第19話 彷徨亡霊──レヴナント──


 深夜。


 蒸気が立ち込める時刻がこの王国には存在している。


 濃霧時刻ヘヴィーフォグモーメント


 それは蒸気と魔素マナが絡み合うようにして生み出される謎の現象。その瞬間だけは、異常なまでの蒸気にその場は包まれる。


 もっともそれは、王国全体に発生する現象ではなく局所的なものだ。


 しかし、問題は──それに伴って彷徨亡霊レヴナントが発生するということだった。


 彷徨亡霊レヴナントを討伐した際にもらえる報酬は破格だ。


 対応しているのはSランクギルドである【聖薔薇騎士団ハイリッヒローゼンナイツ】がほとんどだが、金目当てにそれを探している魔法師も存在している。



「へへ。今日こそは、彷徨亡霊レヴナントをぶっ殺してやるぜ」

「あ、兄貴ぃ……本当に大丈夫なんですかぁ?」

「任せておけ。それに、俺たちは伊達にAランクギルドじゃねぇ。お前ももう少しシャキッとしろっ!」

「へ、へいっ!」


 二人の男性。


 彼らはAランクギルド所属のメンバーだ。その実力はもちろん、魔法師の中でも上位に入るのは間違いはない。上位ギルドに所属するには確かな実力が必要なのだから。


 そんな二人は手柄を自分だけのものにしようとして、彷徨亡霊レヴナントを狩りに来ていた。


 まだ戦ったことはない。しかし、自分たちはAランクギルド所属である。その自信によってこの場にやってきている。


 魔法剣ウォンドを構える。二人が持っているのは、中剣ミドル。もちろん、特別受注品オーダーメイドである。


 濃霧時刻ヘヴィーフォグモーメントは一定の周期でやってくる。それを予想し、こうして路地裏に生じている濃霧の中へと進んでいく。



「へへ……やっとだ。今まで【聖薔薇騎士団ハイリッヒローゼンナイツ】の奴らが独り占めしてたからな。今回ばかりはそうはいかねぇぜ」

「そうっスね! 兄貴の言うとりっス!」


 そして、二人で歩みを慎重に進める。今までペアでずっと魔物を狩ってきた実績がある。今回も同じようにできる。そう思い込んでいた。


 しかし──



「ん? 兄貴、急に黙ってどうしたんスか?」


 今までずっと話をしていたのに、急に後ろから声が聞こえなくなる。不穏に思って、後ろを振り向くとそこにいたのは……。



 彷徨亡霊レヴナント



 真っ黒なローブのようなものを羽織り、その顔は決して見えることはない。さらに特筆すべきなのは、纏っている漆黒の魔素マナだ。溢れ出るそれは、明らかに尋常ならざるもの。


 今まではアンデッド系の魔物と定義されていたが、これは本当にそうなのか……? と、男は思った。


 そして、その彷徨亡霊レヴナントの中から人の手が出てきていたのだ。


「あ、兄貴ッ!!?」


 その日の夜。


 二人の魔法師が行方不明者リストに登録されることになった。



 †



 休日が明け、月曜日がやってきた。あれから魔法剣ウォンドを注文し、数週間後に取りに行くことになっている。


 そして学院にやってくると、すでにそこでは俺とカトリーナ嬢の決闘の噂が広まっていた。



「ねぇ聞いた?」

「あの噂のこと」

「うん。何でも、フォンテーヌ様とあの護衛が戦ったんだって」

「でも護衛の方が負けたんでしょ?」

「そうそう。やっぱり、【聖薔薇騎士団ハイリッヒローゼンナイツ】は特別だよね」



 それは主に、カトリーナ嬢を称賛する噂であった。一方の俺といえば、この学院では悪い方で目立ち続けていた。黒い髪に黒い瞳。この学院では唯一の東洋出身。


 さらには、あの呪われた聖王女カースド・プリンセスの護衛という立場。それだけも目立つ要素は多かったのに加えて、決闘が行われたのだ。


 生徒たちの噂は一年生の間だけではなく、上の学年にまで広がっていた。


「あの護衛。魔法がろくに使えないんだろう?」

「あぁ。動きは悪くないらしいが、魔法師らしい戦い方じゃなかったらしいぜ?」

「それで護衛なのか? 本当はただの壁役とか?」

「はははっ! それは間違いないなっ!」


 嘲笑されるのは、もはや当たり前のことになっていた。教室に行くまでの短い間であっても、その噂は俺の耳に入ってきていた。


 いつものようにアイリスと共に教室に入ると、中にいる生徒の視線が俺に向かう。依然としてそれは、俺を軽んじているものに違いはなかった。


「何だか、日に日に酷くなってるわね」

「申し訳ありません。アイリス様」

「そういう意味じゃないのっ! もう……サクヤは本当に頑張ってくれているのに。周りはそれを分かってくれないなんて」


 ボソッと漏らすその言葉。


 それに対して、俺はニコリと柔らかい笑みを浮かべるのだった。


「アイリス様。大丈夫です。自分はあなたに理解されているだけで、十分なのですから」

「サクヤ……」


 熱い視線が交わされる。


 そうしていると、俺の目の前には彼女がやってくるのだった。


「サクヤ。この前はどうも」

「フォンテーヌ様。この前はとてもいい経験になりました。ありがとうございました」


 立ち上がると、彼女に向かって一礼をする。その丁寧な所作を見ても、彼女が満足することはなかった。


 あの決闘の真実。それを彼女は知りたいのだろう。



「はい。みんな席についてね。今日も授業を始めますよ」


 予鈴が鳴り響く。カトリーナ嬢は俺に何かを聞きたかったようだが、タイミングが悪かった。そのまま、「ふんっ!」といいながら彼女は自分の席へと戻っていた。


 その際に俺はこの前と同じように、カトリーナ嬢の聖剣に対して視線を注ぐ。



 ──【聖剣──不滅の炎剣フェニックス】。おそらく……彼女はまだ真の意味で能力を解放できていないのだろう。



 俺のその分析は的を射ていると思っている。


 本来ならば、【原初の刀剣トリニティ】を解放した時点で俺の敗北は必至。ただの量産型の魔法剣ウォンドで太刀打ちできるほど、【原初の刀剣トリニティ】は伊達ではない。


 しかし、俺は十分に肉薄し戦いを繰り広げることができた。


 それは別にカトリーナ嬢が加減をしたわけではない。彼女はまだ、【原初の刀剣トリニティ】を扱いきれていない。おそらくはそれが真実だろう。


 情報は大いに越したことはない。俺はそう考えていた。


 授業も無事に終わり、放課後となった。俺たちはすぐに帰宅しようと思い、そのまま学院を出ていこうとする。


 その際に生徒たちが何かを囁いているのが聞こえてきた。しかしそれは、俺の噂などではなかった。



「どうやら、彷徨亡霊レヴナントの噂が広まっているようですね」

「そうね。今まではこんなことはなかったのに……」

「そうなのですか?」


 俺がそう尋ねると、アイリス王女はその質問に答える。


「えぇ。彷徨亡霊レヴナントの存在が確認されたのは、二年前。でも、ここまで活動的ではなかったはず。一体、何が起こっているのかしら?」

「そういえば、アイリス様は彷徨亡霊レヴナントと出会ったことがあるとか。大丈夫だったのですか?」

「はい。その時は【聖薔薇騎士団ハイリッヒローゼンナイツ】の方と一緒だったので、対処してもらいました。私はチラッとしか見えませんでしたが」

「……そうですか」


 深く追求したいところではある。


 特に、【聖薔薇騎士団ハイリッヒローゼンナイツ】の誰と一緒だったのか……ということは。


 だが俺は、自分に冷静努めるように言い聞かせる。


 ──落ち着け。ここは不用意に、探りを入れるべきではない。まだ時間はある……。


 アイリス王女のあの発言。彼女は何か知っているのかもしれない。だからこそ、まだ不用意な行動は慎むべきだろう。


 そして俺はすぐに話題を切り替えるのだった。


「もう少しでテストが始まるようですね。アイリス様は授業についていけてますか?」

「ふふんっ! 私は優等生なので、大丈夫ですよっ!」


 胸を張って、自分はできるのだということをアピールするアイリス王女。そんな彼女の姿を見て、思わず俺は笑ってしまう。


「ふふっ……」

「ちょっと、どうして笑うのっ!?」

「すみません。アイリス様が可愛らしくて、つい」

「可愛いっ……! ふ、ふ〜ん。ま、まぁそう思ってるんならいいけど? ふふ」


 金色の髪を指にくるくると巻きつける彼女は、少しだけ顔が赤くなっていた。


 学院に慣れてきた俺たち。


 しかし、こんなささやかな日常がずっと続くわけはなかった。


 【原初の刀剣トリニティ】を巡る戦いが本格化するのは、そう遠くない未来なのだから。




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