生後106日目
「人の目なんて関係ねぇ! 俺ぁ自分でどう思うかだけで行動すんだ!」
芽生え始めた自立心と性欲を持て余していた10代のクソガキだった頃、俺はそんなことを言って粋がっていた。
もしもこの主張がかっこ悪かったらなんて頭に浮かびすらせず、それで誰かを傷つけたってそれは自分を攻撃する誰かのせい。
そんな無茶で滑稽な信念を振りかざして全力で駆け抜けた青春時代は、俺の大切な思い出だ。
けれど長く生きていると、どうしたって気づいてしまう。
人の目を100%気にしないなんて一度も出来たことなんてなかった自分に。
そして俺は思い知ることになった。
俺とは違う、俺には理解すらできないものにロマンを感じ、ひたむきに生きてる奴らがいること。
そして、そいつら一人一人が胸に抱いているでっかいそいつが、全部本物だってことを。
そんな奴らからどう見られているのかということをただ、『関係ねぇ!』なんて切り捨ててしまうのはあまりにも冷淡だ。
だから俺は受け止めることにした。
誰かからの視線を無視するってことは、誰かが俺に抱いたイメージを破壊する行為。
そこには他人への迷惑だとか、そういった”悪”が大なり小なり含まれているってことを。
だからせめて俺は選び続けたい。
相手から見えている自分が、自分でもかっこいい自分であることを。
☆
「おい、レナ」
力強い日光が窓から差し込んでくる昼下がり、俺はテーブルに置かれたある紙を凝視しながらレナに声をかける。
「ん~? どうしたのクナイちゃん、ご飯足りなかった?」
零れんばかりの微笑みを浮かべながらレナが振り返る。その視線からは、俺に向けられた窓から差し込む日差しよりも暖かな感情がにじみ出ている。それが自分が保護すべき対象に向けられたものであることが感じられてどうにも照れ臭い。
好きな女に保護者のような視線を向けられるのは恥ずべきことだが、今俺の前で零れ落ちているのは世界で一番美しい女の世界で一番美しい心だ。正直ずっと見ていたい。
「いや、腹はいっぱいだ。いつもありがとうな」
「どーいたしまして! クナイちゃんいつもおいしそーに食べてくれるからわたしも嬉しーよ?」
ふふっと微笑むレナに、どうにも気恥ずかしくなってしまう。
「飯といえば、そろそろ食材が足りなくなってきたんじゃないのか?」
「うーん、まあまだあるにはあるけど……、クナイちゃんの離乳食は減ってきてるかな」
「だろ? 何なら今から買いに行くか? いつも世話になってるし買い物くらい手伝ってやる」
そう言うと、レナは少し困ったように、
「えー? 気持ちは嬉しいんだけど、……それって荷物が増えるだけじゃ」
……しまった、そうだった。
最近少しずつではあるが長時間歩けるようになってきた俺は、ジョセフあたりと歩く時は自分の足で歩いちゃいるが、レナは未だかたくなに俺を抱っこして移動しようとする。
レナ曰く、
「いやいや、こんなちっちゃい赤ちゃん自分で歩かせてるとか変じゃん! っていうかはたから見たらそんなの虐待だって!」
ということらしい。
……確かに、普通は抱いて歩くのが当たり前の生物を自分で歩かせるなんていうのはどうにも見栄えは悪い。
ふむ、……どうしたものか。
「じゃあまああれだ。俺は買うべき商品を見極めるアドバイザー的な……」
「いや、いつも買ってるかそれくらいわかるし。……なんなの? わたしが買い物も一人じゃ出来ないって思ってんの?」
「い、いや、そういうわけじゃ……」
し、しまった、確かにこれじゃ俺がレナをディスってるみたいだ。
くそう、なんか訝し気な視線を向けられてる。こ、これでは15歳あたりでレナに筆おろしをしてもらうという俺のロマンチックな野望が……。
『本当にいいの? わたし、……もうおばさんだよ?』
とか言われたら、
『何を言ってんだ、レナはどんな若い女よりも綺麗だ。それはお前が生きている限り変えようのない事実だ』
とか言うつもりだったのに。
「もう、……じゃあじゃあどーいうわけなの?」
「そ、そういった意図は一切ねぇんだ、ただ俺は、レナの苦労が少しでも減らせればと赤ん坊なりにだな」
まずい、レナがふぅと優しく息をついたあと、しょーがないから聞いてあげる風な視線を向けてきている。
「……ふーん」
といった後レナはふふっと笑う。かわいい。
「クナイちゃん、……買い物、行きたいんでしょ?」
……感づかれているだと?
どうしよう。本当のことを言うわけにはいかない。
このいぶし銀な男の俺が、まさか新発売の”離乳食エイヒレ味”を買って欲しがっているなんて感づかれた日には、メンツが、……男気が崩れ去ってしまう。
「……バレちまっちゃあしょうがねぇ、すまない。手伝いと言うのは口実だ。俺はただ、お前と二人っきりで出かけたい気分だったんだ」
よし、我ながらナイスリカバリーだ! そもそも嘘ではないし。
俺はこっそりとテーブルの上の新発売の離乳食が載った市場のチラシに手を伸ばす。
「も、もう、……クナイちゃんったら」
レナは顔を真っ赤にして俯く。よし、完璧だ、……今のうちに。
さっ! とテーブルの上で四つん這いな俺は腕を振るいチラシを後方に吹っ飛ばす。
よし、成功だ。チラシはテーブルから落ちてソファの下。
「悪いな、どうやら俺は、そんな童貞小僧のようなダセェ行動に出ちまうくらいお前のことが好きらしいな」
「もう、クナイちゃんわたしをからかってるでしょ?」
「嘘じゃねぇ、俺は、いつだってお前といたい。けど、お前にはギュスターブもいるし、仕事もある。ならせめて、邪魔にならない時間だけでも共に過ごせればその時間は、きっと俺の宝物になる」
「……クナイちゃん」
見間違いでなければ、レナの瞳は少しだけ涙に潤んでいる。そこから覗く微かな感情に、俺はどこか扇情的なものを感じてしまう。
「……レナ」
よし、リカバリーどころか好感度アップだ。これはもしや13歳くらいで筆おろしを……。
「あれ、これ今日発売なんだ?」
と、そこで聞きなれたアホっぽい声に振り返るとそこには声と同じくらいアホっぽいモヒカンが先ほどのチラシを持って立っていた。……先ほどの?!
「ちょ! お前! 死ねよ!」
「なーにいきなりヒデぇこと言ってんだよクナイちゃん。それよかクナイちゃんやったじゃんか。前から欲しがってたもんなぁ、エイヒレ味のやつ。どうせこれから姉ちゃんと買いに行くんだろ?」
この7割ハゲがぁ……。
潰してやる。
「おい、レナ、知ってるか? 最近、ジョセフが夜中にギュスターブ用のこんにゃく盗んでトイレでエロいことに使ってるって」
「ちょ! クナイちゃん?!」
レナには大切な用事ができ、俺は離乳食を買いに行けず、ジョセフは翌日仕事を休んだ。
いつだってそう、争いってやつは何も生まず、俺たちから大切な何かを奪い去っていくだけだ。
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