生後118日目①

「……ったく、バカタレが」


 そう言いながら空をゆっくりと見上げる。


 よく晴れた青空の中、白い雲はほんの少しずつ、けれど確かにゆっくりとどこかへ向かって進んでいく。


 それはまるで、かつて俺が住んでいた地球のように。


 それはまるで、嬉しい時も、悲しい時も、等しく平等に流れていく時間のように。


 よく見ないとわからないくらいには少しずつ、けれども確実に、俺たちの目の前からは何かがなくなっていって、何かが現れる。


 ほんの数週間前までは俺の認識する世界にはなかったもの。


 ジョセフの抱いた、小さくて不器用で、まるきし下手くそな恋心。


 けれどそいつはとっても強くて、優しくて温かな気持ち。


「俺、さ? アシュリーちゃんのこと、……マジなんだ」


 いつかそういったあいつの瞳には、そんな無視できない感情が色濃くのぞいていた。


 だからだろうか? 俺が些細なことであんなにもアシュリーに腹を立ててしまったのは。


 だからだろうか? ジョセフの不器用さに、上から目線で腹を立ててしまったのは。


 それがいかに正しくなんてなくて、我が儘な感情かくらいは理解している。


『2人がもっと仲良くなればいいのに』


 その望みは一見すれば友達想いなものなのかもしれない。


 しかし、それで人に、大事なダチに腹を立ててりゃ話は別だ。


 世界が自分の思い通りにならないことに対しての八つ当たり。


 そんな独善的で残酷な感情、ただそれがあるだけだ。


「はぁ〜……」



 ため息をつく。


「……っし!」


 そして強く、小さな拳を握る。


 腐っていたって何も進みはしない。


 🍼


「……こ、これは」



 自分がいくら未熟で情けない男だろうと、前を向いて歩いてく。


 そう小さく決意してから30分、俺は硬直していた。


 民家の角から入った薄暗い路地裏、俺はそこに打ち捨てられた物体から目を離せないでいた。


「……これは、もしかしなくとも」


 言いながら俺はその四角く小さな板状の物体を拾い上げる。


「……ふむ」


 見た目の割に重いそれを両手で持ち上げ、ボタンらしきものをグッと押し込む。


 するとその板の面には様々なアイコンが表示される。


 そう、この板は……、


「……スマホじゃねぇか!」


 ……いやでもこの世界電気もWi-Fiもないだろ。


 俺はじっくりと画面を見つめる。充電は100%なうえ、充電器に繋がれているであろう稲妻っぽいマーク。電波のところには“5G”の文字。


 ……ふむ。


 俺は吸い込まれるようにブラウザアプリをタップし、アドレスバーに素早いフリックで『谷間 スウェット 自撮り』と入力して画像検索をかける。


「……こ、これは」



 Googleの画像検索欄には、控えめに言ってパラダイスが広がっていた。


 寝間着っぽい格好から覗き見えるエロスってよ? 


 全裸とかよりよっぽどドキドキしちまわねぇか?



🍼



 「うぉぉ、……こ、これは」


 あれから30分、俺は未だ食い入るようにスマホを見つめていた。


 画面には動画サイト“ポルノバブ”に投稿されたエロ動画。


 久しぶりの本物のエロスに、俺はチン○が勃たないことすら忘れのめり込んでいた。


「クナイちゃん?」


 ……な、なんだと? この女、幼馴染に電気あんまを? そりゃ勃つに決まってんだろうが。


「もう、クナイちゃんってばー」


 そこでくいくいっと肩を引っ張られる。


 誰だ俺のハッピーライフを邪魔する輩……⁈


「もう、どーして無視するの?」


 振り返った先には、頬を少し膨らませたレナ(とてつもなく可愛い)がいた。


「あ、え、れ、レナ?」


 俺はキョドりながらも素早くスマホをオムツの中に仕舞い込む。


「……ん? なんか隠した?」


「ば、バカ言っちゃいけねぇよ、お、俺がお前に隠しごとなんて」


 ま、まずい。


 レナは別にエロやバカな事には寛容だが、俺が赤ん坊である事を加味すると、このスーパーアイテムを取り上げてくる可能性がある。


 もしそれを免れたとしたって、こんな便利なものがこいつにバレたら“家族強要”にされちまうに違いない。


 そしてギュスターブが不健全なものを見ないようにと“ファミリーフィルター”を……。


 考えただけでも恐ろしい。


「えー? うっそだー? クナイちゃんそんな夢中になっちゃってさ? すっごい面白いもんでも見つけたんでしょ?」


「え、えーっと」



 ニコニコと近づいてくるレナから冷や汗をかきながら後退る。


「ふーん……」


 そしてレナの表情が段々と訝しげなものに変わる。


「なーんだ、後ろめたい系かぁ」


 そしてレナの顔が再び満面の笑みに変わる途中で俺はクルリとレナに背を向けて走り出す。



「あ、コラっ!」



 ……くっ、俺は、俺はもう前に進むって決めたんだ!


 こんなところでパラダイスを失うわけにはいかない!


「はっ!」


 声を聞いた瞬間、首を左に傾ける。


 さっきまで俺の頭があった所に鋭い風圧を伴った手刀が振り下ろされる。


 ……殺す気かよ。


 まずい、0歳児の俺が脚力で大人に敵うわけがない。


 なんとか大通りに出ることは出来たがもうどうすることも……。


「クナイちゃーん? 逃げたって無駄なんだから大人しく……」



 ……くっ、考えろ、考えるんだ。


 俺は赤ん坊、体力的には絶対的不利がある。なにせ俺は赤ん坊……!


 そうか、俺は赤ん坊! ……ならば!


「ねぇねぇ、おねーさん?」


 俺は通りすがりの女性のスカートの裾を掴み、精一杯可愛い声で話しかける。


「あらぼくちゃん、どうしたの?」


 ニッコリと見下ろす女性に、俺は迫りくるレナを指さしながら焦ったように言う。


「あ、あのおねーちゃんが、アソコの毛をぼくに食べさせようとしてくる!」


 それを聞いたレナはギョッとした後、素早く顔を阿修羅に作り変え、こちらに向かって手を伸ばす。


「ちょっとあなた!」


 それを先程のお姉さんが止めてくれたのを確認すると俺はまた走り出す。


「ちょ! ち、違うんだって!」


「皆さん聞いてください! この女が! 赤ちゃんに性的悪戯を!」


「なんだと?」



「違うっつってんでしょがぁ!」


 一瞬振り返ると、人間が2、3人宙に浮いているのがチラリと見える。



「暴れ出したぞ! なんて力だ! 皆で押さえ込むんだ!」


 すまん、町の人々よ、しかし、俺は止まるわけにはいかないのだ。


 エロサイトという名の未来を手にする為に。


 心の中でそう小さく謝ると、俺はしっかりとした足取りで走り出した。


 あと、さっきエロサイトを見ていた合間にTwitterのアカウントを作っておいた。


 IDは@akagohaturaiyoだ。


 もしも気が向いたら絡んでくれると嬉しい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る