生後108日目②

「つーわけでよ? またもや俺はしくっちまったんだよ……」


「わかる~、超わかる! 染みるわ~!」


 言いながら俺たちは互いの哺乳瓶とジョッキをぶつけ合う。


 レナに渾身のワイルド系ファッションを披露したあげく見事に滑り倒したた日の夜、俺はアシュリーと近所の酒場(レナが働いているところとは別の)に来ていた。


 最近、俺たちはこうしてレナやジョセフには内緒で、こうやって愚痴りあうためにちょくちょく飲みに来ている。


「わかってくれるか? 俺ぁ、俺ぁ独りよがりなのかも知れねぇけどよ? あいつの、あいつに少しでも男として意識してもらえるよう、一緒にいる時になんてんだ? ドキドキさせられるっつーか、退屈させねぇ男としてだな」


「わかる! そのカッコは超ダサいけど超わかる!」


「……え? 超ダサいのか?」


 ……マジかよ、恵ん時反省してセンス磨いたつもりじゃいたんだけどな。


「え? あぁゴメンゴメン! 別にそういうんじゃないんだって!」


 アシュリーは気さくな感じで両手を合わせて謝罪する。ハキハキかつカラっとしていて気持ちのいい奴である。


「まあいいけどよ? ……そうか、俺ダセェのか」


 そこでアシュリーは少し慌てたように言う。


「んー、なんていうんだろ、別に全否定っていうワケじゃなくてさ?」


「ふむ」


 そこでアシュリーはうんと唸ってから口を開く。


「……なんて言うのかなぁ、強そうに、ワイルドに見せたいって言うのはわかるし、実際クナイちゃんの服装そのままでアブナイ径っていうかそういう危険な男の子に見えちゃう人っているとは思うんだ?」


「なるほど」


「でもそれってさー、あくまでそのカッコがその子に似合ってた場合の話じゃん? でもクナイちゃんって赤ちゃんじゃん? 元々アブナイ感じの男の子とおんなじことしたってそーはならないじゃん?」


「……くっ、わかってんよ、俺が赤ん坊だってことくらいよ? ……けど俺は、んな、赤ん坊だからってことになんか甘んじてばかりじゃよ?」


 アシュリーは優しくあきれたようにため息をつく。


「……そーじゃないんだって、……んーっとね? ……あ! ほら、あのおじさん見て?」


 アシュリーが指指す方を見るとそこには筋肉粒々な初老の男。浅黒く日焼けした顔でその眼光は色の濃いサングラスに隠されている。アヤシ気なオーラむんむんで、生前の俺が出くわしたら絶対に目を合わせないタイプだ。


「……怖ぇな、けど、それがどうしたんだ?」


「――ちょっと待ってて?」


 言うとアシュリーはさっと立ち上がり、先ほどの怖メンのもとへ歩いていく。


「すいませーん」


「ん? なんだいお嬢ちゃん」


 そしてそのまま先ほどのおじ様に可愛く微笑み声をかける。


「……ちょっとごめんね~」


 と、言うやいなやアシュリーは強面の元凶であるサングラスをひょいっと取り上げてしまう。


「な!」


 ……するとどうだろう、サングラスの外されたおじ様の目は、それはそれはキレに澄んだつぶらな瞳。


「……ゴメンね? ……おじさんカッコいいから、どんな目してるか気になっちゃって」


 と、少しうるんだ上目遣いのアシュリーにおじ様は先ほどまでの威厳なんて全くなく、「お、……おう」とたじろぐだけだ。


 そしてアシュリーは上目遣いを緩めずに少し距離を詰めると、


「……ねえ、これ、……ちょーだい?」


「え? いやぁ、……それは」


 たじろぐおじさんに向かってアシュリーはあざとく俯いて言う。


「……ダメ?」


「え、あ、いや、……まあ、しょうがねぇ、やるよ」


 うわぁ、……これは無理だ。こんなにも可愛くかつ、断ったら自分が悪人に映りそうな空気管を作られてしまったらお願いをきくしかない。


 ……なんという恐ろしい女だ。


 ……こいつが本気を出したらジョセフなんて、一生返せない借金を背負うくらい貢がされてしまうんじゃないのか?




 そしてアシュリーは満面のにっこりをおじさんにブチかますと、てくてくとこちらに戻ってくる。


「ね?」


「……ねってお前、いったいその技で何人の男を破産させたんだ?」


「え~? クナイちゃんってば失礼~」


 言いながらアシュリーは可愛く頬をぷーっと膨らませる。普段妖艶な女がするこういう子供っぽい仕草というのはどうしてこうもセクシーに映るのだろうか。


 ……この世にレナという女が存在しなければ俺も危なかった。


「でぇ~、これを、ほい」


 言うとアシュリーは先ほどおじさんからカツアゲたサングラスをかける。


 しゅっとしつつも柔らかそうな頬の上にある妖艶な瞳を覆い隠すサングラスによってアシュリーの印象は、どことなくひょうきんさを感じさせる。なんだか少しバカそうというか、少年っぽいというか、けれどどこかいい奴そうで、つまり、……とても可愛い。


「ね、どう?」


「ふむ、……なんというか、楽しそうな女になったな」


「じゃ~、今のあたし、さっきより怖い?」


 そういわれ、もう一度アシュリーをまじまじと見つめてみる。


 確かに先ほどよりヤンチャ感は強められてはいるが、それは威圧感に結びつくようなものではなく、元気いっぱいな感じがなにやら安心感を生み出している。


「……怖くは、ないな、むしろいい奴っぽさが強まったな」


「でしょでしょ?」


 アシュリーは人差し指をピッと立てると得意げな顔で語り始める。


「つまりはそういうことじゃん? おんなじ物を身に着けたって、その人の素材によって生まれる効果は変わっちゃうの! ……なんていうのかな? これはサングラスに限った話になっちゃうんだけど、サングラスって隠すじゃん? 目を」


「まあそうだな」


「で~、あのおじさんって目は優しいけどそれ以外の部分って怖いじゃん? 顔も体も。で、あたしは逆に目つきだけちょっとキツいでしょ?」


 さきほどのおじさんにもう一度目をやる。その顔面はなるほどごつごつとしていて、引き締まった口元はそれ単体で見ると厳格な印象を与える。


 そしてサングラスなしのアシュリーを思い出すと、目つきは確かにキツイが口元を含めとその表情は柔らかく動き、それと少しきつめな目つきが相まって非常に女性らしい色気を生み出している。


 しかし今その唯一の硬い部分である目が隠されていることにより、よく動く可愛らしい表情だけが強調され、親しみやすさを生み出している。


「……確かにそうだ。お前すげぇな」



「でっしょ~? で、話を戻すけどね? クナイちゃんの場合はもうアレじゃん? 顔とかもそうだけど、もう体の大きさとか形がすでに可愛さMaxじゃん? ちっちゃくて、柔らかくて、もう可愛い以外にどういったらいいかわかんない! って感じ?」


「……認めたくはねぇが同意はしておく」


 アシュリーに言われた言葉は、どれもぐうの音も出ないほどの説得力を感じる。……さすがは水商売で飯を食っている女、その半端ない洞察力にはリスペクトの念を抱かざるを得ない。


「でぇ~、そんな可愛い可愛いクナイちゃんがね? そんなならずもの憧れな服そのまま着てたらどう見えると思う?」


「ふむ、……滑稽でしかないな。着せられてるというか、なんというか」


「そう! それそれ!  クナイちゃんの顔はどっからどー見たってカワイー赤ちゃんなんだから、そんな服を自分で選んで切るようには見えないし、似合わないから見て目の印象も変な感じなの。そしたら人って、その恰好に至った経緯っていうかヒストリー的なものに目が行くんだよね?」

 


「そ、ヒストリー。そのこがその変な恰好をするに至った経緯を人は想像しちゃうの。ああ、きっと親に無理やり着せられてるんだろうな~、あの子のお母さんバカなんだろうな~ってさ?」


 ……確かに。


 盲点だった。俺は精神的には25歳だ。服も、飯も行動も自分で選ぶようになってからもう長いこと経つ。


 それで感覚を忘れてしまっていたが、俺ははたから見れば生後1年にも満たない、母親がいなければ何もできない赤ん坊なのだ。俺の滑稽さも何もかも、その責任の所在はすべて母親、……現在俺の世話をしている人間、レナに向けられるのだろう。


 そりゃぁ、レナは俺がこの服を着るのを嫌がるわけだ。


「……お、俺はなんてことを」


 罪悪感に身もだえる俺に、アシュリーは優しく目を細めると、


「ま、それはそれでいいじゃん? 別にクナイちゃんはレナちゃんにいーとこ見せたくて頑張っただけだし? たまに思わせぶりな態度見せるくせにいっつもクナイちゃんを子供扱いするレナちゃんにも責任はあるし」


 俺はこのアシュリーにはレナとのやりとりなど、事細かくすべて話しているので俺のレナへの想いや関係性の状態などすべて知ってくれている。


 そのうえでこう、優しい言葉をかけてもらうというのはどうだろう。少しむずがゆくもそれは、認めたくはないが俺に、……勇気をくれる。


「……ありがとな」


「へ? めずらしっ! クナイちゃんが素直とか珍しっ!」


 そしてアシュリーはからからと楽しそうに声をあげて笑う。


 おちょくられているようで少しムッとするが、それがまた照れ臭さから気持ちを逸らしてくれて心地よい。こいつは本当に、関わっている人間に不快な思いをさせないために、少しでも楽しくいてもらうために、いったいどれだけ頑張ってきたのだろう。


「……うるせぇよ」


 もしも神がいるのならば、たった一つ願うこと。


 今日ここで俺の話を親身に聞いてくれている優しい女が、世の中にはこんなにも優しい女がいるということを、どうか見ていて、そして覚えておいて欲しい。


 アンタが作ったこの世界は、決して失敗作なんかじゃねえ。最高だ。


「ま、じゃあ俺はまた別角度からレナを振り向かせるべく邁進するとしてテメェ、今度はお前の話を聞かせろよ、最近ジョセフとはどーなんだ?」


「……あ~、ジョセフくんかぁ、……こないだあの子、あたしに花束を持ってきてくれたんだけど、その中に見るからにアヤシイピンクの液体の入った小瓶が……」


「……詳しく頼む」

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