第一章 ①

『トキメキこいがくえん~恋は乙女のたしなみですから!~』つうしよう『トキ恋』。

 とあるゲーム会社が開発したシリーズの一作だ。

 ストーリーは王道で、幼い頃に両親をくしこうしやく家に養女入りした令嬢ミリーが、貴族の学園に通い、そこで出会った男性キャラクター達と恋に落ちるというもの。

 定番であり王道。なおかつ本作はストレスをいつさい感じさせない『明るく楽しい作品』というテーマがいつかんされており、れんあいだけにかたよらずに友情もえがかれている。にぎやかでいて時に甘い、そんな理想的な学園生活。さらにれいで豊富なスチルも合わさり、トキ恋は人気を博した。

 主人公であるミリーは、公爵家という身分でありながら、元はいつぱんの出という立ち位置。そのため、貴族らしからぬ天真らんまんな一面を見せても「気さくで分けへだてなくやさしい」とめられ、公爵家らしい立ちいを見せれば「高貴でうるわしい所作」と褒められる。

 つまり、プレイヤーの気分を良くすることに特化していたのだ。


 シルフィア・マードレイはそのゲームに出てくる友人キャラクターである。

 天真爛漫で小動物のような愛らしさをもつ主人公ミリーとは対照的に、麗しく知的な美人。

 彼女がメインになってストーリーが動くことはないが、ずいしよに登場してはミリーの生活や恋をおうえんしてくれる、ゲーム上の説明役けんサポート係である。



「……だからどれだけきたえ上げても必殺技がでなかったのね」

 姿見に映るおのれに話しかけるようにシルフィアがポツリと呟いた。

 場所はマードレイ家の自室。あの後、心配するライオネルをどうにかし、急いで帰宅すると共に自室へと飛び込んで今に至る。

 正面に置いた姿見に映るのは、高等部の制服をまとう自分。

 見慣れた姿だ。それを見つめ、シルフィアは深いためいききながら制服に手をかけた。


 かない顔をしているが、シルフィアの見た目が悪いわけではない。

 つやのあるくろかみに同色のひとみ、整った顔つきは気高さを感じさせる。そしてそれに見合ったすぐれたスタイル。手足は長くしなやかで女性らしいくびれもある。胸元はいささかさびしい気もするが、そこまで望むのはぜいたくといえるだろう。

 年頃の令嬢はもちろん、一回り二回り年上の婦人達でさえ「そのスタイルを保つけつは?」とどうにか聞き出そうとするほどだ。

 このぼうを前に溜息を吐くなど、世界中の女性を敵に回すようなもの。

 ならばなぜここまでシルフィアが浮かない顔をしているのかといえば……。

「……鍛えすぎてしまったわ」

 呟くと共に、姿見に映った引きまった……を通りした、たくましい腹部、もとい立派な腹筋を見つめた。

 白くきめ細かなはだほどくびれて形の良いこし、ちょこんと線を描くへそ

 ……と、割れた腹筋。

 そう、腹筋が割れている。

 はなやかで格調高さを感じさせる制服の下には、立派な腹筋が隠されていたのだ。

 これも日々欠かさずおこなっているトレーニングのたまものであり、そしてそのトレーニングの日々こそ、シルフィアの溜息の原因でもある。




 シルフィアのめい的なかんちがいと逞しい肉体の始まりは、彼女が七歳の時だ。

 当時から麗しくせんさいさをただよわせていたシルフィアは、しんせきの集まりの輪から外れて一人で本を読んでいた。楽しそうな話し声が聞こえ、時には親達が手を振ってくれる。賑やかさと落ち着きのはざのようなゆうな一時である。

 そこに一人の男が近づいてきた。とおえんの親戚だ。シルフィアの父親よりも年上で、ひとふさも残っていないとうはつたるんだ体がより老いを感じさせる。だがあいきようのある気の良い男だ。

「やぁシルフィア、何を読んでいるのかな」

 優しく声を掛け、男がシルフィアの手元にある本を覗きこんでくる。

 その瞬間、キラリと光ったまぶしさにシルフィアは咄嗟に目を細めた。

 太陽の光が男の頭に反射して、それが眩しくて……。

 そして、シルフィアは思い出した。

 この世界は前世でプレイしたゲーム。

 貴族が戦うバトルアクション『社交界ロワイヤル』だと……。


『社交界ロワイヤル』通称『シャコロワ』。キャッチコピーは『れいに優雅になぐり合え』。

 乙女ゲームを開発していた会社が、なにを考えたのかとつぜん開発しだしたバトルアクションゲームである。開発会社のファンはおどろき、「公式がご乱心」とまで言い出していた。

 ゲームのたいは、戦う事で爵位をうばい合うというとんでもない規約を制定された世界。登場キャラクターは爵位は様々だがみな貴族で統一されている。ちなみにラスボスは公爵家子息であり、銀の髪にすい色の瞳、麗しい顔つきでありながらラスボスにあたいする強さを持っていた。

 そんなゲームの中に、シルフィアというキャラクターがいた。しがない男爵家のれいじようであり、本来であれば男児が戦うはずのところを、病弱な弟をかばって自ら戦いの中に身を投じた。麗しく品があり、それでいて勇ましい、まさに戦う女の理想だ。


 自分はそのシルフィアである。

 そしてこの世界は社交界ロワイヤル……。

 つまり、いずれあのとんでもない規約が制定され、社交界に戦いのあらしが巻き起こるのだ。爵位は文字通り己の手でつかみとる……。

「……私、戦わなきゃいけないんだわ」

 ポツリとつぶやき、幼いシルフィアは立ち上がった。

 親戚の男はその変化に気付かず、シルフィアが立ち上がったのを本にきたと思ったのか「ケーキがあるから食べにおいで」と微笑ほほえんで去っていく。

 だが今のシルフィアはケーキどころではない。

 せんめいによみがえったシャコロワのおく。とんでも世界観のバトルアクションゲームゆえに細かな設定こそ描かれていなかったが、記憶の限りではゲームのシルフィアは十七歳だった……。

 対して今のシルフィアは七歳。つまり、社交界ロワイヤル制度が制定されるまで、はっきりと言えば爵位を奪い合う戦いの日々が始まるまで、あと十年しかない。

「本なんか読んでいる場合じゃないわ!」

 急がなきゃ! とけ出すシルフィアの背を、だれもが「元気がいいわね」と微笑ましそうに見送った。




 それから十年。シルフィアは今まさに十七歳だ。

 社交界ロワイヤル制度が明日にでも発表されてもおかしくない。そうなれば社交界はこんとんとし、戦いの果てに強者が爵位を得る。

 ……はずだった。

 少なくともシルフィアはそう思っていたし、そうなる前提で今日まで過ごしてきた。

 戦いの日々のためにと鍛え、わざみがき、残すは必殺技という仕上がり具合。

 ちなみに、シャコロワにおけるシルフィアの必殺技は、決まったしゆんかんの花びらが舞う演出が設けられていた。華麗で優雅で、そしてりよくの強いこぶしいちげきである。

 そんな必殺技を習得するため技を磨いてきた。ところが実際のこの世界は『社交界ロワイヤル』ではなく、同じゲーム会社が製作した乙女おとめゲーム『トキメキ恋学園』ではないか。

 片やとんでもない設定のバトルアクションゲーム、片や王道乙女ゲーム、同じ会社が開発した貴族社交界が舞台のゲームとはいえ、これは真逆とさえ言える。

(……でも、それが分かったところで、いまさら乙女ゲームと言われてもどうすればいいの)

 ワンピースへとえつつ、シルフィアが溜息を吐く。

 人生設計がガラガラと音を立ててくずれている真っただなかなのだ、なげいてしまうのも無理はない。必殺技が出ないとふんとうしていたが、そもそも必殺技なんて出るはずがなかったのだ。

 思わず神をうらみ、自分に誤った記憶を思い出させた男の髪のない頭部をも恨んでしまう。

 だが恨んでいても事態は好転するわけでもなく、ここは前向きに考えようとシルフィアは深く息を吐いた。

 確かに勘違いをしてしまったが、争いが起こらないのは良いことではないか。

 それに……。

 ふとシルフィアののうに、学園内で楽しそうに過ごす生徒達の姿がよみがえった。

 たがいのいえがらも気にせず気さくに声をけ、じようだんわしては笑う。中にはあいしようで呼び合う者もおり、最近女子生徒の間ではおそろいのものを身に着けるのが流行はやっているとも聞いた。

 今までは、社交界に生きる者はいずれ敵になるのだと、親しい者を作らないようにと考えていた。

 友人と戦う羽目になるのなら、そもそも友人を作らなければいい。そう考え、楽しそうに過ごす生徒達を横目に、日々鍛えていた。

 だがもう鍛える必要はない。

「そうだわ、私だって友人を作ってもいのよね。きたえるだけの日々はもう終わりよ!」

 パッと視界が開けた気がして、シルフィアはダンベルを片手に明るい声を出した。

 ……ダンベルを片手に。

「いやっ!」

 思わず悲鳴を上げ、ダンベルをベッドへとほうり投げる。ボスンと音がして、その重さにシルフィアはおののいてしまった。

 なにせ無意識だったのだ。

 無意識にダンベルを手にし、無意識にダンベルを上下させてうでを鍛えていた。

 いずれくる争いの日のためにと鍛え上げていた十年間が、シルフィアの体に、いやそれどころか深層心理にすっかりとみ着いてしまっていたのだ。息をするようにトレーニングをしてしまう。

「違うわ……。ここは乙女ゲームなのよ……トレーニングはもうしないの……!」

 そう自分に言い聞かせ、シルフィアはダンベルから顔をそむけつつ──直視するとつい持ってしまいそうになる──窓辺へと向かった。

 カーテンを開ければさわやかな風が入り込む。なんて気持ちが良いのだろうか。そうかいかんを味わうように目を閉じる。

(考えてみれば、これは好機よ。マードレイ家は男爵家だけど貧しい思いはしていない、爵位を奪いあうこともない。これからは一人の令嬢として、恋と友情にあふれた乙女ゲームの中で生きていけるのよ!)

 新しい自分の誕生だ。

 そうシルフィアは気持ちを落ち着かせ、深く息を吸うと共にゆっくりと目を開き……、

「やぁ姉さん、どうしたんだい!」

 と、丸太をかついだ青年に声を掛けられた。

 弟のルーファス・マードレイである。

 厚いむないたたくましい腕。太い丸太を担いではいるが、重そうなりはなく、むしろセカンドバッグのような軽さを感じさせる。

 満面のみであいさつをしてくるルーファスに、シルフィアはクラリと目眩めまいを覚えた。

 彼もまたシルフィアのかんちがいの原因と成果である。

 なにせシャコロワのシルフィアには弟がいたのだ。病弱で戦えない弟、ゲームのシルフィアは彼の代わりに社交界ロワイヤルに参戦していた。

 ゆえに、実際のシルフィアは自らを鍛えると同時に、弟であるルーファスも鍛え上げた。

 病弱になると分かっている弟をそのままに出来るわけがない。共に鍛え、弟を健康に導くのも前世の記憶を思い出した者の務めである。

 ……そしてその結果、シルフィアの目の前でルーファスは丸太を担いでいる。

 それも、彼が丸太を担いでいるのは今日に限ったことではない。

「……ルーファス、可愛かわいいルー、今日も元気そうね」

「もちろんだよ!」

「そう……。弟が元気で姉は幸せだわ。それで、お父様にはないしよで庭に勝手に建てている小屋はどう?」

「もうすぐ完成さ。完成したら姉さんを一番に招待してあげるよ!」

 ばゆいほどの笑顔でルーファスが告げてくる。

 この笑顔、布が引っ張られパツパツと今にもはじけそうな肉体、男らしく勇ましく、それでいて建てた小屋に一番に招待してくれるというやさしさ。

 なんて良い弟だろうか、とシルフィアが目元をぬぐう。

 うっかりバトルアクション世界だと勘違いして歩んだ人生だが、弟を姉おもいのナイスガイに育てたことだけは間違いではなかったと断言出来る。

 そんなルーファスが「そういえば」と話を続けた。

「姉さんにお客さんだよ。そのために呼びに来たのに忘れてた」

「まぁ、ルーってばうっかりさんね。でもありがとう。どなたがいらしたのかしら」

「ライオネル様だよ! 僕、はじめてライオネル様に話しかけられちゃった!」

 興奮気味に話すルーファスの言葉に、シルフィアは「忘れてたわ!」とあわてて部屋を飛び出した。


 自室を出て急いでライオネルを待たせているという客室へと向かえば、とびらの前には父親がいた。そわそわと落ち着きなく行ったり来たりしている。

 マードレイ家当主、エリオット・マードレイ。異様に童顔で顔が良く、いまだに二十代にしか見えない外見をしている。現にシルフィアと並んでも兄妹きようだいと間違えられ、二児の父だとていせいしても冗談だと笑い飛ばされることが常なほどだ。

 そんな父はシルフィアを見つけると、慌てた様子で駆け寄ってきた。

「シルフィア! 公爵家のライオネル様が会いにいらっしゃってるぞ!」

「落ち着いてお父様。ライオネル様とは日中にお話をする約束をしていたのよ」

「そんな落ち着いていられるものか。ライオネル様が、わざわざシルフィアに……それも、『学園ではシルフィアじようと親しくさせて頂いています』とおつしやるじゃないか」

 ぎ早に話すエリオットを、シルフィアがおおだとなだめた。

 父も、もちろんライオネルの発言も、どちらも大袈裟だ。とりわけライオネルは『ごろから親しく』という言葉を三度もり返したという。

 繰り返すライオネルもライオネルだが、わざわざ数える父も父である。

「ライオネル様は私にたのみ事があるらしくて、その話をしに来ただけよ」

「だがな、シルフィア。公爵家のお方が、わざわざうちみたいな男爵家に来るなんてつうじゃ考えられないだろ」

「もう、お父様ってば考えすぎよ。ライオネル様は善意で、これといった考えもなく、ただ一生徒として、私に話しかけてくださっているだけなの。お父様が考えるようなことはこれっぽっちも無いわ」

 シルフィアが断言する。──そのしゆんかん、扉の向こうから「ぐうっ……」とうめき声のようなものが聞こえてきたが気のせいだろうか──

 それを聞き、エリオットが「そうか……」と小さくつぶやいた。期待をがれたような、それでいて安心したような、なんとも複雑そうなこわいろだ。宥めるように腕をさすってやり、シルフィアはわずかに考えたのちに「お母様がさがしていたわ」と彼に告げた。

 一瞬にしてエリオットの顔がパッと明るくなるのだから分かりやすい。ちなみに表情を明るくさせると彼はさらに若く見え、下手をすると十代後半に間違えられかねない。

「お父様といつしよにお茶をしたいんですって」

「そうか、クレアさんが私と……! それなら待たせたらいけないな!」

 ほわほわとかれたムードをかもし出し、エリオットが足早に去っていく。

 その周囲にハートマークが浮かび上がって見えるが、あれはげんかくだろうか。それとも浮かれ具合のなせるわざか。

 あの浮かれぶりを見るに、ライオネル訪問の件はいずれ頭の中から消えてしまうだろう。もしかしたらすでに消え去り、彼の頭の中は愛する妻とのお茶会だけがめているかもしれない。

(社交界ロワイヤル制度が制定されるのが、お父様の代じゃなくてよかったわ……)

 心の中で呟き、シルフィアがあんの息をいた。そもそも制定されないのだが、もし制定されていたとしたら、きっとエリオットはだれより先に敗退していただろう。

 彼は見目もやたらと若々しいが、言動も時に若々しくじゆんすいさにあふれている。……つまり単純である。自分の父親だとあくしていても、時折シルフィアは「もしかして、私の兄なんじゃ……」と疑ってしまうほどなのだ。

 そんなエリオットの去っていった先を見つめ、シルフィアは深く一息吐くと改めて扉へと向き直った。

 ライオネルがこの扉の先に居る。

 ……そして彼は、ミリー・アドセンを連れてきているはずだ。


 乙女おとめゲーム『トキメキ恋学園』の主人公。

 小動物のような愛らしさと優しさをもち、公爵家令嬢でありながらお高くとまることない純粋さもある。貴族の気高さとしよみん出のしつぼくさをあわせ持つ、ろうにやくなんによから愛される少女。

 プレイヤーを映す鏡でもあり、そして同時にせんぼうの存在でもある。

 そんなミリーがこの扉の向こうにいる……。

 シルフィアは気合を入れるとふるえる手で扉をノックし、ゆっくりと押し開けて中をのぞいた。

 そして、ライオネルのとなりに座る少女の姿を見て目を丸くした。

 ……正確に言うのであれば、ライオネルの隣でソファに座る、


 太くよこはばのある少女を見て、目を丸くした。


「ミリー……さま……?」

 目の前の光景が信じられずシルフィアが呟けば、ライオネルが立ち上がった。じやつかん立ち上がりにくそうなのは、ミリーの重さでソファが通常よりいくぶんしずみ込んでいるからだろうか。

「シルフィア、かしてしまったようで申し訳ない」

「い、いえ、私の方こそお待たせして申し訳ありません。それで……その……お隣の方が」

 シルフィアがおそる恐るうかがう。

 それを聞き、ライオネルの隣に座っていた少女が勢いよく立ち上がった。バウンッとソファがねたように見えたが気のせいだろうか。彼女が座っていた部分はやたらとへこんでいる。

「シルフィア……よね……?」

「え、えぇ、……シルフィア・マードレイと申します」

 いかに横幅があろうと相手は公爵家令嬢だ。失礼な態度はいけないと慌ててシルフィアがスカートのすそつまんであいさつをした。それに対してミリーも挨拶を返せば、彼女の茶色のかみがふわりとれる。

 髪はヘッドドレスのように編み込みがされており、そのうえ細いリボンがあしらわれている。見ればワンピースにも同色のリボンがかざられ、はなやかでセンスの良さを感じさせるかつこうだ。

 ……もっとも、ワンピースはかなり布地が引っ張られており、リボンも本来ならばひらひらと揺れるところをミチミチとっ張っているが。

「シルフィア、急に訪問してごめんなさい。でも会えてうれしいわ。どうしても貴女あなたと話がしたかったの」

 せきを切ったように話し出し、ミリーがシルフィアに近付くと同時に両手をつかんできた。

 その瞬間、シルフィアの口から「もちっ……!」という言葉がれたのは、ミリーの手があまりにもちもちしていたからだ。少しひんやりと冷たく、それでいて肉厚。はだのすべらかさと相まってなんとも言えぬかんしよく

 強さとたくましさを求め続けきたえ上げたシルフィアには無いものである。これはなかなか……と、あくしゆに乗じてミリーのもちもち具合をたんのうしてしまう。

「シルフィア、私どうしても貴女に助けてほしいの。……シルフィア?」

「助けとはいったいなんでしょうか、もちも……いえ、ミリー様」

 あやうくもちもち様と言いかけ、シルフィアが何とかして話を本題にもどす。

 ミリーの様子を見るに、なかなかにせつまった事態なのだろう。ひとまず宥めてソファに座らせるも、彼女はそわそわと落ち着きがない。

 チラとシルフィアを見たかと思えば、ひざに置いた自分の手へと視線を落としてしまう。かと思えば再び視線を上げて、自分を見下ろして……と繰り返すだけだ。

 ねたのか、彼女の隣に座るライオネルがやさしい声で「ミリー」と呼んだ。

「シルフィアに助けてほしいことがあったんだろう。その……よくわからないけど、ゲームがどうのって言ってたじゃないか」

「ゲーム?」

 ライオネルの発言にシルフィアがピクリとまゆを動かした。

 自分のもちもちの手を見つめていたミリーがうかがうように顔を上げ、じっとシルフィアを見つめてくる。長いまつげといろく大きなひとみ。全体的に肉がついてだいぶもっちりみちみちしているが、乙女ゲームの主人公ミリーのおもかげは確かにある。

「そうなの……。シルフィア、実は私には不思議なおくがあってね……。信じてもらえないかもしれないけど、どうか話を聞いてくれないかしら」

 うように告げてくるミリーに、シルフィアはまさかという言葉を飲み込みつつ先を待った。


 ミリーの口から出たのは、案の定『トキメキ恋学園』だった。

 彼女が前世の記憶をよみがえらせたのは数日前。ライオネルと転入について話をしていた時だ。

 学園に着いたらどこに行こう、何をしよう……と話に花がく中、ライオネルが嬉しそうに「転入したら真っ先にシルフィアをしようかいするよ」と告げてきた。

 シルフィア・マードレイ。彼からいくとなく名前を聞いていただんしやくれいじよう。今までは伝聞でしかなかった彼女に実際に会えるとなり、ミリーは自分とシルフィアが並ぶ光景を想像し……。

 次の瞬間、なぜか覚えのあるその光景に、奥底にしずんでいた記憶が一気にじようしたのだ。

 そして同時に、自分の体形に絶望した。

 ゲーム内のミリーはがらで細い少女だった。対して自分のもっちり具合といったらない……。用意した制服も特注サイズで、それも若干布がパツパツとしている。在学中にボタンがはじけ飛ぶ可能性を考え、予備のボタンも多めに用意しておいた。

 あまりにもトキ恋のミリーとちがいすぎる。これではゲームのような恋は出来ない。

 それどころか……。

かんどうエンドをむかえてしまうかもしれないの……」

 ポツリとつぶやかれたミリーの言葉に、シルフィアののうにゲームの情報がまた一つよみがえった。


【勘当エンド】と呼ばれるそれは、『トキ恋』内で迎えるエンディングの一つ。

 ミリーが恋も勉学も自分みがきもいつせいしなかった場合、たいな生活を公爵家からとがめられ勘当されてしまう。数多あまた用意されたエンディングの中、ゆいいつのバッドエンドと言えるだろう。

 といっても、作品はプレイヤーにストレスをあたえないことをてつていしており、この結末もこくな末路というわけではない。ゲーム内のミリーも「これから先、何が待っているのかしら!」と前向きにとらえてゲームは終わる。


「今の私はその未来に一番近いのよ……。こんな体じゃ……!」

 自分の体を見下ろし、ミリーがぎゅっとこぶしにぎった。もっとも、もちもちの彼女の手は強く握られたところでやわらかそうで、おんも『ぎゅっ』よりも『もにゅっ』の方が近い。──それを見て、シルフィアは今朝食べた白パンを思い出した──

 だがミリーのもちもちの手は震えており、彼女がどれだけ不安をいだいているのかが分かる。

 ゲーム中では数あるエンディングの一つ、それもゲーム内のミリーは未来に希望をいだしていた。だが実際にそれを迎えるとなれば彼女が不安を抱くのも無理はない。

 とりわけミリーは幼いころに両親をくしており、そのうえ養子えんぐみしてくれた家から勘当となればまさにてんがいどく。未来に希望どころか、直近の生活すらも危うくなってしまうのだ。

 そんな胸中を察し、シルフィアはミリーの手に自分の手をえた。

「ミリー様、お気持ちお察しいたします。私に出来ることがあればぜひおつしやってください」

「シルフィア……いいの? 初めて会ったばかりなのに……」

「えぇ、お任せください。それに『シルフィア』は『ミリー』をサポートする役割ですから」

 じようだんめかして告げれば、ミリーが瞳をパチンとまばたかせた。

 予想外のことを言われたと言いたげな表情だ。次いでシルフィアの言わんとしていることを察し、「貴女も……?」とたずねてきた。

 シルフィアが深く一度うなずいて返す。もちろんこれは『自分にも乙女おとめゲームの記憶がある』という返事だ。

 ……ややこしくなるので、余分な記憶社交界ロワイヤルについてはこの場では言わないでおく。──仮にミリーにもあのゲームの記憶があったとして「貴女、あんなとんでもないゲームをしていたの?」と言われかねないからだ。ぐぅの音も出ない──

 シルフィアがミリーの問いかけに頷いて返したのをきっかけに、室内にシンとみような静けさが広がった。見ればミリーは信じられないと言いたげな表情をかべている。

 だがしばらくすると事態を理解したのか、だいに表情を柔らかなものに変えていった。

 ふっくらとしたほおがほんのりと色付いている。

「そうなのね……。シルフィア、貴女がいつしよでよかった」

「えぇ、私もです。ミリー様のお力になれるよう、がんります」

 シルフィアがミリーの目を見つめて告げれば、彼女はほっとあんの息をいた。

 そんな中、「ちょっといかな」とひかえめな声が割って入ってきた。

 ライオネルだ。彼はなんとも言いにくそうな表情をし、シルフィアとミリーにこうに視線を向けてくる。けんにはしわが寄っているが、それもふくめて様になっているのはさすがである。

「相変わらず俺は何一つ分からないんだが、シルフィア、君もミリーと同じなのか? その……前世のゲームとか記憶がどうのってやつだ」

 分からないなりに理解しようとはしているのか、ライオネルが歯切れの悪い口調で尋ねてくる。首をかしげつつなのは、自分で口にしておきながらも今一つピンとこないからだろう。

 無理もない。むしろばかげたたわごとだと切り捨てず理解しようとしているあたり、彼の誠実さが窺える。

 だがいくら理解する気はあっても、前世の記憶がないライオネルには難解な話だ。そもそもこの世界には乙女ゲームそのものが存在せず、ゲームといえばカードゲームやボードゲーム程度である。第三者からしてみれば、ぱらいの戯言よりもこうとうけいに感じるだろう。

 それを一から説明するのは……とシルフィアが眉間に皺を寄せた。

「なんと説明すれば良いのか難しいところです。ライオネル様を困らせるわけにはいきませんし、いっそこの件は忘れていただいて、私とミリー様だけで」

「理解した! とにかく前世には君達に関するゲームがあって、それの通りにミリーをせさせないといけないんだよな! 俺は理解してるからだいじようだ!」

 さきほどまで難しい表情をしていたというのに、とつぜんライオネルが立ち上がり力強く答える。

 これにはシルフィアもきょとんと目を丸くした。そのうえライオネルがずいとめ寄ってくるものだから、されて思わず「ご理解いただけたようでなにより」と返してしまう。

 ちなみに詰め寄られたことでとつに拳を握ってしまったが、それはいつもの事である。さっとおのれの背中に拳をかくしておいた。

「理解しているから大丈夫だ。だから俺も協力する」

 詰め寄ってくるライオネルのはくといったらない。

 さわやかな好青年で通っているはずが、すい色の瞳には必死な色合いさえ見える。

「そ、そうですか……。でしたら、ぜひライオネル様にもご協力をお願いいたします」

「あぁ、もちろんだ。一緒に頑張ろう。一緒に!」

 妙に『一緒に』の部分を強調しつつ話すライオネルに、シルフィアの胸に疑問がく。

 いったいどうしてそこまで必死なのか……。

 だがそれを問うより先に、ミリーが「よかったぁ」と声をあげた。安堵を前面に押し出した、なんとも気のけた声だ。

 シルフィアも同じきようぐうと知ってきんちようが解けたのか、くてんと力を抜いてソファに座っている。もとより柔らかな彼女が今はけてしまいそうなほどで、白いはだと合わさってこのままとろけて生クリームになりかねない。

「シルフィアが協力してくれなかったらと不安だったのよ。食事ものどを通らなかったわ」

「まぁ、そうだったんですか」

「もしかしたら、あのままでも気苦労で瘦せてたかもしれないわね。お兄様なんて心配しすぎて、逆に自分の体調をくずしてしまったのよ」

 不安が解消された反動なのか、ミリーが大変だったと楽しそうに話す。

 トキ恋のおくを思い出し、現状との差に不安を抱き気落ちするミリー。それを兄は心配し、不安のあまり体調を崩す。アドセン夫妻も子どもたちを心配し落ち着きなく……と、りようようの地にあるアドセン家のしきは数日波乱のなかにあったらしい。

 そんな中、おとずれたのがライオネルだ。ミリーいわく、ライオネルはおさなじみであり『トキ恋』の登場キャラクターでもある。事情を話すならば彼しかいないと考え、こっそりと打ち明けたのだという。

 そしてライオネルをたよりシルフィアにつないでもらい、今に至る。

「ライオネルにたのんで良かったわ」

 安堵と共にミリーがライオネルに礼を告げる。

 次いでおもむろにかばんからラッピングされたぶくろを取り出し、包まれていたマフィンを食べ始めた。一口また一口と進め、食べ終えるや二つ目のマフィンを取り出す。

「不安でマフィンも一日三個しか食べなくて、それにクッキーも一日二箱しか開けなかったのよ。あとケーキも三切れしか食べられなかったし、夕飯だっておかわりしなかったわ」

 不安ゆえに小食になっていた、とミリーがうつたえる。

 あくまで小食の訴えだ。

 彼女の基準では、とちゆうしやくが入りそうなところではあるが。

 シルフィアからしてみれば想像しただけで胃もたれしそうな話のうえ、その間もミリーはマフィンを平らげている。その食べっぷりはごうかいの一言にきる。

「ラ、ライオネル様……ミリー様のこの食べっぷりは……」

 シルフィアがひきつった表情でライオネルに問えば、彼はチラととなりの幼馴染に視線を向けたのち、せいだいためいきを吐いた。

「シルフィア、おどろかないでくれ。ミリーはちょっと人より食べるというか、喉を通らないと言いつつしっかり食べていたというか、おかわりをしなかったと言っても元々彼女の食事は二人前が基本というか……。だが瘦せたいという気持ちは本当だ、どうか協力してやってくれ」

 頭を下げかねない勢いでライオネルが頼み込んでくる。

 彼の話に、シルフィアはぜんとしながらミリーを見つめた。彼女はすでに四つ目のマフィンを手にしている。

 流れるような動き、止まることのないしやく。もはやマフィンは流動体のように彼女の中へと消えていく。

 その光景をながめ、シルフィアはおだやかに微笑ほほえんだ。

「ダイエットがんばりましょうね、ピギー子豚様」

「シルフィア、ミリーだ。ミリー・アドセン」

 ピギーはやめてやってくれ、とライオネルが切なげに訴えてくる。

 そんな彼の訴えとほぼ同じタイミングで、ミリーが四つ目のマフィンを吸引……もとい、食べ終えた。

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