エルフィー・エジェファー【中編】


「ああ、良かった。エルフィー、言いつけを覚えてたんだね」

「露店の前ではぐれたんだって?」

「はい」

「ごめんなさい、エッダさん、ジェニーさん。だってすっっっごいイケメンがいたんですよー! 仮面被ってましたけど間違いありません! あれはとんでもない美形です!」

「まーたこの子は……」

「装備もお高そうだったし、きっと高ランク冒険者……いえ、あの気品……もしかしたら貴族かも! あーん、名前だけでも教えて欲しかったぁ〜ん」


 くねくねと悶えるミリィ。

 どうやら裏路地から彼女好みの冒険者を見つけて、声をかけたらしい。

 ミリィがこんなに興奮しているのは珍しいが、反対にエッダとジェニーは冷ややかな目を向けている。


「お? 可愛いメイドがいるじゃん」

「あん? お前ミリィじゃねぇか? 下町の」

「伯爵の屋敷に奉仕に出てたんじゃねーのか? つーか、少し見ないうちに美人になってんじゃねーか」

「ギャハハ」

「げっ」


 その時、エルフィーの後ろからミリィに向けて下品な声が聞こえてきた。

 身なりの小汚い男が四人。

 背筋が冷える。

 同じメイド服のエルフィーは……しかし無視された。

 エルフィーを通り過ぎ、ミリィに近づく男たち。


「っ」


 だが後ろ二人の男たちが立ち止まったのはエルフィーの真横だ。

 人質のつまりだろうか?

 無駄だ、ミリィはエルフィーの事などたやすく見捨てるだろう。

 エッダとジェニーは果敢にも「なんだいあんたら」と睨みつけるが、一人の男の手がエルフィーの肩を掴む。

 血の気が引く。


「ちょっと下町で遊んでいけよ」

「そーそー、いつも貴族様の相手で大変だろう? たまには俺たちみたいなやつも相手にしておいた方がいいんじゃねーか?」

「貴族にやるご奉仕ってやつを俺たちにもしてくれよぉ〜」

「い、行きましょうエッダさん、ジェニーさん……こんな奴ら無視していいと思います」

「そうだね。ほら、エルフィーを離しな」

「いやいやいやいや、なに言っちゃってんだよババァ。オメーに用なんかあるわけねーだろう」

「っ……!」


 肩を掴まれる力が強くなる。

 皮脂や洗っていない服の饐えたような匂いに眉が寄った。

 それだけではなく、吹きかけられる口臭。

 恐怖に体が震える。


「ちょーっと酒注いでくれるだけでいいんだからよー」

「そうだぜぇ、他にはなーんにもしねーよ。多分」

「なあ、いいだろ?」

「嫌に決まってるでしょ! 遊んで欲しいなら今あんたたちが掴んでるその子に頼めばいいじゃない!」

「……」


 やはりだ。

 身を縮める。

 男たちは「いや、この子は決定済みだし?」「ひゃっひゃっ」と笑う。

 連れていかれる。

 そして、なにをされるのか。

 恐怖で体が動かない。


(嫌……)


 腕を引っ張られて、涙が滲んだ。

 声も出せないほど怖いと感じたのは初めてだった。

 なんの力もない、価値もない。


(嫌、いや……)


 それでも、なにをされてもいいと思っているわけではない。


(いや……誰か……)


 無力な自分が大嫌いだ。

 だから無価値なのだと思い知る。

 それでも祈ってしまったのはなぜなのだろう。

 価値がないからなにをされてもいいわけではない。

 幸せになりたければ、もっと図々しくなれ。

 マグゲル伯爵の言葉が、今になって……その本当の意味を理解した気がする。


「嫌!」

「いいから来いって。ほら、ミリィお前も──」

「あ?」


 エルフィーの手を掴んだ男の手首を、別な誰かが掴む。

 ハッとした。

 銀の髪がハラハラと風に揺れている。

 目を見開く。


(……仮面……だけど……)


 少年だった。

 年の頃の近い。

 だが──。


「女性に遊んで欲しいなら、もっと誠意を見せた方がいいと思いますよ。怖がる女性とお酒を飲んでも楽しくないでしょう?」


 柔らかな口調と声色。

 でも仮面から覗く青い瞳は笑っていないし、穏やかではない。

 陶器のように整った肌色と輪郭。

 白と青を基調とした冒険者服。

 紺色のマントがはためいて、その隙間からは立派な装飾のついた長剣が見えた。


「ぼ……冒険者……」

「は、はっ、なんだまだガキじゃねーか……」

「ガキはママのおっぱいでも吸ってな!」

「ははは! その通りだぜ!」

「おい、坊主、女の前でいい格好するにはぁちいと早すぎるんじゃあねぇかあ? ひゃひゃひゃひゃ」

「いい格好も出来ない方々からのご忠告は参考にならないので結構です」

「なんだと……」


 ざわ、と空気が変わる。

 憩いの場であるはずの噴水広場は、一触即発の空気。

 一人、ミリィだけは顔を輝かせて「助けてください!」と少年に駆け寄った。


「こいつらがワタシの友達を人質にひどい事を……! お願いします! 助けてくださったら、なんでもしますから!」

「っ……」


 今し方、エルフィーを見捨てようとした女が同じ口から真逆の言葉を紡ぐ。

 仮面の少年はミリィには見向きもしないが、笑みは深くなる。

 エルフィーの手を掴む男の手。

 その手をさらに強く握っていく。


「ぐっ」


 男が呻いた。

 少年の目が細くなる。

 まるで「どうする?」と問うかのように。

 エルフィーの手を掴む男の顔色が、だんだんと赤く、そして、紫色に変わっていった。

 こんな子どもに、と言いたげだ。


「おうおう、喧嘩か? オリ坊」

「手伝うか〜?」

「いらねーだろ」

「ハハ、だな」

「おい、ごろつきどもやめときな。そのガキ『Bランクブロンズ』だぞ」

「ガキにはっ倒されたくなきゃ手ェ引いた方が利口だぜー?」

「それはそれで見てみてぇかもなぁ! ははははは!」

「っ……」


 少年の後ろから十人近い冒険者たちが現れて、笑う。

 全員その腕に光るのは『Bランク』の冒険者証だ。

 そして、少年の手にはまっている腕輪もまた、『Bランク』の冒険者証。

 エルフィーたちに絡んでいた男たちの顔が一瞬で青白くなる。

 彼らはこの町の冒険者ではなさそうだ。

 人数からいって『傭兵団』かもしれない。

 素人でも一目で分かる、この空気の差。

 それは、おそらく潜った修羅場の差、実力の差だ。

 どちらにしても町で粋がるごろつき風情がたった四人で相手に出来るはずがない。

 いや、この町のごろつきが束になっても、おそらくこの中の一人とでもまともには戦えないだろう。


「……どうします?」


 戦るか、という問いかけだ。

 にっこりと微笑む少年に、エルフィーの手を持つ手が剥がれる。

 それを見届けてから、少年も男の手を離した。

 ごろつきの目は完全に畏怖に染まり、歯をカタカタと鳴らして震えている。

 彼らは冒険者のように魔物と戦う度胸もないのだ。

 自分よりも弱い者しか相手にしない、臆病者の集まり。

 集まる事で気が大きくなるが、当然、実力がそれに伴うわけではない。

 まして『Bランク』冒険者ともなれば、中の上。

『Aランク』の魔物と戦う事もある。


「あ、いや、いやだな、ははは……じょ、冗談ですよ、冗談……」

「そ、そうですよ。そんな、いやー、すみません……じゃ、じゃあ、俺たち用があるんで、この辺で」

「そうですか。でも、昼間からお酒は体に悪いと思います。明日からお仕事を探された方が健康にもいいと思いますよ」

「そ、そ、そーっすねー……ははは……」

「そ、そんじゃ……」


 そそくさ、とはこういう時に使うのだろう。

 男たちがへこへこと頭を下げながら去っていくのを見て、ぽかんと口が開いてしまった。

 言葉の出ないエルフィーの代わりにミリィが「きゃー、かっこいい!」と飛び跳ねて叫ぶ。

 その声にハッとして少年の方を見ると、ミリィが彼の胸に抱きついているところだった。

 お礼を言わなければ。

 しかし、今はやめておくべきだろう。

 ミリィの機嫌を損ねてしまいかねない。


「あーん、ありがとうございます、素敵な方〜! お礼にお茶でもいかがですか! あ、まだ自己紹介してませんでしたね、ワタシはミリィと申します!」


 エルフィーは、俯く。

 タイミングが分からない。

 自分の靴の爪先。

 見慣れたそれを、じっと見つめた。


「やっと見つけた……」

「?」


 そんな言葉と共に、靴の爪先に白い手袋をした指先が重なる。

 いや、そう見えただけだ。

 だがなぜ、とほんの少し顔を上げて手袋の先を目でたどる。

 ラインの入った袖。

 それも辿ると、跪いた仮面の少年が微笑んでエルフィーへ手を伸ばしていた。

 目を丸く見開く。


「貴女に会いに来ました。間違いない……夢で会った、俺の初恋の人……!」

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