婚約

 

「さて、連れて来られた理由は分かるな?」

「婚約の件ですよね?」


 オリバーが怯えて声も出せそうにないエルフィーの代わりに答える。

 マグゲル伯爵はパイプに乾燥した薬草を詰め、火をつけた。

 ほんのりとした甘くさっぱりとした香り。

 これは、この世界でリラックス効果のある『エイム』という薬草ハーブだろう。


(え? まさか感情が昂りやすいからパイプを吸って……? ……『エイム』は癇癪持ちの治療薬……まさか?)


 だとしたら彼は相当ヤバい。

 息子のウェルゲムが可愛らしく見えるレベルだ。

 常用しているという事はそれだけ『キレやすい』……。

 そりゃあの屈強なギルドマスターが怯えるわけである。


「そうだ。エルフィー、三年婚約期間を設けた。オリバー・ルークトーズも納得済み。とりあえず三年、その男と付き合ってみろ。合わないと思ったら別れればいい」

「え……」

「すぐに結婚はしないという事だ。お前の教育期間も必要。婚約者が婚約者だ、お前にはマグゲル家に入ってもらう事にした。ほぼなくなった子爵家より、余程マシだろう」

「っ!」

「…………」


 肩を跳ね、背筋を正すエルフィー。

 オリバーは目を細める。

 今ここで、それを話すか。


(確かに俺の祖父はクロッシュ侯爵。ただの没落貴族の娘として嫁に出すより、マグゲル家の養女の方がマグゲル伯爵家にとっても有益。というか、ウチも『イラード地方』の伯爵家と繋がりが出来て誰も損はしない。俺が異論を出さないのを見越して今言ったな……)


 そしてこう言うとエルフィーも断る事は出来ない。

 没落貴族とはいえ貴族だったのだ。

 伯爵の言わんとしている事は当然理解出来るだろう。


(出来れば普通に恋愛結婚がいいんだけど……)


 なので仮面は絶対に外せない。

『魅了』や『誘惑』を使って彼女の気持ちを得るのは、恋とは言わないだろう。

 そもそも、この容姿は神様からの「女は見目がいい男の方が好きだろう?」という圧倒的偏見により得た加護だ。

 確かに悪いよりはいいに越した事はないと思う。


「…………は、はい、そういう事でしたら……」

(やっぱり〜……)


 切なくなってしまう。

 唇を尖らせて拗ねていると、伯爵がほくそ笑んだ気配を感じる。

 本当に意地の悪い人のようだ。


「それと、ルークトーズ」

「あ、はい?」

「仮面について説明しておけよ」

「ああ、そうですね」

「?」


 エルフィーがちらりと見上げてくる。


(可愛い!)


 と、思ったせいなのか、頬が緩む。


「実は生まれつき…………その、称号持ちでして……そう、あの、母がとても美人なんです! なので…………【世界一の美少年】という称号が、ですね……生まれつきありまして……」

「へ……せ、世界一……?」

「それに付随する称号スキル効果に『魅了チャーム』と『誘惑テンプテーション』があるんです。この厄呪魔具の仮面をつけていないと……周囲に多大な影響を及ぼしてしまうので……あの、外せなくてですね……」

「そっ……、……あ……そ、そう、なん、です、か……」

「…………」


 とてつもなく微妙な反応。

 割とストレートに心にダメージを負った。


「その効果は魔物にも効くのか?」

「え? どうでしょう? 試した事はありませんが……」


 未開放の付随スキルに『威圧』もある。

 それならば魔物にも効きそうなものだが、『魅了』や『誘惑』はどうだろうか?


「ふむ、今度試してみろ」

「ま、魔物にですか?」

「冒険者に先入観はいらん。命取りになるぞ。使えそうなもんは全部使え。まあ、そのスキルは実際対人戦にもっとも効果を発揮するだろうがな」

「……なるほど、それもそうかもしれませんね……分かりました、今度やってみます。……周りに人がいない時に」

「そうだな」


 魔物に『魅了』や『誘惑』が通じるのならどうなるのだろう?

 そしてさすがは元実力派の貴族冒険者。

 言う事が違う。


「ルークトーズの部屋は用意している。使用人の棟だが文句はあるか?」

「ありません。そちらで結構です」

「ではあとはお前たちの好きにしろ。エルフィー、お前の婚約者だ。生活に関して慣れるまでは面倒を見てやれ。うちのクソガキの面倒は見なくていい。それはルークトーズの仕事だ」

「え? え……あ、は、はい」

「養子の手続きが終わり次第お前には淑女教育を受けてもらう。部屋も使用人の棟から屋敷の部屋を与えるから準備しておけ。話は以上だ。今日はもう好きにして構わん」

「は、はい」

「では、失礼します」


 ばたん。

 扉が閉まると二人きり。

 ちらりとオリバーがエルフィーを見下ろすと、まだ肩が震えている。


「……エルフィーさん、一応婚約は認めて頂けたと思ってよろしいでしょうか?」

「え、あ、は、はい」


 ジーン、と胸に手を当ててその事実に浸った。

 が、そうもしていられない。


「でしたら俺の事はオリバーと呼び捨ててください。俺も、その、エルフィー、と、呼んでも……いい、ですか?」

「……、……は、はい……えっと、でも、あの、よ、呼び捨ては、ちょっと……」

「…………(やっぱり? そんな気はしてた……)では、オーリとお呼びください」

「?」

「配偶者、婚約者だけが呼べる愛称ですよ。クロッシュ地方にはそういう風習があるんです。そう呼び合う事で聖霊に『この人は私だけの大切な人です』とお伝えして、相手にも自分の持つ祝福を与える意味があるんだそうです」

「…………」


 きょとん、とされてしまった。

 無理もない、本当に、今や『クロッシュ地方』にのみ残った古い風習……というよりも『クロッシュ侯爵家』のみの風習に近い。

 聖霊信仰の強い『ヤオルンド地方』にも残ってはいそうだが、『イラード地方』などは排斥している文化だろう。

 ちなみにこの風習に関しては母がこっそり教えてくれたし、我が子であってもその愛称は教えてくれない。

 普段呼ぶ時には使わないのだそうだ。

 もっとも、父に至っては「えー、だってその方が独占してる感じするだろう? いや、まあ、義姉夫婦は堂々と呼び合ってて見せつけられてる感を感じる事はあるけど……まあ、それは各々の自由だよな。俺はアルフィーを独占s……」(省略)……つまりラブラブアピールしたい時は普段遣いしても良いという事らしい。


(なら俺は普段からラブラブアピールしたい! その方がエルフィーの恋人になった感じするし! あと、初彼女! 自慢したいしその事実に浸りたい! 人目も憚らずイチャイチャしてみたい!)


 ……さすがにやや童貞を拗らせている感は否めないが、オリバーはイチャイチャに憧れがあった。

 一応前世も今世もまだ彼女がいた事がないので。

 しかもようやく得た婚約者が、前世から憧れていた彼女なのだ。

 浮かれるのも仕方ない。


「……聖霊の、お導き……ですか……」

「はい」


 本当は少し違うのだが、そう言っておくとだいぶマイルドになる。色々。

 それにオリバーが転生したのは神様と思われる存在のおかげだ。


(……もしかしてあの閻魔様みたいなおじさん、実は聖霊? えぇ……イメージが……)


 もしそうなら総崩れする。


「オリバー、さん、は……聖霊を信仰しておられるんですか……?」

「え? そうですね……実際まあ……」


【世界一の美少年】の中の一つに[聖霊の寵愛]という付随スキルがある。

 効果は『聖魔法威力アップ』と『瘴気無効』。

 これは本当に特殊だ。

 実際目に見える形で効果を実感してもいる。

 聖霊を信じるか、と聞かれたら……。


「目に見えずとも、聖霊は我々の生活を支えてくれていると思います」


 しかし、今の時代それは『古臭い』と言われるものだろう。

 エルフィーもそう思っていたら悲しいなぁ、と思いつつ「でもまあ、信仰というのは人の自由なので」とつけ加えてごまかした。


「…………」


 むしろ、それよりも──。


「あの……?」

「あ、すみません。えっと、そういえば使用人棟というのは……」

「あ……そ、そうですね。すみません。ご案内します……」


 エルフィーに案内されて、屋敷の中を進む。

 祖父の屋敷よりは小さいが、貴族の屋敷らしい高級な調度品の数々。

 ある区画を過ぎるとそれらは一切姿を消す。

 特に使用人の胸に入ったから、とかではない。

 のだろう。


(やはり、マグゲル家の財政状況は悪そうだな)


 金食い虫が一人いるだけで、貴族とはいえ贅沢は出来なくなる。

 ウェルゲムの持っていた木剣があまりにも使い古され、あの年齢の子どもが持つには細く短すぎた事を思うとオリバーをウェルゲムの護衛兼家庭教師に、と言い出した伯爵の采配には感服だ。

 本当なら家庭教師を雇うのも苦しくなっていたのだろう。

 だが、元冒険者として息子には一人で生きていけるだけの力はつけて欲しい、とも。

 伯爵にとってもオリバーの存在は救いだった。


(仕方ない。ここまで期待されてはお手伝いさせて頂こう。エルフィーをここまで育ててもらったしね)


 あと、単純にエルフィーに格好いいところを見せたい。

 ……もちろんどっちも本心である。

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