第11話

「祥くん」


 名を呼ばれ、祥介はハッと我に返った。

 いつの間にか真澄に手を握られていたことに気付く。全身から冷や汗が噴き出していた。真澄のもう片方の手が祥介の頬に触れた。熱を持った柔らかい手が心を落ち着かせる。


「休んだほうがいいんじゃない? 去年、無理して行って夜は寝込んじゃったでしょ」

 

 真澄の言葉が身体の芯に染みこんでくるように感じた。

 もう少し浸っていたかったがいい加減、彼女に寄りかかっているわけにもいかなかった。

 祥介は深く息を吸って吐き出し、首を横に振った。


「辛くなるのは、俺だけじゃないですから」


「自分を優先しないことが人の為になるとは限らないからね」


 納得していない顔でそう言うと、真澄はゆっくりと祥介の手と頬から手を離した。


「私、今日は先に出るから遅刻しちゃだめよ。朝ご飯、置いてあるから時間になったら紫崎さん起こして二人で食べてね」


「二人? 雪華はどうしたんですか?」


「部屋に気配がなかったから出かけてるみたい。多分、朝は食べないと思う」


「……そう、ですか」


 エイプリルフールの惨劇のことを雪華はほとんど覚えていないと聞いている。けれど、あの日雪華は大怪我を負い、その傷は今も身体に大きく残っていた。

 その原因を作ったのは祥介だった。彼女が兄に対してことさら厳しいのはそのことも関与しているはずだ。自分の傷を負わせたこと。そして、父親を殺したこと。


「関係ないと思うよ」


 真澄は祥介の心情を察して言った。


「あの子が他人にも自分にも厳しいのは強い意志があるからよ。簡単には砕けない堅固な意志がね」


「意志、ですか……」


「必要なことよ。何かを為すには必ず」


「俺には特に厳しい気がしますけど」


 真澄はそれを聞くと複雑そうに笑った。


「いつかちゃんと話すといいわ。十年前のこと」


 確かに、雪華のことのほとんどは人を介した又聞きに留まっていた。恨まれているのではという後ろめたさから直接、聞いてみたことはなかったと思う。


「まぁ、いずれはとは思ってるんですけど」


「あの子はあの子で、素直じゃないからねぇ。そんな性格だから蓮華さんとは喧嘩しちゃってるわけだけど……似てるから、あの二人」


「確かに」


 お互いが譲歩というものを知らないので、猛烈に対立しているのだ。見た目もそっくりな蓮華と雪華は性格もそのままコピーしたようである。


「つーか、今さらですけど母さんは雪華が霊術師になるのなんで反対してるんですかね」


 蓮華は一般的な母親の価値観が皆無な人だ。

 戦力になるなら子どもでもなんでも使う。娘を案じてという理由はまずないだろう。しかし、真澄はその祥介の予想を覆し


「娘を案じて、だろうね」と続けた。


「んー、言い方を変えれば邪魔だから、とも言えるけど本当のところはわからないわ」


「邪魔、ですか」


「まぁいずれにせよ、祥くんが学校行くくらいには雪華ちゃん、帰ってくるから。一緒に登校してきなさい」


「いや、そのまま学校行くんじゃないですか? サボらないなら、ですけど」


「帰ってくるわ。なんだかんだで妹やってるのよ、あの子は」


 そういうと真澄は踵を返した。

 雪華が妹をやっている、とはどういう意味だろう。考えていると真澄は修練場を出るところで振り返り、一言呟いた。


「じゃあ、気をつけてね」


 真澄は返事を待つことなく、修練場を出て行った。

 雪華のことを思案していた祥介は気にもとめなかった。

 何に気をつけるべきだったのか。

 その真澄の言葉の意味を、彼はすぐに知ることとなる。

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