生後110日目④


「で、お前はこれからどうする?」


「……ふぇ?」


「キュナイきょろすぞぉ!」


 断末魔のようなギュスターブの叫び声をBGMに、俺は恵に問う。皿に入れたミルクをペロペロと舐めていた恵はキョトンとした様子でこちらを見る。


「これからのお前の暮らしだ。どうせ今はロクに寝床もねぇんだろ?」


「ま、まぁそーだけどさ? 案外悪くないんだよ? 晴れた日におっきな家の屋根の上で寝るのも気持ちいいし、雨の日に警察署のベランダに忍び込むのも結構楽しいし……」


 ……確かにちょっと楽しそうだ。


「……ま、まあそれでも屋根がある寝床が確保できているに越したこたぁねえだろ?」


「んー、……まぁ? 寝床ってゆーよりはいーかげんちょっぴり、……寂しいかな?」


 少し困ったように首をかしげる恵。


 確かに、俺は家を出たその日にジョセフ・ダニーと出会い、退屈しない奴らに囲まれて暮らしちゃいたが、こいつはそうもいかなかったのだろう。


「……よし、なら今日はこれからツアーだな」


「ツアー?」


「おう、題して、『誰と暮らすのが一番気楽か見極めようの旅』だ! 俺の知り合いで何人かお人よしそうなやつをピックアップして、一人ひとり突撃して、一番気が合いそうなやつにしばらく泊めてもらえばいい」


「えー? そ、そんなの悪いよ~……」


 俺の素晴らしい提案に、恵はどこかもごもごとした様子で口ごもりながら言う。そういやこいつは昔っから遠慮しいだったな。


「問題ない。皆アタマ湧いてんじゃねぇかってくらいお人よしだし、何より猫一匹家に置くくらい大した負担でもねぇだろ。お前は喋れるし自分で飯も用意できるし、床にウンコもしない。そうだろ?」


「そ、そ~だけどさぁ……」


 言いながら恵はあわあわと前足を振り、その後一拍置いて寂しそうな視線をこちらに寄越す。


「……くーくんと暮らすのはダメなの?」


 その潤んだ澄んだ瞳と視線が交差する。その瞬間、なにやらモヤモヤとしたものが胸の中に芽生える。


 ……そうか、そういえば俺は昔、こいつのことが好きだったんだ。


 俺が無茶をする度に、いつもこんな目で心配されていたっけか。


「そ、それはそれで楽しそうではあるが、……さっきのギュスターブが毎日家にいるぞ?」


 ギュスターブ、と聞いて恵は一瞬ビクッとなる。


「……あ、あはは、でもくーくんは毎日あの子と一緒にいるんだよね? 大丈夫なの?」


「ふ、まあ俺はあれだ。知恵と工夫と勇気を胸に、毎日さっきのように勇敢に戦っている」



 胸を張って答えてやると、恵は少しあきれた様子で、


「もう、相変わらずメチャクチャなんだから」


「それに、この家にはもっとすごい女がいるんだ」


「……もっとすごい?」


 恐れおののいた様子の恵に俺はふっとニヒルに笑うと、


「ギュスターブの親なんだがな? そいつは強く、優しく温かい、最高の女なんだ。はねっかえりのギュスターブを育てながらも、俺を快く家においてくれて、酒場で元気に働いて、俺たちにいつもぬくもりをくれる最高の……」


「じゃあなんでギュスくんはあんなにママを恐れていたんだい? 怒ったら怖いの?」


「……ああ、ここだけの話だが、ちょっと短気なところがあって、怒ると迫力も腕力も半端ねぇんだ。すぐに人の顔面をアイアンクローで掴んで持ち上げ……アイタタタタタ!」


 言い終わる前に頭に激痛が走り、恵が視界からどんどん遠ざかっていく。俺は恐る恐る視線を斜め後ろに向ける。


「……へ~え? クナイちゃん、あたしのことよそではそんな風に言ってたんだね?」


 俺の後ろには、右手で俺の頭蓋骨をガッチリとホールドし、左手には外された家の玄関のドアを抱えた最愛の女、レナがいた。


「……ち、違うんだ! 俺は、その、お前を褒めてばかりではテレ癖ぇから、その、話に緩急をつけるためにだな……」


「ふーん、ま、いいや」


 そう言うとレナは俺をそっと床に下ろすと、にっこりと問いかけてくる。


「で、ギュスに何したの?」


 言われてレナの脚元を見ると、そこには『こいつがぁ! こいつがぁ!』と喚き散らすギュスターブ。


 ……ふむ、レナがいつ帰ってきてもおかしくない時間帯にギュスターブをあんなところにホールドしてバレないはずがない。


 失念していた。


 しかし、


 半泣きでわめいているギュスターブは扉の下で暴れたのであろう。肘や膝のあたりをところどころすりむいていて痛々しい。


「え、……え~っと」


「え~っと、なにかな?」


 まずい、目が笑っていない。


 ……一度だけレナのこういう目を見たことがある。あれはそう、ギュスターブがレナの作ったサンドイッチ(ギュスターブの嫌いなレタスサンド)を床に置き、それに馬のオモチャを投げつけて遊んでいたの発見した時。


 ……正直あのあとのギュスターブの惨状は思い返したくはない。


「クナイちゃん? よくあたしに言ってたよね? 男ってのはよぉ、いつだって正々堂々、筋を通して生きてなくちゃいけねぇ! とか偉そうに言ってたよね?」


「……くーくん、まだそんなこと言ってたの? いっつもズルいことばっかりしてるクセにぃ」


 思わず横で呟く恵。……ナイスだ。喋る猫の登場に、さすがのレナも……


「猫ちゃんゴメンねぇ、その話はちょっと後にしてね?」


「はっ、はいぃ!」


 レナは恵に向かってニッコリと窘め、恵はその覇気に押されたのか、背筋をビシッと伸ばして敬礼する。


 ……こりゃぁマジで怒ってるな。


 仕方ない。俺の生きざまには反するがここは、


「れ、レナ! き、聞いてくれ! ギュ、ギュスターブが無理矢理猫で遊ぼうとしてた!」


「……」


「ギュス!」


「ぎゃあぁああ!」


 2秒後、ギュスターブはまるで声帯をチューブで絞られたかのような声で泣き叫んだ。


 ーーしかしそれで俺が許されるはずもなく、俺は昔好きだった女の目の前で、現在好きな女に泣かされた。


 チクりは何も生まないことを再認識させられた。

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