第16話 賞金首を追って

「――ねえ、ジュウ」


 突然、今まで黙ってあとをついて来ていたデルニが、立ち止まって重斗を呼んだ。


「どうした、デルニ。 何か見つけたのか?」

「さっきの紙のおじさん、あの人じゃない?」


 そう言って、デルニは通りの向こうを指さした。その先には確かに、紙に描かれていた男が小さな屋台で麺類を啜っていた。


「! ――逃がすかっ!」

 言うが早いか、重斗は男に向かって全速力で駆け出した。


「――やばっ!?」


 接近に気付いた男が啜っていたどんぶりを重斗に投げつけ、脱兎の如く駆け出した。狭い路地の方へと逃げていく。「食い逃げだ!」屋台の店主が叫ぶが、止まるはずがない。


「くそっ、相手が早い。いや、俺が遅すぎる!」


 ここにきて重斗は初めて理解した。人の身体の脆弱さを。


 もとの三メートルを超す巨体と今の身体では、比べる意味がないとわかっていた。わかっていたが、実際に激しく動かしてみて、天と地よりも離れた性能差を痛感した。


「くっ! さすが三百回も逃げただけはあるわね。大した俊足なのだわ」


 あとから走り出したにも関わらず、重斗を抜いていったバレッタが苦々しげに言う。


「ま、まってぇ、みんな早すぎだよっ」


 他より遅れ始めたデルニが、必死にあとを追ってくる。


「捕まってたまるか!」


 男はこの辺りの道に精通しているらしく、迷うことなく狭い路地を走り抜ける。

 少しでも油断すれば、あっという間に見失ってしまうだろう。


「バレッタ、欺瞞の魔法を解かないのか?」

「こんな街なかで解けるわけないでしょう!?」


 逃げる男を追いながら、バレッタに魔族の身体能力を解放しないのか尋ねるが、彼女は否定した。


「……マズいな」


 重斗は一人ごちた。全力で走っているが追いつけない。ちらっと振り返れば、デルニはもう、遅れすぎて姿が見えなくなっていた。


 魔法を解き、彼女の身体能力を堕天使の状態に戻せば、容易に男を捕らえられるが、その際、黒い翼を衆目に晒してしまう。それは避けるべきだ。


「このまま追ったところで逃げられるだけ、か……!」


 どんどん距離が離れていく男に対し、重斗はその上方を見上げた。

 立ち並ぶ建物の屋根が、万遍なく赤い瓦に覆われている。


 目を閉じ、自身の身体に宿る魔力を確認する。

 ――量は問題ない。

 だが魔法は繊細だ。正直、人間の身体で魔王の呪文を発動できるかわからなかった。


 発動してくれよ、と重斗は負の女神に祈って呪文を唱える。


「――【落下トンベ


 ガシャ、ガシャ、ガシャ、とけたたましい音を立てて、大量の瓦が男に目がけて急速に落下し、そのまま下敷きにした。


 重斗よりも男に距離が近かったバレッタは、咄嗟に急停止して難を逃れた。


「少々、痛めすぎてしまったか。まあ、生きているなら問題はあるまい」


 積み重なった瓦の山に近づき数枚どかすと、頭から血を流して昏倒する男が出てきた。


「この男をギルドまで連れていけば報酬がもらえるんだな?」


 近くで立ち尽くすバレッタに確認を取るが、返事がない。


 重斗は黙り込んで自分を凝視するバレッタに、小首を傾げる。


「その呪文、その傲岸不遜な態度、その血のように紅い瞳、あなたは、――魔王グラビテウス……!」


 女神に創り出されてからこれまでに、何度も自身に向けられて慣れ親しんだ感情。

 バレッタが絞り出すように発した名からは――『恐怖』が滲み出していた。


「はぁ、はぁ、はぁ、――あれ、どうしたの?」

 必死に走ってきて追いついたデルニが、立ち尽くす二人にきょとんとするのだった。

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