生後99日目

 ペンは剣よりも強し!


 なんて昔の言葉がある。


 人の放つ言葉には、暴力よりも強い力があるのだ。だから俺たちは気に食わないから、わからせたいからといってすぐに暴力に走らず、しっかりと話し合うべきなのだ。


 生前、俺は喧嘩がそんなに強い方ではなかった。どうしてもやらなくてはならず拳を振るったことは何度かあるが、基本的には殴られるのも殴るのも嫌いだった。


 俺のかつてのダチは、質の悪い輩からの暴行で右目の視力を失った。


 腕力による主張ってのは、いつも俺の目の前から大切なものを奪っていく。


 だから俺は、暴力を振るわない。


 誰かの肉体よりも、己の今後よりも、大切なものを守るとき以外。


 だから俺は話し合う。ロクに働きもせず、言い訳と雑談で鍛えた口八丁で勝利を勝ち取る。


 それが俺だ!



「いや、だから言ってんだろ! んなもん俺には必要ねぇってんだ!」


「クナイちゃんワガママ言わないの! みんなやってるんだから!」


 ある心地よい昼下がり、俺はレナの家のリビングの床の上、両手両足を大の字に広げ言葉という名の概念的ナイフを持って全力で闘争していた。


「うるせぇよ! みんなやってるからってなんだよ同調圧力かよ! てめぇ基本的人権の尊重って知ってんのか? 人間ってのはなぁ! どうしてもやりたくないことってのは、……やらなくてもいいんだよ!」


「……そんなわけないじゃん!」


 俺の理路整然としたナイフを軽く受け流したレナは、俺の頬を強めにつまみ、零れ落ちそうなまつ毛に包まれた瞳でまっすぐに睨みつけてくる。


 しかし、俺は自由と権利の使者、愛する女相手といえど負けるわけにはいかない。


「いーや、そんなわけある! お前がやってることは拷問だ! 赤子に不必要なもの強要する悪魔め!」


「クナイちゃん、……さすがにやった方がいいぜ?」


 横で見ていたジョセフまで悲しそうな視線をよこしながら言う。


「バカは黙ってろ!」


「な、なんだよぉ、……最近俺のことバカにしすぎじゃない?」


「ならてめぇ、”おっぱいが柔らかい理由”知ってるか?」


「……そ、それは知らねぇけどさ」


「ふっ、それはな? おっぱいの中には赤ん坊に優しくするための脳内成分がぎっしりと詰まってるからだ。つまり、実際に女に赤ん坊を見せて赤ん坊への思いを募らせればらせるほど、おっぱいはデカくなる! ババァのおっぱいがしぼんでるのはしっかりと赤ん坊を育てあげた結果、赤ん坊への欲求に満足しちまったからだ!」


「な、……なんだと? じゃあアシュリーちゃんにクナイちゃんを合わせ続けるとやがては……」


「嘘だバカ! 言われたことなんでも簡単に信じてんじゃねぇ!」


「……なんでそんなウソつくんだよぉ、一瞬メチャクチャ期待したじゃんかよぉ」


 ジョセフは言いながら涙目になる。なんてチョロい男なんだ、心配になって来た。


「うるせぇうるせぇ! 真実の判断もつかねぇようなバカは黙ってろってんだ! 俺は守る! 自由と人権を守るんだ!」


「クナイちゃん……」


 そこでレナが悲しそうに目を細める。


「レナ、俺は別にお前を悲しませたいワケじゃねえんだ。けどよ? わかってくれ、男には時に守るために戦わなけらばならない時が……」


「……かっこ悪い」


 そう言い放つレナの瞳には、明らかに俺に対する侮蔑の念が込められていた。


 ……まずい、心が、心が挫けてしまいそうだ。しかし、……しかし。


「いいか? よく聞け、俺がもしお前の言う通りにすれば俺は必ず泣き叫ぶ。年甲斐もなく、今よりもはるかにかっこ悪くだ。そんな姿を惚れた女に見せるわけにはだな……」


「そんなので今更クナイちゃんをかっこ悪いなんて思うわけないじゃん! 昨日だってウンチ拭いてあげたけど、別にそんなのなんとも思わないもん! クナイちゃんがいなくなっちゃうことの方が嫌だもん!」


 ……っ。


 俺は、俺はどうすればいいんだ。


 いや、……答えは初めから決まっていたはずだ。


 好きな女に心配かけて、涙ぐませて、こんなにも悲し気な顔をさせるために、俺は戦っていたのだろうか。


 俺の目の前で世界で一番いい女が、どんな宝石よりも綺麗なその瞳を悲しみの涙で潤ませている。


 俺は、俺が一番守りたいものってのはこの女の笑顔なんじゃないのか?


「……すまない。わかった、お前の言う通りにするよ」


 そう言う俺をレナはギュッと抱きしめると、太陽よりも眩しい笑顔をぱっと花咲かせる。


「よかったぁ、……ホントにびっくりしたんだからね?」


 そう、他人のことでここまで心を揺らして、そいつの行く末を心配して涙を流し、そしてそいつの行く末に安心すれば自分のこと以上に喜びを溢れさせる。


 こんなにも優しくて、暖かい女に悲しみは似合わない。


 もしも神がいるのならば、そのまま黙って聞いていろ。


 俺は絶対守るんだ。


 この女の笑顔を、この最高の女の心をな。


 そのためなら俺は言葉はおろか力だって行使する。


 地獄に落とすなら落としやがれ。


 レナの泣く声が聞こえるならば、たとえ地獄をぶっ壊してでも駆けつけてやる。


「よかったぁ、……じゃ、気が変わらないうちにお注射いきましょうね~」


「……テンション下がるからその名称出すんじゃねぇよ」

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