邂逅

第10話

 エフィスガーデン。

 祥介たちが住むそのマンションは、閑静な住宅街のなかにある普通の五階建ての建物である。鉄筋コンクリート製で洒落た要素も施されておらず、各部屋2DKの間取りにも目新しいものはない。唯一の利点といえば外観と内装の新しさくらいだった。

 祥介にとってここがもっとも気楽だったのは、転居人がやってこないことだった。

 エフィスガーデンは霊術師の修練場もかねており、一般向けに部屋の貸出はされていない。さらにいえば、ここはあらゆる部外者の侵入を許しておらず、建物は常時、結界が施されていて一般人は認識は出来ても立ち入ることは絶対に出来ないようになっていた。

 他人に気を遣わなくていい反面、宅配関係が一切届かないため、一長一短といえるかもしれない。このご時世、通販サイトが自宅に届かないのは正直不便ではあった。


 早朝、祥介はエフィスガーデン三階の修練場で一人、鍛錬をしていた。

 畳で敷き詰められた床に打ちっ放しのコンクリートの壁は相性が悪く、外観としては良いとはいえない。ただ、壁を抜くことでツーフロア分のスペースがあることから広さは十分過ぎるものだった。

 ちなみに隣の部屋は雪華専用の射撃場、その隣の一番奥はあらゆる衝撃に耐える強化部屋となっていて主に蓮華が使う場所だ。拳による白兵戦が主力の祥介はこの畳部屋しか使ったことがなかった。


 腰を落とし、拳を前に突き出すことを繰り返す。

 母親であり、師匠でもある桐谷蓮華は文句なしで強かった。成長し、男として体格も出来上がった今でも勝てるイメージが湧かない。むしろ自分が成長すればするほど、見えなかった道が光で照らされるように力量の差が露わになっていくように思えた。


 それは同時に『ソーサル』という異質な存在を感じることでもあった。


 ソーサルナンバー 一『流星』のアインス。それが桐谷蓮華のナンバー名だ。

 

 ソーサルとは、選ばれた人類として世界で十人しかいない固有能力を持った人達のことである。神に選ばれた十人なんて仰々しい言い方をする人もいる。霊術はそんなソーサルと戦うために生み出された戦闘手段だった。

 ソーサルと霊術師。

 両者に生まれた溝は深く、人知れずに何百年と殺し合いが続いていた、もう戦う必要なんてないはずなのに。

 

 一つ息をついて、祥介は脇においてあったタオルで顔を拭いた。身体を動かすのは嫌いじゃない、集中すれば余計なことに頭を使わなくなるからだ。特に今日は何もせずに一人でいるのは避けたかった。放っておけばどこまでも気持ちが沈んでしまうから。


 四月二日。あの惨劇から十年が過ぎた。テレビや新聞で大々的に報じられるなかで必ず、原因はなんだったのかと疑問符が飛ばされる。だが、世間は真相には辿り着けないだろう。あれは霊術組織『リベラシオン』が起こしたソーサルの殲滅作戦だったのだから。

 いつだって歴史には語られない影がある。どうしようもなく、残酷な程に。


「ここにいたんだ」


 そこへ制服姿の真澄が部屋に入ってきた。


「今日から学校なの、忘れてないよね」


 祥介は会釈で答える。

 祥介たちの学校の新学期は毎年、四月一日からだった。昨日は日曜日だったのでずれ込んで今日がスタート日である。


「何かしてないと気が滅入りそうだったんで。真澄さんこそ早くないですか? まだ六時回ってないですよ」


「んー、式の準備やら仕事がたまってて、新学期の役員は忙しいのよ。あーあ、祥くんが手伝ってくれたらもう少し寝坊出来たのになぁ」


 棒読み気味でいう真澄に祥介は苦笑して誤魔化した。

 

 手伝うのはやぶさかではない。

 真澄とは住む部屋は違うが家事全般は頼りきりだったし、何より祥介は真澄に恩があった。一生かかっても返せないくらいの、感謝があった。

 けれども、それとこれとでは話が別である。学校内では勘弁してほしい。今でこそ落ち着いたが未だに視線が痛いのだ。この人は自分がどれだけ有名人であるかを自覚した方がいい。

 学校では生徒会長・雪凪真澄の存在はテレビのなかで踊るアイドルよりも人気者だった。


「でも、よかった。元気そうには見えるよ」


「元気そうに見えるなら、良かったです」


 どちらからでもなく互いに、笑みをこぼした。今日という日に、こうして笑えるようになったのはいつからだっただろうか。

 

 いまとなっては、一年の中であの日を思い出すことはほとんどない。けど、四月一日が近くなると如実に変化が出てくる。眠れなくなり、人の悲鳴が幻聴で聞こえてくる。爆発音が耳元で鳴って聞こえていた悲鳴が不自然に途切れる。それはまるでやっとかさぶたになった傷を抉ってくるようなものだった。

 

 自分の深層意識が忘れるなと訴えるのだろうが、ふざけた話だと思う。

 

 消えるわけがない、忘れるわけがない。罪は罰がなければ拭えない。拭えたとしても消え去ったりはしないのだ。必ず跡が残る。

 

 そしてそれは、きっと血の色をしている。

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