生後110日目⑤
「……ふーん、で、この猫ちゃんは?」
家のリビング。そのへんから持ってきた木の板を台に置いただけのようで実は計算されたデザインのオシャレなテーブルをモスグリーンのソファが囲んでいる。白い麻のカーペットの上にはいくつか観葉植物が置かれており、家具とも相まってなんとも心落ち着く空間。
「いやぁ、……その、こいつは」
空間の持つ雰囲気とは対象的に、そこに集う人間の空気感は最悪だ。
腕を組んで覇気を出しながら仁王立ちするレナはもちろんのこと、シバかれたケツを押さえて半泣きのギュスターブにオドオドとひたすらに縮こまる黒猫の恵、そしてアイアンクローで締め上げられた時に痛めたこめかみをさすりながら頬を引つらせる俺含め、全員が負のオーラを全力で放っている。
「……あの」
と、そこて恵がひたすらに重苦しい沈黙を打ち破るかのように小さく声を出す。
「……ゴメンなさい。ボクが急に来ちゃったから、……その」
「あ! 違うの違うの! 猫ちゃんは別に何も悪くないから! この二人がいつも通りバカなだけなんだから! ね?」
シュンとした恵に焦ったレナは慌てて優しい声に切り替えてフォローを入れる。自分が怒ってる相手以外に委縮された時ってマジで気まずいよな?
……というかこの、猫が喋ったということに関してはツッコミすらないというのは。レナが図太過ぎるのか、はたまた魔法的な何かで実は喋る猫くらい普通に存在する世界なのか。
「で、でもボク、レナさんのおうちなのに勝手に入っちゃってるし……」
「そうだぞ! だから俺がギュス太郎をドアにはめ込んだのも不可抗りょアイタタタタ!」
言い終わる前にレナに思いきり尻を抓られてしまう。
「クナイちゃん、……最近なんかセコいよ? ……かっこ悪い」
……マズい、最近少しずつ上がりつつ(多分)あるレナからの好感度が。
「え~? くーくん昔からこんな感じだよ? きっとアレだよ! レナさんに慣れてきて素が出てきたんじゃないかな?」
そしてすかさず恵に余計なことを言われてしまう。……これだから過去を知っている人間はめんどくさい。
皆も思い当たる節があるのではないだろうか。
高校でさも俺は昔からイケイケのワルだったかのごとく振舞っているところを中学のツレに出くわして高校デビューをバラされただとか、狙ってる女の前でかっこつけようと思ってるのに同席したツレに昔ウンコもらした話をバラされたりだとか、そんな苦い思い出が。
……下村め、お前がもしこっちに転生してきたらウンコ満載の落とし穴に落としてやる。
「……猫ちゃんは、もしかしてクナイちゃんみたいに別の世界から来たの?」
恵は一瞬唖然とした後、俺に視線不思議そうな視線を向ける。
「くーくん、話したの?」
「ああ、家に厄介になってんだ。そのあたりはちゃんと話すのが筋ってもんだろう?」
「……よく信じてもらえたねぇ」
「……まぁな、まあそれだけこいつらが疑うことを知らないチョロい奴らアイタタタ!」
言ってる途中でまたレナに尻を抓られてしまう。……まったく、蒙古斑が消えるのが遅くなったらどうしてくれるんだ。
「ふーん、なんかすごい偶然だね? で、猫ちゃ……んはなんて名前なの?」
レナに問われた恵は大げさに腰に手を当て胸を張り、得意げな顔で、
「ふふん、僕の名前は恵さ! 前の世界ではくーくんのマブダチ! あとエロゲをこよなく愛している!」
……そうか、こいつの中での重要なアイデンティティは、俺のマブダチであることとエロゲが好きってことがツートップなのか。照れ臭いやらバカバカしいやらなんだか複雑な気分である。
「エ、……ロゲ、って?」
レナからの当然の疑問に、恵は拳を掌にポンと打ち付ける。
「あ、そうか!」
そして恵は人差し指を立てて誇らしげに語り始める。
「えっとねぇ~、エロゲってのはね? 笑いあり、涙あり! なストーリーをイラストとテキスト、更にはボイスとBGMによってお届けする、超超イケてるエンターテイメ……」
「無駄に長くてエロい紙芝居だ!」
「なんで端折るのさぁ〜!」
無駄に長くかつ独りよがりな説明を途中で遮ってやると、恵みは大げさに叫んでくる。
「真理を捉えているだろうが」
「……そ〜だけどさあ? でも、それだとなんかつまんなそうっていうか、伝わるのは形式だけでエロゲの醍醐味である程よい没入感とその……」
「やめろ! お前その話しだすと長ぇんだよ」
「レナ、続きを頼む」
恵は「むぅ~」と言いながらも大人しく引っ込む。
「で、そのメグちゃんはー、別の世界から来た子で、……クナイちゃんのお友達で、…………猫ちゃん?」
「あ、いや、前の世界ではフツーに人間だったよ? でもホラ、生まれ変わる時になんかスケベそうな声のおじいちゃんに……」
……っ!
「お、お前もあのジジイの声を?」
「そーだよぉー、全く、『可哀そうにのう、バカな死に方をして。可愛そうじゃから生まれ変わるときになんでも好きな願いを一つだけかなえてやろう』なんていうもんだからさ? ボクは『じゃあじゃあ次は超超可愛く! いやまぁ今も超絶可愛いんダケどさ! もっとこう、人類の枠を超えた可愛さを持って生まれ変わりたいよ!』って言ったらさ? ……アハハ、いらん事言っちゃったね。ボクは元から可愛かったのに」
「……そうだな、お前がそう思うんならきっとそうだったんだろうよ」
……一応補足しておくと、生前の恵は別に際立った美人であるとか、アイドルじみた可愛さであるとか、そういう男が100人いたら85人くらいはそいつに大なり小なり恋心を抱いちまうような女では決してなかった。けれど小さな身体に透き通るような白い肌で、かわいらしさ自体は相当なものだったし、少し下膨れなその顔も、コロコロと動く豊かな表情と相まってとても魅力的だった。照れ臭くてそれを本人に直接伝えたことはないが。
「……何さぁ、別にいーし、くーくんの感性がおかいーだけだしぃ」
俯いて口を尖らせる恵をレナはよしよしと撫でる。
「そーだよねー、クナイちゃんってちょっとオカシイとこあるよね? ホントは絶対アレだよ? メグちゃんのこと超超カワイイって思ってるけど恥ずかしいからわざとそ〜いう態度とってるんだから。ホントにこの子はすーぐかっこつけるんだから、そのくせによくウンチは漏らすし……」
や、辞めろよ! マジでそう思ってんだからよ。
あとウンコの話はマジで恥ずかしいからやめてくれ。
「ちょ! あ、あれはだな……」
「えー? くーくんってばよくウンチ漏らてるの?」
「そうだよー、だって赤ちゃんだもん。他にもいっぱいあるんだから、クナイちゃんの恥ずかしい話」
「えー、教えて教えて! ボクも前の世界でのくーくんの話いっぱいあるし!」
「いいよー、例えばねー、こないだなんて夜遅くに急に泣き出したと思ったら……」
そして二人は目の前にまるで俺なんていないかのように、俺の恥ずかしい話で盛り上がり始めた。
……よかった。
そう、これでいいのだ。街という、人がたくさん集まるコミュニティの中で生きていくには、どうやったって円滑な人間関係ってやつが必要だ。
そう、俺は道化でもいい。こいつがこれから楽しく生きていけるのならばそれくらい……、……そ、それくらい。
「キュナイも大変なんだなぁ」
……気が付くと俺の後ろにはギュスターブがいて、肩をポンポンと叩かれていた。
思わぬ好敵手からの同情に、少し涙ぐんだのは内緒だ。
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