四章 冒険者『Bランクブロンズ』編
エルフィー・エジェファー【前編】
その日、彼女……エルフィー・エジェファーは町へと出かけていた。
メイド仲間ののジェニーが「引きこもって掃除ばかりしていては、気が滅入るだろう」と誘ってくれたのだ。
だが、最終的に町へと降りてきたメイドはエルフィーを含めて四人。
「エルフィー、坊っちゃまになにかお土産を買って行ってあげたらどうかしら。あなたに懐いているでしょう?」
困った笑顔でそう言うのは、一緒に来たエッダ。
マグゲル家のメイドの中ではジェニーに次いで古株の一人。
その横には、庶民から容姿の美しさでマグゲル家のメイドに引き上げられたミリィがいた。
彼女は同い年で、没落貴族のエルフィーをとても嫌っている。
だからエッダは気を遣って引き離そうとしてくれたのだろう。
だが──。
「はい」
「じゃあワタシも一緒に行ってあげる! あなたはいつもお屋敷にいるから、町の事よく知らないでしょ?」
「え、ミリィ? いや、アタシはエルフィーに……」
「大丈夫ですよー、エッダさん。ちゃーんっと……一緒に帰りますからー!」
「…………」
エッダは悩んでいる様子だ。
実際町に不慣れなエルフィーが迷う可能性も高い。
言い出した手前、今から自分と一緒に行こうとは提案しづらいのもあるのだろう。
しかし一番は、ミリィがエルフィーをわざわざ構うと思わなかったのだ。
普段はエルフィーを無視ばかりする彼女が、わざわざ……。
「そ、そうかい? エルフィーは? 大丈夫かい?」
「はい」
「じゃあ行きましょう〜!」
だが、おそらく同時にエッダは「ジェニーから仲良くするように指示をもらっているのかもしれない」という考えが働いた。
それもそうだろう、ミリィを連れてきたのはジェニーだ。
今は別行動で坊っちゃま……マグゲル家の次期当主となるウェルゲムの新しい洋服を仕立てに行っているが……メイド長の彼女がそういう意図で二人を連れてきたのだとしたら邪魔になってしまう。
優秀だからこそ、そういう思考が働いたに違いない。
もしくは、単純に関わりたくなかったのかもしれないが。
目を閉じてエルフィーは即答した。
ミリィの顔は笑っているが、目は一度も笑っていなかったからだ。
そんな笑顔を見ている気にはならない。
(でも、私には他に……行く宛もありませんしね……)
没落した貴族の娘。
両親はすでにいない。
親戚は、いるのかもしれないが……少なくとも今のエルフィーを引き取るだけの事情はないのだろう。
引き取られたとしても間違いなく政略結婚の道具だ。
マグゲル伯爵はなにかの時のために、とエルフィーを屋敷で働くように言ってくれているに過ぎない。
実質彼女には頼れる人も、居場所もないのだ。
使用人たちはみんな優しいが、それは表面上。
貴族である……貴族の血を引いているだけで、どこかよそよそしく腫れ物に触るかのような態度だった。
どちらかというと同情の方が強いだろう。
働ける場所、屋根があって寝られる場所、支給される服、おかわりは出来なくても、食事が与えてもらえる。
それだけで感謝しなければならない。
たとえ……。
「ねえ、持ってきたでしょ?」
「……はい」
「ふふふ、そうそう、それでいいのよ」
少ない給料をこうして巻き上げられても、構わない。
彼女の言う通りどうせ使い道なんてないのだ。
基本的にこの町も物々交換が主流で、エルフィーはダメになってしまった下着や服、食糧とお給料を交換する。
それでもなにかの時のために、と銅貨や銀貨を貯めていたけれど……ミリィが屋敷に来てからは、こうして奪われるようになった。
今日はこうして二人きりになった途端、路地裏に連れ込まれてこれである。
「本当は客でも取らせてもっとら稼いでもらおうかと思ったけど、こんな不細工な顔とガリガリで色気のない体じゃあ男も寄りつかないわよねぇ……」
「…………」
「ねぇねぇ、純粋な疑問なんだけどー……なんで生きてるの? アンタって」
「…………」
「ねえ、ちょっと笑ってみてよ。笑えば少しは使えるかもしれないよ? ねえ、ほら」
「………………」
「……ちっ、愛想笑いも出来ないのね!」
「っ!」
突き飛ばされて、道に倒れ込む。
広い道ではない。
路地裏から突然飛び倒して道に倒れた少女に驚く人はあれど、手を差し伸ばす者はいなかった。
露店の店主たちは珍しそうに覗き込むが、エルフィーが立ち上がるとすぐに顔を引っ込める。
手を叩いて客引きが再開され、雑踏と賑わいに一人だけ……俯いた。
路地裏からミリィの姿は消えている。
金が入ったので買い物にでも行ったのか……それとも……。
(大丈夫です。分かっています。……私にはなんの価値もない。……なぜ生きているのか……いえ、旦那様と坊っちゃまのお役に立たなければ……私が今生活出来ているのは……お二人のおかげ……)
そう思って、最後の一歩を踏み留まる。
迷ったら町の中央にある噴水を目指せ。
ジェニーにそう言われていたのを思い出し、露店の人に方向を聞く。
頭を下げ、お礼を言ってから歩き出した。
(……せめて……なにか特別な力のようなものでもあればいいのに……)
エルフィー・エジェファーにはなにもない。
ステータスを確認しても凡人以下。
所得している生活スキルは【家事全般】レベル5くらいなもの。
貴族の屋敷で働くメイドなら一般的に持っているスキルレベルだ。
容姿も美しくはない。
手入れもしてない髪や肌、そばかすの浮かんだ鼻や目の下。
窪んでくまが出来ている眼元。
視力も悪く、仕事に支障が出るだろうと伯爵に眼鏡を頂いた。
底と縁が分厚いため、そばかすやくまのある目元を隠せて重宝している。
唇はカサカサで艶も色もない。
食事はちゃんと取っていたが、ミリィが来てからは突然仕事を代わるように頼まれる事が増えて一日に一食も食べられない日が増えたため、痩せた。
俯けば地面がよく見える。
ミリィのように大きな胸もお尻もない。
女性らしい体つきならば、縁談の話もあっただろうか。
時折考えるが、そんな体があってもこの顔では無理だろう。
今度伯爵が主催するパーティーでミリィは給仕をやる事になっている。
そのパーティーで位の高い貴族に見染められれば、この屋敷から出て愛人に囲われ、なんの不自由もなく一生幸せに暮らせるだろう。
その家に子がいなく、愛人でも男児を産めば正妻の座も夢ではない。
彼女の目的は、そうした貴族の妻なのだ。
だが、エルフィーは知っている。
エジェファー家が没落したのは、まさにそんな愛人のせいであった。
愛人が家の金を使い込み、そればかりか母に毒を盛って殺害。
父は借金を払えなくなり、エルフィーをマグゲル伯爵に託して蒸発した。
愛人の女は父を踏み台にして他の貴族に囲われ、今も帝都で暮らしていると聞く。
マグゲル伯爵は彼女を「寄生虫のような女だが、今の寄生先では男児を産んだらしい」と教えてくれた。
つまり彼女は今、正妻の座に収まって幸せに暮らしているのだろう。
自分が幸せになるためなら、誰を犠牲にしても構わないと思うその熱量……エルフィーにはそれがない。
羨ましいとも思わない。
だが、貴族として生まれた以上そういう野心は必要不可欠なのだそうだ。
「お前はそこに負けたのだ」と、マグゲル伯爵に言われたのは今でもはっきりと覚えている。
その通りだろう、と自分の靴の爪先を眺めながら思う。
(……『幸せになりたければ、もっと図々しくなれ』……か……。そんなの無理です、旦那様……)
石畳になる地面。
顔を少しだけ上げると、噴水が見えた。
人と争うのは嫌いだ。
勝てる自信がない。
自分に誇れるものもない。
いや、そもそも……エルフィー・エジェファーには、なにもないのだ。
「…………」
噴水の前に立つ。
水が流れて、側面の縁へ吸い込まれていく。
不思議な作り物。
マグゲル伯爵はこういう細工物が好きだ。
『火の伯爵』と名高い、火属性魔法の使い手でありながらこういう『水のおもちゃ』を好まれる。
流れを見ているのが好きだ、と言っていたのを思い出した。
『火はなんでも燃やすが、水は命を育む。だが熱がなければ生きてはいけない、エルフィー、お前は──』
伯爵の言葉が溢れるように頭の中に流れる。
マグゲル伯爵は、彼なりにエルフィーを気遣い、父親が娘に接するように言葉をかけてくれる時があった。
今はパーティーの準備で忙しそうにしているマグゲル伯爵は、エルフィーにとって恩人であり……家族の温かさを思い出させてくれる唯一の人。
無論、十代半ばになってからは二人きりになる事はない。
距離を置かれ、話しかけられてもそれは当主と使用人の会話。
当然だ、彼はこのマグゲル領の領主でもあるのだから。
マグゲル伯爵の事は尊敬している。
だが、もしエルフィーが彼にとって不利益になれば容赦なく追い出すなり殺すなりするだろう。
置いてもらっているだけで感謝している。
以前気にかけてもらえただけで──。
「あ、ちゃんと来てる」
「……」
ミリィの声がして、ドクン、と胸が鳴った。
嘲笑う声色。
ゆっくり顔をそちらに向けると、エッダとジェニーも一緒で安堵した。
彼女たちがいれば大丈夫。
それに、往来で虐められる事はないはずだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます