第6話 転移
「――ごちそうさま。甘くてすごく美味しかった。こんな美味しい物を食べたの生まれて初めて。もうお腹一杯。これなんて名前の食べ物?」
ほうっと満足げな息を吐くと、そう訊いてきた。
「パンと俺は呼んでいる。正式名称は知らん。天使の食い物でな、どんなに空腹でもそれを一個食べるだけで腹が満たされる」
はるか昔、グラビテウスは天使の大軍と一戦を交えた。
そのほとんどを倒したあたりで小腹が空いたので、生き残っていた数人の天使に食い物をよこせば見逃すことを約束した。
すると、天使は揃ってパンを差し出してきた。腐るのがかなり早い食べ物らしいが、一個だけで満腹になるという。
パンを全てをもらい受けると、グラビテウスは約束通り天使を逃がしてやった。
部下のなかには魔王が天使の食べ物を食べるなんて、と嘆く者もいた。
だが、小腹が空いたとき非常に重宝するので、防腐の魔法をかけて保存している。
「……こんな美味しいものをあの人たちは食べてたんだ……」
何かショックを受けたようで、鉄格子の奥から震えた声が聞こえた。
「? どうした? 大丈夫か?」
「なんでもない。――それで、あなたがここへ来た理由はなに? 私にただで食べ物を与えに来たわげじゃないでしょう?」
向こうからグラビテウスがここまで来た理由を訊いてきた。
最初のどんよりとした空気はかなり和らいでいる。これはかなりの前進だ。
グラビテウスは「よしっ」と、小さく握り拳を固めた。
「俺がここまで来たのはお前が必要だからだ。俺はこれから敵を倒しにいかなければならない。敵の名も、その人数も一切不明だが、強大であることは確かだ。だが今の俺には大した力もなく、このまま挑んだところで負けることは明白だ。俺に負けは許されない。俺が負けた先にあるのは世界の終焉だけだ。だから必ず勝つ。そして俺が勝つためにはお前の協力がいる。だから――」
そこまで真剣な眼差しであった顔に、グラビテウスは不敵な笑みを浮かべる。
「俺と一緒に来い。俺が、お前にこの世界を見せてやる!」
どんなに姿が変わろうと魔王らしく、覇気の籠った声で言い切った。
「……誰かに必要だなんて、言われたのは生まれて初めて。誰かに物を貰ったのも。――わかった。私はあなたについていく。あなたが望んでくれるならどこへだって。私はあなたと世界を見たい」
まるでその言葉が合図であったかのように、部屋中を覆っていたいくつもの魔方陣は滑らかに動き出すと床で一つにまとまり、新たな別の魔方陣を描いた。
「――これは、転移術式?」
足元で白く輝く半円の魔方陣を見てグラビテウスは呟いた。
こちらからは見えなかったが、鉄格子を境に魔方陣は真円を描いていたのだろう、転移術式が正常に発動し、暗かった室内は一気に眩い光に包まれた。
「――うわぁぁぁぁぁっ!?」
「――きゃぁぁぁぁぁっ!?」
足元の床がなくなり、グラビテウスは下に向かって急激に落ちていった。
あまりに突然のことだったので、思わず口から驚きの声が漏れた。
それは鉄格子の向こうの相手も同じだったようで、そちらからも悲鳴が響いた。
ただ、その声は魔法の効果がなくなったのか、幼さが残る少女のものだった。
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