ベイビー、再会する

生後110日目①

 人が恋をするのは、果たして恋心を向ける相手の“心”に対してなのだろうか。


 それとも、“身体”に対してなのだろうか。


 そう問われると俺はこれまで得意気かつ即答で、『心に決まってんじゃねぇか!』とくい気味に答えていた。


 生物には性欲というものがある。


 俺は確かに、女の裸が見たい。


 それも、超がつくほどにだ。


 『だったら身体なんじゃねぇか!』


 という声がどこかから聞こえてきた気がしたが人の話は最後まで聞け。


 確かに俺は女の裸が好きだし、そいつの容姿が良ければ良い程に興奮する。


 顔が可愛いことはモチロン、肌が白くて鼻が低めでちょっとツリ目でパイオツがいい感じのサイズ感ならばいうことはない。


 しかし、ことそれが"恋"ということになれば話は変わってくる。


 俺が今まで恋をしてきた女はそれこそ、学校やら道端やらバイト先で知り合った普通の女だ。


 容姿でいやぁタレントなんかにゃ敵やしねぇ。


 けれど恋をした俺は、そいつの裸を世界で一番見たくなる。


 きっとそれは、


 俺に裸を見せてくれるほどの信頼、安心、つまり、そいつの丸裸な”心”が知りたいと、そいつを見せてもらえるほどの男になってそいつの隣に立てる未来に恋い焦がれているってこと。


 だからきっと、俺はそいつの心が好きならば、容姿はどうあれ恋する心を抱き続けるし、そいつのことをいつまでも忘れはしないはずだ。


🍼


「……おい、マジで一体、ジョセフとは何があったんだ?」


 俺が訝しげな視線を向けると、レナは不機嫌そうに口をへの字に曲げる。


「……別にぃ」


 ジョセフが通りすがりのニーチャンにシバかれながら去っていったあの日の夜から2度目の朝。


 レナは台所で仏頂面のまま朝食の準備をしている。


 釜戸の上では鉄板の上で目玉焼き、鍋には離乳食をダブルで火を通し、更にまな板の上ではパンを切っている。


 それぞれの作業の待ち時間を余すことなく使った同時進行は、見ていて気持ちいい。


 若くして生んだチンピラ予備軍のギュスターブに生活力のないモヒカン野郎ジョセフ。


 こいつらの面倒を見ているレナは尊敬に値する。


 ……が、それと同時に心配にもなる。


 こいつの青春は、こいつの人生は、ちゃんとキラキラと輝いているのだろうか? ちゃんと今と未来を好きなまま、毎日を過ごせているのだろうか?


 鼻歌交じりで軽快に料理を仕上げていくこいつは、本当に毎日が幸せなのだろうか。


 いつかの夜、レナは『恋がしたい』とこぼしていた。


 レナに恋ができるよう力になりたいし、その恋の相手はもちろん俺であって欲しい。


 いつか俺はそんな男に……、っと今はジョセフの事だ。 


 あの日の夜のから今までレナの様子に大きな変化はない。


 俺やギュスターブのろくでもない行動に呆れつつも優しく微笑み、何度自分でやるといっても俺に離乳食をふーふーしてから食わせようとしてくる。


 しかし、ジョセフの話を出した時だけは露骨に機嫌が悪くなるし、ふてくされてしまい何も教えてくれない。


「はい! 出来たよ~! ギュス~! ご飯よ~!」


 やがて調理を終えたレナに呼ばれ、屈強な五歳児であるギュスターブがのしのしと偉そうな歩き方でやってくる。


「わ~い、ご飯だぁ!」


 レナの前では素直なチンピラは席に着くと、テーブルに置かれた目玉焼きを木製のスプーンで野獣のようにほおばり始める。


 と、そこでレナと目が合う。


 レナはニッコリと微笑むと、


「は~い、クナイちゃん、……ふー、ふー、……はい、あ~ん」


 スプーンに乗せた離乳食(今日はポタージュ風味らしい)をふーふーと息で冷ましてから俺の口へと差し出す。


「……自分で食えると言ってるだろ」


 そう言うとレナは頬をぷーっと膨らませる。


「……クナイちゃん前もそうやって意地張って舌火傷したんじゃん」


 レナにジトっとした視線を向けられ少したじろぎながらも言い返す。


「し、しかしだな……火傷くらい男ならば」


「あたしは火傷しないで素直にあーんしてくれるクナイちゃんの方がかっこよくて好きだなぁ~」


 なおも睨んでくるレナに俺はたじろぎながらも、


「うっ、……あ、あーん」


 勢いに押されて俺は思わずあーんを許してしまう。


「えへへー、ありがと。クナイちゃんかーっこいー!」


「……ま、まぁな」


 け、……決してこの嘘くさいかっこいいに浮かれたワケではないんだからな。


🍼


「ま、大丈夫だろ」


 食事を終えた俺は、一人歩いてレナの働いている方ではなく、いつもアシュリーと行く方の酒場に来ていた。


 ジョセフとのことは気にはなるが奴らも大人だ。俺の知らないところでの悶着くらいはあるのだろう。


 さて、午後のひと時をイカした酒場で、ハードボイルドにミルクでも嗜むとしよう。


「……ふむ」


ちょうどいい席はないかと辺りを見回しながら店内を歩き進むと、店の奥の方に小さな人だかりを見つける。


「おい、どうしたんだ?」


 人だかりの中に見知った女の背中を見つけて声をかけると、そいつは素早く振り返りハイテンションな声が帰って来る。


「あ、クナイちゃーん、ほら、あれ見てよ? 超カワイイの!」


 女が指さす方を見ると、そこには可愛い猫がいた。


「にゃぁー」


 黒い猫は愛らしい声を上げながらボールのようなものを頭に乗せて、器用に頭の上から背中を通らせ足の先まで転がしていく。


「す、すげぇ」


「カワイー!」


 周りにいるオッサンや女たちはどよめき、猫に向かって大量の煮干しを投げる。


 すると猫は、ボールを爪先に乗せたまま、前足で器用に後ろ頭をテレテレと掻く。


 なぜだろう。


 その人間臭い仕草から俺は目を離せない。


 確かに不思議な存在ではあるが、それ以上に何か強い既視感を感じる。


「にゃー!」


 なぜだろう。


 かわいらしく鳴きながら照れているその様子は、まだ俺が未熟で不器用で、そして真っすぐだった頃の感情を思い出させる。


「にゃ?」


 吸い寄せられるように進んだ俺は、いつの間にか黒猫の目の前まで来ていた。


「く、クナイちゃんと猫ちゃんが見つめあって……」


「か、かわいい……」


 黒猫の目をジッと見つめる。


 黒猫は俺の目をジッと見つめ返してくる。


 それで感じられるのは、


 可愛らしい動物への慈愛の心でもなく、


 初対面の奴と目があった時の気まずさでもなく、


 それはまるで夕暮れに、暖かい飯を作って待ってくれている暖かい家族のいる家に帰ってきた時のような安心感に包まれた心地よさ。


 そして、靄のかかっていた世界に一本の、キラキラと輝く道を見つけた時のような、どこかワクワクとした瞬間的全能感。


 なぜだろうか?


「お、お前もしかして……」


 この無駄に表情豊かで逞しく生き抜いていそうな猫が、


「……恵か?」


 俺がかつて、最も愛した女に見えたのは。


「にゃにゃっ!」


 俺のエキセントリックな問いかけに黒猫はビクッと後退し、両手足を広げた驚きのポーズのまま固まっている。


 このマンガのようなバカっぽいリアクション……。


 ……ぜ、絶対に恵だ。


「いや、お前恵だろ」

 

「にゃ、……にゃぁ~~♪」


 今度は俺から逸らした目を斜め上方向で泳がせながら、まるで口笛を吹くかのように鳴き始める。


 この昭和テイスト漂うリアルじゃ誰もやらないようなマンガスタイルのリアクション、100%恵だ。


 ……そもそもこいつは俺に気づいているのだろうか?


 苦しい時も、楽しい時も一緒に大はしゃぎで乗り越えてきた俺に、姿が変わっても気づいてくれているのだろうか。


 気付いてないならば、割とショックだ。


 しかし、今の俺は圧倒的赤ん坊。


 こいつが今の俺の姿から、伊予 九内を連想することは流石に不可能なのかも知れない。


 ……仕方ない。


「”はにはに”って、導入ありきたりだよな? あの女の子が空から降っ……」


「はあぁ~~~~? なんでそんなこと言うのさ!! アレはアレでワクワクするんだし! ありきたりってことは皆が使いたくなるくらい楽しい展開ってことなのさ!」


 喋っている途中で恵は食い気味に叫ぶ。



「やっぱ恵じゃねぇか」


 言いながら、眼に涙がにじむのがわかる。


 この、心が素直に溢れだしている愛らしい女に、


 この、エロゲが大好きですぐキレるバカなマブダチに、


 もう一度会えるとは夢にも思っていなかった。

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