神様のアクアリウム

泡盛もろみ

神様のアクアリウム

 僕の部屋には地球がある。

 地球儀ではない。直径1mほどの限りなく本物に近い地球だ。

 昨年、個人が地球を育てて鑑賞できるキットが発売された。アクアリウムならぬ、アースリウム。気分はさながら神様だ。


 僕の部屋の地球は一つだが、お金持ちの人なら4つや5つ、異なる地球を並べて眺める人もいると聞く。

 設定によって簡単に環境を変えることができるし、「ファンタジーMod」や「ディストピアMod」というものも出回っている。詳しい人ならコマンドで地球の住人に干渉することもできるらしい。


 この地球は、VRで自分の地球に入り込むこともできる。自分の地球をシェアして友人とお互いに見せ合うこともできる。VR中の時間圧縮機能のおかげで一晩で地球一周旅行なんてことも可能だ。

 この地球をVR-MMO-RPGの舞台として使用する企業もあるという。地球まるごとひとつを舞台にしたゲームというのは、普段ゲームをやらない僕でも興味を惹かれる。


 僕は自室で一人静かに恐竜の闊歩する自分だけの地球を眺めるのが大好きだ。

 絶滅することがあればその度に原因を探し、なかったことにした。何度もなんども繰り返した。僕の地球で恐竜は元気に生き続けている。


 この地球を育てている間、何度も考えたことがある。この世界は入れ子になっているのではないかということだ。

 僕がこの地球を育てているように、誰か僕らより上位の存在がこの地球を育てているんじゃないか。他の誰かの育てた地球の中でも地球鑑賞キットが作られ、またそこで地球がいくつも育てられているのではないだろうか。

 昔からよくあるSFのネタではあるが、自分が地球を育てながら考えているのでちょっぴり現実味があって怖くなる。


 一度考えだすと止まらないのが性分で、色々と思案する。

 例えば輪廻や転生という概念がある。魂は死んだらまた新しい生き物に生まれ変わると言う考え方だ。この地球キットでも、すべての生物に"魂"というデータ単位が与えられ、生命活動を停止すると他の生物として再利用される。地球上の生命総数は不変というわけだ。しかしこの仕組み、どうも「地球」という存在を中心に捉えすぎている気がする。地球というサイクルを回すことに特化しすぎているのだ。

 もちろん、地球に住む人間が勝手に考えたことであるし、僕も実際に魂が輪廻をめぐり転生しているなんて考えているわけではない。しかし、もし仮にそういう仕組みがあるのであれば、僕は自分より上位の存在を感じてしまって若干の背筋の冷たさを覚えるのだ。


 もし上位の存在がいるのなら、やはりアースリウムを楽しんでいるのだろうか。すると僕が恐竜を絶滅させないためになんども地球のリセットを繰り返しているように、いつか突然世界がリセットされたり、見飽きたからといって削除されてしまうことがあるかもしれない。例えばこの瞬間に僕の意識が途絶えた時、さてそれは世界が滅びたからなのか、リセットされたのか、はたまた削除されてしまったのか僕には判断がつかないわけだ。

 起こったとして判断のつかないことを怖がっていても杞憂というものだ。しかし、もしかするとこの世界は何度も地球環境が破壊され、それを回避するために何度もリセットされた世界なのかもしれない。どんなに繰り返しても戦争の歴史は覆せず、諦められてしまった世界なのかもしれない。

 そんなことを思いながら、今では人間が住むことを許されない水だけの星になった本物の地球が窓の外に浮かぶのを眺めるのだ。

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神様のアクアリウム 泡盛もろみ @hom2yant

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