第一章 ①
『トキメキ
とあるゲーム会社が開発したシリーズの一作だ。
ストーリーは王道で、幼い頃に両親を
定番であり王道。なおかつ本作はストレスを
主人公であるミリーは、公爵家という身分でありながら、元は
つまり、プレイヤーの気分を良くすることに特化していたのだ。
シルフィア・マードレイはそのゲームに出てくる友人キャラクターである。
天真爛漫で小動物のような愛らしさをもつ主人公ミリーとは対照的に、麗しく知的な美人。
彼女がメインになってストーリーが動くことはないが、
「……だからどれだけ
姿見に映る
場所はマードレイ家の自室。あの後、心配するライオネルをどうにか
正面に置いた姿見に映るのは、高等部の制服を
見慣れた姿だ。それを見つめ、シルフィアは深い
年頃の令嬢はもちろん、一回り二回り年上の婦人達でさえ「そのスタイルを保つ
この
ならばなぜここまでシルフィアが浮かない顔をしているのかといえば……。
「……鍛えすぎてしまったわ」
呟くと共に、姿見に映った引き
白くきめ細かな
……と、割れた腹筋。
そう、腹筋が割れている。
これも日々欠かさずおこなっているトレーニングの
シルフィアの
当時から麗しく
そこに一人の男が近づいてきた。
「やぁシルフィア、何を読んでいるのかな」
優しく声を掛け、男がシルフィアの手元にある本を覗きこんでくる。
その瞬間、キラリと光った
太陽の光が男の頭に反射して、それが眩しくて……。
そして、シルフィアは思い出した。
この世界は前世でプレイしたゲーム。
貴族が戦うバトルアクション『社交界ロワイヤル』だと……。
『社交界ロワイヤル』通称『シャコロワ』。キャッチコピーは『
乙女ゲームを開発していた会社が、なにを考えたのか
ゲームの
そんなゲームの中に、シルフィアというキャラクターがいた。しがない男爵家の
自分はそのシルフィアである。
そしてこの世界は社交界ロワイヤル……。
つまり、いずれあのとんでもない規約が制定され、社交界に戦いの
「……私、戦わなきゃいけないんだわ」
ポツリと
親戚の男はその変化に気付かず、シルフィアが立ち上がったのを本に
だが今のシルフィアはケーキどころではない。
対して今のシルフィアは七歳。つまり、社交界ロワイヤル制度が制定されるまで、はっきりと言えば爵位を奪い合う戦いの日々が始まるまで、あと十年しかない。
「本なんか読んでいる場合じゃないわ!」
急がなきゃ! と
それから十年。シルフィアは今まさに十七歳だ。
社交界ロワイヤル制度が明日にでも発表されてもおかしくない。そうなれば社交界は
……はずだった。
少なくともシルフィアはそう思っていたし、そうなる前提で今日まで過ごしてきた。
戦いの日々のためにと鍛え、
ちなみに、シャコロワにおけるシルフィアの必殺技は、決まった
そんな必殺技を習得するため技を磨いてきた。ところが実際のこの世界は『社交界ロワイヤル』ではなく、同じゲーム会社が製作した
片やとんでもない設定のバトルアクションゲーム、片や王道乙女ゲーム、同じ会社が開発した貴族社交界が舞台のゲームとはいえ、これは真逆とさえ言える。
(……でも、それが分かったところで、
ワンピースへと
人生設計がガラガラと音を立てて
思わず神を
だが恨んでいても事態は好転するわけでもなく、ここは前向きに考えようとシルフィアは深く息を吐いた。
確かに勘違いをしてしまったが、争いが起こらないのは良いことではないか。
それに……。
ふとシルフィアの
今までは、社交界に生きる者はいずれ敵になるのだと、親しい者を作らないようにと考えていた。
友人と戦う羽目になるのなら、そもそも友人を作らなければいい。そう考え、楽しそうに過ごす生徒達を横目に、日々鍛えていた。
だがもう鍛える必要はない。
「そうだわ、私だって友人を作っても
パッと視界が開けた気がして、シルフィアはダンベルを片手に明るい声を出した。
……ダンベルを片手に。
「いやっ!」
思わず悲鳴を上げ、ダンベルをベッドへと
なにせ無意識だったのだ。
無意識にダンベルを手にし、無意識にダンベルを上下させて
いずれくる争いの日のためにと鍛え上げていた十年間が、シルフィアの体に、いやそれどころか深層心理にすっかりと
「違うわ……。ここは乙女ゲームなのよ……トレーニングはもうしないの……!」
そう自分に言い聞かせ、シルフィアはダンベルから顔を
カーテンを開ければ
(考えてみれば、これは好機よ。マードレイ家は男爵家だけど貧しい思いはしていない、爵位を奪いあうこともない。これからは一人の令嬢として、恋と友情にあふれた乙女ゲームの中で生きていけるのよ!)
新しい自分の誕生だ。
そうシルフィアは気持ちを落ち着かせ、深く息を吸うと共にゆっくりと目を開き……、
「やぁ姉さん、どうしたんだい!」
と、丸太を
弟のルーファス・マードレイである。
厚い
満面の
彼もまたシルフィアの
なにせシャコロワのシルフィアには弟がいたのだ。病弱で戦えない弟、ゲームのシルフィアは彼の代わりに社交界ロワイヤルに参戦していた。
ゆえに、実際のシルフィアは自らを鍛えると同時に、弟であるルーファスも鍛え上げた。
病弱になると分かっている弟をそのままに出来るわけがない。共に鍛え、弟を健康に導くのも前世の記憶を思い出した者の務めである。
……そしてその結果、シルフィアの目の前でルーファスは丸太を担いでいる。
それも、彼が丸太を担いでいるのは今日に限ったことではない。
「……ルーファス、
「もちろんだよ!」
「そう……。弟が元気で姉は幸せだわ。それで、お父様には
「もうすぐ完成さ。完成したら姉さんを一番に招待してあげるよ!」
この笑顔、布が引っ張られパツパツと今にも
なんて良い弟だろうか、とシルフィアが目元を
うっかりバトルアクション世界だと勘違いして歩んだ人生だが、弟を姉
そんなルーファスが「そういえば」と話を続けた。
「姉さんにお客さんだよ。そのために呼びに来たのに忘れてた」
「まぁ、ルーってばうっかりさんね。でもありがとう。どなたがいらしたのかしら」
「ライオネル様だよ! 僕、はじめてライオネル様に話しかけられちゃった!」
興奮気味に話すルーファスの言葉に、シルフィアは「忘れてたわ!」と
自室を出て急いでライオネルを待たせているという客室へと向かえば、
マードレイ家当主、エリオット・マードレイ。異様に童顔で顔が良く、いまだに二十代にしか見えない外見をしている。現にシルフィアと並んでも
そんな父はシルフィアを見つけると、慌てた様子で駆け寄ってきた。
「シルフィア! 公爵家のライオネル様が会いにいらっしゃってるぞ!」
「落ち着いてお父様。ライオネル様とは日中にお話をする約束をしていたのよ」
「そんな落ち着いていられるものか。ライオネル様が、わざわざシルフィアに……それも、『学園ではシルフィア
父も、もちろんライオネルの発言も、どちらも大袈裟だ。とりわけライオネルは『
繰り返すライオネルもライオネルだが、わざわざ数える父も父である。
「ライオネル様は私に
「だがな、シルフィア。公爵家のお方が、わざわざうちみたいな男爵家に来るなんて
「もう、お父様ってば考えすぎよ。ライオネル様は善意で、これといった考えもなく、ただ一生徒として、私に話しかけてくださっているだけなの。お父様が考えるようなことはこれっぽっちも無いわ」
シルフィアが断言する。──その
それを聞き、エリオットが「そうか……」と小さく
一瞬にしてエリオットの顔がパッと明るくなるのだから分かりやすい。ちなみに表情を明るくさせると彼は
「お父様と
「そうか、クレアさんが私と……! それなら待たせたらいけないな!」
ほわほわと
その周囲にハートマークが浮かび上がって見えるが、あれは
あの浮かれぶりを見るに、ライオネル訪問の件はいずれ頭の中から消えてしまうだろう。もしかしたら
(社交界ロワイヤル制度が制定されるのが、お父様の代じゃなくてよかったわ……)
心の中で呟き、シルフィアが
彼は見目もやたらと若々しいが、言動も時に若々しく
そんなエリオットの去っていった先を見つめ、シルフィアは深く一息吐くと改めて扉へと向き直った。
ライオネルがこの扉の先に居る。
……そして彼は、ミリー・アドセンを連れてきているはずだ。
小動物のような愛らしさと優しさをもち、公爵家令嬢でありながらお高くとまることない純粋さもある。貴族の気高さと
プレイヤーを映す鏡でもあり、そして同時に
そんなミリーがこの扉の向こうにいる……。
シルフィアは気合を入れると
そして、ライオネルの
……正確に言うのであれば、ライオネルの隣でソファに座る、
太く
「ミリー……さま……?」
目の前の光景が信じられずシルフィアが呟けば、ライオネルが立ち上がった。
「シルフィア、
「い、いえ、私の方こそお待たせして申し訳ありません。それで……その……お隣の方が」
シルフィアが
それを聞き、ライオネルの隣に座っていた少女が勢いよく立ち上がった。バウンッとソファが
「シルフィア……よね……?」
「え、えぇ、……シルフィア・マードレイと申します」
いかに横幅があろうと相手は公爵家令嬢だ。失礼な態度はいけないと慌ててシルフィアがスカートの
髪はヘッドドレスのように編み込みがされており、そのうえ細いリボンがあしらわれている。見ればワンピースにも同色のリボンが
……もっとも、ワンピースはかなり布地が引っ張られており、リボンも本来ならばひらひらと揺れるところをミチミチと
「シルフィア、急に訪問してごめんなさい。でも会えて
その瞬間、シルフィアの口から「もちっ……!」という言葉が
強さと
「シルフィア、私どうしても貴女に助けてほしいの。……シルフィア?」
「助けとはいったいなんでしょうか、もちも……いえ、ミリー様」
ミリーの様子を見るに、なかなかに
チラとシルフィアを見たかと思えば、
「シルフィアに助けてほしいことがあったんだろう。その……よくわからないけど、ゲームがどうのって言ってたじゃないか」
「ゲーム?」
ライオネルの発言にシルフィアがピクリと
自分のもちもちの手を見つめていたミリーが
「そうなの……。シルフィア、実は私には不思議な
ミリーの口から出たのは、案の定『トキメキ恋学園』だった。
彼女が前世の記憶をよみがえらせたのは数日前。ライオネルと転入について話をしていた時だ。
学園に着いたらどこに行こう、何をしよう……と話に花が
シルフィア・マードレイ。彼から
次の瞬間、なぜか覚えのあるその光景に、奥底に
そして同時に、自分の体形に絶望した。
ゲーム内のミリーは
あまりにもトキ恋のミリーと
それどころか……。
「
ポツリと
【勘当エンド】と呼ばれるそれは、『トキ恋』内で迎えるエンディングの一つ。
ミリーが恋も勉学も自分
といっても、作品はプレイヤーにストレスを
「今の私はその未来に一番近いのよ……。こんな体じゃ……!」
自分の体を見下ろし、ミリーがぎゅっと
だがミリーのもちもちの手は震えており、彼女がどれだけ不安を
ゲーム中では数あるエンディングの一つ、それもゲーム内のミリーは未来に希望を
とりわけミリーは幼い
そんな胸中を察し、シルフィアはミリーの手に自分の手を
「ミリー様、お気持ちお察しいたします。私に出来ることがあればぜひ
「シルフィア……いいの? 初めて会ったばかりなのに……」
「えぇ、お任せください。それに『シルフィア』は『ミリー』をサポートする役割ですから」
予想外のことを言われたと言いたげな表情だ。次いでシルフィアの言わんとしていることを察し、「貴女も……?」と
シルフィアが深く一度
……ややこしくなるので、
シルフィアがミリーの問いかけに頷いて返したのをきっかけに、室内にシンと
だがしばらくすると事態を理解したのか、
ふっくらとした
「そうなのね……。シルフィア、貴女が
「えぇ、私もです。ミリー様のお力になれるよう、
シルフィアがミリーの目を見つめて告げれば、彼女はほっと
そんな中、「ちょっと
ライオネルだ。彼はなんとも言い
「相変わらず俺は何一つ分からないんだが、シルフィア、君もミリーと同じなのか? その……前世のゲームとか記憶がどうのってやつだ」
分からないなりに理解しようとはしているのか、ライオネルが歯切れの悪い口調で尋ねてくる。首を
無理もない。むしろばかげた
だがいくら理解する気はあっても、前世の記憶がないライオネルには難解な話だ。そもそもこの世界には乙女ゲームそのものが存在せず、ゲームといえばカードゲームやボードゲーム程度である。第三者からしてみれば、
それを一から説明するのは……とシルフィアが眉間に皺を寄せた。
「なんと説明すれば良いのか難しいところです。ライオネル様を困らせるわけにはいきませんし、いっそこの件は忘れていただいて、私とミリー様だけで」
「理解した! とにかく前世には君達に関するゲームがあって、それの通りにミリーを
これにはシルフィアもきょとんと目を丸くした。そのうえライオネルがずいと
ちなみに詰め寄られたことで
「理解しているから大丈夫だ。だから俺も協力する」
詰め寄ってくるライオネルの
「そ、そうですか……。でしたら、ぜひライオネル様にもご協力をお願い
「あぁ、もちろんだ。一緒に頑張ろう。一緒に!」
妙に『一緒に』の部分を強調しつつ話すライオネルに、シルフィアの胸に疑問が
いったいどうしてそこまで必死なのか……。
だがそれを問うより先に、ミリーが「よかったぁ」と声をあげた。安堵を前面に押し出した、なんとも気の
シルフィアも同じ
「シルフィアが協力してくれなかったらと不安だったのよ。食事も
「まぁ、そうだったんですか」
「もしかしたら、あのままでも気苦労で瘦せてたかもしれないわね。お兄様なんて心配しすぎて、逆に自分の体調を
不安が解消された反動なのか、ミリーが大変だったと楽しそうに話す。
トキ恋の
そんな中、
そしてライオネルを
「ライオネルに
安堵と共にミリーがライオネルに礼を告げる。
次いでおもむろに
「不安でマフィンも一日三個しか食べなくて、それにクッキーも一日二箱しか開けなかったのよ。あとケーキも三切れしか食べられなかったし、夕飯だっておかわりしなかったわ」
不安ゆえに小食になっていた、とミリーが
あくまで小食の訴えだ。
彼女の基準では、と
シルフィアからしてみれば想像しただけで胃もたれしそうな話のうえ、その間もミリーはマフィンを平らげている。その食べっぷりは
「ラ、ライオネル様……ミリー様のこの食べっぷりは……」
シルフィアがひきつった表情でライオネルに問えば、彼はチラと
「シルフィア、
頭を下げかねない勢いでライオネルが頼み込んでくる。
彼の話に、シルフィアは
流れるような動き、止まることのない
その光景を
「ダイエットがんばりましょうね、
「シルフィア、ミリーだ。ミリー・アドセン」
ピギーはやめてやってくれ、とライオネルが切なげに訴えてくる。
そんな彼の訴えとほぼ同じタイミングで、ミリーが四つ目のマフィンを吸引……もとい、食べ終えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます