『ロガンの森』【後編】


「トロールが作ったのかな?」

「ん? なにがだ?」

「あの岩穴。下の土台になる大きめの石は比較的きれいな四角形。バランスが取れた岩を重ねてあるし……隙間は小さな石で詰めてある」

「…………言われてみると……いや、だが、トロールにそんな知能は──……まさか……!」

「…………っ」


 父の顔色が変わった。

 魔物とは、基本的にどんな種にも『下級種』『通常種』『上級種』と区分される。

 トロールの場合は『下級種』がリトルトロール。

『通常種』がトロール。

『上級種』に……さらに巨大なビックトロール、知能のある……マスタートロール。

 マスタートロールは三メートル程度。

 通常種と変わらない大きさだが高い知性があり、マスタートロールの群れはマジシャントロールやソードトロールなど武装したトロールが従っている。

 これらの武装したトロールは、マスタートロールに従うトロールだけ。


「父さん! 森に来てるみんなに伝えよう!」

「すぐに戻るぞ!」

「うん!」


 踵を返す。

 集合地点まで戻るために走りながら、父は呼び笛を鳴らす。

 緊急時はこの呼び笛を使い、集合地点に戻る取り決めだ。

 そう、緊急だ。


(マスタートロールはAランクイエロー! トロールの群れの数によっては、他の町の冒険者もかき集めなければいけない!)


 同じくAランクの冒険者が五人でようやくAランクの魔物を一体倒せる──。

 そう言われているのだ。

 杞憂であるならいい。

 だが、もしもマスタートロールがいるのであれば……。


「クソ、頼むからマスタートロールなんざいないでくれよ……!」

「っ」


 あまりにも、Aランクの魔物は危険だ。

 なにしろAランクはかのドラゴンと同じランク。

 ドラゴン──伝説の魔物。


(ドラゴンは、Aランク+……カラーはレッド。完全無比の『禍い』……!)


 オリバーの記憶の中……前世では、様々なラノベで容易く倒される存在だった。

 だが、この世界では最強無敵の存在だ。

 剣も魔法も完全無効化し、何千何万のAランク冒険者が束になってもダメージを与えられないと言われている。

 ドラゴンと戦えるのは世界に四つしかない『霊器』のみ……そう、言われていた。

『霊器』を扱える者がいない現在の世界。

 もしドラゴンに遭遇すれば、ただ……人々は蹂躙されるのみ。

 だが、それと比較してもマスタートロールは十分危険!


「うわああああぁぁ!」


 悲鳴だ。

 しかも、それを皮切りに何人もの悲鳴が続く。


「まさか!」


 遅かった!

 と、皆が集まり始めた集合地点に現れた数体のトロールに目を見開く。

 武装している──!


「くそ! オリバー! お前はここで待て! 絶対に動くな、っ……オリバー!?」


 体が勝手に飛び出していた。

 振り上げられたボロボロの剣。

 あれはソードトロール。

 尻餅をついた冒険者志望の少年たち。


(誰かが……)


 恐怖に歪む顔。

 泣きじゃくる姿。

 前世の記憶が、揺さぶられた。

 ──妹が、泣く姿。

 なにも悪い事などしていないのに、友人だと思っていた者たちに笑われる。

 立ち向かう勇気のなかった妹は、部屋に引きこもって出てこなくなった。

 共働きの両親は、妹の話を聞く時間がない。

 なら、俺が……。

 そして、妹の話を聞きながら、ゲームをしたり漫画を読んだり。

 ゲームや漫画やラノベを買うために家事を手伝って、お小遣いを増やしてもらって……そして──。


(不幸になるのは……嫌だ!)


 剣を抜く。

 父の話を思い出しながら、手を伸ばす。


「リーフゴーレム!」


 森の中なら、リーフゴーレムを十体作れる。

 葉っぱで出来たリーフゴーレムが、トロールたちの足を掴む。

 一瞬動きを止めたトロールだが、剣を振り下ろせば一瞬でゴーレムは散ってしまう。

 だが、そんな事は想定内。


「浮遊!」

「ギィ……!?」


 リーフゴーレムたちが倒された瞬間を狙い、トロールの片足を地面から浮かす。

 武器を振り下ろしていたソードトロールは、バランスを崩した。

 同じく自分の足にもジャンプした瞬間浮遊をかける。

 真上に。

 しかし距離が足りない。

 なのでソードトロールの剣を持つ手首を斬りつける。

 指が微かに離れたのを、見逃さない。

 柄をブーツ裏で蹴りつけ、風魔法で飛んだ体を捻りその場で固定。


「ライト・グラビティア!」


 風で書類が飛ばないように固定する生活魔法。

 自分の体全体にその魔法をかける。

 ソードトロールの剣の柄の先端に足をかけたまま、重くするという事は──。


「!」


 ボロボロとはいえソードトロール持っていた剣先が、ソードトロール自身へ向けられたという状況。

 そこへ、重りを付加して落とす。

 倒せるとは思わない。


(!)


 直前に父の言葉を思い出した。

 刃物を、鋭利にする『研磨』の魔法。

 あれを咄嗟にソードトロールの見に使った。


「ギャーーーー!」


 それこそ【無敵の幸運】効果だろう。

 眉間のど真ん中に突き刺さる。

 〈クリティカルヒット!〉と文字で見えたようだ。


「!」


『鑑定』で見た、ソードトロールのHPが0になった。

 しかし、一体倒しただけだ。

 振り返る。

 父がようやく追いついてきて、冒険者志望の三人の少年の肩を抱き寄せた。


「オリバー! お前! 無茶するな!」

「父さん、それよりあれ!」


 自分の剣を持ち直し、他のトロールが冒険者たちと戦っている方を指差す。

 腰を抜かした冒険者志望者たちは、とても立てる状態ではない。


「っ! オリバー、お前はこの子たちを……、……!」

「!」


 ズズ……と、なにか、妙に小さなトロールが森から顔を出す。

 人間にとても近い顔と体つき。

 ただし、頭が大きい。

 足のバランスがどことなく悪いが、左右に武装したトロールが固めている。


「…………」


 そのトロールが、マスタートロールなのだろう。

 戦闘能力は高くなさそうだが、こちらを見た瞬間……目が合うと背筋がゾゾゾと粟立った。

 寒気。鳥肌。本能的に『絶対に戦いたくない』と感じる。


『…………』

「……っ……」


 それは、父を見た。

 そして突然目を閉じて、頷くような仕草。

 父は立ち上がってオリバーの前へと立つ。


「俺たちは木を切りに来た。確かにお前たちを討伐しようとは思ったが、そちらが干渉しないならこちらも不干渉を約束しよう」

「父さん……?」

「…………、……そうか、分かった。そうしよう」


 父がそう頷くと、あのトロールもまた頷いて「ゲギィ、ゲァ、ゴゥ……」と武装していたトロールへ語りかけるように声を出す。

 言語による指示?

 知性のないと言われているトロールたちが、言語でコミュニケーションを取っている?


(これがマスタートロール……Aランクの、魔物……!)




 ***



 あのあと、父は冒険者たち全員の無事の確認を行い、町に帰った。

 そして、そこで聞いた話では父とあのマスタートロールは思念で会話を行ったのだという。

 トロールたちは森で静かに暮らしたい。

 元々あまり戦いを好む種類ではないからだろう。

 こちらから襲わなければ、ほとんどのトロールは戦わないのだ。

 だから父は『森の手入れ』以外、森に立ち入る事を禁止する。

 その代わり、そちらもこちらへの手出しは無用にして欲しい、とマスタートロールに条件を出したのだ。

 そして、マスタートロールはそれを受け入れてくれた。


「というわけで今後、ロガンの森には立ち入り禁止だ。マスタートロールがいるという事は周知させてくれ。一応皇都にも連絡はするが、武装したトロールの数を考えると一ヶ月そこらでどうにかなるものじゃない。こちらから手出ししなければ、向こうも手は出さないと言っているしな」

「おいおい……ディッシュさん、魔物の言う事なんか信じるのかよ?」

「そういうわけじゃない。だが、どうにも出来ないのは事実だ。現状戦力でマスタートロールに統括されているトロールの群を掃討するのは、不可能だ! こちらもかなりの被害を覚悟しなければならん」

「…………」


 それは、おそらくあの場にいた冒険者が皆感じた事だろう。

 黙り込み、首を横に振る。

 その様子に、今日森に行かなかった者たちも頷いた。


「オリ坊が一体倒したって話はマジなのか?」

「あれはたまたま運良く、眉間に剣が刺さったんだ……」


 実力で倒したわけではない。

 そう、きっと【無敵の幸運】の力だ。

 今思い出すととんでもない無茶をしたと思う。

 父も帰り道、ずっと怒っていた。

 ちらりと見上げると、凄まじく険しい表情。

 その表情に、冒険者たちまで『失言』を察する。


「ああ、あれは本当に運が良かった。そうでなければ倒せる相手じゃない」

「そ、そうか。そういう事なら確かに運が良かったな……」

「う、うん」


 みんながあからさまにオリバーへ哀れみの眼差しを向ける。

 そう、間違いなくこのあと叱られるだろう。

 父の圧が、増す。


「ともかく、皇都のギルド本部に連絡して討伐に必要な人数を集める。少なくともAランク冒険者が五十人は必要な事態だ! 絶対にロガンの森にはでは出すな!? 約束を違えたとなればトロールの群れが町まで来るかもしれん。そうなった時、責任が取れるなら話は別だがな!」

「「「…………」」」


 そんな事を言われれば皆俯いたり、目を背けたりする。

 当然だ、そんな事になったら、責任なんて取れる奴はいない。

 解散し、ギルドのホールが珍しくすっからかんになる。

 立っているのは見送った父ディッシュとオリバー。

 受付カウンターに、母アルフィー。


「オリバー」


 とても低い声。

 恐る恐る、見上げる。


「…………」


 その時の──……父のその表情を、なんと表せばいいのだろうか。

 膝をついた父は、オリバーの肩に手を載せる。

 とても大きな、熱い手。

 泣きそうとはまたどことなく違う。

 辛そうで、悲しそうで、唇が震える。


(……俺は……)


 前世の家族は、共働きの両親と妹。

 自分は家族をとても大切に思っていた。

 しかし、自分は両親よりも先に死んだ。

 自分がもしも、見送る立場ならどれほど悲しいだろう。

 事切れる寸前、とても悲しい気持ちをした。

 撮影されて、笑われて……。

 あの動画をもしも、家族が見ていたら?


(……俺……)


 あれは事故だ。

 仕方なかった。

 でも、今日の行いは……無謀な真似だ。

 胸が苦しくなる。

 気がつけば迫り上がるものを抑えきれない。


「っ……ごめんなさい……」

「二度とやるな」


 そう言って父は、抱き締めた。

 母がカウンターから出て来て、オリバーの肩に優しく手を置く。

 母の、その浮かべた笑顔は決して優しく穏やかなものではない。


「か……」

「ねえ、オリバーはどうして冒険者になりたいの?」

「え?」

「私ね、思うのだけれど……オリバーは町から出なくてもいいんじゃないかしら? 今回の事で分かったと思うけれど、町の外は危険な魔物が溢れてる。魔物だけじゃない。人間だって……自分の利益のために他人を犠牲にする事を厭わない者もいるわ。相手が弱ければ、弱いほど自分を強いと錯覚する人もいる」

「……母さん?」


 母の笑顔は消えていった。

 父も、神妙な表情で母を見る。

 母からは真剣な……そして、切実な瞳が向けられていた。


「オリバー、冒険者になんかならないで。町にいて。貴方はまだ子ども。もっと色々な可能性、未来を探っていいと思うの。……お母さんは……貴方が危険な目に遭うのに、冒険者になるのに──……反対よ」

「っ……!」


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