エルフィー・エジェファー【後編】


「…………。え?」

「俺はオリバー・ルークトーズと申します。お名前をお伺いしてもよろしいですか?」

「……え、え? え、エ……エルフィー……と、申します……え?」


 なんて?

 聞き間違いだろうか?

 いや、それ以前になにか言われていたが、脳が理解に至らない。

 言葉と現実が処理しきれず、問われた事へなんとか返事だけして……また頭の中は混乱の渦。


「……やっぱり……貴女だった……」

「???」


 名を告げただけなのに、少年は……オリバーはうっとりとした眼差しでエルフィーを見上げて呟く。

 その顔は、画面を着けていても分かるほど整っている。

 なんだ、このとてつもない美少年は。

 そんな美少年が、なぜ自分の目の前に跪いて手を差し出している?

 混乱が混乱を呼ぶ。

 そもそも、『ルークトーズ』?

 苗字があるという事は貴族ではないか。

 その上『Bランク』の冒険者?


(え? え? え? え?)


 わけが分からない。

 自分の今、置かれている状況が。まったく。


「エルフィーさん、貴女に一目惚れしました。俺と結婚してください!」

「……………………」


 周囲が騒つく。

 いや、一部茶化すような口笛や揶揄する声、ミリィの悲鳴、驚愕の叫び等々、とんでもない音量が響いている。

 だが、それらもすべてエルフィーの耳には遠くの音に聞こえた。

 結婚? 結婚と言ったか?

 このとんでもなく顔の整った美少年が? 自分に?


(え? なにこれ、夢……? 白昼夢……? 変な夢……なんでこんな夢を……あ、もしかして、さっき男たちに絡まれて気絶してしまったのでしょうか? そ、そうですよね……こんな非現実的な事があるわけありません)


 空を見上げて、目を閉じて一人「うん」と頷く。


「それは了承という事ですか!?」


 だが、その頷きをオリバーという少年は『婚約の了承』と捉えたらしい。

 嬉しそうに立ち上がられてしまう。

 ハッと驚いてエルフィーは彼の方を向いて両手と顔を必死に左右に振る。


「ちがっ、ちがっ……!」

「ち、違うんですね……そ、そうですよね……急にこんな事を出会って間もないどこの馬とも知れない輩に言われたら驚いてとても了承なんて出来ませんよね……! すみません、配慮が足らず……!」

「そ、そ、そっ、そっ!」

「え? そういうわけではないんですか?」

「っ、っっっ!」


 コクコク、上下に頷く。


(へ、変な夢〜!)


 しょんぼりしたり、また少しだけ嬉しそうにされたり。

 オリバーはそんなエルフィーにもう一度微笑みかける。

 心の底から嬉しそうに。


「な、なんで……なんでその女なんですか! お、お礼をするって言ったの、ワタシですけど!」


 でも、そこへ割って入るように立ち塞がったのはミリィだ。

 オリバーはまるで今、彼女の存在に気がついたように目を丸くする。


「えっと、どちら様でしょうか?」

「なっ! さ、さっきからお声がけしてました! ミリィです!」

「はあ……」


 とても気のない返事。

 というより少し迷惑そうだ。

 目に見えて……いや、あからさまにいやそうな顔をしている。


「失礼ですが、俺は今エルフィーさんとお話ししていたので……ご遠慮願えませんか?」

「いやです!」

「…………。それほど緊急のご用件なのでしょうか?」

「そ、そうです!」

「では、どんなご用でしょうか?」

「デートしてください! 今から! ワタシと!」

「え? なぜ?」

「お、お礼を……助けてくださったお礼です!」

「いえ、結構です」


 だんだん笑顔が消えていくオリバー。

 ついにスン……と分かりやすく無表情になった。

 後ろの冒険者たちはニヤニヤから冷めた笑顔になっていく。

 彼らから見ても「あの女の子はなにを言ってるんだ?」なのだろう。


「ワ、ワタシがデートに誘うなんて、滅多にないんですよ!」

「ちょっと意味が分からないので……」

「なっ! お、お礼ですってば! 奢りますから!」

「女性に奢って頂くほど困っておりません」


 エルフィーが「あ……」と見た、その青い瞳に次第に嫌悪が混じり始める。

 明らかにミリィに対して迷惑を通り越した先の感情が滲み出始めていた。

 美人で、体つきも女性らしいミリィへこの反応。

 男なら誰でもミリィのような女性が好きなのだと思っていた。

 事実先ほどのごろつきたちも、本来の目的はミリィを連れていく事。

 だというのに、この少年……オリバーは真逆だ。

 ミリィに対して嫌悪感をあらわにして、迷惑そうにしている。


「ミリィ、その辺にしときな」

「っ!」

「すまないね、えーと……オリバーさん?」

「はい」


 ジェニーが見兼ねてミリィの肩を叩く。

 その手をエッダが掴んで、引き寄せる。

 改めて、エルフィーが真っ正面から立ち上がった彼と向き合った。

 スラリとした手脚。高い身長。冒険者とは思えないほど小綺麗で、気品がある。

 髪はサラサラの銀髪。

 仮面で上半分が覆われた顔は、それでも整っていると分かる。

 その仮面の眼元からは透き通った青い瞳。


「…………」


 その目がとても、美しいと思った。


(こんなに綺麗な目、初めて見ました……)


 曇りがない。

 優しい人なのだと分かる。

 容姿は彼の飾りに過ぎない。


(この人は、優しい人……)


 初めてまったく『怖い』と思わない人に出会った。

 これまで出会ってきた人々は、必ずどこかが『怖い』と思う。

 でも彼には感じない。

 むしろ……。


「えっと、エルフィーに……婚約の申し込み……ってのはえーと、本気かね?」

「……。……そうですね……手順をかなり省いてしまいました。失礼しました、嬉しくて気持ちが急いてしまいまして……」

「え! あ、いや! そ、そうだね、まあ、本気なら……手順はちゃんとした方がいいと思うよ!」

「そうさせて頂きます。ご助言ありがとうございます」

「い、いやいや! とんでもありません!」


 完全に貴族の紳士だ。

 あまりにもスムーズに胸に手を当てて頭を下げられて、ジェニーが大慌てて手を振る。

 ついに敬語になってしまうのは、長年染みついた使用人としての性分なのだろうか。

 それとも、それを引き出したこの少年が『貴族』だからなのか。


「では、婚約に関してマグゲル伯爵にお伺いしてから……後ほど正式に申し込みさせて頂きますね。返事は急きませんので、どうか色良いお返事をお願いします」

「え……あ……え、っ?」

「それでは失礼します」


 再び頭を下げて、エルフィーに向けて柔らかく微笑んでゆく。

 物腰も、声も、口調も、なにもかもが優しい。

 マグゲル伯爵も紳士らしいが、あの歳でそれと同等の所作が出来るとなると……。


「ありゃ間違いなく本物の貴族だよ。ちょ、ちょっとどういう事なんだい! エルフィー!」

「ルークトーズって言ってたよね? ルークトーズといやぁ、『クロッシュ地方』のクロッシュ侯爵家の分家だかなんだかがその苗字だったはず……ちょ、ちょっと待っとくれ! そう! 子爵だ! 『トーズの町』の町長! ルークトーズ子爵家にはクロッシュ侯爵の三女が嫁入りしてたはずだから……まさか!」

「まさか!? だとしたらとんでもないよ!」

「え? え?」

「ど、どういう事ですか!」


 ミリィがなにやら興奮し始めたおばさん二人に詰め寄る。

 きゃー、とばしばしお互いの肩を殴り合うジェニーとエッダ。

 その顔は高揚して、大興奮。


「確かにあのくらいの年頃の令息がいたはずだよ! しかも、クロッシュ侯爵の跡取り候補!」

「そうだよー! 三女のご子息とご息女がクロッシュ侯爵家の跡取り候補で! しかもご令息はとんでもない美少年で! エリザベス公女殿下との婚約者候補にも名前が挙がってるとか!」

「まさか! まさか本当に本物!? だとしたらエルフィー! アンタ、とんでもない玉の輿じゃないかぁ!」

「なっ……なっ!」

「…………」


 血の気が引く。

 ミリィが、鬼の形相でエルフィーを睨みつけたのだ。

 その顔にはありありと書いてある。


 どうしてお前なんかに、と。

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