火の伯爵
「足元に気をつけてください」
「あ、ありがとうございます」
手を差し出してエルフィーが転ばないように促す。
おずおずとしながらも、毎回こうしてお礼を言う謙虚さに顔がムズムズとする。
仮面で顔半分を覆っておいて、これはさすがに不審者がすぎるのではないか?
そう思うと、黙っているより正直に打ち明けた方がマシな気がする。
「すみません」
「え?」
「どうしても顔が緩んでしまうんです……その、あなたが隣にいるので、つい……」
「えっ」
だめだ、もう無理だ、とオリバーは白状した。
『探索』と『探知』を併用し、周囲に気を配りながら進むがまだマグゲル伯爵家を囲む森の中から出るには至っていない。
しかし、『探索』ですでに屋敷は捕捉している。
あと十メートルほど進めば屋敷の壁が見えるだろう。
「気持ち悪いですよね……すみません……」
「そ、そんな事ありません……」
控えめだが否定してくれる。
だがまだどこか気落ちしているように見えた。
(やはりグレートボアが相当怖かったんだろうなぁ。エルフィーは非戦闘員系ヒロインだし)
ウェルゲムも無事だったので、今後エルフィーがマグゲル家で奴隷のような扱いを受ける事はない……と思うのだが、まだ分からない。
まあ、そうならないようにエルフィーに婚約を申し込んだのだが。
(……そういえば、婚約の事は伯爵から聞いてるのかな? 一応俺から昨日、申し込みはする旨伝えておいたけど……多分あんまり本気にはされてない?)
さすがに昨日会ったばかりなので、存在を忘れられていたりはしないと思う。
というか、意外とこの容姿は忘れられにくいはず。
困ったように目線を彷徨わせる姿は、どうしていいのかが分からない……といったようにも見える。
「なにかお聞きになりたい事があるんですか?」
なら、聞いてみればいい。
受動的な彼女の事なので、自分からは話しかけてはくれないはずだ。
「あ……あの、はい、あの……オリバー様は『クロッシュ地方』の大貴族様と……お聞きしたのですが……」
「祖父がクロッシュ侯爵というだけで、俺自身は男爵家の長男というだけですよ」
「っ! じゃ、じゃあ本当にクロッシュ侯爵家の……え、縁者様なのですか……!?」
「はい、まあ」
将来的に彼女にも関係する事だ、説明はしておくべきだろう。
これを理由に婚約を受けてもらえないとしたら困るが。
「な、なななななななななぜそんな方がわたしなぞを……!?」
「(面白いほど恐縮してしまった)なぜと言われましても……えっと、あ……そうですね……話しておきましょう。実は幼い頃から夢にとても素敵な女性が出てくるんです。俺はその人をお嫁さんにする、と決めて冒険者になりました」
「ゆ、夢?」
「はい。その夢の中に出てくる女性にずっと憧れて、憧れて……そして見つけたんです!」
「…………」
「エルフィーさん、貴女ですよ!」
テンションが上がりすぎた。
ほぼ無意識にマントを翻し、前方へと回り込み跪く。
その仕草そのものは大変貴族の紳士らしいかもしれないが、そのテンションはオタクのそれだ。
両手を広げてうっとりと語りが始まってしまう。
「もう、それはもう! 小さな頃から夢で何度も貴女の事を見てきて、想い続けました。長く艶のある紫色の髪と澄んだ緑色の瞳……愛嬌のあるそばかすと愛らしい眼鏡! スラリと長い手脚に、食べさせがいのありそうな体! これはもう、この夢の女性が俺の運命の人……将来出会い、生涯を共に生きる人なのだと! ではこの人に出会うためどうしらいいだろう? そう、冒険者になって会いに行けばいいのです! そして昨日、ついに貴女に出会う事が出来ました! やはりあの夢は貴女の事だったんです! 間違えるはずもない、夢の中の女性そのものです! むしろこれは前世からの運命……俺は貴女に会うために生まれてきました! 絶対幸せにしてみせるので、俺と結婚してください!」
「……………………」
「…………(しまった)」
不審者すぎる。
ぶわりと噴き出す汗。
跪いて出会って一日の相手に両手を差し出して求婚する仮面の冒険者。
(怪しすぎる! 俺ならドン引きする!)
ゆっくりと手を下ろし、片手を胸に当てつつ頭を下げる。
とりあえず今のは本気で気持ち悪かった。
自分で自分を心底気持ち悪いと思う日が好き来るとは。
内心滝汗ものだ。
「失礼、興奮しすぎました」
「……は、はい」
はい!
ズギャッン! と、胸にぶっすり刺さる肯定の一言。
無理もない。今のは自分でも気持ち悪いと思った。
でも本人に「気持ち悪いです」と言われるとそれはそれでダメージがでかい。
自業自得だが。
「……け、けれど……夢の中の人、と、わたし、は……その、別人だと思います、し……」
「いえ、貴女です」
言ってからまた「やってしまった!」と頭を抱えたくなる。
実際前世から彼女であると断じられるわけだが、エルフィーからすればオリバーの夢の中の女性は実在しない人物であり、自分であるはずもないわけで……。
それを「貴女です」と断言するのは完全に怪しすぎる。
「……えっと……そ、そうですね……俺の一族は聖霊信仰がまだ残っていまして……」
「! 聖霊……ですか」
「はい、何度も見る上、こうして本当に夢と同じ姿の女性を見つけられましたから……これはもう、聖霊のお導きなのだと思います。貴女は色々と、その、気にするところはおありかもしれませんが……俺にとって貴女は、まさに聖霊がお示しになった運命の相手なんです」
と、いう事にすると、だいぶマイルドになるし説得力は増す……ような気がする……多分。
「…………でも、私は本当に……なんにも……特技も教養もありませんし……見た目も美しいわけではありません。オリバー様のおっしゃるような価値が私にあるとは、到底……」
「教養はこれから身につけて頂けますし、見目については……それは俺に好きなように着飾っていいという許可でしょうか?」
「へ?」
つい、嬉しくて目を輝かせて聞き返してしまった。
彼女が見目に自信がないのは前世の記憶から知っている。
ならばどうしようと考えた時、彼女をそれはもう褒めちぎり、称賛し続け、必要なら得た硬貨を全部注ぎ込んで化粧品やドレスを貢げばいい。
……と、いう結論に達している。
なので、彼女がそれを口にしたという事はオリバーにとってもはや『許可』だ。
ぶっちゃけとても楽しみにしていた。
妹フェルトは母に似てとても可愛いのでなにを着せても可愛い。
そんな妹の装いを眺めながら「エルフィーにも似合うだろうな」「いや、エルフィーに着せるならこちらの方が」等々妄想に耽った事も一度や二度ではなかった。
「実は夢の中の貴女に着て頂きたいドレスや装飾品は色々考えてあったんです!」
「え、え? いや、あの、お、お待ちください……」
「良かった! エルフィーさんがそのつもりならなんの問題もなく発注出来ます! ちょうど金貨は一枚持っているので、まずは金貨一枚分で一式仕立ててみましょう!」
「金貨一枚分!? おおおおぉ、お待ちください! 違いますそういう意味ではありません!」
「大丈夫です、事前投資というやつです! ないと困りますから!」
「あああああぁ……!」
悲壮感溢れるエルフィーの声は、残念ながら浮かれたオリバーの耳には届かなかった。
そして、マグゲル家のお屋敷──庭。
腕を組んで仁王立ちした伯爵が立っていてオリバーの頭が秒で冷えた。
「…………。あ、申し訳ありませ……」
「構わん、『探知』で事態は把握している。うちのバカ息子をよく無傷で連れて帰ってきてくれた。護衛として就任前だというのに良い働きだ。礼を言う」
「い、いえ……」
「え?」
ウェルゲムもあからさまに怯えた顔をしてエルフィーの後ろに隠れていたが、父の言葉に顔を出す。
そして、オリバーを見上げ、もう一度父親の顔を見た。
「……護衛?」
「昨夜話しただろう? 新しいお前の護衛兼家庭教師だ。見ての通りまだ若い。人を教えるのも初めてだろう」
「まあ、はい」
「だが、腕は自分の目で見たな? こいつは強いぞ」
「…………」
さすがのオリバーも照れる。
コリ、と頬をかく。
父とバディを組んでいた元冒険者、それも『火の伯爵』と呼ばれるほどの人物に断言されるとむず痒い。
ウェルゲムがエルフィーの後ろから出てくる。
その顔はどこかすっきりとしていた。
「うん、すげー……強かった。おれも、おれも強くなりたい……! 師匠! おれを鍛えてください!」
「え?」
キラキラした瞳。
見上げてきたウェルゲムに、オリバーは引きつった声で聞き返してしまう。
(君そんなキャラじゃなくない!?)
ラノベのウェルゲムは捻くれているというより完全に拗らせていた。
怒鳴り散らし、騒ぎ立てる典型的な小物貴族のクソガキ。
そのくせエルフィーへの執着粘着は異常で、彼女を虐げる事だけが自分を肯定する唯一の方法。
こんな輝いた目は、しない。
「だがそれはそれだ。なぜ森に入った?」
「……そ、それは……」
「森に入る事は禁じていたはずだが?」
「ひっ」
ビリビリと、グレートボアも逃げ出しそうな殺気が庭を包む。
伯爵の後ろにいた使用人たちも顔を真っ青にして震えるほどだ。
それに幼いウェルゲムや、元々臆病なエルフィーが耐えられるはずもない。
「申し訳ありません! 旦那様!」
「ご、ごめんなさい……! ごめんなさい! 魔物を、魔物をやっつけてみたくて……ごめんなさい!」
「くだらん事をする暇があれば自分を高める事に時間を使え!!」
「ひいぃっ!」
「ヒッ!」
「っっっ……!」
ビリ、ビリ……。
大気が震えるほどの、圧。
(……スキル『威圧』……!)
思わず『鑑定』してしまった。
案の定、これは伯爵のスキル。
称号効果スキル『威圧』──自分よりステータスの基礎総合数値が低い相手を『威圧』して行動を制限、または行動不能にする。
一部の称号に付属するスキルであり、使用者の性格によっては基礎数値が自身より高くともその効果を発揮する事がある。
オリバーも【世界一の美少年+++】の中に効果の一つとして存在しているが、修得は出来ていない。
だが、『コレ』がそうなのだ。
全身を覆うような重圧。
相手に対して、絶対的に「俺が正しい」と突きつけ、反感を許さないとばかりの『自己主張』。
(こ、れが……『威圧』……!)
そして、今回はオリバーも伯爵の言葉に全面的に賛成だ。
ウェルゲムはアホな事をするよりも、勉強するなり剣の鍛錬をするなりしているべきだった。
オリバーが間に合わなければ、全身にソードローズの棘で大怪我を負っていたのだから。
「…………話は以上だ。ルークトーズ、エルフィーは応接室へ来い。話がある」
「は、はい」
「…………」
エルフィーはもう、返事も出来ないほどに萎縮している。
あれを喰らったあとでは無理もない。
というかもう震えながら泣いている。
(なるほど……『火の伯爵』……)
それはまさにマグゲル伯爵の『称号』に違いない。
てっきり彼の戦闘スタイルについた『通り名』か『二つ名』だと思っていたが……あれは違う。
本当にそういう『称号』を持っているのだ。
(俺も【ギルドマスターの器】とかあるしね……)
おそらく【火の伯爵】いう称号を持っている。
『威圧』は、それの付随スキル。
まさに烈火の如き怒りの威圧。
あれは総合数値が多少高くても効果を与えるレベルだ。
社交界でも、あれを喰らった貴族は震え上がって腰を抜かす事だろう。
そして多分だが、彼の現奥方……後妻のルジアは『威圧』を喰らっているはずだ。
それでも懲りずに奴隷を買い漁って召抱えているというのだから、ある意味賞賛に値する精神力である。
普通の人間ならエルフィーのようになってしまう。
「…………」
そして振り返った時、ウェルゲムは失禁までしてしゃがみ込んで泣いていた。
九歳の我が子にもなんの容赦もない伯爵に……心の底から「父がディッシュで本当に良かった……」と神に感謝したオリバー。
あれは、泣く。
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