第5話

◆ ◆ ◆


 始業式のため移動した体育館で俺は明確な意味もなく、ぼんやりと前に座るクラスメイトの背中に視線を預けていた。

 館内に集まった在校生の群れの一部となりながら、壇上のマイクに声を乗せて喋っている生徒会長の言葉を、頭の隅を掠める程度に聞き入れて。


 各教室には大型モニターが配備されているのだから、それを使ってさっさと済ませてしまえばいいのにと思う。だが学友間の交流機会を妨げないようにとする学校側としては、こういった式典の一環は世間一般の慣わしに従って集会を開きたいらしい。

 楽できるなら楽すればいいのに。時間の浪費なんじゃないか。


 生徒会長の進行の下で式は進んでいき、校長の挨拶が済んだところで、演劇学科の二年生と三年生、計四十名による舞台劇が行われた。明日に入学してくる新入生に披露するためのリハーサルらしい。


 作品は海外の古典戯曲を現代風にアレンジしたもので、地上と天界とを結ぶ時計塔を舞台に繰り広げられるダークコメディだった。

 罪科を背負い時計塔の管理を任された歯車職人たちと、お調子者の悪魔が織りなす丁々発止ちょうちょうはっしの陽気な掛け合いは実に巧妙で、薄暗い時計塔で回り続ける歯車の音が共鳴し合う、アンサンブルな演出がユーモアのある響きを生みだしていた。だが物語が進展するにつれて、その単調な機械音がやがて不穏を呼び込むノックへと変わっていき、主人公は悪魔の囁きによって二つの選択を迫られることになっていった――。


 音響、照明、美術、衣装も含めて、全てが生徒たちの手で実施しているというのだから驚く。背景や舞台上にあるオブジェクトのほとんどが、足許に設置された装置で展開される擬似ホログラムのようだが、演者たちが触れる小道具はどれも本物だ。だがじめっとした照明の暗さでも、手触りや重量感といった感触を観客である俺が想像できるのは、きっと全てが手作りだからだろう。舞台メイクのように、実物以上に丹念に色濃く作り上げたものだからこそ、立体映像同様に劇中に溶け込んだまったく違和感のないものとして見せることに成功しているのだ。演技も本格的で、台詞だけでなく立ち姿にすら力強さがあり、演者たちの役への入り込みに真剣さが窺えた。壇上を歩きながら吐露する後悔と誘惑の葛藤シーンは、それだけで時計塔に漂う汗や鉄錆の辛気臭さが伝わってくるようだった。


 さすがは専攻学科なだけのことはある。

 初めて彼らの演劇を観て、俺は素直に感心していた。


 だが同時に疑問もあった。

 なんで新入生へのオリエンテーションがこんな暗いシナリオなんだ?


 若者に興味を引いてもらおうと考えるなら、もっと晴れ晴れとした軽快で胸躍るような大衆受けするジャンルを選ぶべきじゃないだろうか。学生演劇だったらなおさら友情とか夢とか努力とか、そんな青春めいたテーマを題材にした作品の方が食い付きやすそうな気がするんだが。


 なんてことを漏らしてしまっていたらしく、隣にいた未尾みおが小声で話し掛けてきた。



 「今の時代、学生が喜ぶような王道作品を披露したって意味がないのよ」

 「そうなのか?」

 「演劇学科を受けるような子たちはみんな、少なからず演劇における学識を持ってたり意気込みを秘めてやって来てる。それだけ真剣だからね。今、必要なのは若いうちにどれだけ幅広い演技力を身につけられるかなの」



 そこで言葉を切って未尾は小さく息を吐く。


 「誰もが笑って泣いて面白いなんて言ってくれる作品は、その手の世界を目指していればいくらでも出会える。売れるからね。それこそ青春ものなんて、流行りの若手をキャスティングすれば大コケすることはまずない。だけど、たとえそれで賞が貰えても、王道の脚本の力に頼り切った表面だけの実力じゃ意味がないのよ。受賞によって箔が付くことは間違いないわ。自信ややる気にも繋がる。けれどその事に浮かれて役者を続けていたら、あっという間にその他大勢として埋もれてしまうのがオチよ。大事なのは形だけの評価に満足するんじゃなくて、演じる者としての能力の底上げ。よくいるでしょ、一大ブームを巻き起こして今年の顔とまで言われたはずなのに、数年後にはテレビから消えていた俳優、みたいなの」



 あー。そういうのに限って、観なくなったことにすら気付かないんだよなぁ……いや、いたことを忘れたって方が正しいか。


 「それだけ入れ替わりが激しい世界なのよ。ルックスで観客を引き留めていられるのは一時の間だけ。その先も客席を沸かせていられるのは期待を上回るほどに磨き上げられた圧巻の演技力のみ。一定のキャラを作るでも、役になりきるでもない。様々な感情を掌握し、役そのものを支配できてこそ一人前になるのよ」


 ずいぶんと偉そうなことを言うもんだ。


 「目先の評価よりも遠くの成果に着眼点を置く。自分の将来を思い描くのも重要なに繋がる。ウチの演劇学科はそんな理念をもって教育指導をしてるんだって」

 「やけに詳しいのな」


 入学パンフレットにだって、そこまでのことは記載されてなかったと思うが。



 「何度か稽古の見学に行ったことがあるのよ。あたし、“演劇同好会”のメンバーだから」


 口角を上げて、未尾がしたり顔を見せる。


 「ふーん」


 そんなのがあったのか。でも同好会ってことは規模が小さいのだからきっと二番煎じ止まりなんだろうな。

 そんなことを考えながら、それ以上の興味も湧かなかったのでそこで話を切り上げる。



 ぎゅううぅぅぅっ。


 未尾に思いっきり脇腹をつねられた。




◆ ◆ ◆


 無事に演劇が終了して、この日はそれで解散となった。

 みんな移動時に一緒に持ってきていた学生鞄や部活用の荷物を手に取り、それぞれの目的地に向けて体育館を出て行く。


 部活も委員会にも所属していない奴にはこのあと学校に留まっていても何の意味もない。

 他ならぬ俺自身がそうなのでさっさと帰りたかったのだが、未尾に呼び止められてしまった。


 “演劇同好会”を紹介するというので断るもあっさり却下されてしまい、俺の意思も虚しく強引に腕を引っ張られる。冴木さえき畝海うねみも同好会のメンバーらしく一緒に付いてくることになった。

 ここで抵抗しても無駄だろうと、俺は渋々ながら彼女たちと共に体育館を後にする。


 途中、例のノアという子が頭に浮かんだので、周りに視線を配って探してみたのだが、既に彼女の姿はそこにはなかった。




◆ ◆ ◆


 体育館を出て、渡り廊下を使って東棟へ。そこから中央棟に抜けて職員室で鍵を拝借してから、総合学科の教室も収まっている西棟まで戻ってきた。


 最上階の四階、同好会の部室だという部屋は音楽室や美術室ほどに広々としたものだった。


 西棟は中高一貫教育を実施するよりずっと前、元が一般的な共学の公立校だった真秀高校の校舎を改装したものだ。

 現在に比べて、年間に多くの学生を呼び込んでいた当時の校舎では、教室の数が有り余ってしまう。そこで学校はいくつかの教室の仕切りを取り払い(もちろん崩落なんてことが起きないよう建築水準を維持してだ)、本来二部屋だった教室を一部屋にまとめるなどして備品室や多目的室として利用することにした。

 ここはその一つということだ。部屋の隅には大量の机や椅子が積み上げられていて、一方の壁には年季の入った黒板がある。あとは床のあちこちに陽に焼けた段ボール箱が無造作に置かれていた。普段から利用しているだけあってきちんと掃除は行き届いているらしく、部屋に埃っぽさはない。



 未尾が部屋の奥へと進んでいった。


 「はい♪」

 窓際にある机と椅子を一組、部屋の中心に運んできて。

 「はい♪」

 俺をそこに座らせて。

 「はい♪」

 胸ポケットからハンカチのように丁寧に折り畳まれた用紙を取り出して。

 「はい♪」

 テキパキとそれを机に広げて、ボールペンを握らせて。

 「はい♪」

 「さあどうぞ」と言わんばかりに両腕を俺に広げた。



 一糸乱れぬ足取りで。

 崩れぬ満面の笑みで。

 まるでプログラミングされた機械のように一連の工程が進んでいった。


 俺は考えなしに目線を用紙に向けて――。


 「って、書くわけないだろ」


 一挙手一投足、流れるような手際の良さに思わずペンを走らせるところだった。

 危ない危ない。

 なんで入部届に名前を書かなきゃならないんだ。


 俺は抗議の視線を送る。

 俺を見ながら、未尾はにんまりとした顔のまま。


 「チッ」

 「せめてバレないようにしろよ」


 面と向かって堂々と舌打ちされても困る。


 偽笑罪ぎしょうざいのプロは笑顔を解くと。


 「なんで入部届って手書き限定なのかしら!電子署名でもいいじゃない!」


 憤懣ふんまんやるかたなしといったご様子で地団駄を踏まれられた。


 「そうしたらうっかりを装ってピッと指紋登録させられるのにっ!」


 そんなこと考える奴がいるからだろうよ。


 俺は溜息をついて、用紙をすーっと机の脇に遠ざける。

 が、その上に勢いよく手のひらを叩きつけて、元の位置まで律儀に戻して。


 「書きなさい!!」


 ぐいっと顔を近づけて俺を睨みつける。

 噛みつかんばかりの凄みある形相だが、俺はこんな横暴には屈しない。


 「断る」

 「なんでよ!」

 「興味ないからに決まってんだろ」

 「いいから書きなさいってば!」


 用紙を引っ掴むと、今度は俺の眼の前に突き付けて――いや、顔面に押し付けてきた。


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