生後100日目
「おいジョセフ、知ってるか?」
幸福とはなんだろうか?
毎日美味い飯を食い、働きもせず安全に暮らすことであろうか?
それはきっと正解でもあるし、不正解でもあるのだろう。
実際俺は今の保護され保証された生活に安心感を得ているし、それに対して幸せを感じている。
最初はうざったかった離乳食の味も今じゃ満足できているし、安心してバカ騒ぎ出来るダチがいて、惚れた女と毎日会える。
そんな暮らしが幸せでないわけがない。
「ん? どした? そんな真剣な顔して」
今のところ命を脅かす輩もいないし、俺の今の暮らしは安全で、尚且つ退屈でもない。
けれど、俺がこれから死ぬまでこれ以上の幸福がいらないかと言われればそういうわけではないし、もしも『お前の幸せはこれが天井だ。この状態が一生続く、ただそれだけだ』なんて神的な存在から言われちまった日にゃあ気が狂うほどに苦しむだろう。
このことから導き出される答えは一つ。
つまり幸福と未知との遭遇ってやつには、切っても切れない関係があるってことだ。
いつの日かレナが俺に振り向いてくれるかもしれない。
いつの日かジョセフが今までにはありえないほどの醜態を見せてくれるかもしれない。
いつの日かダニーが危険な性癖に目覚めるかもしれない。
もしもそうなった時、俺が一体どんな感情になるのかなんて今はまだ知る由もない。
だからこそ俺は手放しに”今”という過去にも未来にもカテゴライズされていない、記憶も思考もシカトした時間軸を身体中で感じながら生きていけるのだろう。
「こないだ酒場でオッサンの集団が話してんのを聞いたんだけどよ?」
だから責められないはずなのだ、人が”未知との遭遇”を求めて行動することを。
「町はずれに、”裸を見せたがる女の集まる酒場があるらしいんだ」
「……っ!」
そう、それをジョセフに話すことも、この愛すべきモヒカンがそれを訊いた瞬間、電撃が走り抜けたように身体をピンと硬直させたことも、誰にも責められはしない。
そんな奴がいるとしたらそいつは、……悪だ。
「ど、どうだ? その、……今度よ?」
ジョセフは目をカッと見開くと、素早く俺の肩に腕を回し耳元でささやいてくる。
『……ちょ、クナイちゃんよぉ、……んな大事な話、……こんなとこでしてんじゃねぇよ! 姉ちゃんに聞かれたらオジャンになっちまう』
……しまった、俺としたことが。
そうだった、物事にはいつだって例外というものがあるのだ。
俺の大切な”未知との遭遇”を邪魔しても悪だと口汚く断罪するわけにはいかない存在。
世界一の女、レナがいた。
自分に散々好き好き言って口説いて来ている男と、先日好きな女との仲を取り持つために一肌脱いでやった弟。
そんな二人が手に手を取り合って会ったこともない女の裸を目指して未知の世界に物故んでいこうとしている。
……知れば邪魔をするに決まっている。
邪魔されるだけならまだいい方だ。
きっと俺は軽蔑され、ジョセフは血まみれになるのだろう。
ならば、……知られるわけにはいかない。
「……すまん、軽率だった。とりあえず店を出よう」
☆
「…ゴクリ、……ホ、ホントにここが」
「ああ、俺の聞いた話が嘘でなければこの店で間違いない」
20分ほど歩いた町はずれの寂れた住宅街。すすけたネオンの看板に書かれた文字は『PROVIDER』、……提供者、か。
これから過ごす”今”ってやつは、俺たちに一体どんなものを提供してくれるというのだろうか。
「い、……いくぞ」
「やべぇ、……興奮してきた」
俺は路上でダブルピース顔をする公然わいせつ野郎をおいて、ドアに向かって歩き出す。
「ちょ! 待ってくれよぉ……」
情けない声をあげながら追いかけてくるモヒカン野郎に思わず笑みをこぼしてしまう。
久しぶりだ、こういう感情は。
初めて好きになったあの娘に告白する前も、こんな風に胸が高鳴っていたっけか。
……と、ドアを目前としたところで急に未知への扉がひとりでに開く。
「……あれ?」
「「……え?」」
そこから現れたのはなんとアシュリーだ。
彼女は突然現れた俺たちに、胸の大きく開いたワインレッドのワンピース姿で可愛くキョトンと首をかしげる。
「あ、ああああアシュリーちゃん、え? マジ? ……え?」
「ジョセフくんにクナイちゃんじゃーん? え? 何? 二人もこの店よく来るのー?」
ワンピースの締め付けで寄せられた胸の谷間にいつもなら鼻の穴から最大瞬間風速200mをたたき出すであろうジョセフが、その魅惑的な部分に一切視線を向けず、ただひたすらに慌てふためく。
「そ、そそそそーなんだよ! え? アシュリーちゃんもこ、こここここによく?」
完全に裏返った声でドモるジョセフにアシュリーは弾んだ様子で微笑むと、
「そーなんだー、やっぱさ? せっかく素敵なもの持ってても、見てくれる人がいないと意味ないってゆーか? やっぱし? 見られて褒められてナンボってゆーか? つくづくわたしも欲しがりなんだよねー」
テヘヘとばかりに照れ臭そうに頬を掻くアシュリーを見てジョセフはあんぐりと開けていた口を無理やり抑え込み、裏返った声を必死で絞り出す。
「……み、みみみ見られたいの?」
「……もう、そんな驚かなくてもいーじゃん! 別に見られて褒められるのが好きでもいーじゃ……きゃっ!」
頬をぷーっと膨らませるアシュリーの肩をジョセフは強くつかむ。
「ア、アシュリーちゃん……聞いてくれ」
「ちょ! なに? ……痛いよ」
苛立ちと恐怖心の入り混じったアシュリーの眼を、ジョセフはただ真っすぐに見つめる。
「アシュリーちゃん、俺、その、俺さ? 俺じゃダメかもしんねーけどさ? ……その、俺、俺さ? アシュリーちゃんが持ってるもんなら何でも見たいと思うし、何でも褒めたい、……いや、褒めずにはいられないと思う。その、……き、気持ち悪いって思われりゃそれまでだけど、……けど」
「ちょ! わかったから離してよ」
「あ、……ごめん」
ゆっくりと肩を離されたアシュリーは少し怒り気味な上目遣いで言う。
「……そんなに見たいの? わたしの、……ハダカ」
「……ああ、もちろんアシュリーちゃんが嫌じゃなければだけど」
アシュリーは肩を竦め、ふふっと小さく微笑んで自らの首の後ろに手を回す。
「……しょーがないなぁ、はい、どうぞ」
そしてジョセフの眼前に露わにされたのは、それはそれは美しい……、
「ネ、ネックレス?」
ジョセフの前に差し出されたのは、美しいクリスタルのような石らしきものを繋いで作られたネックレスだった。
「え? 何言ってんの? 見たかったんじゃないの?」
「え? あ、いやでもハダカって……」
アシュリーはキョトンと首をかしげながら、
「もう~、何言ってんの? ハダカっていったらこの透明なネックレスのことじゃーん。透明な石で作るからその裏側の肌が丸裸だからハダカって名前で……、ってやだ! ……ちょっともしかして」
バターン!
大きな音とともにジョセフは両腕を広げ仰向けにぶっ倒れ、ピクピクと痙攣しながら泡を吹き始めた。
「ジョ、ジョセフくーーん!!」
もしも神がいるのならば、きっとひどく滑稽に見えているだろう。
けれど俺は、この、あまりにもひどい”未知との遭遇”を果たしたこの男を、決してバカにすることはできない。
だからこの滑稽な男を、どうか愛してやって欲しい。
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