事件

 

「くそぅ! 俺は『ワッグドの町』の町長、グリン・ワッグド次期子爵だぞ!」


『トーズの町』の片隅で、昨日試験を受けていた三人の少年のうち一人が樽を蹴り飛ばす。

 残り二人の少年は、初めて見た魔物にすっかり意気消沈しており、グリンを慰めるどころではない。

 ワッグド家の使用人の息子たちでしかない彼らにとって、グリンは守るべき対象だが“命を懸けて”ともなればいささか話は変わってくる。

 彼らにそこまでの忠誠心も覚悟もありはしなかったからだ。

 そもそも『ワッグドの町』はそこまで大きな規模の町ではない。

『町』と言われているが、『トーズの町』の規模を思えば『村』が妥当な大きさだろう。

 その上、ワッグド子爵家は『四侯』クロッシュ侯爵の血縁ですらない。

 帝都で悪さをしすぎて左遷された、いわゆる没落寸前の貧乏田舎貴族もどき。

 クロッシュ侯爵家のパーティーにも呼ばれる事はなく、廃れて消えていくのを待つばかり。

 だからこそワッグド子爵家の当主……グリンの父は息子へ「高ランク冒険者になり、クロッシュ侯爵家との繋がりを」と望んだ。

 そのための支援は惜しまない、と息子を送り出した。

 しかし唯一誤算だったのは、その息子が甘ったれのアホぽんだった事だろう。

 甘やかしたつもりはなかっただろうが、周りに期待の星ともてはやされてかなり可哀想な頭と性格に仕上がっていた。


「あんなガキに馬鹿にされて、いきなりあんな魔物に……あんなの倒せるわけないだろう! なあ!?」


 コクコク、二人の少年は強く強く同意する。

 そして心はすでに折れていた。

 あんな化け物と戦い、ランクを上げていくのが冒険者であるなら無理だ、と。


「もう帰りましょう、グリン様……。俺たちに魔物と戦うなんて無理ですよ」

「そうですよ、あんなの野蛮人の仕事です! グリン様は次期子爵家の当主として、旦那様のお仕事を学ばれた方がいいです」

「ふざけるな! こんなところで尻尾を巻いて逃げられるか!」

「ひぇ」


 振り向き様に怒鳴られて、一人が肩を竦める。

 怒り心頭のグリンには、おそらく誰の声も届かない。

 それを知っている使用人の子たちは顔を見合わせて「ああ、また厄介な事に巻き込まれる」と怯えた表情をした。


「ん?」


 そして、そんな時……ギルドの裏口から一人の女性が出てきた。

 車椅子を自分で動かし、向きを変えて建物の裏口の鍵を閉める銀髪青眼の美女。

 とても十歳の息子がいるように見えないその女性は、ギルドの受付嬢だ。


「アルフィーさん、これから病院だろう? いい加減マスターに話してついてってもらった方がいいんじゃないかい?」

「ありがとう、セドラさん。でも今日も疲れていると思うからやめておくわ。オリバーも落ち込んでいたし……」

「だからこそだよ。いいニュースで塗り替えてやればいい」

「そう、かしら? ……じゃあ、今日の検診結果が良かったら……に、しようかしら?」

「それがいい。その方があたしらも大々的にお祝い出来るしね!」

「ふふふ、ありがとう。それじゃあ、あとをよろしくお願いします」

「あいよ」


 もう一人の受付嬢──と呼ぶにはなかなかのおばちゃんだが──が扉を閉める。

 その場で溜息を吐く銀髪の美女。

 その憂いた表情は、グリンたちの位置からは見えない。


「本当……まだ十歳なのだから……冒険者なんかやめればいいのよ……」


 そう呟いて車椅子をグリンたちのいる方とは反対側に向ける。

 両手で車輪を回し、人が歩く速度で進む。

 その姿にグリンは歪んだ笑みを浮かべた。



 ***



「よし、今日はここまでにしよう! マジで!」

「はい! ありがとうございました!」


 ギルドの中庭……運動場で父に槍の稽古をつけてもらい、満面の笑顔で額の汗を拭う。

 今日の事は、失敗だった。

 だが落ち込んで立ち止まるのは違うと父に励まされ、「運動場で稽古をつけてやろう」と言ってもらえたので様々な戦い方を教わったのだ。


(すごいなー、やっぱりAランクの冒険者は! 槍で殴るとか考えた事もなかった。突く動作は隙が生まれやすいかぁ……明日もう少し練習しよう)


 が、しかし……そうなると問題がある。


(……練習用の槍がもう……)


 御臨終寸前なのだ。

 多分、あと一撃入ると折れる。


「まったく、もう槍の中級技スキル『牙突進突』と『剛打地裂』を覚えてしまうとは……将来が強すぎる……」

「父さん、練習用の槍、ケビン兄さんのところで新しいのもらってきてもいい?」

「え! あ、ああ、そうだな。……でも、木剣もそろそろ足りなくなっているからな……ついでに頼んでおいてくれ。……つーか、壊れるの早くねぇ?」

「ぼっ、木剣ですね! な、何本頼んでくる!?」


 主に破壊しているのはオリバーだ。

 弓矢や槍は比較的得意なのだが、どうも剣は相性が悪いらしく力が入りすぎてよく折る。

 武器強化の練習で、武器への負荷が一回で木剣の耐久性を上回るのだろう。

 弓や槍は細い分、慎重になる。

 だが剣は「もう少し、もう少し」と込めすぎてしまう。

 悪い癖だった。


「そうだな、急ぎじゃないが、二十くらい頼んでおいてくれ。木槍は五本、矢は十。弓の整備も近いうちに頼む、と」

「分かった」

「ああ、それと……父さん冒険者たちともう少し話していくから、先に帰っていなさい。母さんも今日は定期検診のはずだから、病院に迎えに行ってくれ」

「はーい!」


 空を見上げれば夕闇が迫っている。

 そろそろギルドは閉まり、宿屋と酒場が冒険者たちの憩いの場になる時間帯だ。

 戸締りは父や他のギルド員に任せて、正面玄関から武具屋を営む従兄弟、ケビンのところへと向かう。

 町の中心部にあるギルドから、南に少し進むとその店はある。

 町一番の武具屋であり、オリバーが祖父に送られて置き場に困る武具の数々を預かっていてくれる場所でもあった。

 見本にしたい、手本にしたい、といくつかは譲ったけれど……祖父には内緒である。


「ケビン兄さん、注文いい?」

「おお、オリバー! なんだ? また木剣ぶっ壊したのか?」

「ぐっ……きょ、今日は練習用の槍だよ」

「槍か……お前よく壊すよな。まあこっちはいいお客様として大歓迎だが」

「むー……」

「んもおぉ、そんな顔するなよ可愛いなぁ!」


 祖父に負けじと従兄弟もまたオリバーを溺愛だ。

 抱き締められ、頬擦りされ、背中と頭を撫で回される。

 その間も延々「オリバー可愛い、俺の従兄弟可愛い、超可愛い、食べちゃいたいくらいぎゃゎいいいいぃ……!」と段々身の危険を感じるぐらい褒めまくってくるケビン。

 しまいには頰をぺろぺろ舐め始める。

 そろそろアウトだろう。


「もおお、やめてよぉ〜!」

「きゃわいい、きゃわいい……」

「やめろ!」

「ぎゃふう!」

「ホリー姉さん〜!」


 茶色い髪をポニーテールにした美人が、ケビンの頭を後ろからフライパンで殴り引き剥がす。

 彼女はホリー・ルークトーズ。

 オリバーの父、ディッシュの姪の一人であり、ケビンの妻だ。


「大丈夫? まったく、日に日にオリバーへの態度が気持ち悪くなっていくわね」

「だってぇ、オリバー可愛いじゃんかぁ」

「可愛いけどね!」

「え、えぇ……」


 そんな力いっぱい同意しなくても、と肩を落とすオリバー。

 どうも祖父含め、この町の親戚一同もオリバーに甘い。甘すぎるぐらい甘い。


「注文くらいまともに取りなさいよ。私これから宿に戻るんだから」

「うー、分かったよぅ」

「あ、ありがとう、ホリー姉さん……」

「いいのいいの。練習用の木剣や木槍が壊れるってつまりオリバーが頑張ってる証拠でしょう? ……はあ、オリバー可愛い」


 二言目にはこれである。

 父に頼まれた注文を伝えてしっさと母を迎えに行こう。

 そう、半笑いで伝え終わるとケビンが一本の装飾が施された木槍を持ってくる。


「これは?」

「鉄製や銅製より劣るが、ハイヒノキの槍だ」

「ハイヒノキ!」


 ハイヒノキは珍しい木だ。

 加工によって鉄製ぐらいの強度を出すと言われている。

 そのハイヒノキの槍。

 長さはオリバーの体長より頭ひとつ分高め。

 完全に子ども用。

 見るからにオリバー専用といった感じで使いやすそうだ。

 祖父に色々豪華で強い装備はもらうが、どれも大人用で今のオリバーにはすぎたもの。

 森への実戦以外で父に許されているのも、木製のみ。


「ありがとう!」

「いいって。ハイヒノキの練習用で作ったモンなんだ。使い勝手とか聞かせてくれよ。上手く加工出来てるとは思うんだけどな」

「うん、分かった! それじゃあ、俺このあと母さんを病院に迎えにいくから」

「そう、アルフィー今日は定期検診の日だったのね。よろしくね」

「はーい! ありがとう! また明日!」


 ホリーはこれから一気に忙しくなる宿屋への出勤。

 ケビンは明日に備えて店を閉めるところだろう。

 だから「また明日」と告げて店を出る。

 町の様相は昼から夜へ。

 母の検診も間もなく終わるはずなので、一緒にギルドの裏にある自宅に帰る。

 お手伝いさんが作っておいてくれた食事を食べて、風呂に入り、文字の勉強もして……と、今後の予定を考えながら走っていると──。


(あれ? あのお兄ちゃんたちは……)


 ゲタゲタと下品に笑いながら歩いているリーダー格の少年。

 他の二人は明らかに顔色が悪い。

 気になって近づいてみると、リーダーの少年は腹を抱えて来た道を指差す。


「いや、もうサイコーだったよなぁ! あの女の顔! ビビりまくってさぁ……! ギルドでしてた澄まし顔とは大違いで……はっはっはっ!」

「グ、グリン様……やはりまずいのでは……。ギルドを敵に回すと、冒険者になれなくなりませんか?」

「ばーか! 今からギルドに戻ってギルドマスターにこう言えばすぐ冒険者証を用意する事になるだろ? 『このギルドの受付嬢をあの森の近くに置いてきた。場所を知りたければ俺たちの冒険者証を発行しろ』ってよぉ!」

「「…………」」


 顔を見合わせる二人の少年。

 その顔色は蒼白。

 うち一人が小さく「あ……」と声を漏らす。

 グリンともう一人がその声を漏らした少年の視線がおかしい事に気がつき、顔をそちらへと向ける。


「げっ、お前は……」

「まさか……『ロガンの森』に近づいたんですか? 接近禁止と言われたばかりですよね? それは市民だろうが冒険者志望だろうが関係ありませんよ」

「……な、なんの事……」

「その上、を置いてきた? ああ、なんて困ったお兄さんたちなんでしょう? 俺、あまり……」

「っ、え、あ……!」


 夕暮れ時も過ぎ去ろうという時間帯だ。

 影も闇と一体化しつつある、そんな中でもかろうじて彼らの背後に伸びる影には気がついたのだろう。

 恐る恐る、振り返る。

 そこにいたのは──彼らが放り投げられ続けたゴーレムとは比べ物にならない、端正に作り込まれた土の騎士……『ナイトゴーレム』。

 その総合レベルは、120。


「弱いものいじめも、怒るのも嫌いなんです」


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