第一章 ②
ライオネルとミリーを見送り、夕食もすませた夜。
シルフィアは母クレアに呼ばれ、彼女の部屋を訪れていた。
シンプルながらに気品を感じさせる部屋だ。
「シルフィア、今日は
「えぇ、いらしたわ」
「それで、どこまで進めたのかしら?
「……何の話?」
クレアの言わんとしていることが分からず、シルフィアが眉間に皺を寄せて
進めるとは何の話か、いったい何の首尾の報告を求められているのか。
わけが分からないと説明を求めれば、クレアの眉間にも皺が寄る。
むしろ、なぜ実の母にこんな顔をされなければならないのかと疑問が
だがそんな
「まさかとは思うけれど、ライオネル様に何もしていないの?」
「何も? えぇ、だってライオネル様を打ち
言い
うっかり
だがどういうわけか、クレアはシルフィアの言葉に「倒すべきよ!」と賛同してくるではないか。ぎょっとして彼女を見れば、やたらと
「お母様、物騒なことを言わないで」
「私の娘ならそれぐらいして当然よ!」
「当然だなんて、相手は公爵家のライオネル様よ!?」
「えぇ、だからそれぐらいしないといけないのよ!」
シルフィアとクレアが言い合う。
「ライオネル様を打ち倒すには、まだ必殺技を会得してないわ!」
「ライオネル様を押し倒すぐらいしてこそ私の娘よ!」
ほぼ同時に発せられた二人の言葉を最後に、室内が
そうしてしばらく
「押し倒す!? お母様、なんて事を言うの!」
「打ち倒すだの必殺技だの、貴女はせっかく私とエリオットの容姿を受け
クレアが
だがシルフィアにはそれを気にしている
それを
「私の娘なら、色仕掛けで公爵家の方を家に呼び、押し倒すぐらいの
「それはもう甲斐性どころの話じゃないわ」
「まったく、昔から体を
「
「そうだったわ、ライバルも居たのね。ならライバルであるミリー様を打ち倒して、ライオネル様を押し倒しなさい」
「娘にそんな
シルフィアがクレアを
だが彼女は反省する様子もなければ、自身の考えを
こんな
「いいことシルフィア。我がマードレイ家はあまり裕福でもないし、社交界でも地位が低いの。貴女に
「……お母様」
彼女の言うとおり、マードレイ家は貴族ではあるもののしがない男爵家だ。社交界での立場も低く、あまり好条件の縁談は望めそうにない。
それを
母の複雑な胸の内を
「お母様、そんな事を言わないで」
「シルフィア、貴女には十分な縁談を用意してあげられないの。でも母は貴女の幸せを
「後半は聞かなかったことにして良いかしら」
だがクレアは本気のようで、聞き流そうとするシルフィアに
もっともシルフィアとて物騒さでは負けないのだが、それはそれこれはこれ。
二児の母とは思えぬ美貌。
『私の娘なら美貌で良い男を落とせ』というのも
だけど……。
「それならお母様はどうなのかしら」
シルフィアが指摘すれば、クレアが意外なところを
マードレイ家は男爵家である。よく言って下の上、実際には下の中といったところだろう。
クレアも同等の生まれで、彼女とエリオットの
娘としてそれを否定するつもりはないが、さりとて「自分を見習え」と上から目線で言われるのも不服である。クレアの口調は、まるで男爵家の
それを指摘すれば、クレアは過去を思い出しているのか「そうねぇ」と少し間延びした声で
だが次の瞬間、まるで勝ち誇るような
「確かにエリオットは男爵家の子息でしかなかったわ。だけど当時の社交界で、エリオットほど令嬢達の視線を集める男はいなかったのよ」
「お父様が?」
どうして、とシルフィアが首を
だが一点、平凡とは言い難い
「……顔なの?」
「えぇ、顔よ。エリオットは当時からとにかく顔が良かったのよ。あの顔の良さの前には爵位なんてあってないようなもの」
断言するクレアの言葉に、シルフィアはわずかに考え込んだのち、納得したと
実の父を「顔が良い」と評価するのもおかしな話だが、そのおかしさすらも
いつまでも若々しく老いを
クレアを『二児の母とは思えない見た目』とするのなら、エリオットはもはや『老いているのか
「お父様、いまだに二十代に
「エリオットはあの顔の良さと若々しさで、社交界では『毎夜処女の生き血を
「毎晩ホットミルクを飲んでるのに」
父が社交界で人外
だがそれほどまでにエリオットは若々しく顔が良いのだ。
そんな彼が実際に若かった
「エリオットを取り合って、
「まさか実の父が
なるほどとシルフィアが頷く。
確かにそれほどの争いの末に結婚までこぎ着けたとなれば、
「だからシルフィア、母は
「令嬢としての逞しさ?」
「そう。エリオットを落とした時の私のような、令嬢としての強さ。すなわち『令嬢力』よ!」
「令嬢力!」
聞いたことのない単語に、シルフィアが声をあげる。
クレア
これを身につけねば社交界を生き抜けない。そう断言され、シルフィアは思わず自分の手のひらに視線を落とした。
自分に令嬢力はあるだろうか……。
学力やマナーは
いずれ
……だがそこに、『年頃の令嬢らしさ』はない。
とりわけあどけなさや愛嬌とは
令嬢力は
自覚すれば、察したのかクレアが厳しい口調でシルフィアを呼んだ。
「シルフィア、母は貴女の幸せのため、これから
ハンカチで目元を
次いでクレアは机へと向かうと、そこから一通の
思わず
「貴女に縁談の申し込みよ」
「私に? いったい誰から……」
「バトソン家のドム様からよ。年上の
泣き
その名を聞き、シルフィアはぎょっとして
質の良い
差出人は……。
今年六十歳になる、バトソン家のドム。
「お父様やお母様よりも年上じゃない!」
「ドム様ってば気持ちはお若いのねぇ」
ドム・バトソンは
変わり者の自由人と有名で、一度興味を
シルフィアも実際に彼を見かけたことは数えるほどしかなく、それも遠目に
クレア曰く、最近ドムは結婚に興味を持ち、相手を探しているという。数打てば当たると手紙を出しているらしく、それがマードレイ家に届き、今はシルフィアの手元にある。
クレアから話を聞き、シルフィアは改めて「絶対に
ドムの人間性を否定する気はない。
だが結婚となれば話は別だ。そもそも
「なんと言われようと、私はドム様とは結婚しないわ」
「ならば、令嬢力を
クレアが声高に断言する。
これにはシルフィアも彼女を睨み付けるしかない。
母の性格は嫌と言うほどわかっている。一度決めたら
「わかったわ。令嬢力を鍛え上げ、お母様を打ち
高らかな宣言と共に部屋を出ていくシルフィアを見送り、一人部屋に残されたクレアは座り直して冷めた紅茶に口をつけた。
それとほぼ同時にノックの音が室内に
「クレアさん、なにかあったの? さっきシルフィアが険しい顔で通路を歩いていったけど」
「ドム様から返事がきたから、あの計画を始動させたのよ」
「あ、あの計画を……!」
エリオットがクレアの話に
次いでシルフィアの
だがこれもシルフィアの将来のためだ。非道と言うなかれ。……そもそも。
「ドム様はよくこんな話にのってくれたね」
「婚約を迫るそれらしい手紙と、それとは別に大いに楽しんでいる手紙が届いたわ」
バトソン家からのものだ。一見するとシルフィアが持っていったものと同じに見えるだろう。
だが書かれている内容はまったく別物。あちらには結婚の申し出が書かれており、そして今クレアが手にしている一通には……、
この『計画』に喜んで一役買うという、なんとも楽しげな文章が
……そう、
「シルフィアってば、私が本当にドム様と婚約させると思っているのかしら」
「
「娘にとって、私は非道な母なのね……」
悲しい、とクレアがハンカチで目元を拭う。相変わらず
本人は『
「クレアさん、泣かないで! シルフィアも全てを知ったらクレアさんの
と、妻を
「ありがとうエリオット、優しいのね」
「もちろんだよ。クレアさん、
「えぇ、そうね。
夫に慰められ傷心の妻も
そうして
「社交界には、
彼の口調は
それに対し、クレアは
エリオット・マードレイはとにかく顔が良いが
そしてそれは、娘のシルフィアにしっかりと受け
「あの子もちょっと周囲を見れば自分がモテていることに気づくのに。……それとも、シルフィアに誰も近付かないようにしている人がいるのかしら」
昔の私みたいに、と小さく
母の部屋を飛び出し自室に
……ダンベルを両手に持ちながら。
「いやっ、やめてっ!!」
思わず悲鳴をあげ、ダンベルをベッドに
その音に、そしてまたも無意識に鍛えていたという事実に、シルフィアが
だが震えていても問題が解決するわけではない。
そう己に言い聞かせ、
「令嬢力を
そうして
日々を己を鍛えることに
だというのに、この世界は
しかもその闇には実の母が加担しているというのだから泣けてくる。
「なんとかしなくちゃ。それにミリー様のダイエットの件もある。……そうだわ!」
名案が
……次いで己の拳を「そういうところ!」と
そう己に言い聞かせ、拳を握りそうになるのを
鍛え上げはしたものの、シルエットは細くしなやか。日中に会ったミリー・アドセンとは真逆といえるだろう。
だが真逆なのは体形だけではない。
ミリーは確かに
そんな彼女の所作は一つ一つが
ミリーは体形こそゲームのヒロインからかけ離れてしまったが、中身は変わらない。
小動物のような可愛さをもつ、誰からも愛されるミリー・アドセンなのだ。
それこそまさにシルフィアが求めている令嬢力ではないか。
「ミリー様のダイエットに協力して、同時に令嬢力を鍛えていただけばいいのよ」
名案だとシルフィアの声が
「これぞ一石二鳥。いえ、石なんか投じないわ、
高ぶる気持ちを抑えきれず、強く握った拳を高らかに
かんちがい令嬢は転生先を間違える さき/角川ビーンズ文庫 @beans
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