物語の始まりへ



「まあ、でも確かにいいものを見た気分だわ。肖像画を飾っておきたいくらいよ」

「や、やめてください」

「ね、お兄様」


 エリザベスの冗談は笑えない。

 そして「見たい見たい」と騒いでいたもう一人の肩を叩く。


「? お兄様?」

「?」

「エルヴィン殿下? どうかされましたか?」


 だが反応がない。

 微妙に嫌な予感がしたので、ススス、と伯母の後ろに移動する。

 代わりに伯母がエルヴィンへ首を傾げて聞いてくれたが、全体的に「あ、やな予感」という空気は醸し出ていた。

 エリザベスが改めて肩をバシバシ叩く。

 すると、ようやく呼吸を思い出したとばかりに「ハッ!」と叫んだ。


「うっ、う、美しいいいいいいぃぃ!」

「お兄様!?」

「美しい、美しい! 美しすぎるー!」

「ひい!」


 伯母の後ろにいたのにも関わらず、秒で発見されて両手を広げたエルヴィンに追い回され始めた。

 慌てて逃げる。

 伯母を盾にして逃れようとする。

 だが無駄だ、相手は公太子。

 伯母の蔑んだような目で睨まれても公太子エルヴィン、止まらない。

 ギョッとしたジェイルが慌てて羽交い締めにするが、口までは止められないのでそれはもう「美しい、美しい」と繰り返す、壊れたおもちゃのように事になっている。


「美しい〜! 美しすぎて……ああ、もう、この胸の高鳴りを抑えられない! オリバー! ぜひ、我が妻に!」

「俺は男です! 婚約者もいます! なに言い出してるんですか!」

「「殿下ぁ!?」」

「おおおお兄様!? お父様! お兄様が! お兄様が壊れましたわよ!? 男を妻にとか言い出しましたわよ!?」

「おお、エルヴィンよ……ずっと眺めていたい気持ちはとてもよく分かる。分かるから、今度宮廷画家に自画像を描かせて広間に飾らせよう。それで我慢しなさい。余もそれで我慢するから」

「そ、それもおやめください!?」


 公帝家の親子、頭がおかしい。


「嫌です! 私はオリバーを妻にします!」

「殿下、落ち着いてください!」

「な、なぜ! 異常状態耐性は付加していたのに!」

「……単純にオリバーの顔が好みドンピシャだったのかしら〜」

「伯母上冷静に分析している場合ではありません!」

「そ〜ね〜。これは困ったわね〜」


 騎士たちがエルヴィンを引き離し、エリザベスが兄にお説教を始め、ヌケヌケと公帝はお茶を飲み始める現場。

 ただの受勲と任命で終わるはずの、こじんまりとした式のはずがどうしてこうなったのか。

 終わったらすぐ帰れると思ったのに。


「オリバー・ルークトーズ、兄のアホぶりを兄に代わって謝罪するわ。ごめん」

「エ、エリザベス殿下……」

「まさかこんな事になるなんて思わなかったのよ。兄はどちらかというと女性大好きで、帝都の令嬢はほぼ口説き終わっているくらいには……女性が大好きだったから」

「それは、それは……」


 プレイボーイなんですね。

 とも言えず。


「お前の婚約者に申し訳ない事をしてしまったわ。でも、兄とお前の結婚はわたくしもいろんな意味で反対だから絶対阻止してみせる。安心なさい!」

「はい、絶対よろしくお願いします……!」


 まさか大して好きではなかったハーレムヒロインエリザベスに、ここまで縋るような思いで手を合わせる日が来るとは。

 人生本当に分からないものである。


「エリザベス! 私は諦めないぞ! 国の法を変えてでも、彼と結婚する! 彼が他の女性と結婚するというのなら、その女性ごと扶養する!」

「もうなにをおっしゃってるのお兄様! いい加減に黙らっしゃい! 言ってる事が支離滅裂なのよ! 冷静におなり!」

「そうです殿下! 落ち着いてください!」

「私は至極冷静だ!」

「「「どこがですか!」」」


 主にクローレンスとジェイル、ハルエルに引っ張られ、エリザベスの指示で部屋から連れて行かれるエルヴィン。

 執事に促され、公帝もいい加減公務に戻る事にした。

 むしろ最後まで駄々をこねたのは、この公帝。

 しかし、それも伯母の「まあ、陛下……」の、たった一言で顔色を悪くして部屋から出ていく。

 どういう事なのか。

 怖いので詳しくは聞けない。

 それにしても、エルヴィンのあの姿……公太子の姿としてはだいぶまずい感じに見える。

 広場に残されたのはマルティーナ伯母、アーネストとルネーシス。

 そして、震えるオリバー。


「オリバー、貴方もう今日は帰りなさい。あと、今後エルヴィン殿下の名前の呼び出しは応じなくていいわ。エリザベス殿下の権限で却下して頂くから」

「はい!」

「でも一応、ジェイルの直属となるからジェイル経由の連絡は目を通すようにしてね。まあ騎士と言っても、貴方をこき使ったりはしないから大丈夫。その辺りは伯母様に任せなさい」

「……はい、伯母上……!」


 神かな?


「……で? アーネストたちはなにか言いたげね?」

「……フン……。貴殿ほどの人物が仕えるには値せんと思ったまでだ」

「まあ、またそんな事を言って……ジェイルに聞かれたら怒られてしまうわよ? 私はそれ、何度聞かなかった事にしてあげればいいのかしら……」

「本気で言っているのか」

「だからと言って坊やのものにはならないわよ、私。だって坊やは私に勝った事ないじゃない。私の夫、ジェナイぐらい熱心に口説いてくれなきゃ、その気にもならないわ」

「…………」


 ギロリ、と凄まじい圧。

 やはり『威圧』スキル持ちだ。

 だが伯母もオリバーもそれに屈する総合レベルではない。


(というか、伯母上はこの『威圧』がまるで効いてない……年齢的にも衰えてくる歳のはずなのに……)


 そしてこのアーネストが伯母には勝った事がない?

 その上「坊や」?


(……うちの伯母とんでもないのでは?)


 もちろん、アーネストの話もかなりの『不敬』だ。

 彼は自分が大陸の王に相応しいと思っている。


(……この言い草だと、伯母に味方になって欲しいのか。まあ、自分よりも強い人間がいるなら味方にしたいだろう。……でもなんか俺も見られているような?)


 アーネストの睨むような鋭い視線。

 それは今、伯母でなくオリバーに注がれているような気がする。


「実際問題、マルティーナ殿はあの公太子殿が国を平定してくださると本気でお思いになっておられるのか?」


 話に入ってきたのはルネーシス。

 鎧の擦れる金属音。


(待って、これ、俺がいるところで話していいの?)


 思わず伯母を見る。

 伯母は微笑んでいた。

 ただし、扉の方を向いたまま。


「平定ね……」


 それだけを呟く。

 確かに、『四侯』の存在はある種その地方の『王』と言えなくもない。

 そして、オリバーがこれまで見た限りの印象では、現公帝は気の弱い、でっぷりしたただの小物のおっさんだ。

 先程のエリザベスの口ぶりから、公太子のエルヴィンも女癖が悪いように思う。

 なるほど、やはり『公帝国騎士団』は分裂状態か、と目を細める。


(クローレンスさんとジェイルさんは家の事情もあり公帝に忠義が厚い。ハルエルさんは平民出だから中立。もっと言うと後ろ盾もない。この二人はラノベのストーリーで反乱を起こすから当然『反公帝派』……。それで伯母か……)


 アーネストの担当する『ハグレード地方』のハグレード侯爵は胡麻擂りの得意な『公帝派』。

 おそらく動きづらいのだろう。

 地理的にも立場的にも『イラード地方』担当で『クロッシュ侯爵家令嬢』である伯母の存在は是が非でも味方にしておきたい、と言うわけだ。

 ルネーシスの担当する『ヤオルンド地方』も海を隔てている。

 挟み撃ちを狙うにしても、『イラード地方』や『クロッシュ地方』の協力が欲しい。

 そのどちらとも縁深いのが、この伯母だ。


「貴殿の甥っ子殿はいかがかな」

「は?」

「確かに。貴殿の協力があれば、だいぶ進めやすくなるのだがな」

「っ……!?」

「やめなさい坊やたち。うちの甥っ子はジェイルの部下なのよ」


 伯母が笑みを深くして告げる。

 ルネーシスは肩を竦めた。


「ですが今のですぐに言い返してこないところを見ると、公帝家への忠誠心はさほどなさそうですね。不安が要素が増えてしまいました」

「!」

「ジェイルがずいぶんと買っていたようだが……俺の『威圧』に耐えられていたのであれば信用には足る。俺から言う事は特にない。マルティーナ殿の甥であれば、忠誠心に欠けていても騎士としては認めよう」

「さようですか。アーネスト殿は誠に心が広い。実力があればよいのですからな」

「当然だ。力ない者が騎士を名乗るなど片腹痛い」


 アーネストが一歩、二歩先へ進み扉を開く。

 その背が左の通路へ消えていくのを見送ってから、ルネーシスが同じく部屋を出て右の通路へ消えていく。

 広い講堂に残ったオリバーと、伯母。


「悪いわね、オリバー。あの二人は騎士団に変なやつを入れたくないってごねてたの」

「……試された、という事ですか?」

「八割くらいは本気にしないで」

「…………」


 つまり、残り二割は『そういう意味だ』と言っているようなものだ。

 伯母もなかなか困った位置にいるらしい。

 オリバーの存在は、あの二人にますます変な感情を起こさせたのだろう。

 もちろん、エルヴィンのアレとはまったく別な意味で。


「実際問題オリバーが陛下の呪いを解いてくれたのは助かったわ。だから伯母さんからもお礼を言うわね。ありがとう」

「ううん……役に立てたなら良かったよ」

「……まあ、あのまま大人しくなればいいけどね……」

「…………」


 伯母の憂いた表情。

 果たして戦争は回避出来たのか。



 ***



 それは、とある小さな田舎村。

 その田舎村で、少女の悲鳴が上がった。

 目の前には彼女の幼馴染みである青年が、下顎から突き出たグレートボアの牙に貫かれている。

 腰を抜かした少女……リリは、目を大きく見開き、口を両手で覆った。

 涙が溢れる。

 無理だ。

 あれは、死んだ。

 これまでの十七年間、共に過ごしてきた大切な幼馴染みが……たった一瞬で──。


「うそ、うそ、いや……こんなの嫌……嘘よ……イヤ……いやぁ、いやああぁあぁあ!」

「ぐっ!」

「!」


 グレートボアがズシン、とリリへ向かって歩を進めた。

 牙に貫かれていた青年の体が重力でさらに下へと落ちていく。

 だが、リリが見たのは両腕でボアの牙を掴む幼馴染みの姿だ。


「!?」

「リリは……やらせねぇ……」

「……ザ、ザコ?」

「リリは俺が守る!」


 凄まじい魔力が青年、ザコの手のひらから溢れる。

 牙を砕き、驚いたグレートボアへザコが手のひらを向けるとまたさらなる魔力が放出した。

 誰でも使える、火をつけるだけの魔法……『種火』である。

 それを彼の持つ魔力で最大限に放った。

 火のダメージ事態は大した事がなかったものの、グレートボアは牙を折られた事がショックでそこから逃げ出していく。

 腹を牙で貫かれたままのザコは、はあ、と息を吐いてからその牙を……引き抜こうとし始めた。


「ザコ!? なにしてるの!? っていうか……なんで生きてるのよ!」

「分かんねーよ! 俺だって! てっきり……あ? ……あれ? お前……リリ……か?」

「? そ、そうだけど……そ、それより冒険者ギルドに行こう!? ギルドの冒険者なら、治癒魔法を使える人がいるよ! 助かるかもしれないから! 早く!」


 ボロボロ、ボロボロ、涙を流しながら混乱するリリ。

 その肩に手を置き、ザコは大丈夫だ、と微笑む。

 そして勢いよく、牙を抜いた。

 人の胴ほどある牙だ。

 当然、大穴が空いていた──はずだった。


「っ……!? 傷が、ない……!?」

「は、はは、思い出した……」

「え? あ……な、なん……で? ザ、ザコ?」

「それ、もうやめてくれ。リリ。俺は今日からシュウヤだ。ザコって名前は響きが悪ぃ」

「? な、あ? え? え? ど、どうしちゃったの? どうしちゃったの……? ザ……」

「シュウヤ」


 つん。

 額を指で小突かれるリリ。

 次にその指先で涙を拭われ、ますます目を丸くした。


「……へへ、なるほど……こういう事だったのか。最高の気分だぜ……! 俺は今日からシュウヤとして……この世界で無双する!」

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