、後に手を回し膝を曲げてウサギ飛びをやった。
「えっ、それって体育会系シゴキの世界じゃないの。確かにエネルギーは使うし、【燃脂】には結構なことと思うけど、この歳じゃちょっと耐えられないよ。関節が弛んでるし、そんなものデケヘンで、ねっ、カンニンして」
高見沢は精一杯のお許しを請うた。
しかし先生は厳しい。
「ダメ、この巨人の星プログラムはダイエットの登竜門よ。言うことをちゃんと聞かないと地獄村に送りますよ」
夕月ウサ先生が今度は脅してくるのだ。
高見沢は地獄村に送るよと脅されて、再び一所懸命訴える。
「まあまあまあ、ウサちゃん、そうムキにならずに、ねっ、アンタはんはキュートなバニーちゃんなんだから、優しく優しく。もっと他の燃脂メニューを紹介してちょうだいよ」
「だったらそうね、他は……、ウサギの餅つきかな」
夕月ウサ先生はそう言い放って澄ましている。
「先生、それって労働の分野に入るんじゃないかと思うのですが、もうちょっと娯楽の入った楽しいプログラムを頼むよ」
ぺったんぺったんの餅つき。
高見沢は、昔、年の暮れの寒い時に、時給の安いアルバイトをやったことを思い出した。
そのせいかもう一つ気が乗らない。
だが夕月ウサ先生は、高見沢の不満なんかにはお構いなしだ。
「それじゃウサギのダンス、これどうお? 月に向かって一晩中ぴょんぴょん跳ねるのよ。これって脳を攪乱し柔らかくすることにもなるのよ。高見沢さん、最近脳がカチンと固まってきてるでしょ」
「あのな、アンタ、俺のこと、ちょっとアホにしているんじゃない」
高見沢はもう切れそう。
「なにさ、高見沢さんの御要望通り娯楽も盛り込んだプログラムを紹介して上げているのに、ダイエットは多少苦痛が伴うこともあるのよ。いいオッチャンが、――、ちょっとは辛抱しなさいよ」
夕月ウサさんが可愛く怒り出した。
「はいはい、時には我慢するよ、だけど中級コースはちょっとお色気不足でパス。次の上級の究極コースを紹介してよ、……、お願い、バニーちゃん」
高見沢は誠心誠意を込めて手を合わせる。
「仕方ないわね、こんな厚かましい生徒初めてだわ」
夕月ウサちゃんは、もう諦め顔。
その後気持ちを入れ替えられたのか、きりっと背筋を伸ばされる。そして重みを付けて仰るのだ。
「それじゃ上級の究極コースよ、ようく聞いてちょうだい。それは別名――、【恋痩せ】コースとも言うのよ」
【恋痩せ】コース。
高見沢はそう聞いて、急に興味津々となる。
「それ面白そうじゃん、イッチャン俺に向いているかもな、それってどんなのよ?」
「高見沢さんには、まったくのまったく、無縁のコースと思いますけど」
夕月ウサちゃんはしつこく否定してきた。高見沢は突き放されて気に喰わない。
「なんでやねん、夕月ハン、恋をして痩せたら良いのだろ。思いっ切り恋に落ちて、ダイエットするというやつだろ。そんなん簡単なことだよ、……、ウサ先生となら、今からでもOKだよ」
高見沢は恋痩せコースをぜひ体験したいと申し入れた。そんな強い要望に、夕月ウサさんはすかさず言葉を返した。
「だってねえ、こんな関西弁のオッチャンじゃ――、私、イヤダー!」
夕月ウサはんは、随分はっきりともの申されるものだ。
「俺はまだ花も実もある、男の純情、人生真っ只中、俺ではなんで御不満なんだよ!」
高見沢はムカッときた。
「高見沢さん、悪いこと言わないわ、無理って」
夕月ウサ先生はまったく突き放してきた。
「どうしてよ?」
それでも高見沢は中年男、見苦しく喰い下がった。すると夕月ウサ先生はシャキッと背筋を伸ばし、高見沢に面と向かって説明する。
「もう少し詳しく申し上げますとね、この上級の恋痩せコースはね、実は女性向けのダイエットなの、わかる?」
「それってどういうことなんだよ?」
高見沢は理解できない。夕月ウサ先生はガキを諭すように話してくれた。
「これは、女性だけのためのダイエットでね、つまり激しく恋をして、女性がその身を焦がしてこそ、初めて効果が出るのよ」
さすが夕月ウサさんはプロのインストラクター。ここ一番では、思い切ったことを恥らいもなく言ってのける。
しかし高見沢は、話しが際どい分、余計に興味が湧いてきた。
「それって結構なお話しじゃん、だけどわからないよ。女性の場合、恋をして……、その身を焦がせば、それがなんで、女性だけのダイエットになるの? それって、どういうメカニズムなってるのかなあ?」
高見沢は充分に理解できず呟いた。
夕月ウサ先生はこんな疑問に真顔となり、答える。
「あのね高見沢さん、脳の中に視床下部って言う所があるでしょ。そこにはね、満腹中枢と愛中枢というのがあるのよ。特に女性の場合は、これら二つが近くにあってね、言い換えれば食欲と愛欲が非常に近接しているの。まあ愛欲と食欲が同居しているようなものね、――、それで、その二つの欲が互いに強く影響し合っていて、愛欲が満足されると食欲も満足されるのよ」
高見沢はそんな深淵なる女性の不思議を知らなかった。
目から鱗が……、いや鱗から目が落ちるほどの驚きだ。
「えっ、女性の脳って、そんな構造になってたのか。ということは、恋して、愛すれば愛するほど、つまりその身を焦がせば焦がすほど、愛中枢が近くにある満腹中枢に影響を及ぼし――、お腹も満腹と感じるようになるということ?」
高見沢は推測で確認してみた。
「高見沢さん、中年の割に回転早いじゃん、その通りよ。女性は恋して愛すれば、満腹中枢は刺激されっぱなしとなってね、24時間いつも満腹状態になるのよ。だから、もう食事なんかは不要なの。すなわちこの方法、恋をしてその身を焦がせば、スリムになれるのよ。したがって、この身を焦がす【焦身】こそが、女性だけのための究極ダイエットコースなの。理解できた?」
夕月ウサちゃんはこんな理屈をとうとうと述べて、大きく息を「ふー」と吐いた。
一方高見沢は、夕月ウサちゃんの熱弁をじっくり聞いていた。そして何を思い付いたのか、突然に話し始める。
「夕月先生、俺、このコースがめっちゃ気に入りました。それでなんですが、男の場合、その満腹中枢と愛中枢、それらがどれくらい影響し合っているのか、またどれくらい痩せられるのか確かめてみたいと思います。さっそくですが、先生を題材にして、そんな実験に取り組んでみたいのですが……、ご協力をお願いできませんか?」
これぞ錯乱状態。
もちろんウサ先生はこの要望に対し実に冷たかった。
「残念でした、高見沢さん、男の場合はね、それは単に、スケベなだけよ。そう、卑猥な心を満たそうとする邪悪な欲だけなんよ。だから男は構造的に、女と深い恋愛関係の中にあっても、餃子とラーメンライスをガツガツと、腹一杯食べられる野蛮人種なの。だから、男には――、恋痩せダイエットが成り立たないのよ」
高見沢は「そうなのか」と呟き、肩を落とした。
確かに男女の脳のメカニズムの違いは理解できた。しかし、やっぱり諦め切れない。
しばらくの熟慮の末、高見沢は新たなる提案を申し出てみる。
「先生わかりました。ならば、自分のためのダイエットでなくっても結構です。夕月ウサ先生の恋痩せダイエットのために、ぜひとも貢献させて欲しいと思いますが……」
夕月ウサちゃんはこんなアホな高見沢の提案を聞いて、目を丸くした。その後、きっちりと止めを指してくる。
「高見沢さん、はっきり言わせてもらいますよ。そのお年ではもう手遅れです。たとえこのコースで私のために頑張って頂いたとしても、高見沢さんは今も、そして未来も――、単なるオッサンなんですよ。だからね、決して私の身は焦げることはありません」
夕月ウサちゃんは学校の先生のような表情となり、明確に言い放ったのだった。
「あ~あ、もうダイエットの希望を失った」
高見沢は夕月ウサ先生に止めを刺されて、ひどく落胆。それを見ていた夕月ウサ先生、高見沢に優しく声を掛けてきてくれた。
「高見沢さん、まだ諦めないでね。男の究極ダイエットは何か、それを一緒に考えましょうね」
高見沢は、関西系サラリーマン、際立った性格は調子乗り。
こう優しく言われて、いきなりの蘇生。
反応よく、「う~ん、男の究極ダイエットね。それは、な~に?」と考え始める。しかし、なかなか答が見付からない。
そんな様子を
それに高見沢は殊勝に答えた。
「ああ、あるよ。ずっと夢を追いかけてきたし、これからも夢を追いかけて生きて行くつもりなんだけど」
そしてその後、はっと気付くのだった。
「先生、わかりました! 男の究極ダイエットは、夢痩せで~す!」
この回答を聞いた夕月ウサ先生、パチパチと手を大きく叩いて、そして一発ギャグを飛ばしてくる。
「アッタリ前田のクラッカー!」
「先生、それちょっと古典的過ぎないですか? それと、意味合いが微妙にズレているような気もしますが」
高見沢が突っ込んでみると、キュートな夕月ウサちゃんは、「そうお。オホホ、オホホのホ」だって。
高見沢はまたこの色気なオホホのホに、ヨ~レヨレーとなってしまう。
「高見沢さん、よくできました。答えは、夢痩せよ。男は毎日ね、夢を一杯食べて生きて行けば、いつも男の満腹中枢は満足状態で、身も心もダイエットできるのよ」
「夕月ウサ先生! 女の究極ダイエットは焦身の【恋痩せ】で、男の究極ダイエットは食夢の【夢痩せ】なんですね、わかりました」
「女の恋痩せ、男の夢痩せ その通りです。これで太嫌兎村のダイエット、初級の選食、中級の燃脂、上級の焦身食夢の全講座を終わりま~す」
夕月ウサ先生はそう締めくくって、元のセクシーなインストラクターに戻っった。
高見沢は1万円で充分満足した。
そして純情にも、「俺はもっともっと――、夢を食べて生きて行こう」、あらためてそんな決意をしたのだった。
これで夕月ウサ先生の座学を終了した。
その後、ダイエットの実トレーニングもさわりだけだったが、個人指導してもらった。
このようにして、高見沢は楽しく半日コースを終えたのだった。
「高見沢さん、いかがでしたか? 太嫌兎村の半日村民体験は、楽しかったですか?」
桃花ウサギ村長が訊いてきた。
「ああ、めっちゃオモロかったよ。いつの日かここの村民になりたいよなあ」
「高見沢さんならいつでも歓迎するわ。それでは最後になりますが、下界に戻っても、今日勉強してもらった通り、夢を毎日一杯食べて生きて行って下さいね。それで身も心もスリムにして下さい」
「はい村長さん、心を新たにして頑張ってみます」
「まっ、お利口さん……のこと」
さすが村長さん、いつも合いの手がまことにお上手。
「村長さん、ありがとうございました。もう時間ですから引き上げます」
高見沢は暇を告げた。
しかし、桃花ウサギ村長は少し心配そうな表情で答える。
「戻り方わかりますか? 今度はここへ来た時の反対よ、来た時に右だったら今度は左、左だったら右にへと正確に進路を選んで、元の国道に戻って下さいね。それとよく注意してね、最初の三叉路は、絶対に右に行っちゃダメよ。間違えれば地獄村に落ちて釜茹でだから、気を付けてね」
「ああ国道への戻り方ね、大丈夫、こんなこともあろうかと思って、来た道は岐路毎に右か左かを全部メモってありますから」
高見沢は自信あり気。
「そうなの、割にしっかりしているのね。さすが百戦錬磨のオッチャンサラリーマンだわ」
高見沢はこの辺が引き時かと思い、あっさりと挨拶する。
「はい、それでは―― ダイエット・ビレッジに ――、アディオス!」
村長さんはそれに簡単に応える。
「グッドラック(Good Luck !)」
こうして高見沢は、太嫌兎村からお暇するのだった。
高見沢は赤いトンガリ帽子の役場から外へ出て、車に乗り込んだ。もう辺りはとっぷりと暮れていた。
山と山の間には、高見沢が今まで見たことがないような大きくて、そして赤い満月がぽっかりと浮かんでいた。
高見沢はそれをじっと仰いで見てみた。
月では、ウサギの餅つきが始まっているようだ。
多分太嫌兎村と同様に、ダイエット中級コースの燃脂プログラム実行中なのだろうか。
「それにしても、この太嫌兎村の月はなんと赤いことか、――、異様に奇麗だよなあ」
後を振り返ると、桃花ウサギ村長と夕月ウサちゃんが大きく手を振ってくれている。
その周りでは、二人に
月明かりが盆地全体の桃の花を淡く照らし出し、ぼやっと太嫌兎村全体を包み込んでいる。実に摩訶不思議な光景だ。
高見沢の瞼の裏に、そんな情景が決して消えることなく残った。
そしてこれこそが、――、高見沢の永遠の残像となってしまったのだ。
太嫌兎村に別れを告げてから、三ヶ月の月日が流れた。
今高見沢は、オフィスでの一日の仕事を終えて、家路へとぶらぶらと歩いている。
見上げれば、ビルの谷間にぽっかりと白く干からびた都会の月がある。
高見沢はなぜか突然に、太嫌兎村での出来事を思い出した。
あの時出逢った夕月ウサちゃん。
その指導の下で、半日ダイエットコースを体験した。そして奇妙な満足感を覚えながら、もと来た三叉路の進路を慎重に選び国道に戻り着いた。
いわゆる下界へ、無事帰還したのだ。
あれから三ヶ月が過ぎてしまった。
高見沢は今、以前と変わらぬ普通のサラリーマンの生活に戻っている。
そして今日も、いつも通り仕事に追われて忙しかった。
それは単に多忙なだけで、その生き様はと言うと、イライラとタラタラが混ざり合った状態、言葉を換えれば惰性というようなもの。
【夢痩せ】
それは男の究極ダイエット・ライフ。
それからはほど遠い。
しかし、高見沢は最近反省している。
「こんな生活態度じゃダメだなあ、夕月ウサちゃんと村長さんに約束したように――、もっと夢を一杯食べて、身も心もスリムにして生きて行かないとなあ」
高見沢はそんなことを、ビルの谷間の向こうにある、白く干からびた月に向かってポロリポロリと呟いた。
太嫌兎村。
それは、高見沢が偶然迷い込んでしまった美しい村。
そこは、ひょっとしたら高見沢が長年探し求めてきたシャングリラだったのかも知れない。
しかし、もう一度訪ねて行けるかと言うと、自信がない。
国道を反れての一本道。
それをどんどんと進み、そしてその内に目の前に現れてくるいくつかの三叉路。
それらの岐路選択が迫られる。
高見沢は、そこへの道筋の手書きメモは持っている。
しかし、果たして前回とまったく同じように、間違いなく進路を選択し、太嫌兎村へ辿り着くことができるだろうか。
今度は地獄村に落ちてしまうかも知れない。
勇気が必要。
だが、高見沢は今、桃花ウサギ村長と夕月ウサちゃんに再会したいと強く思う。
あの桃の花が咲き乱れる桃源郷の風景。
帰りがけに見たあのぽっかりと浮かんだ赤い月。
その淡い月光の中で、スリムなバニーたちが手を振っていた。
その周りでは、白ウサギたちがぴょんぴょんと跳ねていた。
太るのが嫌な兎の村、それは――、太嫌兎村。
しかし、あれは一体何だったんだろうか?
だが、あの摩訶不思議な光景の中に、もう一度自分を置いてみたい。
また、バニーたちにもう一度会って、自分の夢を語ってみたい。
高見沢はそう思う。
そして遂に、高見沢は都会の白く干からびた月を眺めながら決心する。
「よーし、今度の土曜日に、太嫌兎村をもう一度訪ねてみよう。ずっと夢見ていたシャングリラ、そうだ、そこに夢の住まいを探してみよおっと」
高見沢は独りこう宣言し、そして実に軽い足取りで、雑踏の中へとさあっと消えて行った。
それはまるで ―― 夢一つを食べて ――、
身も心も500グラムほど、スリムになったかのように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます