生後111日目③
「…………」
「………………」
空気を読む。
これは人と人とが円滑にコミュニケートするために役立つ非常に便利な機能である。
「でもぉ、あたしってブスだし〜」
とか急に言い出す面倒くさめな女が目の前にいりゃ、そのときの空気感から『イジって欲しい』のか、『否定して欲しい』のかがある程度わかることによりその女を怒らせずに済んだりする。
しかし、その有り難い機能が今は非常に恨めしい。
辺りをもう一度、嫌々ゆっくりと見回す。
正座で俯き、視線は斜め下45度に固定したまま押し黙るモヒカン野郎のジョセフ。
更に視線を巡らせると、泣き叫び疲れて地面にペタリと座りこんじゃいるが未だにその瞳に強大な怒りを飼い慣らし続ける女アシュリー。
そして俺の後方にはそれらの惨状をキラキラとした野次馬魂満載の挙動で観察する黒猫の恵。
このカオスなトライアングルから発生する空気感をミクスチャーしたものが俺に容赦なく突き刺さる。
……控えめに言って地獄だ。
そんな地獄から抜け出す為に俺に残された選択肢は2つ。
①両者の間を取り持ってなんとかこの場を収める。
②このまま黙って恵と出て行く。
……いや、実質選択肢は一つ。
誠に遺憾ながら、このアホ過ぎる男とヒステリックな女は曲がりなりにも俺のダチである。
……ならば俺に取れる選択肢はただ一つ。
ーー仕方ない、行くか。
俺は立ち上がり、友への気遣いを頭に張り付かせながら未来に向かった一歩を踏み出す。
ツンツン。
と、後ろから突かれた感触にゆっくりと振り返るとそこには俺を不思議そうに覗き込んでいる恵がいた。
「ねーねー、どーして玄関に向かって歩くのさ?」
「……しーっ! てめぇ黙ってろよ、出て行こうとしてんのバレるだろが」
可能な限り潜めた声で恵に耳打ちすると、恵もまた耳打ちで返してくる。
「……この人たち、くーくんの友達なんでしょ?」
そう、俺はこいつらのダチだ。ならばこいつらの心を踏みにじるわけにはいかない。
2人は今、互いの価値観の違いから衝突しているのだ。仮に今俺がこの場を納められたとしても、それはきっと仮初の解決だ。
こいつらがまた明日から笑って過ごせるようになるために必要なのはじっくりと話し合うこと、そこには第三者はいない方がいい。
そう、あくまで俺は別にこの状態のアシュリーに話しかける勇気が無いワケではなく、ただこいつらの関係性の進歩をねが……。
「ねーねーくーくん、なんか自分に都合のいいように必死で考えてる顔してるけど、絶対これほっといちゃダメだと思うよ? 人として」
くそ、なんで顔だけでそこまでわかりやがる。
……しかし、まあそうだな。
人として、ダチとして、なんとか出来るのならばした方がいいに決まってる。
「……し、しかしだな」
こっそりとアシュリーの方を盗み見る。彼女は絵面的には泣き疲れてへたり込んでいるようには見えるが、彼女から放たれている覇気が俺に話しかけるなと全力で牽制している。
どうしてこう女ってやつは、キレるとこう男を縮み上がらせる圧をかけられるのだろうか。
「もう、……しょーがないなー」
狼狽る俺を見た恵はそう言うと、ゆっくりとアシュリーの方へと歩み寄っていく。
そして顔の前に回り込むと、アシュリーの肘の辺りにポンと肉球を置く。
「……あれ? 猫ちゃん?」
「……ごめんね、とっても可愛いんだけど、今それどころじゃなくて」
……この女、まじか。
あの覇気が怖くないなんて、俺はもしかして実はとんでもない奴とつるんでいたのではないだろうか。
「大丈夫、わかるよ?」
努めて優しく言い放った恵の声に、アシュリーは一瞬肩をビクッとさせると、
「––––え? 猫が喋った?」
「へへー、ビックリした?? すごいでしょ⁉︎」
恵は立ち上がって腰に前足を当てた偉そうなポーズでひょうきんに言い放った。
––––この状態のアシュリーに向かっておちゃらけただと?
……こいつ、勇者か?
「……ビックリした」
「でっしょ〜?」
そして恵は尚更得意げな顔になると、
「話は聞かせてもらったよ! ……おねーさん、ムカつくのは凄くわかるけど、おねーさんみたいに綺麗な人がこんなことで泣いてたら勿体ないよ?」
「えーっと、……ありが、とう?」
すっかり毒気が抜けたように、キョトンとした返事を返すアシュリーからは、もう先ほどまでの覇気はでてはいない。
「言いたいことがあったら全部言っちゃっていいこらさ? 女同士、ご飯にでも行かない? ボクお腹空いちゃったよ」
アシュリーは一拍置いてから、クスリと小さく笑う。
「……ホントそうだね、うん、行こっか?」
……恵さんマジパネェ。
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