かんちがい令嬢は転生先を間違える

さき/角川ビーンズ文庫

プロローグ

 その名前を聞いたしゆんかん、シルフィア・マードレイは思い出した。

 この世界は前世でプレイした乙女おとめゲームであり、自分はそのゲームの中で主人公を支えるサポート役の友人だと。

 そして思い出すと同時に理解した。


 この世界は、貴族が戦うバトルアクションゲームではないということを……。


 


 話はシルフィアのおくがよみがえる数分前にさかのぼる。

 シルフィアが帰宅しようと学園の通路を歩いていたところ、背後から声をけられた。「シルフィア、少しいかな?」というひかえめな言葉にり返れば、そこに居たのは一人の青年。

 銀のかみすい色のひとみ。まるで物語の王子様のような整った顔つきの青年に、シルフィアはスカートのすそまみこしを落としてあいさつをした。

「ごきげんよう、ライオネル様。どうなさいました?」

 うやうやしいシルフィアの挨拶は社交界ならば当然の対応だ。だれもが見事だとめただろう。

 だが高等部の通路ではかたくるしすぎる。とりわけ二人ともドレスやスーツではなく一生徒として制服をまとっているのだ。貴族の学園らしくはなやかな制服ではあるが、それでも着慣れたもの。生徒からしてみれば私服同然。

 それを纏いつつもぎようぎようしい挨拶をするシルフィアに、ライオネルがおおだとしようかべ、学友なのだからもっと気楽にと告げてきた。

 年相応の青年らしく、気さくでやさしい口調。だがそれに対してシルフィアは首を横に振って返した。黒髪がふわりとれる。

こうしやく家のライオネル様に適当な挨拶などできません」

「だけど、俺達はだんから話をしている方だとは思わないか? 確かにたがいの家のこともあるが、ここでは俺も君もたんなる生徒なんだし、友人としてねない挨拶をわしても問題はないだろ」

「友人だなんてとんでもない!」

 ライオネルの言葉に、シルフィアが思わず声をあげた。

 確かにライオネルとシルフィアは同じ学園に通う身、それも同じ学年のクラスメイトだ。互いのりようしようさえあれば、いえがらの差があろうと気楽に接しても問題はない。家柄にとらわれず友情を築く、らしい話ではないか。

 だけど……とシルフィアはチラと周囲に視線をやった。

 数人の男子生徒が遠巻きにこちらの様子をうかがっている。彼らはシルフィアに話しかけてくることなく、きよを取って見つめてくるだけだ。ひそひそとささやきあう声は聞こえてくるが、あいにくと内容までは分からない。

(いつもこうだわ。遠巻きに見てくるだけで、私から挨拶をしても生返事しかしないのよね)

 近寄るでもなく、かといってはなれるわけでもない。時折やたらと熱く見つめてきたかと思えば、ふとした瞬間にはいきいている。それが何人も、日にいくもどころかほとんど常に。

 シルフィアからしてみれば、訳が分からず、そして気分の良いものではない。

 そんな周囲からの視線を感じつつ、シルフィアはライオネルに向き直った。

 男子生徒は殆ど遠巻きに見つめてくるだけだが、彼は別だ。

「ライオネル様はりつしている私をづかい、こうやって声を掛けてくださっているんですよね。私、きちんと理解しております」

「いや、そんなことはない。君のことを大事な友人だと思ってる」

「友人だなんてそんな。ご安心ください、ライオネル様を友人だなどと烏滸おこがましいかんちがいはいたしません!」

「力強く断言しないでくれ……!」

 うぐぅ……とうめきつつ、ライオネルがむなもとを押さえる。

 それを見てシルフィアは首をかしげ、「どうなさいました?」とたずねた。いったいどうしてライオネルがここまで苦しんでいるのか分からない。

 そもそもなぜ声を掛けてきたのか。それを問えば、胸を押さえてうつむいていたライオネルがパッと顔を上げた。

「君にたのみ事があるんだ。聞いてくれるかな」

「頼み事……。もちろん、ライオネル様の頼み事でしたら。何でもおっしゃってください」

「俺の頼み事なら……。そうか、ありがとうシルフィア。やはり持つべきものは友だな」

「まぁ、友だなんておだてなくてだいじようですよ。公爵家であるライオネル様の頼み事を断ったとあれば、お母様にしかられてしまいますもの。ちかって友人だなどと勘違いは致しません」

「ここにきて追加のいちげき……!」

 再びライオネルが胸元を押さえて呻く。今すぐにたおれてもおかしくないほどの苦しみようだが、シルフィアにはどうして彼が苦しんでいるのかさっぱりである。むしろそれほど具合が悪いのなら、自分に声をかけずに医者にでも掛かるべきではなかろうか。

 そう思えどもひとまず彼の話を聞こうと考え、うながすようにライオネルを見上げた。

 銀の髪によくえる翡翠色の瞳。見目の良さと合わさってなんてまばゆいのだろうか。

 黒髪に同色の瞳という黒一色のシルフィアに比べて、彼はまるでかがやく宝石のようだ。

 性格や家柄も、片や友好的で社交界の中心にいる公爵家、片や常に一人で学園生活を送る男爵家。なにからなにまで真逆といえる。

 そんなライオネルをじっと見つめていると、自然とシルフィアのこぶしに力が入った。

「それで話なんだが……。シルフィア、どうして君は俺と話をする時に拳をにぎるんだ?」

「まぁ、失礼いたしました。これは……さがです」

さが

「もしくは私の中に流れる血のせいでしょうか……。とにかく、ライオネル様の用件をうかがってもよろしいでしょうか」

 拳を握る時ではない。

 そう自分に言い聞かせてシルフィアが話の続きを待てば、ライオネルが一度せき払いをして改めるように話し出した。

「実は明日あした、俺のおさなじみが転入してくるんだ。どうやらシルフィアに頼みがあるらしくて、少し話を聞いてやってくれないかな」

「ライオネル様の幼馴染ですか?」

 予想もしない話に、シルフィアは首を傾げながら尋ね返した。

 いわく、その幼馴染は昔からこんにしている公爵家のれいじようらしい。今までは病弱な兄と共にりようようの地で生活していたが、明日この学園に転入してくる……と。

「転入が決まった時は楽しみだと喜んでいたんだが、先日会ったら思いめたような顔をしていて。話を聞こうにもわけの分からないことを言うし、果てにはシルフィアに相談したいと言い出したんだ」

「私に……。もちろん構いませんが、なぜ私なんでしょうか」

 社交界に生きる令嬢として、そしてこれから起こる出来事のため、貴族の顔と名前は殆ど記憶している。それが格上の公爵家ならばなおさらだ。

 だがライオネルが話す公爵令嬢については思い当たる節がなく、そのうえどうして単なる男爵家令嬢でしかない自分に相談となるのか、かいもく見当もつかない。

 それはライオネルも同じなのか、シルフィアが問うように見つめると困ったと言いたげに頭をいた。銀の髪が揺れる。公爵家子息らしくなく、それでいてとしごろの青年らしい仕草だ。

「実を言うと俺もくわしくは分からないんだ。なんだか変な話をしたかと思えば、どうにかシルフィアとの仲を取り持ってほしいと頼み込んできて」

「まぁ、そうだったんですね」

「あやふやな話で申し訳ない。どうか相談にのってくれないだろうか」

 ライオネルが軽く頭を下げて頼み込んでくる。

 本来、公爵家子息から男爵家令嬢への頼みとなれば、たけだかに命じてもいいぐらいだ。むしろ互いの家柄の格差を考えれば『やって当然』と考えていてもおかしくない。

 それでも低姿勢で頼んでくるライオネルのしんさに、シルフィアは深くうなずいて返した。

 こんわくを見せていた彼の表情が、シルフィアの了承を得ていつしゆんにして明るくなる。

 そのがおのあどけなさ。社交界では年頃の令嬢達がそろってほねきにされると言われている。なるほどこれはごわそう……とシルフィアは内心でつぶやき、強く握った拳を背中にかくした。

「ありがとう。それなら一度帰ってミリーを連れて君の家におじやさせてもらうよ」

「お待ちしております。……ミリー?」

 聞き覚えのない名前に、シルフィアがオウム返しのように口にした。

 初めて聞いた名前だ。おくをひっくり返しても『ミリー』という名前の知人はいない。

(だけどなぜかしら、みようむなさわぎがするわ……)

 自分の記憶の奥底で何かがよみがえろうとしているかん。幼少の頃の……いや、これは幼少期よりもさらに昔の記憶……。

 そんな言い知れぬざわつきを胸の内に覚えるシルフィアに対し、ライオネルがおだやかに笑って話を続けた。

「彼女の名前を教えてなかったな。俺の幼馴染、ミリー・アドセンだ」

「ミリー……アドセン……」

 その名前を口にした瞬間、シルフィアの胸にいていた違和感が一瞬にして消え去った。

 それと同時に流れ込む様々な記憶。

 今の自分ではない自分があやつる、こいの物語……。


 そして思い出した。

 この世界は前世でプレイした乙女おとめゲームであり、自分はそのゲームの中で主人公を支えるサポート役の友人だと。

 そして思い出すと同時に理解した。


 この世界は、貴族が戦うバトルアクションゲームではないということを……。


「どうしましょう、私、勘違いしていたわ……」

 弱々しい声でシルフィアが呟けば、ライオネルが不思議そうに顔をのぞき込んできた。

 それに対してもとつに拳を握りしめてしまう。

 この握った拳こそ、まさに勘違いのあかしである。

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