VSオーガベア


「うわああああぁぁ!」

「ひいい!」

「た、たすけ……!」

「いいですよ。母さんをどこに連れて行ったんですか? 案内してください」

「は、離せ! お、お前が悪いんだろう! 俺を合格にしないから!」


 これは話しても無駄だな、と他の二人を見る。

 すると、片方が町の外……『ロガンの森』の方を指差した。


「森! トロールがいた森の入り口だ!」

「お前!」

「ありがとうございます。じゃあ迎えに行ってくるのでその事をギルドにも伝えてください」

「ぎゃああぁ! 違う、助けて! 全部グリン様が、こいつが考えてやった事なんです! 俺たちは嫌だって言ったのに! 無理やり車椅子を押して走らせて、森に! 行きたくない、助けて!」

「じゃあそっちのお兄さんも一緒に行ってください。グリンお兄さん? は俺と一緒に母さんを迎えに行きましょうね。……父さんたちもすぐ追いついてくれると思うから大丈夫」

「ひっ」


 あまりにも騒ぐ二人の少年をナイトゴーレムに抱えさせたまま操作する。

 行き先はギルド。

 ギルドに着いたあとはあの二人の少年が説明してくれる事だろう。

 オリバーは『浮遊』+『飛行』で浮き上がると、グリンを抱えたナイトゴーレムと共に加速した。


「ひいぃっ」


 悲鳴が聞こえるが無視だ。

 もう夜になる。

 魔物が凶暴化、活発化する時間帯。

 左足の悪い母は魔物に襲われればひとたまりもない。


「! 母さん!」


『ロガンの森』の入り口付近に、銀髪の女性が倒れている。

 車椅子は破壊され、両方の車輪が遠くに転がっていた。

 うつ伏せの母の袖や膝は土で汚れ、肘の部分は擦れて破れている。

 這いずって森から離れようとしたのだろう。


「オ、オリバー!? どうしてここに……あ……だめよ、まさか一人で来たの!?」

「父さんを呼んであるから大丈夫! それより怪我を見せて! 血の匂いにワーウルフが近づいてくるかもしれない!」

「あ……」


 指を鳴らしてマッドゴーレム──普通の土くれで作ったゴーレム──で母の体を抱き上げる。

 下から「ヒール」と母の怪我を癒す。

 母は驚いている様子だったが、治癒魔法は早めに覚えた。


「オリバー、貴方もう治癒魔法を?」

「うん……母さんの左足を治せる治癒魔法を、覚えられるかもしれないでしょ……?」

「っ!」


 もちろん、あの父でさえ母の左足を健常者のようにする事は出来なかった。

 それがどれほど難しいのかは、なんとなく分かる。

 けれど諦めたくはない。

 そう、もしかしたら……聖女……『ワイルド・ピンキー』に出てくるハーレム要員の一人、聖女マルシアならば、あるいは……。


(いや、シュウヤと関わるくらいならマルシアが覚える『エリクシール・ハイヒール』を俺が覚えられるように訓練すればいい! 『エリクシール・ハイヒール』は別にマルシアだけの特別なわけじゃない。ただ、今の時代でただ一人、彼女だけが習得に至っただけの、ただの魔法! 俺だって治癒魔法の鍛錬を続けていれば覚えられる!)


 あとは早く森から離れよう。

 再び『浮遊』+『飛行』で軽く体を浮かせ、『トーズの町』の方へと体を向ける。


「ぐっ、くそ! おい、女が助かったんだからもう離せ!」

「騒がないでくれる? お兄さん。夜の森は魔物の世界だよ。騒いで魔物を呼び寄せたいの? 自殺したいなら離してあげるけど」

「なっ……」


 もう無視しよう。

 この頭の中がおめでたい少年はギルドに連れて帰ってから、事情聴取と裁判手続きだ。

 お説教では生温い。

 危うく母が殺されかけたのだ。

 せっかくオリバーが前世の知識で祖父に作ってもらった車椅子まで壊して……。


「ふざけるな! 俺を誰だと思っている! 『ワッグド子爵家』のグリン様だぞ! ギルドマスターなんてたかだか男爵家だろう!? その程度の身分の家の書きが俺に生意気な口を聞いていいと思っているのか! 無礼者!」

「?」

「ワッグド子爵家……?」


 母も不思議そうな顔をしている。

 という事は『クロッシュ侯爵家』が目をかけてすらいない、田舎貴族に毛が生えた程度の貴族もどきだろう。

 その家の子息。

 頭が痛い。

 その程度の身分で、『クロッシュ侯爵家』の第三令嬢である母を攫ってこんな場所に放置したのか、と。


「無知って怖い」

「はぁ!?」


 祖父にバレれば極刑間違いなし。

 それこそ、そこに『貴族だから』『子どもだから』などという言い訳は通用しない。

 この『貴族の頂点である公帝が治める国で、爵位の上の貴族の家の娘を危険に晒す』という行為。

 きっとこの少年は自分より上の爵位の者に会った事がないのだろう、と推察出来る。

 でなければこんな恐ろしい事が出来るはずもない。

 オリバーの母は、確かに侯爵家を出た。

 父ディッシュは爵位こそ『男爵』だが、父の実家は彼と同じ子爵家だ。

『ルークトーズ子爵家』……それもただの子爵家ではなく、『トーズの町』を預かる家。

 しかも、妻は元侯爵家三女。

 同じ子爵だが、その権威は桁が違う。

 今のセリフも祖父が聞けば「不敬罪で処せ!」と鶴の一声で処刑が決まるレベルだ。


「母さん、少し揺れるけど我慢してね」

「……」


 悲しげな母の表情。


(……分かってるよ……子どもがこんな危険な事をって、思ってる事くらい。でも……でも……!)


 顔を上げる。

 飛行移動は止めず、後ろ向きになって母を真っ直ぐ見上げた。


「大丈夫、母さんは俺が絶対に守るから!」

「っ!」


 悲しい顔をされるのは前世むかしから苦手だ。

 それが誰か──自分に向けられたものならばより一層、どうしたらいいか分からない。

 そんな顔をさせたくない。

 悲しい思いをさせたくないのだ。

 けれど、きっと前世でもオリバーは家族を、母を、悲しませただろう。


(でも、俺は……俺がこの世界に、来た理由は──!)


 前を向く。

 進路となる町への道は、すっかり暗くなって見えづらい。

 手のひらを掲げれば『灯火】の魔法が道を照らす。

 今頃父やギルドに残っていた冒険者たちも町から飛び出してこちらに向かっているはず。

 魔物を呼び寄せる事になるかもしれないが、父たちにも良い目印となるだろう。

 そして『探索』の魔法を発動。

 周辺に魔物がいないかを常にチェック出来る態勢を取る。


「!」


 後ろから急速にこちらへ走ってくる魔物の反応を即座に感知した。

 舌打ちして、『灯火』を五つに増やす。

 魔力量は、まだ大丈夫。

 だが、ゴーレムを増やすのは無理だろう。


「オリバー! なにかくるわ!」

「うん! 分かってるよ!」

「え……」

「大丈夫、俺も『探索』は使えから!」

「っ!」


 母の警告に頷いて、町側へと母とグリンのゴーレムを先行させた。

 あの速度は、追いつかれる。

 ならば母たちを先に行かせて、ここで時間を稼ぐのが最善だろう。


「オリバー!? なにをするつもり!」

「母さん!?」


 だが、母のゴーレムは動かなくなる。

 母が魔法で下に蔓を伸ばし、ゴーレムの足を拘束したのだ。

 あんな事が出来るとは、さすが母。

 その表情は必死で、オリバーは思わず目を背ける。


(冒険者になりたい。エルフィーを迎えに行きたい。俺は、そのために……)


 だが母の言いたい事も分かるのだ。

 足の悪い母は、ずっと町で父の帰りを待つばかり。

 毎回父が無事に戻るまで不安な日々を耐えて来たのだろう。

 オリバーが、息子が……同じように旅に出れば……母の想いは?


 ──『冒険者になんかならないで』


 その言葉に詰まる想いを、感じ取れないわけではない。

 けれど、それでも。


「グルルルルルル……」

「っ!」


『灯火』で森側の道を照らす。

 おそらく相手もそれで「バレている」と理解したのだろう、ゆっくりと姿を現した。

 巨大な手足と、鋭い爪と牙。

 額に一角を持つ熊型の魔物……。


「……オ、オーガベア……」


 Cランク、レッド。

 一人では絶対に対処してはいけないレッドの魔物。

 危険度は普通の魔物とは桁違い。

 しかしこれでも『下級種』だ。

 唯一の救いではあるが、当然オリバー一人で対処出来る魔物ではない。


「なんでこんな魔物が……『ロガンの森』はどうなってしまったの……!?」


 悲嘆にも似た声を上げる母。

 元々はこんな魔物がいる森ではなかったのだろう。

 ハイヒノキの槍を構える。


「オリバー!」

「時間を稼ぐ! 今父さんたちが町を出たのを感知したから!」

「っ!」


 母の金切り声に叫び返す。


(分かってる! 分かってる! 分かってる!)


 心の中でも繰り返し叫び返した。

 母の気持ちも、今の状況が母にとってもっとも恐れていた事態である事も、本気でオリバーの身を案じている事も!

 それでもオリバーはこの世界に生まれてきた理由を忘れていない。

 手は震える。

 こんな魔物と戦って、勝てる見込みはない。

 今のオリバーの実力では殺される。

 それでも、ここで踏み留まらなければ守れない人がいるのだ。


「母さん、父さんを呼んできて!」

「オリバー……っ」

「お、俺が、俺が呼んでくるから! このゴーレムを戦いに使えばいいだろう!」

「君は黙ってて」


 グリンは信用が出来ない。無視だ。

 距離を測り、間合いを詰めるオーガベア。

 よだれを垂れ流し、腕を持ち上げて一歩……どすん、と近づく。

 闇に紛れていたその体躯が『灯火』で顕になる。

 四メートルはくだらない黒い体毛の塊。


(思い出せ。冷静になれ。やるしかない。やるしないんだ……母さんを守る。母さんを悲しませない。心配はさせてしまうかもしれないけど、俺は、俺は……!)


 冒険者になる。強くなる。彼女を救い出して守れる男になる。

 この先旅をして、これよりも強い魔物と対峙した時心が負けないように、と震えを必死に否定した。

 怖い。

 マスタートロールと対峙した時とは違う。

 あれは『絶対死』の恐怖。

 これは、『敗北による死』の恐怖。

 同じ死への恐怖だが、オーガベアに感じるのは完全なる自分の未熟さ故。

 奥歯がガタガタ震えるのを、噛み潰してごまかした。

 父や冒険者たちに日々教わっていた事を、頭の中で冷静に思い出そうとする。

 しかし、そうしようとすればするほど混乱した。

 敵は巨大。

 武器はハイヒノキの木槍一本。

 ゴーレムは増やせない。

 オーガベアの爪や牙は一撃でオリバーの体を引き裂ける。

 そして体毛と脂肪が分厚い鎧代わり。

 必死で思い出す。

 図鑑で読んだ、オーガベアの弱点──後ろ足だ。


(回り込む。でも、俺を無視して母さんたちの方に行かれるのは……! なら、俺が先に動くしかない)


 恐ろしさは感じる。

 だが、父たちが近づいているのも感じた。

 それは希望だ。


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