聖霊シヅア
それから一時間ほどで、リドルフは戻ってきた。
祖父への挨拶に一階に降りると、応接間近くで客人らしき男とすれ違う。
笑顔で会釈し、通り過ぎるが──。
(ヤオルンドの使者かな)
あまりいい空気は感じなかった。
そして応接間、久しぶりの祖父が、座ってい眉間を揉み解しているところだ。
「お祖父様」
「! お、おおお〜! オリバー! 我が愛しの孫よおお!」
「お久しぶりです。お元気そうでなによりです」
かばぁ! と両手を広げてウキウキ抱き締めてくる祖父。
そんな祖父を抱きしめ返す。
オリバーの祖父、フィトリング・クロッシュはたっぷりとした長く白い髭を垂らしたサンタクロースのような人だ。
お腹もタプタプ。
なので抱き締められるとぽこーん、としたお腹で腰が引ける。
どふっ、とお腹をお腹でどつかれるからだ。
小さな頃はまだそれでもお腹に埋もれる程度だったが、大きくなると縦に伸びたせいでそうなる。
「大きくなったのぅ、大きくなったのぅ! すっかり背を抜かれてしまったのぅ!」
「あはは……まだ同じくらいじゃないですか」
と言いつつ、確かに祖父の頭上が見えるのでやはり今はもうオリバーの方が高い。
小太り……いや、なかなかの体型の祖父だが、毛根の方も逞しいのでオリバーは天の髪……ではなく神に改めて感謝した。
この家の子になれて本当に、本当に良かったと。
「旦那様、そういえば先程オリバー坊っちゃまが『霊器ウェンディ・ランス』を気にされておられましたよ」
「なんじゃと! やっとその気になったか!?」
「いえ、帝都で『聖剣イグリシャクラガ』が紛失したという話題になったので、その流れで」
「そうじゃなそうじゃな! 今のオリバーなら使えるかもしれんもんなぁ! よし! 見に行こうぞ!」
「お祖父様待ってください、それより俺の婚約者の話……」
「なーぁに! それもあとでちゃんと聞くわい!」
「えええ……」
相変わらずパワフルの祖父である。
オリバーの手を掴み、祖父の部屋へと一直線。
ニコニコとついてくるリドルフは止める気がゼロ。
(……これまでは俺が小さかったから、『霊器』を見せてくれなかったけど……今は年齢的にも問題ないもんね。とはいえ本当に聖霊が見えたらどうしよう……下手したらクロッシュ家の跡取りにされてしまう)
それはエルフィーも望まないだろう。
というかそんな事になったら怯えて泣く。
出来れば避けたいのだが、クロッシュ家の『跡取り候補』としては避けて通れぬ道である。
「まあ、そう心配するな。本当に聖霊が見えた者など、我が家が始まって以来一人もおらんわ! はっはっはっはっはっ!」
「で、ですよね」
『霊器に宿る聖霊が見えた者に、家督を譲る』。
そんな家訓がある家は、『四侯』の中でクロッシュ家だけだろう。
とはいえ祖父の言う通り、聖霊が見えた者はこれまで一人もいなかったらしい。
祖父の部屋から本棚へ。
指定の場所の本を入れ替えると、隠し扉がゆっくり開く。
こここそ、この屋敷である意味もっとも重要な場所。
「さあ、あの奥じゃ」
「…………」
祖父の集めるコレクションルーム。
そこに並ぶのは、全て聖霊武具。
(うわあ……俺に寄越したやつってほんっとに一部だったのか……!)
祖父は武器・防具コレクターだ。
戦えない貴族にありがちな「強い装備に憧れる」というやつである。
オリバーに贈ってきた武具は祖父のコレクションからはみ出た……正しくは『置き場がなくなったやつ』……と、聞いた事があったが、どうやら本当にその通りだったらしい。
「なんだ? なにか気になる武器があるのか? 良いぞ良いぞ、なんなら新しく作らせるぞ」
「だ、大丈夫です! まだお祖父様に頂いていた武具を、ほとんど使いこなせていないので!」
「なんじゃそうなのか? Bランクになったと聞いておるが……」
「お祖父様……聖霊武具は使い手との相性も重要なんですよ。俺は風属性や土属性や水属性は比較的得意なんですが、火属性はあまり得意ではありません……。火属性の聖霊武具は一度使うと立てなくなるほど魔力を消費してしまうんです」
「ほーん」
「…………(だめだ、全然理解する気がない)」
一応こちらを見上げてはいるが、顔が「よく分からん」と言っている。
説明するのを諦めて、肩を落とす。
「えっと、まさかこの部屋の中に『霊器』が?」
「いや、もっと奥じゃ」
「奥って……」
壁しかないのでは、と思ったら祖父は部屋から真正面の壁をくるりと回転させた。
なんというシンプルな仕掛けだろうか。
思わず目を剥いてしまう。
「さあ、こちらじゃ」
「…………」
その先は風通しの良い中庭。
しかし、レンガの壁に囲まれている。
一応手入れのされた草木。
その中央の屋根のあるガゼボの中にそれは突き刺さっていた。
「………………」
「『霊器ウェンディ・ランス』は風を司ると言われておるから、風通しの良い場所にしたのだ」
という祖父の話は右から左へ出ていく。
息を飲んだ。
そこに、
『……ふがっ』
「…………っ」
「オリバー? どうしたんじゃ?」
「坊っちゃま?」
地面の台座に突き刺さった、半透明な薄緑色の槍。
その前に、よだれを垂らして寝る女。
不思議な衣装で、顔に向かって内巻きになった髪の色は白から毛先に行くにつれ緑色。
肌も白く、なにより空気が『生き物』とは違う。
「オリバーや、ほれ、抜けるかどうか試してみんか」
「…………え、や、や、やらなきゃだめですか?」
「当主命令!」
「くっ」
完全に遊んでいる。
だが、当主としての命令ならば仕方ない。
槍に寄りかかって眠る『なにか』を避け、横に移動して霊器に触れようとした時だ。
『触るな』
「!」
低い、一言。
思わず手を引っ込める。
『…………へえ、聴こえてんのか』
「っ!」
しまった、と後ろに下がると、その女は立ち上がる。
開いた目にはダイヤ型の細い線が入っていた。
意地悪そうな笑みを浮かべたその女は、オリバーよりも背が高い。
「オリバー? どうしたんじゃ?」
「ど、どうしたって……」
この女が見えていないのか?
まさか?
そう、祖父たちの方を横目で見る。
すると目の前の女も祖父たちの方を見た。
笑みを浮かべたまま、しかし、その目は蔑むようでもある。
『無駄だぜ、あのジジイたちはオレ様の姿は見えねーよ。なにしろ霊力からっきしだからな。てめーみてぇなのはレア中のレアだぜ』
「……霊力? ……っ! ……じゃあ、貴女は聖霊なんですか?」
『なんだ、分かってんじゃねぇか』
「聖霊? オリバー、お主聖霊が見えたのか!?」
「!」
しまった、と苦い顔をしてしまう。
なにか不思議な存在だとは思った。
まさか、とも。
だがまさか……。
(本当に、聖霊が……)
いる、と信じているのと、目の前に現れられるのではまったく違う。
あまりの事態にさすがに混乱してきた。
腰に手を当てたその女は、オリバーを楽しそうに見つめる。
これが聖霊。
まるで人のような姿をしている。
思っていた聖霊とはかなり違った。
てっきり妖精のような小人を想像していたのに。
「あ、貴女は、本当に、聖霊なんですか?」
『いかにも。オレ様は風の聖霊シヅア』
「……シヅア、様……」
「オリバー、誰と話しておる? まさか……まさか本当に……」
「聖霊様、と?」
「…………」
祖父たちは本当に見えてないのか?
交互に見ると、シヅアは『そいつらには見えない』と改めて否定する。
『オレ様たち聖霊は精神と魂の存在。霊力のない者には見えないし触れられないし、声も聴こえない』
「……精神と、魂……」
『アー、そういやァ、ここの屋敷の人間は代替えの時にオレ様を抜けるかどうかを試すんだったなァ。なるほど、次の当主はテメェか小僧。フン! 久しぶりになかなかマシな奴が来たじゃねえか。でもダメだ』
「は、はい?」
『
「………………」
は?
……と、思わず聞き返しそうになった。
それを飲み込んで、「どういう事でしょうか」と聞き返す。
『歌い手が一緒じゃねぇみてえだからな。テメェはオレ様が見えるし話せる……それはオレ様とこの槍を使う資格があるって事だ。だが、オレ様たちが力を貸すのは歌い手を守る時なのさ』
「? え? う? えーと、その『歌い手』というのは、なんでしょうか?」
『それが分からねーならまだその時じゃねえという事さ。良かったじゃねーか。世界はまだヘーキってこった』
「……世界は、まだ……?」
『だが久しぶりに会話したからオレ様めっちゃ機嫌がいいぜ。これをやろう』
「!」
ごう、と強風が吹く。
それが目の前で球体になるよう集まっていった。
目の前で起きる不思議な現象。
それは次第に、物質化していった。
……風属性の『聖霊石』だ。それも、『Aランク』の。
「ぅええええええっ!?」
『たまに話し相手になれば、こういう報酬をくれてやってもいいぜ。暇だからな、オレ様』
「え、あ、え、え?」
「な、なんじゃぁ! 『聖霊石』が現れた!?」
「ぼ、坊っちゃま!」
「…………っ」
ぽん、とオリバーの手に乗る。
すると新たな魔法がオリバーの中へと入っていく。
全て上級魔法。
中でも驚いたのは……。
(瞬間転移と、瞬間移動……!)
瞬間転移は離れた場所へ単身で飛べる魔法。
瞬間移動は近距離から近距離への移動。
どちらも着地位置のイメージが弱いと建物にぶつかったり、宙に放り投げ出されたり危険である。
だが、これが使えればとんでもない。
移動距離は、ほぼゼロだ。
(それに、最後の一つ……『テンペスト』……)
『テンペスト』は大竜巻を最大六つ、巻き起こす。
風属性の中でもエルフクラスの魔力がなければ扱えない最上位の魔法だ。
いくら相性のいい属性とはいえ人間のオリバーに扱えるのか……そんな不安も、シヅアはお見通しらしい。
『そう身構えるな。これもおまけでやろう』
「え?」
『聖霊石』を指差したシヅア。
その指先を、下へと向ける。
「え!」
その瞬間、『聖霊石』がオリバーの手の中へと溶けて消えた。
物質であるはずの『聖霊石』が、だ。
それを見ていた祖父も、リドルフも、そしてオリバー自身も叫ぶ。
「「「『聖霊石』がぁぁぁああぁぁぁぁ!?!?!?」」」
『ククク。これでオレ様が唾つけたって事で』
「ななななななんですかこれ! なんですかこれぇ!」
『別に。霊力が少し強くなるように入れ物入れただけだぜ。ヘーキヘーキ、死にゃあしねぇよ』
「そ、そういう問題じゃないですよ!」
『霊力が強くなれば魔力も強くなる。人間のテメェでもこのくらい軽く使えるようになるって。感謝しな!』
「っ!」
「オオオオォォオオオリバー! オリバーやぁ! 大丈夫なのか!? 一体なにが起きたんじゃぁあ!」
「坊っちゃま! ご無事ですか!」
大慌ての祖父とリドルフ。
オリバー自身も、恐る恐るステータスを開いて確認をする。
「…………ま、魔力最大数値が上がっている……」
「「え!」」
『ククク……。……まあ、もし万が一だ……もし、万が一、坊主……テメェが『歌い手』と出会う事があったらまた来な。その時はこの槍とオレ様が直にテメェに力を貸してやろう。他の奴らもな』
「……? 他の奴らも……?」
『…………』
スッ……と消えていくシヅア。
そこにはもう、なにもいない。
ステータスを閉じて、心配で泣き始めた祖父を宥めに入る。
まずは祖父を落ち着かせた方がいいだろう。
(……一体、神様は俺になにをさせたいんだ……)
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