仮面の下が誘う破滅



 その少女、名をミリィという。

 日も落ちて夕食も終わり、あとは自由な時間。

 彼女は次の社交シーズン、伯爵の開くパーティーで会場給仕に決まっている。

 理由は見目が良いからであった。

 下町の孤児が「自分は他の子よりも見目が良い」からと伯爵家のメイド長に直談判して、ようやくここまでたどり着いたのだ。

 そう、自分は幸せになる。

 そう誓って、あの門を叩いた。

 幸せになるための努力もしてきたつもりだ。

 だというのに没落貴族のあの娘……エルフィーは貴族の血が流れているというだけで優遇されてきた。

 なんであの娘なのだ?

 パッとしない容姿、愛嬌もなく、いつも隅でボケッと突っ立っているあの娘が!


(許せない! なんで! なんで! なんであんな奴がマグゲル家の養女に選ばれるのよ!)


 息子のウェルゲムはまだ九歳になったばかり。

 それでもお世話をしていれば、あるいは将来の伯爵夫人も夢ではないかと思っていた。

 しかしウェルゲムのお世話係を担当する若いメイドの一人はエルフィーが任され、自分は屋敷の掃除を担当。

 あの娘だって、別段貴族として教育を受けているわけではないというのに、解せなかった。

 だから自分の担当個所を、あの子が食事や休憩の時間になったら「代わりにやっておいて」と押しつけてウェルゲムの世話に行ったりしていたのに。


(なんであんなブスに! 一目惚れ!? ありえない!)


 昨日の事だ。

 昨日の昼間、あのエルフィーから金を巻き上げた直後反対の通りに仮面の冒険者を見かけた。

 最初こそ「なにあれダサ……」とほくそ笑んだが、彼が仲間と合流して立ち位置を少し変え、振り返った瞬間そのひどく整った容姿を隠す仮面だと気がついた。

 言葉遣いも丁寧、物腰も柔らかい。

 なにより声がいい。

 まだ成長途中の少し高い声だが、低音が混じり始め、甘さも感じられた。

 仮面の目元から覗く青い瞳は澄んだ色合いで、更々とした銀髪と相まって彼だけがキラキラと輝いて見える。

 あれは、貴族だ。

 周りの冒険者たちとは間違いなくその所作が違う。

 だから思わず声をかけた。


「なにかお困りな事はありませんか?」


 と。

 すると彼は怪訝な顔で「いいえ」と答える。

 当然だ、オリバーからすれば見ず知らずの町娘が突然声をかけてきたのだ。

 ついでに言えば、オリバーは女性不信の気がある。

 用もないのに声をかけてくる不審者に靡くはずもない。

 貴族であればこそ、尚更なのだ。

 だがミリィはそれを知らない。

 知らないからしつこく声をかけ続けた。


「嬢ちゃん、メイド服だが仕事中じゃないのか? どこのメイドだ?」


 結局あまりにもしつこくしすぎて仲間の冒険者たちが数人、間に入って邪魔をするので諦めたのだ。

 強く睨みつけたが相手は魔物と戦い慣れた冒険者。

 ただの町娘の睨みなど、どうという事もない。

 舌打ちして別れたあと、エッダたちと合流して残りの買い物を手伝う。

 エルフィーとはぐれていた……という事にしたので、エッダたちは噴水の前に向かう事にした。


(チッ、あんな女別にどうなったっていいのに)


 そう思っても口にはしない。

 さすがにそれはあからさますぎる。

 だが、そこに偶然現れた下町時代の知り合いが声をかけてきた。

 エルフィーは捕まったが、あんな女はどうなろうが知った事ではない。

 むしろ、あいつらに好きにやられてしまえばいいのだ。

 そんなミリィの仄暗い思いとは裏腹に、エルフィーを助けたのがあの仮面の少年……。

 しかも、エルフィーに一目惚れしたと言い出し、婚約まで持ちかけてきた。

 話はそれだけで終わらず、その名前……オリバー・ルークトーズはやはり貴族で、しかも隣の『クロッシュ侯爵家』の直系。

 大貴族の後ろ盾を持つ、ウェルゲムよりもよほど将来有望な貴族!

 なんと公女エリザベスの婚約者候補でもあるらしい。

 そんな少年が! 目の前に!


「しっかし、どうしてそんな大貴族の跡取りがエルフィーに婚約を? 本当に一目惚れだとしたらすごい事だよ」

「そ、そん、そんな……な、なにかの間違いでは……」

「でもあんたの事名指ししてたしねぇ」

「…………」

「まあ、本気なら数日中になにかあるかもしれないよ。楽しみだね!」

「そんな……」

「…………」


 強く、強く、エルフィーを睨みつけた。

 エルフィーはそれに気づいていながら……いや、気づいていたからこそミリィを見ない。

 屋敷に帰ったあと足をこっそり蹴飛ばしてやったが、まったく気は治らない。

 それどころかあの少年から本当に手紙が旦那様宛に届いた。

 その場で破り捨てれば良かったのに、旦那様の執事にすぐに見つかり、回収されてしまう。

 ──このままでは本当にエルフィーがあの少年の婚約者になる。

 あんなブスが。

 あんな女が。

 なぜ?

 下町で産まれて泥水を啜って生きてきた自分には幸せになる権利がある。

 美味しいものを食べ、好きな時に寝て好きな時に起きて、贅沢なドレスや装飾品を纏い、仕事は全部他人がやってくれる、そんな生活。

 奥様のような……あんな幸せな生活を……。


(アタシが幸せになるのよ!)


 大貴族の妻になれば、伯爵の夫人ルジアのように奴隷の男を侍らせ、チヤホヤされながら一生幸せに暮らす事が出来る!

 この伯爵家でさえ、夫人となったルジアはあんな素敵な生活を送っているのだ。

 これが大貴族になれば、どれほど……。

 それになによりオリバーというあの少年の美しさ。

 あんな少年が自分のものになる。

 自分を愛し、甘やかし、一生大切にしてくれるのだとしたら?

 想像しただけでミリィの口許は歪んだ。

 よだれを飲み込んで、喉を鳴らす。

 そう、全部欲しい。


(……そうよ、もっと早くそうしておけば良かったんだわ)


 邪魔だ。

 あの娘は、その障害になる。

 今まではストレス発散の捌け口としてちょうど良かったけれど、明確な『邪魔者』になった今、排除すべきだろう。

 こうなる前にそうしておけば良かったのに、生温い事をしてきたものだ。

 ミリィは夜の町を、フードつきのマントを被って進む。

 仕事帰りの職人や冒険者が飯屋や酒場に集まって騒ぐその横を、ミリィは足早に駆け抜ける。

 行き先は町の端っこ。

 仕事にも就かず、あぶれ者が集まる下町だ。

 それでも人情に厚い人たちがそんな奴らをまとめて、町の一部としてそれなりに貢献はしていた。

 だが、本当に貢献している程度。

 伯爵に逆らえる人間は町にはいない。

 下町のまとめ役も、ギルドマスターも……伯爵の『威圧』は一発で彼らを黙らせる。

 力こそすべて。

 そう言わんばかりに。


「…………あん?」


 ミリィは笑っていた。

 そして、下町の路地裏で屯っていた男たちを見つけると立ち止まる。

 怪訝そうに見上げてくる男たちは、フードの下の笑みにますます眉を寄せた。


「ミリィじゃねぇか、こんな時間になんだ?」

「遊んでくれんのかよ?」

「儲け話をもってきたの。伯爵家の裏口のドアを開けてきたわ」

「はあ?」

「お金は好きにしていいし、なんなら伯爵もやっちゃっていいわよ。でも、一つだけお願いがあるのよね……エルフィーって覚えてる? アンタが昨日手掴んでた女。あれは絶対殺して」

「「「…………」」」


 男たちは昨日の昼、ミリィとエルフィーに絡んだごろつきたち。

 顔を見合わせ、ミリィの真意を掴みかねている様子だった。

 酒瓶を持ち上げ、口で直に飲みながらその目は「なにを言ってるんだ」と言わんばかり。


「あんなぁ、伯爵家に入って物盗りしろとか、無理だろうよ」

「こっちになんの旨味があるんだよ。町にいられなくなるだけだぜ」

「しかも貴族殺しまでしろとか……頭湧いたのか? 引きずり回しの上死刑だぜ? 冗談だろ」

「じゃあ今からエルフィーを連れてくるから、アンタらの好きにしていいわ。最後に殺してくれればそれでいい」

「…………」


 リーダー格の男が眉をしかめる。

 とことん、ミリィがその『エルフィー』を消したがっている、というのは分かった。

 だがリスクの方がでかい。

 小娘一人を殺すリスクと、一時の快楽。

 天秤にかけるまでもない。

 彼らはその日を楽しく暮らせればそれでいいだけのごろつき。


「やなこった」

「だなー。こっちにはなんもいい事ねぇ」

「なによ! 伯爵家の金を盗み放題だし、女を一人好きに出来るのよ!」

「その女って別にお前じゃねーんだろう? しかも殺せとか物騒だなぁ。性格の悪さは本当天下一品だよお前」

「…………そう、じゃあ仕方ないわね」

「?」


 ミリィがマントの下から取り出したのは、一目で高価と分かる短剣だ。

 それにごろつきたちは目の色を変える。


「ま、まさか」

「そう、旦那様が現役時代に使っていた、聖霊武具よ」


『聖霊石』を用いた武具。

 そのどれもが高級品であり、嵌め込まれた『聖霊石』によって魔法の力が付随する。

 威力は当然、言わずもがな。

『火の伯爵』と呼ばれたマグゲル伯爵の聖霊武具は、当然柄の中央に赤い『聖霊石』が嵌め込まれている。

 ごろつきたちの目が輝きながら、ふらふらと立ち上がってミリィへ近づく。


「まさか、これを……」

「どう? 報酬はこれ」

「つーか、どうしたんだよ? これ。まさか……」

「ふん、どうでもいいでしょ、そんな事。それよりどうするの? やるの? やらないの?」

「…………」


 ごろつきたちは顔を見合わせて笑う。

 これが報酬ならば、話は別だ。


「いいぜ」

「あの子の死顔を見せてくれたら渡すわ」

「ちっ。まあ、いい。おい、行くぜ。仕事だ」

「仕方ねぇなぁ」

「皆殺しにしちまってもいいんだろう?」

「ええ。でも、エルフィーだけは……あの女だけは真っ先に! 確実に殺してよね!」

「へいへい」

「一番に、だな」

「そうよ、とにかくまずはあの女よ!」


 なんならエルフィーだけを殺してきてくれてもいい。

 そう言うと、ごろつきたちは笑う。

 その笑みにミリィも笑みを浮かべた。

 これで、邪魔者はいなくなる。


(こいつらに旦那様やオリバー様を殺せるはずがないし……エルフィーだけ殺せればあとはどうとでもなるわ。こいつらがアタシに依頼されたって言っても、アタシが知らないって言えばみんな信じてくれるはず。当然よね? だってこんな下町のごろつきの言う事と、伯爵家のメイドの言う事じゃあ『信用』が違うもの……!)


 最初からこいつらは捨て駒だ。

 危ない橋ではあるが、これも『自分』が幸せになるために必要な事。

 そう、だからこれは正しい事なのだ。

 安物の武器を持ったごろつきが路地裏から出てくる。

 あとは彼らがエルフィーを殺して首でも持ち帰ってくれば……。


「ミリィさんですっけ? さすがに計画が杜撰ずさんすぎますよ」

「「「「!」」」」


 コッ、コッ、とブーツの踵を鳴らしながら、ゆっくりと歩み寄ってくる一人の少年。

 ミリィの背筋が一瞬で冷えた。

 ごろつきたちが見たのは、昨日の昼間に邪魔してきたあの顔の上半分を仮面で覆い、長剣を下げたとても『Bランク』には見えない冒険者。


「て、テメェ、ミリィ……尾けられやがったな?」

「ち、ちが……ど、どうして……!」

「言い逃れされないように事前に言っておきますが、俺は『探索』の魔法スキルがレベルマックスで、常時発動しています。ついでに今の会話は全部冒険者証で記録してあります。無駄ですよ?」

「っ!」


『探索』の魔法は『害意あるもの』を感知する魔法スキル。

 それを常時?

 つまり今も?


 

「ア、アタシはアナタに害意なんて持ってないわよ!」

「エルフィーに対する『害意』を感知したもので」

「……っ! なんで……なんであんな女なのよ! アタシの方が美人だし、要領だっていい! あんな女じゃなくてアタシを妻にしてくれれば、一生幸せにしてあげるのに!」

「んん……自分が使ったセリフをまったく気のない相手から聞くとこんな気分なんですね。なるほど、勉強になりました。……あまりおいそれと使わない方がいいんですね……」

「ぐっ!」


 オリバーの手は剣の柄に置かれている。

 ごろつきたちが襲いかかれば、即座に剣を抜いて対応してくるだろう。

 だが、昨日と違ってオリバーは一人だ。

 他の冒険者たちがいるわけではない。

 だからだろう、ごろつきたちの口元はゆっくりと歪んでいった。

 オリバーもそれに気づいて、笑みを深める。


「ふむ、計画を中断するつもりはないんですね? 大人しく諦めるのなら見逃しても良かったんですけど……」

「はぁ? 報酬が聖霊武具となりゃあ話は別だろうよ」

「そうそう、この武器がいくらになるか知ってるか? まあ、それを差し引いても、お前ら冒険者だってそうそう持てるシロモンじゃねぇ……これがあれば、この街の支配者にだってなれる……!」

「『火の伯爵』も怖くねーんだよ!」

「……うーん、改めて無知って怖い」

「うるせぇ! 死ねぇ!」

「ちょ、ちょっと! その人はやめてよ! アタシが殺して欲しいのはエルフィーだってば!」


 慌てて止めに入ろうとした時には、ごろつきたちは棍棒や錆びた剣を振り上げていた。

 勢いよく襲いかかる男たちを止める術はミリィにはない。

 オリバーはそんな中、仮面に手を伸ばす。


「まあ、試してみよう」

「!」

「なっ!?」


 そう告げると仮面を外した。

 ミリィたちが見たその顔は、あまりにも……想像を超えて美しい。

 美術品……いや、そんな言葉では片づけられないだろう。

 夜だと言うのに、まるで昼間、花畑にでもいるかのような甘い香り。

 魅入ってしまって目が逸らせない。


「う、美しい……」

「ほ、ほげぇ……」

「…………」

「うーん……悪化してるなぁ……」


 そう呟きながら、オリバーが剣を抜く。

 武器を下ろしたごろつきたちは、その顔に魅入って動けない。

 その間に、オリバーが剣先をスッ、と持ち上げた。

 現れたのはストーンゴーレム。

 ごろつきたちは瞬く間にストーンゴーレム二体に抱き上げられて、拘束された。

 その様子にミリィも頭の片隅で「逃げなければ」と警告音が鳴り響く。

 だが動けない。

 オリバーの顔に、魅入ってなにも出来ない。

 その美しさに膝を折り、手を重ねて祈りを捧げた。


「なんで綺麗……」

「……哀れですね。自覚はありますか?」

「ああ……なんでもお申しつけください……アタシはアナタの下僕になります……」

「はぁ……」


 溜息のあと、オリバーが仮面をつける。

 その時、ミリィはようやくハッとした。

 だがその時には、首に剣先が添えられて動ける状態ではない。

 背筋に冷や汗が流れる。

 オリバーの手には、ミリィが盗んできた伯爵の短剣が載っていたのだ。


「昨日の貴女はしきりに『困った事はないか』と聞いてくださいましたが、それはまだ有効でしょうか?」

「……は、は……はい」

「ではこの町の騎士団の駐屯地に案内してくださいますか? 早く終わらせて寝たいんですよね……明日から忙しくなりそうなので」

「…………っ、は、い……」


 勝てない。無理だ。

 そして、終わった。

 震えながら立ち上がり、剣をしまったオリバーに背を向けて歩き始める。

 行き先はこの町の騎士団の駐屯地。

 奥歯がカタカタと震えて鳴る。


(なんで、アタシ……アタシは、ただ幸せになりたかっただけなのに……)


 震えながら涙を流した。

 自業自得だと言う意識は、彼女には生まれなかった。

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