第1話
◆ ◆ ◆
この街に越してきてからの一年はあっという間だった。
くだらない事情で住み慣れた街を離れた俺は、こっちの高校を受験して、入学して、そのまま腰を据えた。
知らない奴らばかりの生活に不安はなかった。さして他人に関心など持てずにいた俺には、仲間とのきらめく青春なんてものに期待も興味もなかったからだ。卑屈だの愛想がないだの何を言われようが、一人でいられる時間があればそれで良かった。
それでも周りはそんな態度でいる俺に、お節介にも話し掛けたり、昼食を共にしたりと接点を作るよう努力してきた。
その事に対して、本当はもっと感謝するべきなのかもしれない。
だがそんな世話焼き行為を、クラス内で人気を得るためのパフォーマンスとしか受け取れなかった俺には、「面倒だ」「馬鹿馬鹿しい」と思うだけで大して胸に響くことはなかった。
彼らが期待していただろう友情の輪とは裏腹に、俺は当たり障りのない返事と苦手な笑顔を作って、ただなんとなく日々を過ごしていった。
そして現在――。
春。
新学期。
学年が一つ上がり高校二年となった俺は、
笑い声が弾む生徒たちに紛れて擬似ホログラムで浮き上がる掲示板から自分の名前を認めるや、余韻も残さずさっさと校舎へ向かおうとしたのだが。
「あっ!見てみてっ、ほらあそこ!」
誰が言ったのかそんな声が聞こえて、俺は釣られて振り返る。
校門の方角、俺が通ってきた桜並木の続く坂道のずっと先に、巨大な虹が掛かっていた。
春らしい澄み渡る青の空と、薄くたなびく白の雲に負けない七色のアーチは、眼にする誰もが息を呑むほどに美しいものだった。
ここ
この辺りでは面白いことに天気雨が降りやすい。
それも毎日のように。
理由はこの土地の独特な気候に深く密接している。
虹霓市があるのは海岸山脈の麓である。西側は標高の高い山々が連なっており、更にその向かいには海が広がっている。街の頭上をたなびく雲のほとんどは海岸沿いの湿った空気から生まれていて、風に運ばれてやって来る。
水分を多く含んだ雲は必然的に雨を降らせる。雨雲などによって大気中には大量の水の粒が発生するわけだが、その一粒一粒のなかを光が通過し、反射することで虹は生まれるのだ。
しかしながら、それらの雲は山を越える頃にはほとんど消えてしまうため、雨が地上に辿り着くのは決まって晴れ間が広がる天候のなかでとなる。ゆえに街では頻繁に天気雨となるわけだ。
そんな天気雨にはもう一つ特徴がある。
それは降水時間があまりにも短いことだ。それこそ近辺を横切る人すら気付かないほどで――雨そのものを街なかで見掛けることが極稀である。
だから日常的に続く雨の日に対しても、住民が傘を持ち歩くことは滅多にない。
雨が降ったはずなのに、そのことに気付かない住民。
降っているのに降っていないと錯覚させる気象。
虹霓市はとても奇妙な街なのだ。
「やっぱ、いつ見てもきれいだなぁ」
「なんだか良い気分になるよね。心が洗われるっていうか、わくわくするっていうか。夢とか希望がいっぱい詰まってるって感じで」
「思わず飛び跳ねたくなっちゃう感じ?」
「そうそう!そんな感じっ!」
「なんならやってみる?」
「え、今?ここで?」
「当然っ♪」
「えーっ!?やだよ、恥ずかしいよー」
「照れるなこいつぅ♪」
「もー。ちょっと
「いいじゃん。あたしたちの仲なんだしさー。ふふふ……むぎゅっとな♪」
「ひゃひぃっ!?ちょっと!どこ触ってるの!?」
「んふふふぅ♪それを口にしても構わんのかな?大衆の前で?痴態を晒したいとな?」
「……だ、駄目だよ、未尾ちゃん……やめ、てよ……」
「へーきへーき。瞼を閉じてゆっくりと息してごらん……視覚情報を失っても耳を澄ませてみれば……ほら、こんなにも周りの熱気が肌に伝わってくる……」
「い、いや……みんなが、見てるよぅ……」
「恥ずかしいのは最初だけ。全身が熱くなるのだって、すぐに喜びに変わるんだから」
「ぅぅ……もう、やだぁぁああっ!!」
涙目になりながら校舎の方へ駆けていく女子。未尾と呼ばれた方も「良いではないか♪良いではないか♪」とはしゃぎながら逃げる彼女を追いかけていった。
そんな二人の様子を虹そっちのけで眺める周囲の生徒たち。
俺はそんな稚気に嘆息すると、今度こそその場を後にした。
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