第13話 定期検診


「それにしても、少し遅いですね」

「そうね。何かあったのかしら?」


 俺たちはリビングで来客を待っていた。


 ルーナ先輩とバルツさんは今日の食事当番なので、二人は厨房で夕食の調理をしている。そして俺は、特に予定もないのでアイリス王女のあることに付き添っているのだ。


 そして、二人でそう話しているとベルの音が鳴り響くのだった。


「あ。いらしゃったみたいね」

「そのようですね。自分がお迎えにあがります」

「うん。お願いね」


 俺は一人で来客に対応するために玄関へと向かう。そうして扉の鍵を開けて、来訪者の方を確認する。


「ベルター=ブランシュ様で間違いないでしょうか」

「うん。僕がそうだね。噂には聞いていたけど、本当に若い人がアイリス様の護衛になったんだね」

「サクヤ=シグレと申します。よろしくお願いいたします」

「シグレくんだね。よろしく」


 丁寧に一礼をした。


 俺の前に立っているのは、ベルター=ブランシュという人だ。その容貌は一見すれば、ただの若い男性にも思える。真っ黒なスーツ姿に、シルクハット。それに小さな黒いマントを羽織っている。


 それはまさに、紳士と形容するのに相応しい姿。


 身長は少し高めで、170センチ後半と言ったところだろうか。また、顔も男性にしては中性的だがしっかりと整っている。


 そんな彼の容姿の中でも目立つのは、その片眼鏡だろう。右目だけに取り付けられている小さな眼鏡は、いやでも目立ってしまう。


「では、案内いたします」

「うん。お願いするよ」


 そうして俺はブランシュさんをアイリス王女の元へと案内するのだった。


「ドクター。今日もよろしくお願いいたしますね」

「いえいえ。アイリス様の体調を見るのが、私の務め。むしろ光栄な話です」


 ニコリと人の良さそうな笑みを浮かべる


 そう。アイリス王女にドクターと呼ばれている彼は、彼女専属の医者である。


 アイリス王女は呪われた聖王女カースド・プリンセスとして有名ではあるが、今はしっかりとそれを抑えることができている。それは別に本人がそう思い込んでいるわけではない。


 月に一度のドクターの定期検診に基づいた発言でもあるのだ。


「それにしても、ドクターに見てもらい始めてもう二年になりますね」

「はい。アイリス様は当時から美しいお人でしたが、さらにその美しさに磨きがかかっているようですね」

「もうっ、からかわないで下さいっ!」


 そんな他愛のないやりとりを交わす。その様子を見て、俺はアイリス王女が彼のことを本当に信頼しているのだ理解した。


 話には聞いているが、ドクターは若くしてこの王国内でも最も優秀な医者の一人として数えられている。


 彼は魔法を使用した魔法医療の最先端技術を身につけているのだ。


 魔法を医療に応用することは今に始まったことではない。しかし、魔法剣ウォンドの台頭もあって医療技術もまた飛躍的に進歩しているのが今の王国だ。


「それでは、いつものようにお願いしますね」

「はい。お任せを」


 芝居がかったように、大袈裟に手を振るって受け入れる様子を見せる。


 彼が小さな鞄から取り出すのは短剣ショート


 それをスッと彼女の前に向けると、魔素マナが微かに発光し始める。


「……」


 その様子を俺もじっと見つめる。


 これは一種の確認作業。彼が保有している魔素マナを、相手の中へと流し込む。そこで何か異常があれば、その魔素マナが黒くなって溢れ出す。


 病気の程度にもよるが、酷い場合には漆黒の魔素マナが溢れ出すというのが診断の概要らしい。それは先んじてルーナ先輩に聞いている。


「大丈夫ですか?」

「はい。問題ありません」


 互いに椅子に座って向かい合っている状況。そして、彼の魔法剣ウォンドから溢れ出すのは……純白の魔素マナだった。


 魔素マナには色によって性質が変化するのだが、その中でも白系統の色は聖なる属性の証。だからこそ、アイリスは王女でありながら聖女とも呼ばれているのだ。


 それからしばらくの時間が経過した。


「はい。もういいですよ」

「ありがとうございました」


 定期検診は無事に終了。ドクターは鞄から一枚の紙を取り出す。それはいわゆる、カルテなのだがそれにアイリス王女の現状を書き込んでいるようだ。


 彼女を担当するようになってから二年。今までは逃げ出す呪われた聖王女カースド・プリンセスということもあって、逃げ出す医者も多かったのだが彼はこうして真摯にアイリスに付き合っているらしい。


 伊達にこのフレイディル王国で優秀な医者として知られているわけではない、ということだろか。


魔素マナは一度も濁ることはありませんでしたね。むしろ私が担当している時は一度もその傾向が見られないので、【魔剣】と一体化しているとは思えませんけどね」

「そうですね。成長するにつれて、聖女としての能力が覚醒したのでしょうか。今は完全に押さえ込むことができています」

「そうですね。素晴らしいことです」


 その話を聞きながら、さらにカルテに書き込みを加えていく。


「それで……この【魔剣】のことですが──」

「今はまだ危ないでしょう」

「そう、ですか」



 俺もすでに耳にしている。それは、アイリスの保有する【原初の刀剣トリニティ】である【魔剣──死の白剣タナトス】のことである。


 これは定期検診も兼ねているが、彼女から魔剣を摘出してもいいのか。それを確認している作業でもあるのだ。


「私も【原初の刀剣トリニティ】のことは研究しています。それこそ、【聖薔薇騎士団ハイリッヒローゼンナイツ】には聖剣と一体化している魔法師もいます。しかし、魔剣はまだ未知数な点が多い。まだ数年は、様子を見た方がいいでしょう」

「そう……ですか」


 露骨に落ち込んだ様子は見せない。けれども、アイリス王女の声音が少しだけ暗くなったのは間違いなかった。


 そして、ドクターは帰りの支度を始める。


 取り出した魔法剣ウォンドとカルテを手早く鞄へと入れると、彼はその場に立ち上がる。


「それでは、また一ヶ月後にお伺いいたします」

「はい。本日はありがとうございました」


 彼がリビングから出ていくと、それを追うようにして玄関まで送っていく。


 去り際。俺とドクターは軽く挨拶を交わす。


「それでは、私はこれで失礼します」

「はい。本日はありがとうございました」

「シグレくん。アイリス様は実際のところ、今後どうなるかわからない」

「それは、魔剣が暴走してしまう……という意味合いでしょうか?」

「その通り。聖剣は【聖薔薇騎士団ハイリッヒローゼンナイツ】が所有しているから、研究が進んでいる。けれど、魔剣はアイリス様が保有していものしか把握できていない」


 【原初の刀剣トリニティ】の存在は、その全てがこの王国で確認されているわけではない。あくまで、最も【原初の刀剣トリニティ】を集めているのがこの王国というだけなのだ。


「なるほど。そうなのですね」

「うん。同じ【原初の刀剣トリニティ】と言っても、魔剣に関しては未知数。護衛の君も、覚えていて欲しい」

「承知いたしました」

「それでは、また会おう」


 スッと手を差し出す。それは握手のサインだった。ギュッと互いに手を握り合うと、ドクターはシルクハット軽く上げて去っていく。


「……」


 その去り際を、俺は姿が見えなくなるまで凝視するのだった。

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