第20話 にゃんっ!?


 放課後。


 俺たちは屋敷に帰ったが、学院に忘れ物をしてしまったと気がついた。



「すみません、バルツさん。忘れ物を取りに戻ってもいいでしょうか?」

「構いませんよ。アイリス様はすでに屋敷にいますし、私もいますので」

「あれ? ルーナ先輩はまだ戻ってきていないのですか?」

「そうですね。ルーナはまだですが……確かに、おかしいですな。彼女はいつも、帰宅は早いはずなのに……」


 ルーナ先輩の帰宅は、いつも俺たちと同じかそれによりも早いくらい。少し遅れることも珍しくはないのだが、ここ最近は屋敷に戻ると彼女はすでに帰宅している。


 そのため、俺はふと疑問に思ったのだ。


「学院にいるようでしたら、一緒に戻ってきます」

「はい。では、お気をつけて」


 制服姿のまま、俺は屋敷を出ていく。俺としてはアイリス王女の護衛ということで、学院のみならず基本的には彼女と一緒にいる。


 それがこうして一人で学院にくるとなると、少しだけ新鮮さを感じる。


 できるだけ早く忘れ物を取り帰ろうと思っていた俺は、走りながら学院へと向かう。


 放課後ということもあるが、部活動などをしている生徒もいるのでそれなりにまだ人は残っていた。


 そして、学院に到着すると自分の教室へと向かう。


「あった。あった」


 机の中に教科書を発見。これは明日の試験の科目なので、今日中に回収しておきたかったのだ。


 俺はその教科書を手に取ると、教室を出ていく。外からは、夕暮れ特有のオレンジ色の光が差し込んでいた。そして、外では運動部だろうか。懸命に部活動に励んでいる姿が見えた。


 そんな様子をじっと見つめる。


 少しだけありもしない未来を考えると俺はそのまま教室を出ていく。


「……戻ろう」


 ボソリと呟くと、屋敷へと帰ろうとするが……俺の耳には猫の鳴き声が聞こえてきたのだ。


 にゃあ、というか細い声が耳に入ってきた。


「猫?」


 学院の中に猫がいる話は聞いたことがない。別にこのまま無視して帰ってもよかった。しかし、俺の脳内にはある懸念が過ぎる。



 帰ってこないルーナ先輩。

 学院内で聞こえてくる、普段は聞かない猫の声。



 まさか、と確認のためにも俺は声が聞こえてくる方向へと歩みを進めることにした。


 流石に校内は閑散としているので、すれ違う生徒はいない。そして俺は、ルーナ先輩を探すためにも一度だけ声を出してみることにした。


「ルーナ先輩。いるんですかー?」


 反響。


 廊下に響くその声は、虚しく反響するだけだった。


「気のせいか」


 と思って帰ろうとした瞬間、再び「にゃあ」と声が聞こえてきたのだ。


 視線の先にあるのは空き教室。ここは基本的には使われていない教室であり、誰もいないはずだ。


 しかし、そこから間違いなく猫の声が聞こえてきたのだ。


 俺はゆっくりとその扉を開けると、教室内をキョロキョロと見渡す。するとそこには……女子生徒の制服と、チラッと窺うようにして俺を見つめる茶色い猫がいたのだ。


「……ルーナ先輩! 学院で猫になったんですかっ!?」


 慌てて近づいていく。ルーナに対してしゃがみ込むと、そのつぶらな瞳を見つめる。


「にゃにゃっ!(サクヤ……っ!)」


 猫となっているルーナ先輩は自分のことをその小さな手で指して、制服をぽんぽんと肉球で叩く。


「ふむふむ。制服を回収して、連れて帰って欲しい……? とのことですか」

「にゃんにゃん(そうそう)」


 うんうんと頷く。完全ににゃんしか言っていないが、おおよそ何が言いたいのことは理解できる。


「しかし、ルーナ先輩」

「にゃ?(ん?)」

「自分はこの教科書を取りに戻っただけで、カバンがありません」

「にゃ、にゃーんっ!!?(な、なんですってーっ!?)」


 それが何を意味するのか。猫になったルーナ先輩は、ガーンと大袈裟に頭を抱える。一見すれば、猫がその動作をしているのでとても愛らしく思えるのだが、実際のところ大問題であった。


 それは、俺が女子生徒の制服を持ってこの学院を出ていくしかないということ。


 猫を抱えて出ていくのならばまだしも、流石に異性の制服を持ち出している様子は目撃されてしまえば、職員室へ連行されるのは間違い無いだろう。


「どうしましょうか」

「にゃ……にゃにゃ……(う、ううぅん……)」


 手を顎に当てて、思考に耽る猫ルーナ先輩。彼女のその様子に、俺は釘付けになっていた。もともと動物は好きであり、特に猫は大好きなのでじっと彼女を見つめる。


 そしてつい、頭をよしよしと撫でてしまう。


「にゃ……!? (今はそんなことをしてる場合じゃないわよっ!)」


 彼女はそう抗議するが、にゃんとしか声が出ないのでどうしようもない。そしてついに、俺は喉を優しく撫で始める。


「にゃ、にゃん……! にゃ、にゃぁ……(ちょ、ちょっと……あ、あんっ!)」


 その抵抗虚しく、ルーナ先輩は撫でられるがままになると思いきや……。


「シャーッ!!」


 その鋭い爪で、俺の腕を軽く引っ掻いてくる。


 おっと……ついやりすぎたみたいだ。


「うわっ! す、すみません。あまりにも先輩がもふもふで可愛いので、夢中で」

「にゃ、にゃーっ! (気をつけなさいよねっ!)」


 と、その肉球をポフポフと俺に叩きつけるてくる。


 そのような一悶着があり……とりあえずは彼女の制服を腹に忍ばせて、ルーナ先輩は頭に乗せて帰るという結果に落ち着いた。


 はっきり言って変人そのものなのだが、こればかりは背に腹は変えられないだろう。


 そして俺は腹痛に苦しんでいるような格好で、廊下を進んでいく。頭にはぺろんとした形で、ルーナが乗っかっていた。


 彼女としても本当に不本意なのだろうが、こればかりはどうしようもなかった。



「あら? サクヤじゃありませんこと?」



 ビクッと震える。目の前にいるのは、カトリーナ嬢だった。彼女のそのオレンジ色の髪は、この夕焼けと相まってより一層綺麗に見えた。


 しかし今は、彼女に構っている場合ではない。


「フォンテーヌ様。これはどうも。では、失礼します」


 何事もなかったかのように、去ろうとするが……流石に膨れたお腹を抑えて、頭に一匹の猫を乗せている俺は普通ではない。


 声をかけるのは至極当然のことだろう。


「お待ちなさい?」


 横を通り過ぎたところで、彼女は止まるように声をかけてきた。冷や汗が止まらないが、とりあえずはその場にピタッと静止する。


「あなた、その格好はなんですの? お腹を抱えて、頭には猫の乗せて」

「えっとその……お腹は体調が悪くて。頭の猫は、なんというべきか。あ! 野良猫ですね。な?」


 と、頭にいるルーナ先輩に声をかける。


「にゃ、にゃ〜ん」


 人が猫になってしまうという現象は有名なものではないらしい。そもそも、妖精猫ケット・シーの数はこの王国でもそれほど多くはない上に、ハーフとなるとさらに数は減る。


 カトリーナ嬢がそのことを知らないのも、無理はなかった。俺もルーナ先輩に聞いて初めて知ったことだしな。


「ふ〜ん。あなた、本当に変わっていますのね」

「ははは……そうですね。では、自分はこれで」

「お待ちなさい。わたくしは、まだ聞きたいことが──」

「す、すみませんっ! このままだとお腹が破裂するので、失礼しますーっ!」


 脱兎の如く逃げ出す。後ろでは、「ちょっと、お待ちなさーいっ!」という声が響き渡っていた、俺たちは無事に屋敷に帰ってくることに成功するのだった。


 そしてルーナ先輩を彼女の部屋へと連れ戻るのだった。


「先輩。なんとか無事に帰ってこれましたね」

「にゃ〜ん」


 猫ルーナ先輩はお礼をしているのか、猫の両手をぴったりと揃えて頭を下げる。一見すれば土下座のようにも見えてしまうので、俺はすぐに大丈夫だと告げる。


「先輩、大丈夫ですよ! 困ったときは、お互い様ですから」


 と、その言葉を告げた瞬間。


 ぼふんと大きな音を立てて、魔素マナが溢れ出す。もちろんそこに出てくるのは、一糸纏わぬ彼女の姿だった。



「あ……あぁ……っ!!」



 胸を隠して、わなわなと震える。俺もただ呆然とするしかなかった。


 ルーナ先輩はただじっと、泣きそうに震えているだけだった。


「……す、すみません! 自分はこれでっ!」


 俺はすぐに部屋を去って行くと、その部屋からはいつも以上に大きな悲鳴が聞こえてくるのだった。


 猫になった先輩との接し方は、本当に考えないといけないな……最後にそんなことを思った。


 

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