生後110日目③

「おう、帰ったぞ」


「お、……おじゃましま~す」


 レナの家の玄関、俺用にジョセフに開けさせた小さな扉を開くと、恵はオドオドとしながら後ろをついてくる。


「……ねえ、本当に入ってもいいのかい?」


「問題ない、ダチの実家に遊びに来たくらいの気分でいりゃあいい」


「……いや、それ大人んなってからだとフツーに緊張するから」


 あれからしばらく恵と話し、こちらにやってきてからの生い立ちを訊いた。


 恵はどうやら死んだ後いきなり大人の猫に転生させられ、気が付けば草原の真ん中にポオツンと独りぼっちだったらしい。


 身よりもなにもない恵は、自らの食い扶持を確保しなければならないが、生のネズミや小鳥に噛みつくということがどうしてもできず、人間の前で芸をして食料を受け取りながら生きる、大道芸人のような生き方を仕方なく選んだ。


 気楽そうに振舞っちゃぁいるが、元来こいつは寂しがりやで精神的にあまりタフネスなほうではない。 


「ま、とりあえず奥に来いよ? ミルクとかも普通にあるか……うぉっ!」

 

 ブン! という風切り音に反射的に身を交わすと、一泊遅れて何やら硬い木材のようなものが床に叩きつけられる。


「キュナイ~~、何で猫なんか連れてんだ?」


 ……しまった、とりあえずはとうちに連れて来たのは悪手だった。


 レナがいれば暖かいミルクでも作ってくれるかと思ったが、この家にはもう一人の住人がいたんだった。


「……なんだ? てめぇ猫嫌いなのか?」


 ブルブルと震える恵を後ろにかばいながら、俺はギュスターブに問う。


「だ~いすきだぁ!」


「……だったらいいじゃねぇか」


「でもママはぁ! 猫を見かけるといつもおれを猫から隠す! 動物がいても絶対近づくなってぇえ!」


 ……ナイスだレナ、その判断は正しい。


「……ならば今も、ママのいいつけを守って大人しくするんだなうぉっ!」


 言い終わる前に木製のサラブレッドが俺の顔面目掛けて弾丸のように飛んでくる。


 ………なんて危険な野郎だ。俺が避けなければヘタすりゃ死んでるぞ。


「ズルいぞぉ! おれも猫で遊ばせろぉ!」


 ……いやいや猫”で”て。そんな認識だから動物と遊ばせてもらえないんだ。


「ね、ねぇ」


 恵が恐る恐る後ろから俺を肉球でポンポンと叩く。


「……スマン、しくじっちまった。こいつはここら一体で最凶最悪の生物、ギュスターブ(5才)だ。こいつがいることをすっかり忘れていた。


「……なんでそんなのが家に?」


「一応、……同居人なんだ」


「コソコソするなぁ!」


 ギュスターブが拳を振り上げながら俺たちを怒鳴りつける。


 ……どうしてあの天使のようなレナからこんな凶悪な生物が生まれたんだ。


 あいつは悪魔とでも結婚していたのか?


「まあまあ落ち着け、お前、レナに怒られたくはないだろう?」


「当たり前だぁ! 猫で遊んだことチクりやがったら川に沈めるぞぉ!」


 ……くっ、怖ぇ。普通の奴が言うなら陳腐な脅し文句だが、この世界一頭の悪い生物が言うなら本気であることは疑いようがない。


「お、落ち着け。そういう意味じゃねぇ、俺がそんな卑怯なマネするわけないだろうが。ちなみにレナは今どこに?」


「夜飯の買い物に行ってる!」


「なら、いつ帰ってくるかはわからないよなぁ? いつもよりスムーズに買い物が進んだら今すぐにでも帰って来るかも知れねぇ」


「……うっ」


 よし、効いてる。


「猫と遊ぶ前にちょっと確認したらどうだ?」


「きゃくにん?」


「ほら、そこの扉、下の方に小さな扉があるだろう? そこを開けて外を見てみたらどうだ?」


「そうだな!」


 俺たちが入ってきた小さな扉(俺が出入りするために、レナがジョセフに作らせた)を指さしながら言うと、ギュスターブはずんずんと歩いていき、扉を開け、床に這いつくばる。


 ……馬鹿めが。普通に扉自体を開けられる身長があるくせにまんまと引っかかりやがった。


「おい! よく見えないぞぉ!」


 そのまま扉に頭を突っ込むが、家の玄関は少し通りから引っ込んでいるため左右が壁に阻まれているのである。


「当たり前だ、もっと身体を突っ込め、まずは右腕だ」


「あぁ~? こうか?」


 俺の言う通りに穴に右手を突っ込み始める。


「ん~! んん~!」


 唸りながら


 言いながら俺は後ろからギュスターブを後ろから、


「うらぁ!!」


 思いきり蹴ってやった。


「あいだっ! ……キュナイ~、なにしゃーがる!」


「……ふっ、なに、手伝ってやったまでだ。右腕を見て見やがれ」


 上半身の大半が扉の向こうに消えたギュスターブはもぞもぞと動くと、


「ほんとだ! 通ってる! キュナイ~、お前ナイスだな!」


 脇と首根っこを両サイドの壁にガッチリと固められ、身動きが取れなくなっていることにも気づいていない愚かなギュスターブは、弾んだ声で俺に礼を言ってくる。


「そうだろうそうだろう? ……よし、恵、今のうちにいこう、奥でミルクでも飲ませてやるよ」


「いいのかなぁ~……」


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