生後110日目②
「……むう」
恵(黒猫)は頬をぷーっと膨らませながら俺を睨む。死ぬ前の世界ではしょっちゅう見ていた懐かしい光景に涙が溢れる。
「……恵、お前」
「あ、あらら、くーくんそんな、な、泣かなくても、別にそんなマジで怒ってるワケじゃないからぁ!」
涙を流す俺に向かって恵は慌てたように前足を振り回しながら言う。
「違ぇ、別にお前に怒られてビビってんわけじゃねえよ、ちっと懐かしかっただけだ」
「いやいや、でも、そんな、え? く―くんは、……く、くーくんだよね?」
「……おう」
躊躇いがちに答える俺に、恵はニヤニヤと頬を緩めると、
「へ~え? くーくんがまさか、赤ちゃんになってるとはねぇ? 前から子供っぽいとは思ってたケド……」
「てめぇだって猫じゃねえか」
言いながら俺はもう一度恵の目を真っすぐに見る。まん丸で黄色い白目に青みがかった黒目、それはもはや猫そのものだが、そこには確かに恵の柔らかな”心”が感じられる。
しかし猫である。
向こうも同じようなことを思っているのだろう。
そんな視線を交差させていると、この状況の滑稽さに笑いがこみ上げてくる。
「「……ぷっ」」
そして2人同時に吹き出した。
俺たちはいつだってそうだった。
裏切られるくらいなら、押し付けられるくらいなら最初から誰も信じないと尖って生きていた俺も、
そのままの自分を受け入れてくれない相手は最初からいらないとばかりにいっちょ前に胸を張って生きていたこいつも、
ずっとそうやっていられないほどには、
寂しがり屋だった。
どんな小さいことでもいいから、どんなにくだらなくてもいいからって。
二人だけの楽しいを見つけては、こうして笑いあっていたっけか。
🍼
「ってことはあれか? ……お前も、死んじまったのか?」
「いやぁ、あはは面目ない。……く、くーくんが、その、……し、死んじゃった次の日に」
あの後俺たちは店を出て、二人通りをゆっくりと歩く。
俺はオムツに無理やり詰め込まれた煮干しのこそばゆさを気にしながらも思案する。
殺されたって死なないようなこいつが、誰よりも生きることを楽しんでいたように見えたこいつが、死んでしまったことが今も信じられない。
俺はもしかすると、こいつのことを思っていたほどは知らなかったのかもしれない。
あるいは……。
「お前、……まさか俺の死を苦に自らその命を?」
そう言うと恵は丸い瞳を一層丸くしながらのほほーんとした様子で言う。
「いやいやいや、ボクがそんなんで死ぬわけないじゃないか~」
……そんなんで?
……まあいい、納得はいかないがまあいい。
「……じゃあなんでだ? 誰か揉めた相手に刺されたのか? だからヤバくなった時は早めに俺に言えとあれほど……」
「いやいや、くーくんじゃないんだから! ……そう、あれはくーくんが自業自得のアホな事故で死んじゃった次の朝、傷心のボクはその日発売のエロゲを買いに、ソフマップに向けて自転車を走らせてたのさ」
「俺が死んだ翌日にエロゲを!?」
今度は違う理由で泣いてしまいそうだ。
「ち、ちーがうんだって! そりゃ、くーくんが死んじゃってボクは、ホントに悲しかったんだから。……ホントに」
言いながら恵は俯き涙目になる。ちゃんと悲しんでくれた安心感と共に、涙目になる猫という絵面のシュールさが入り込んできて思わず少し吹き出してしまう。
「な、なんだよ~、ホントに悲しかったんだからね! だから車であーいうのは危ないからっていつもゆってたのに! ホントにくーくんはバカなんだからぁ! もう、……全くぅ」
恵は頬を膨らませながらキッと睨みつけてくるが全く怖くない。それは別にこいつが猫だからというわけではなく、いつだってそうだった。
すぐ怒るくせに全然怖くなくて、拗ね始めた時の方がよっぽど厄介で、ロクでもないことばかりする俺をいつも『全くぅ……』と、諦めの混じった半笑いで許してくれる。
……そっか、そうだったな。
死ぬってことは、誰かをこんなにも悲しませちまうんだ。
きっともし、俺よりこいつが先に死んじまっていたら、もっと怒っていただろう。
心の底から申し訳なく思う気持ちを押し殺しながら俺は少しおどけたように言う。
「……悪いな、ちゃんと悲しんでくれたのが、少し嬉しくてな」
恵は一瞬ムッとして、
「……もう、そ~いうとこいっつもズルいんだからぁ」
しかしすぐに平常に戻り話を続ける。
「ま、いいや、そんでね? くーくんロスの悲しみをエロゲで紛らわそうと決めたボクは猛スピードで自転車を走らせて、もうすぐソフマップだーって時にね? 通路に一組のカップルを見つけたのさ? それが女の人は超綺麗でカッコいい系なんだけど、男の人はなんかもう見るからにハゲ散らかしたオヤジさんって感じでさ……」
「それで凌辱系でありそうな組み合わせの二人に目を奪われたお前は周りへの注意をおこたってトラックに轢かれたと……」
「……っ!! なんでわかったのさ!?」
恵は食い気味に、跳ね上がるように叫ぶ。
こいつはいつだってそうだった。
エロゲシナリオライターを目指していたこいつは、街でエロゲっぽいシチュエーションを見つけると、所かまわずスマホに何やらメモり始めたり、勝手に写真を撮ってキレられたりしてたっけか。
「いや、お前それで何回チャリで田んぼやら電柱に突っ込んだと……」
「……そーだけどさぁ」
もしも神がいるのならば、たった一つ願うこと。
このどうしようもなくバカでお人よしな猫が、面白おかしくずっと生きていられる。
そんな世界でありますように。
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