家族と覚悟
「今だ!」
「え、ぎゃ、ぎゃー!?」
「ぐるぁ!」
グリンのゴーレムに命令して、ゴーレムが走り出したのを追おうとした隙に後ろ脚を狙う。
オーガベアは巨体であるため、一度停止すると加速に時間がかかる。
俊敏性は低く、オリバーの方が小回りが利くのだ。
回り込み、槍の先端を左脚の付け根に突き刺そうとする。
だが、それはオーガベアの左手により阻まれた。
オリバーの狙いを理解したオーガベアは立ち上がると、ジャンプして両手の爪をオリバーへと振り下ろす。
「っ!」
「ぎいいいっ!」
寸前で避け、咄嗟に突き出した槍の先端でオーガベアの鼻をかすった。
血が飛び散る。
少量だ。
「くっ!」
どて、と地面に尻餅をつくが、すぐに起き上がって距離を取る。
完全にオーガベアのヘイトはオリバーに向けられた。
母が声をかけても見向きもしない。
槍を持ち直し、構え直す。
心臓の音が耳障りなほど大きく響いた。
手から滲む汗や震えで、槍を滑り落としてしまわぬようきつく、きつく握り込む。
一瞬でも気を抜けば死ぬ。
(母さんの目の前では死ねない)
悲しむ顔を見たくない。
自分をこの世界に送り出してくれた『かみさま』にも顔向け出来ない。
まだ『彼女』に出会ってすらいない。
──……生き延びなければならない。
「…………すぅ……はぁー……」
息を吸う。吐く。
その間もオーガベアから目は逸らさない。
鼻の痛みが落ち着いたからか、オーガベアはオリバーに向き直り怒り狂った呻き声を上げる。
鼻にしわを寄せ、体を震わせながら身を縮めた。
ジャンプして一気に距離を詰め、仕留める気なのだろう。
「……オリバー!」
「!」
だが母の魔法がオーガベアの足を拘束する。
魔法で編み出された蔓。
その隙をついてオリバーはジャンプに失敗してただ立ち上がっただけのオーガベアへ突進する。
腕をかい潜り、右の内腿へ一突き。
「ぎいいぃあぁ!」
「オリバー! こっちへきなさい! 今のうちに逃げるのよ!」
母の魔法の蔓が腕へ、腹へと絡んでいく。
オーガベアは体を揺すり、腕を左右に振るって蔓を引きちぎる。
大した時間稼ぎにはならない。
『探索』でゴーレムに捕まえておいたグリンが、父たちと合流したのを感知した。
あと五分……およそあと五分はかかる。
息を吸う、吐く。
母の時間稼ぎでは一分も保たない。
「母さん」
静寂などではない、その場にオリバーの声はやけに凛と響いた。
母が手を伸ばし、魔法を維持し続ける。
その間に決めたい。
「俺、冒険者になる。なりたいんじゃなくて、なる」
「!」
「心配たくさんかけると思う。でも、絶対帰ってくるよ。夢の中で見た、お嫁さんを連れて」
だから信じて、と。
そういう意味で笑いかけた。
「…………」
母の泣きそうな顔。
いつも笑う母を悲しませても、オリバーはその道を選ぶ。
生まれてきた理由。
それを否定する事は出来ない。
自分が自分の都合で諦めたら、彼女はずっと泣いたままの人生を送るだろう。
助けたいと望むのもまたオリバーの自己満足なのだが、そのために二つも加護を与えられたのだ。
「ぐるぁあぁぁ!」
「あ!」
一瞬、母の魔法が揺らいだ。
その強度低下を逃さず、オーガベアが一気に蔓を振り払う。
そして、オリバー目がけて突進してきた。
槍を構える。
あの距離と速度で回避するのは無理だった。
だがもう、オリバーの覚悟は決まっている。
(守る)
「オリバー!」
母の声。
オーガベアの前脚に一本だけ絡む蔓。
「行きなさい!」
「!」
前へ。
(『鋭利化』『身体強化』『負荷軽減』『貫通力上昇』)
体と槍に強化魔法をかけていく。
一歩踏み出す。
蔓を引きちぎるオーガベアの、その額へ──。
「『牙突進突』!」
「!!!」
〈クリティカル!〉
ばきぃ!
と物騒な音を立てて槍が折れた。
額に食い込む先端はオリバーが手にしていた部分近くまで達している。
貫通だ。
勢い余ってオーガベアの頭を飛び越え、その後ろまで二回転。
すぐ体勢を立て直すが、オーガベアはその巨体を地面に沈めるところ。
荒い息遣いを繰り返し、しばらく呆然とそれを見ていた。
「…………か、あさ、ん……母さん……母さん、母さん!」
「オリバー!」
一拍、間を置いてから恐怖が吹き出す。
涙が溢れて、母のところまで駆け寄った。
ゴーレムが膝をつき、母が飛び出すように降りてオリバーの体を抱きしめる。
「母さん……母さん……っ!」
「大丈夫、すごいわ、オリバー……貴方の勝ちよ……! 勝ったのよ……さすが私とディッシュの子だわ! よく頑張ったわね……すごかった、かっこよかったよ……!」
「母さん!」
ガクガクと震える体。
母に抱き締められて、立っている事も出来なくなった。
父の声が近づいてきても涙は止まらない。
ゴーレムがゆっくり土に帰る頃、父や冒険者たちがオリバーと母に合流した。
***
自分が十歳児なのを、迂闊にも完全に忘れていたという事を思い知った翌朝であった。
泣き腫らした目を水で洗い、身支度を整えて階段を降りる。
食堂に行くと、憤怒の顔の父と澄ました顔の母が待ち構えていた。
(やばい……)
勝手に戦った事を絶対に怒っている。
だが、あの時はあれが最善だったし仕方なかったのだ。
仕方ない、と溜息をついて、食堂に足を踏み入れる。
「おは、よう」
「おはようオリバー、座りなさい」
「は、はい」
マスタートロールの件で怒られたばかりなのに、無謀にもオーガベアに挑んだ。
母のカバーがなければ死んでいても不思議ではない状況。
父のイライラした顔に、俯いてしまう。
「オリバー、父さんが言った事を覚えているか?」
「は、はい……ごめんなさい……」
「本当に分かっているのか? 死ぬところだったんだぞ?」
「は、はい」
食事が運ばれてくる。
お手伝いさんたちはしらー、と澄まし顔で朝食の準備を進めていく。
母は紅茶のカップをソーサーに置くと、突然口を開けた父のセリフを遮って「そうだわ、私二人に言わなければいけない事があったのよ」と言い出す。
思わず顔を上げる。
オリバーだけでなく、父も「今?」と言わんばかりの顔で母を覗き込んだ。
「妊娠四ヶ月ですって」
「「ふぁ?」」
「だから、昨日の定期検診で『もう安定期に入りましたよ』って言われたの。オリバー、お兄ちゃんになるのよ」
「…………え? ん? ちょっと待ってくれ、アルフィー」
「ええ、いいわよディッシュ」
ぽく、ぽく、ぽく…………。
食器が並べられる音が響く食堂。
母が再び紅茶を一口飲んで、ソーサーに戻すまでオリバーと父は頭が空っぽになっていた。
「「はああああぁぁぁあ!? に、妊娠〜!?」」
「ええ。性別は分からないけど」
「妊娠、妊娠? 妊娠んんん〜!? そんな! はあ? じゃあ、え? 昨日、お前、え、アルフィー、おま……大丈夫じゃないじゃないか! そんな、ええ? ちょ、どどどどどうしたら……!」
「落ち着いてディッシュ。まだ生まれないわよ」
「母さん体は大丈夫なの!?」
「大丈夫よ、安定期に入ってるから。一応昨日の事もあるから、今日も病院に行ってくるわね?」
「そうしろ!」
「そうして!」
慌てふためく父と息子。
それを眺める笑顔の母。
その日の朝、満面の笑顔で出勤してきたギルドマスターが昨日の件で殺気立っていた冒険者たちにも『妻の妊娠』を発表。
秒で殺気立った空気はお祝い一色となった。
「……そういえば母さんを森に連れて行ったお兄さんたちはどうなったの?」
と、後日ガレイオとカルに聞いたところ。
「さあな」
と言われた。
町が一つ地図から消えていたような気がするが、それはオリバーの知るところではない。
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