第12話

 真澄が用意してくれた和食中心の朝食を食べ、身支度をして祥介は部屋を出た。

 いつもより少し早いがゆっくり歩けば、普段の登校時間に着くはずだ。マンションの外廊下に出たところで右隣の扉が開く。セーラー服に身を包んだ雪華だった。


「あれ、もう帰ってたのか」


「……」


 雪華は何も言わずに鍵を閉めて行ってしまう。

 結界により侵入者の存在を完全否定するエフィスガーデンにおいて戸締まりは意味を為さない。祥介は鍵を掛けたことはなかったが、誰を警戒しての戸締まりかは考えたくなかった。


 祥介は小走りで近づき、雪華の華奢な背中に話しかける。


「朝ごはん食べたのか? 一応、真澄さん用意してくれてたけど」


「……」


「紫崎のやつ、何度起こして起きねぇんだよ。もう放っておいたけど」


「……」


 無言の返答にはもう傷つかなかった。

 

 それぞれ別の部屋で暮らしているが、三度の食事は全員で一緒にするのがなんとなく決まっていた。その場所は常に祥介の部屋だ。雪華は自分の部屋には絶対に人を入れたがらないし、悠雀の部屋は足の踏み場がない。女子の真澄よりは男子の祥介の方がいいだろうとのことで祥介の部屋での食事が習慣になっている。まぁ今日のように、誰もいない場合もあるのだが。

 

 ふと、雪華の後ろ姿を見つめる。

 

 短いスカートから伸びる脚は黒いストッキングが着用されている。夏でも雪華が素足を出すことはない。彼女の右足から背中にかけて大きな傷があるのだ。髪で隠しているがこめかみ部分に傷が残っていることも知っていた。

 祥介は億劫になった気持ちを和らげるように辺りの景色へ意識を向ける。昨夜は少し肌寒さを感じたが、気候はもう春の陽気だった。


「一人、ロンドンから来るらしいよ」


 唐突に、雪華が口を開いた。


「ロンドンって、タウゼントからってことか?」


 雪華は振り向きもせずに沈黙する。肯定、ということだろう。


『タウゼント』とは、祥介達が所属する霊術組織の名前だ。

 神に選ばれた十人の「ソーサル」とソーサルに対抗するための霊術組織「リベラシオン」の殺し合いを止めるため、世界の平穏のためにソーサルでもある蓮華が作った精鋭組織である。

 その拠点はロンドンにあり、総帥である蓮華が常にロンドンにいるのはそのためだった。

 ロンドンからの派遣。これまで何回か霊術師を招くことはあったが、雪華のニュアンスから察するに祥介たちのチームに仲間が加わるという意味だろう。有り難い話ではあるが、腑に落ちない点もあった。


「ただでさえ人手不足なのに、そんな余裕あんのかな」


「……さぁ。あの人の考えることはわからないわ」


 あの人、とはもちろん蓮華のことである。その冷たい一言がこの二人が壊滅的に仲が悪いことが見て取れた。


「まぁ理由は置いておくとして、新メンバーか。どんな人だろうな。俺たちみたいな若い霊術師は珍しいだろうし、やっぱ年上か。真澄さん何も言ってなかったけど」


「……」


 後ろ姿だが、雪華が何か言おうと息を吸った気配があった。しかし、それは声にならずに霧散する。首を傾げ、待ってみるが雪華が再び言葉を発しようとすることはなかった。

 

 二人は住宅街を抜けて、長い坂道に差し掛かった。均等に植えられた桜の木が両側を連ね、ピンク色に染まった木枝が空を覆い隠している。桜トンネルと形容していいくらいの近所では桜名所だった。

 生徒達の間では清賴せいらいロードと呼ばれている桜並木で、この坂道を上がった先が祥介たちの通う中高一貫校、清賴学園せいらいがくえんだった。


「すげぇな。もう満開だ」


 揺れ落ちる花びらを眼で追いながら祥介は感嘆した。

 中三で通い始めた祥介にとってここの満開の桜は三度目であるが、毎年ため息が出る美しさだった。特に花を愛でる習慣はないけれど、この時期は花という刹那的な美しさと切なさに思いを馳せる気持ちになる。


 雪華はそんな桜の花には目もくれずに坂道を上がっていった。

 まあ、花はおろか雪華が物事に感動するさまを想像できないので彼女らしくはあるのだが、それを個性と断じてしまうのは危険なような気がした。

 将来が心配である。


「ん?」


 そこで、前を歩く雪華を通り越した数十メートル先におかしなものが見えた。

 時間がまだ少し早いこともあり、桜の坂を上る清賴生は少ない。その中に白いローブを羽織った人間がこっちを向いて立っていたのだ。

 

 遠目からの推測で身長は百七十は超えている。

 祥介よりも背丈があり体つきはしっかりしていた。深く被られたフードのせいで顔が見えなかった。まるでフードの奥には暗い洞窟が延々と繋がっているようにも見えた。

 でも、なぜだろうか。明らかに異質なその白ローブの姿に清賴生は誰も見向きもせずに素通りしていくだけだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る