生後108日目③

「ふぅ〜、酔っぱらっちゃったぁ」


 夜遅く、酒場の前の大通り。夜はこれからだとばかりにハイテンションであるき出す若者や、帰りを待つ誰かを想っているのだろう優しい微笑を浮べ帰路につく老夫婦。きっと皆、それぞれのドラマを感じて日々を生きているのだろう。


「……今日は、ありがとな」


「ふふっ、今日のクナイちゃん、ずっと素直じゃん。いつもなら『……くそっ、これだから大人というやつは、……酒を飲めないこの苦しみを〜』とか言うクセに〜」


 と、俺はアシュリーの柔らかな胸に抱かれたままよしよしと頭を撫でられる。


「……まあたまにはな」


 アシュリーは小さく「……ふふっ」と笑うと、俺を家に送るべくあるき出す。


 いつも女に世話になりっぱなしじゃかっこ悪いと常々思っている俺だが、今日みたいな日はそれもまた良いだろう。


『好きな女にどう見られたいか』


 ただそれだけに執着するのではなく、好きな女を幸せにすることに意識を向けよう。


 カッコつけることは大切だ。


 世界をより好きになるために、


 世界を堂々とてめぇのスタイルで歩き続けるために、


 それはとても大切なことだ。


 けれど俺のカッコいいは、好きな女を幸せにすることありきだ。


 ならばそれでレナを苦しめないのならば、赤ん坊の俺と過ごす事を楽しんでくれているのならば、見栄えばかりを必死で取り繕うこともないのかも知れない。


「……なぁ」


「ん? ……なーに?」


 俺の唐突な問いかけに優しい声が返ってくる。


「俺、よ? しばらく、……赤ん坊のままでいようと思う」


「そっか、……いいと思う」



 掠れたように小さな、けれど木漏れ日のように暖かな声が返ってくる。


 そして俺はまるで魔法にかけられたかのように目を瞑り、そのまま眠りに落ちた。


🍼


「あれぇ? ……ジョセフくんじゃん!」


 アシュリーの弾むような声にゆっくりと目を覚ますと、そこには見慣れたアホのモヒカンがいた。


 普段よりいくぶんか目つきが鋭いように見えるのは俺がまだ寝ぼけているからだろうか。


「……あ、アシュリーちゃん、……ども」


 やっぱり様子がおかしい。いつもならこのバカな男はアシュリーに話しかけられようもんなら、主人が帰宅した子犬とオナニー中の中学生を足して2で割ったような異様な顔つきでハイテンションで『あれ? アシュリーちゃ〜ん! え? どしたの? どしたのこなところで、え? 運命?』などと地獄のようなリアクションを取るはずだ。


「あれー? ジョセフくん元気ない?」


「い、……いやそんなことないって」


 アシュリーに可愛らしく顔を覗き込まれても奴の顔は引きつったまま。


 いつもは位置を完全におっぱいに固定するその視線は何処か泳いでいて、心ここにあらずといった様子だ。


「……てめぇ、もしかして」


「なんだよ」


「……チ○コ取れたのか?」


「……いや、取れてないよ」


 ジョセフは一言、面白くなさそうに答えるとスタスタと行ってしまおうとする。


 ……なんだろう? 少しムカつく。


「……ジョセフくん」


 ぶっきらぼうに歩くジョセフに向かってアシュリーが不安そうに呟くが、奴は振り返りもしない。


「おい!」


「…………なに?」


 俺が思わず怒鳴ると、ジョセフはやっと振り向く。

  

 その顔はどこか不機嫌で、面倒くさそうな感情がにじみ出ている。


「……その、なんだ? てめぇ気にならねぇのか? 俺がアシュリーといてもよ?」


 少したじろぐ俺にジョセフは吐き捨てるように言う。


「……別に、クナイちゃん赤ちゃんだし、ミルクでも作ってもらってたんだろ?」


 言いながらジョセフは全く面白くなさそうにふんと笑う。


 …………この野郎。


「……てめぇ、いいんだな? そっちがその気なら俺ぁアレ話すからな? お前が夜中にコンニャクを加工して作ったアレを顔に乗せて行う地獄のような儀式を……」


「別に言いたきゃ言やぁいいだろ?」


「……このセンズリ大明神が」


「…………さっきの話、後で教えてね?」


 アシュリーが俺の耳元で小さくささやく。


「……任せろ」


 ふむ、あの話がアシュリーに出来ると思うと苛立ちが嘘のようにやわら……。


「……コソコソ話してんじゃねぇよ」


 ……………………こ、この野郎。


 人が優しくしてりゃあつけ上がりやがって。


「てめぇ、レナがいないとやけに強気じゃねぇか」


 言った瞬間、ジョセフの眉が引きつり温度が変わる。


「…………関係ねーだろ?」


「……なんだ? お前、レナと喧嘩でもしたのか?」


「えー、まさかぁ、……ジョセフくんとレナちゃんじゃ喧嘩には……」


「うるせーよ!」


 口々に言う俺とアシュリーにジョセフは声を荒げる。


「どいつもこいつも俺がいつも姉ちゃんにビビってると思ってんじゃねぇよ!」


 それだけ言うとジョセフはくるりと振り返りズンズンとあるき出す。


「……ジョセフくん、……あ」


 大股で歩くジョセフは俺達の数メートル先で逆行する男と肩をぶつける。


「どこ見て歩いてんだコラぁぶっ!」


 そして怒鳴っている途中で顔面を殴り飛ばされる。


 ツバを吐き捨てながら男が去っていくと同時にゆらりと立ち上がり、そのまま力なくヨロヨロとあるき出す。


 ふむ、いつもどおりのジョセフだ。


「……ジョセフくん」







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