生後118日目③
「……はぁ、……はぁ」
「……ふぅ、……ふぅ」
俺と恵の上がった息が、平日昼間の弛緩した空気に吸い込まれていく。
「……もう、喧嘩はやめよう」
「……ふぅ、そ、そうだね」
誰かと誰かの人間関係、そいつに第三者が踏み込む事はロクな結果を招かない。たとえそれがどれだけ仲のいい相手だろうとだ。
揉めた原因だとか、何が嫌だったとか、結局のところ、本当の意味ではそいつら自身しか知らないのだ。
「……しっかしなぁ」
けれどもダチが困ってたら、そいつがほっとくと大変なことになるって時にそれを放っておくってのも冷たい話。
かといって、いい案すら浮かばないのに何かしなきゃって焦燥感から行動するのは単なる偽善、いや。
『俺って友達想いだろ?』
って自分に問いかけるためのオナニー活動にダチを利用しているまである。
「……そもそもさぁ」
と、そこで恵が爪でツンツンと肩を突いてくる。
「……んだよ?」
「……そもそもさーぁ? これってヤバい状況なのかい?」
「え?」
言われた言葉に思わず俺は、恵のどんぐり眼を凝視する。
「だってアシュちゃんはジョセフくんと喧嘩しちゃったって言ったってさ? それって2人の問題だし?」
「いやでもおめぇ、さっき詰んでるって言ったじゃねぇかよ」
「それはほら、くーくんが慌てた感じのテンションでくるからさーぁ? 呑まれたっていうか? ……でもでも冷静に考えたらだね、なんか腑に落ちないワケさ!」
そこで恵は爪を一本人差し指よろしくピッと立てる。
「……腑に落ちないというと?」
「……うーん」
そして恵は後ろ頭をテレテレと掻きながら、しどろもどろに話し始める。
「……なんてゆーのかなぁ、くーくんさーあ? なんか無理してないかい?」
「……っ」
“無理”という言葉にドキリとさせられる。
それは先程まで頭に過っていたそれを、無理矢理無かったことにしようかと考えていた裸の心を掘り起こされるような気分だ。
……しっかし、こいつにはかなわねぇな。
「……まいったな、それもお前にゃバレてたか」
「それって?」
キョトンと首を傾げる恵に俺は諦めたように言う。
「ま、要するにアレだろう? そう、……確かにそうだ。俺は確かに、本当にジョセフの為に何か、純粋にジョセフの為になるような行動を探して悩んでるフリをして、俺自身がカッコつけられる方法を探していたのかも知れないというか……」
「いや、そんなのは元からわかってるしいつもだけどさぁ」
……え?
「いつもだと?」
「だってそーじゃないかぁ! くーくんいっつもカッコつけることばっか考えてるから!」
恵にビシリと指さされる。
「いやいやお前、俺がいつそんな……」
「ふーん? いいのかい? 言っても」
「ふん、言えばいいだろうが! そもそもそんなエピソードなんてもんはありもしないだろうがな!」
俺がビシりと指差し返すと、恵は一層ニヤリと口元を歪める。
「……せっかくやめといてあげようかと思ったのに。そう言うんなら仕方ない」
そこで、恵から俺に向くニヤついた視線が、嘆息混じりの憐れんだものに変わる。
……こいつのこういうところは本当に腹立たしいな。
「そう、あれは中学3年生の秋、キミは同じクラスの嵐山くんを覚えているかい?」
「……おう」
嵐山といえば、中三の夏休み明けに間違えて学校に持って来てしまったエロ本(盗撮系)を教科書の如く机の上に出してしまったことをきっかけにいじめられだしたんだっけか。
「みんなから『P(パンチラ)ボーイ』とからかわれ、『嵐山は学年の教師も含めた全員のパンチラをオカズに抜いたことがある』という噂を流されていじめられちゃってたよね?」
そうそう、ありゃあ悲惨だった。女子もヤンキー系の奴とかはワザワザ嵐山の前に行って『うわっ、ちょっと今見られたんだけど! 絶対思い出してシコられんじゃん! キモぉ』とか言ってたし、極め付けには当時嵐山がよくカッターシャツの下に来てた小豆色のTシャツを真似して“P系ファッション”とか言って流行ったのとか当人からすりゃ地獄だっただろう。
「確かにアレはひどかった。もしもくーくんが動かなかったらボクがあいつらをケチョンケチョンにしてやろうかと思ったくらいさ!」
けれどそうはならなかった。なぜならそう、恵が動く前に俺が行動を起こしたからだ。
「あの時のくーくんはすごかったさ! クラスのみんなを完膚なきまでに言い負かして、キレ出す男の子の顔に紙袋を被せて箒で滅多打ちにして、女の子にはバケツで水かけてたもんね?」
今となっちゃあ無茶が過ぎる行動も、それが青春だったと思えば微笑ましいものだ。
「それでもっと凄かったのはあれだよね? 後でくーくんの部屋で見つけたノート!」
そうそう、あの時の俺はイジメを助ける自分を如何にかっこよく演出するのかをまとめたノートを……、ノートを見られている?!
「……ちょ! おま!」
「……12ページ三行目、『オメ女子のパンツ見てぇと思ったことねーのかよ! こいつがそれを本で見るのはおかしいってのか? 実際に覗いてるお前より悪いってのか?』って俺が言うと男子の何人かはビクリとする。それを指摘してやると、それを見た女子の何人かは俺の名探偵ぶりに密かな恋心を抱く! 」
恵に指摘され、当時のドヤ顔でノートにまるで台本のように自らの妄想を書き込んでいた自分がフラッシュバックしてくる。
……くっ、死にたい。
「いやいや! 抱かねーからww てか恋心て! 詩人かwww」
言いながら恵は床をバンバン叩きながら爆笑する。
「……な、んだと?」
しかもアレを見られていた? 恵に? キンタマ袋の内部を見られるよりも恥ずかしいアレを?
「あーっはっはっはっは!」
「あ、あの〜、恵さん?」
「くふぅ〜っ、あはは! ……ふぅ、ふぅ、……なん、だい?」
「じ、12ページの部分をちょっと見たたけだよな?」
「んなワケないじゃないか! 全部見たから! 全15巻フルコンプでコピー取ってウチの鍵付き金庫に保管してあるからww ……今頃ボクの遺品ってことでお母さんあたりに見つかってるかも」
「……な、ん、だ、……と?」
そ、そんなことが許されるのか? ということは嵐山の件だけではなく、第3巻『消えたザリガニ編』や、第9巻『第三公園の寂しげなギャル編』もこいつに読まれたと言う……いや待て! まさか第11巻の『戦慄のガチオタガール(割とタイプ)編』も読まれたのか? ……嘘だ、誰か嘘だと言ってくれ!
「……め、恵さん? あの、つかぬことを伺いますが」
「あ、そうそう、女の子のこと、うなじのホクロの数を暗記するほど見るのはどうかと思うよ? アレがボクじゃなかったら訴えられてもおかしくは……、ちょちょ! くーくん何してるのさぁ!」
セルフで自らの細い首を絞める両手を恵に引っ張られながら思う。
もしも神がいたとしても、願うことなんてない。
世の中には、どうにもならないこともあるのだ。
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