アルカンシエル
おこげ
第一章 虹の方舟と異邦の少女
プロローグ
◆ ◆ ◆
世の中は科学で彩られている。
燃焼する木々が熱を発するのも、手元から離れたリンゴが地面に落下するのも、見上げる太陽が眩しいのも、やまびこが返ってくるのも――自然界に起こるありとあらゆる現象には、普遍的な法則があることを人類は発見した。そして地層や鉱物、生物に植物など、地域によって異なる環境下から地球の構造を研究しては、気の遠くなるような長い歴史を紐解いてきた。
人を含めた物質は元素、または原子といった基本要素が組み合わさって出来たものであり、さらにその要素はより微細な素粒子によって構成されている。人はそれらに手を加えることで、生活の利便性に繋がる道具を発明したり、怪我の治療、ひいては寿命の引き延ばしまでも可能としてきた。
豊かさを獲得した人間社会。
だが、こうして発展してきた科学も所詮は推論の上でしか成り立っていない。
なんたって出題者がいないからだ。
瞳に映る事象の全てに、研究者は際限のない疑問を抱いてきた。
しかし彼らは、“なぜ”ではなく、“どのようにして”でしかそれらを解き明かすことができずにいた。
真の解答を示すことができるのは無から有を生みだした神様しかいないからだ。
研究者は神様が地上に落っことした事象をヒントに、膨らむ疑問を払拭させてきただけにすぎない。自分たちのもつ知恵や技術を駆使して、人並みの答えに行き着こうと、頭上に立つ神様の脚に手を伸ばそうとしてきた。
つまり、知識も法則も原理も、現在まで常識として広まっているあらゆる定義が、世界で起こる事象の仕組みにたまたま噛み合っていただけで、実体はまったく的外れな推測かもしれないのだ。
空が青いのも、風がそよぐのも、海が荒れるのも、草木が茂るのも、そして人が生まれたことすらも――たかだか数十年、数百年の科学の集大成など、星の寿命と比較すればどれだけちっぽけなものか。
偶然の産物。
身の程知らずな人間の、神秘の究明。
この先、科学界に激震が走るような新事実が見つかり、それによってこれまでの理論が根本から覆る時が来るかもしれない。
人は蛙と同じだ。自分たちの理解の範疇である井戸の中でしか物事を議論できない。見聞を広め、外界に出たつもりが、本当はまだ叡智の海を見たことすらない。
見えていないものを見えたと誤認識してしまい、そしてその勘違いにも気付くことができない。狭義的な常識が人の可能性を取り上げ、あるべき世界をより小さく縛り付けているのだ。
どれだけ自分たちの研究成果を世界に発信し、必死に正当性を述べようと、とどのつまりはどんぐりの背比べ。全ての物語に意味を見出したがる人間のエゴだ。
神様の胸に耳を押し当てて秘め事を盗み出す――そうでもしない限り、真実は永遠に足許に埋もれたまま。早い話が無理というわけだ。
虫には虫の世界があるように。
花には花の世界があるように。
人には人の世界しかない。
しかし。
それでも何かを知りたい、学びたいという飽くなき知的好奇心。
それは人間の特質であり、神様が与えた財産でもある。ならばそこには必ず意味がある、人としてそう考えるべきだろう。欲求も自我も心も愛も、形のないものにすら全て――。
世の中は科学で彩られている。
だが俺たち人間が知っているのはほんの一部にしかすぎない。
だからこそ、その時の俺には眼の前に広がる光景も、俺の手を握る彼女の存在も、不思議に彩られていたんだ。
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